ファイル5 好きなキャラクター事件

 桜浜高校の部活棟は、幽霊塔と言われるだけあって薄暗い。


 特に、その最奥にあるミステリー研究部は、いかにも怪しい雰囲気が漂っている。


 また、その隣の歴史研究部はたびたび部室を空けるので、ミステリー研究部で何が行われていても、誰も気づきにくい。


「ちょっと……アイリ……、これキツい……無理ぃ……」


「うふふ。可愛い声だしてもダメですよ、鈴先輩。だって、まだまだ半分ですよ?」


「無理なものは無理だってばぁ……。ここが限界よぉ……」


「ほらほら、早く最後まで行っちゃいましょうよ」


 私は弱音を吐き、アイリは激励する。


 だが、どことなくエッチな会話みたいになっていたと気づき、私は急に恥ずかしくなる。


 アイリは気づいてなさそうなので、顔には出さないようにしたが。


 さて、私はミステリー小説をあまり読まないし、そもそも小説も読まない。


 ミス研にいるのは、廃部阻止のために果南によって無理矢理入部させられたからだ。


 だからミステリー界の人気作・有名作も、タイトルを知っている程度という作品が多いのだが、この度、私はついに京極夏彦の“姑獲鳥の夏”を読みだした。


 実は果南からの誕生日プレゼントだ。


 果南はこの小説が大好きなようで、ぜひ読んでみてほしいとのことだ。


 だから私も、友人の果南の好きなものを好きになるべく、この姑獲鳥の夏を読みはじめ、今は半分ほど読み終えたのだが、つまりはまだ半分ある。


 あと三百ページある。


 半分で三百ページだ。


 ちなみに、学校の教科書や資料集もだいたい三百ページ。


「おかしいでしょ。全部で六百ページあるって。薄いライトノベルだったら三冊分よ。しかもやたら難しい単語が所狭しと並んじゃって、これもうちょっとした辞書じゃないの」


「でもこれ、人気もあるんですよ? たしか発行部数も一千万部超えていましたし」


「みんなよくそんなに読めるわね……。尊敬するわ」


「え!? 鈴先輩、私のこと尊敬してくれるんですか!?」


「訂正するわ。こんな長文なのに人気な作品を書けるなんて、作者の人を尊敬するわ」


 私は小説をいったん閉じ、深い溜め息とともに背もたれに寄りかかって、机にあったマカロンを一つ口に入れる。


 正直言って、生地がパサパサ過ぎて、やや水気が欲しくなる出来だが、甘味がなければこんな長文を読んでられない。


 一応、果南からのプレゼントということで読み始めた本だが、これはあまりにキツい。


 しかも厄介なことに同じシリーズがあと十冊以上あり、最大一四〇〇ページの文庫本もある(それは文庫と呼べるのか?)。


 本当なら即座に本棚のお飾りにでもしたいところだが、さすがに分厚い本だけあってすべて合わせると一万円を超える。


 そんな高額プレゼントを、さすがに無下にはできない。


 ……なんだろう? 新手の嫌がらせ?


 とは言え――と私は思いつつ、今まで読んできたページをペラペラめくる。


「まあ、三百ページ読んだけど、今のところは面白いわよ」


「でしょう?」


 私の言葉に、なぜかアイリが誇らしげな顔をしたが、なんかムカつく。


 とは言え――とは言えだ。


 私はこの物語を気に入っていた。


 ミステリーの肝である謎も興味惹かれるものだし、妖怪知識が披露されるシーンは怪しげだし、またキャラも個性的だ。


 特に私のお気に入りは、


「やっぱ榎木津礼二郎がいいわね」


 私は主人公らの風変わりな友人キャラの名をあげる。


 ただ、言った瞬間、アイリの表情が一瞬だけ固まったように見えた。


 私はそれをなんだろう? と思ったが構わず話を続けた。


「京極も変な男だけど、榎木津は輪をかけて変なやつよね。だけどその雰囲気とか態度がいいわね。ちなみにアイリは誰が好き?」


「え? あ、あぁ……みみみみんな魅力的ですけど、……あのあのあの……、あっちゃんとか、どどどどうです?」


 アイリは、言葉が揺れた。


 私に詰問されていないにも関わらず、こういう反応はちょっと珍しい。


 だが私は、それでも構わず話を続ける。


「あっちゃん? あぁ、妹の子ね。あの子も快活でいいキャラね。昭和が舞台なのに、若い女の人であの行動力は気持ちいいわ」


「でで、ですよね?」


「でも、やっぱいいキャラは男キャラのほうが多いわね。京極や榎木津の他に、関口も悪くないし、あと木場ってのも良さそうだわ」


「……」


「ねえ、榎木津はこの後も活躍するの?」


 私は何気なく問う。


 好きなキャラがこれからも登場するとなれば、この分厚い本を読むモチベーションになるからだ。


 だが、


「……」


 アイリは押し黙り、沈んだ面持ちになっていた。


「え? アイリ? どうしたの?」


 私はそこで初めてアイリの妙な様子を気にしだす。


 私は何かアイリの気に障るようなことを言っただろうか?


