にゃご、モテ期(笑)

確かに美人猫だな、と

にゃごは思ったりしたけれど

彼は、もと人間、そのあと

悪魔になってから、動物界に転生した、と言う変わり種である。


猫や犬には、そういう者が多く、明妙に人間性のある犬(笑)と猫が

多いのは、そんな背景がある。



反対に、人間界でも人間性がない、攻撃ばかりする人、とかは

やがて、転生したら

人間ではなくなってしまうひと、だたりもする。


それで、転生した者が虫になって

時々、大発生したりするのは

悪い人が、たくさん転生した後、

だったり。(笑)。




そんなところから、にゃごから見る

美人猫さんは、ふつうの猫ちゃん

みたいに見えた。

生き物として、ありのままに生きるが故に愛らしい。

そんな、猫らしさを

にゃごは、好ましく思った。


美人猫さんは、でも猫だから

猫なりの生を生きている。


それだけに、にゃご、が

美人である自分に好意を抱かない事に

不審を思う(笑)。


美人ではあっても、そういう

自尊心はあったりする(笑)。


猫ゆえの不幸は、文化に乏しい事である。


人間ならば、人間性に訴える事も

できる。


人柄がよくて、好まれる人、とか。


もちろん、人間の美人は

人柄が良い事が条件である。



社会の中で、やがて家庭を持つ

のだから、それは当然であった。


上辺だけきれいにしても、それは

人間性が伴っていなければ


狐つき、などと言われて

いつか、狐に転生するであろう事を

見抜かれて、社会から逸脱するのであった。


人間界もまともだ(笑)。





美人猫さんは、そんな訳で

木訥としているにゃごが、文字通り

木の上でのんびりしているので


その事に多少の焦燥を覚えたり。



美人ゆえの不幸である(