 それとも、先日と同じく生理痛だろうか?


 私は心配した。


 だがアイリは、


「――――」


 やたら小さな声で何かを言った。


「え? なに?」


 私は聞き返すが、それでもアイリは小声で何か言うのみだった。


「ちょっと、アイリ? 何言ってるの? もっと大きな声を出しなさいよ」


 若干、私も苛ついてそう聞いたが、それが前フリになってしまった。


「鈴先輩!! わわわわわ私より男が好きなんですか!!!!」


 突如として、アイリは窓ガラスが震えるほどの大音声を発した。


「わわわわわ私というものがありながら! わわわわわ私がこんなにアプローチをしているのに! わわわわわ私はこんなに可愛いのに! わわわわわ私は鈴先輩にこんなに尽くしているのに! せせせせせせめて妹キャラのあっちゃんだったら、わわわわわ私にもチャンスがあるっていうのに! よよよよよりにもよってイケメンな榎さんをおおおお!!」


 途中から、私は耳を手のひらで覆ったが、その大声は手の肉を安々と貫いて鼓膜を揺らした。


 ただ、アイリの様子がおかしかった理由は分かった――が、


「あなた、まさか――小説のキャラに嫉妬してるの?」


 私は呆れながら聞いたが、アイリの暴走モードにしてバグったロボットは継続された。


「だだっだだって! すすすす鈴先輩が人のこと褒めるなんて、全然ないじゃないですか! 私のこと、ぜぜぜぜ全然褒めてくれないじゃないですか!」


「それはあなたが褒められることしないからでしょ」


「ここここ後輩なんだから、もももももっと褒めて伸ばしてくれてもいいでしょう! そそそそそうしたら、わわわわ私も、ももももももっと鈴先輩につつつつ尽くしますよ!?」


「……念の為聞くけど、尽くすってどんなふうに?」


「え? えええええっと……」


 アイリは急にトーンダウンし、四秒ほど考え込み、


「セッ」


「分かった。私はあなたのこと褒めたりしない」


 私は早口で力強く言った。


「いいいいい今のは鈴先輩が言わしたんじゃないんですか!」


「まさか本当にそれを言おうとするとは思わないでしょう」


「じゃあなんて言えば良かったんですか!? 夜の営みは究極の奉仕でしょう!?」


「夜の営みは、究極の愛の確認作業の一つよ。しかもべつに人によってはやらなくてもいいし」


「ゔぅぅぅ」


 アイリはとうとうグウの音もでなくなったようで、唇を噛み締めた。


 そして私も柄にもなく真面目な話をして恥ずかしくなる。


 だが、私は机の上のマカロンを一つ食べて、落ち着くことにした。


 こういうときに甘味は良い。


 もともと、今日はそれなりに良い日だったのだ。


 天気も良いし、近所の犬を撫でられたし、学食ランチは私の好きなハンバーグ定食だったし、苦手な歴史の小テストも高得点だったし、それにマカロンである。


 この生地がパサパサ過ぎで、砂糖が多すぎなマカロンである。


 このマカロンがある。


 だから私はマカロンを二つ、三つと食べた。


 正直、連続で三つはキツいが、無理矢理口に突っ込んだ。


 すると、さっきまでいじけていたアイリの顔が、段々と朗らかになってきた。


 そして、


「鈴先輩は優しいから好きです。――あ、そうだ、実は紅茶もあるんです」


 そう言うと、鞄から水筒を取り出し、蓋に中身を注ぐと私に差し出した。


 それは、出来合いのもので、香りも豊かな美味しい紅茶だった。


 と、そのとき、タイミングが良いとも悪いとも言えないときに、果南が現れた。


「やあやあボンジュール、今日も元気かい? 部長の果南だよ。っと、マカロンとアッサムかい? とても美味しそうだが、これはもしかして?」


 果南がセリフを途中で区切ると、アイリは照れた様子を見せ、私は姑獲鳥の夏を手に取った。


「これと同じ。私専用よ」


「そうです。これは鈴先輩のためのものです」


 私とアイリがそう言うと、果南は「そうか。我が友モ・ナミ専用か」と柔らかな微笑で頷いた。


 そしてあとは、いつもどおりの部活動が行われた。





 ・・・幕間・・・



「とは言え、一つくらい私にもくれないか?」


 果南がそう言うので、私はアイリに許可を取り、マカロンを一つおすそ分けした。


 そして、


良いボン。アイリの真心がよく伝わる一品だね」


 果南の褒め言葉にアイリはまた照れた。


 しかし、


「では紅茶もいただこうか。……ふむ、なかなか良い取り合わせだ」


 果南が私の手から紅茶を受け取って飲むと、アイリは急に叫んだ。


「かかかかかか関節キス!!!!」


 そこからはいろいろとまた面倒になったが、最終的に果南が私にもう一杯紅茶を飲ませ、その直後にアイリにも紅茶を飲ませることで事態は収束した。

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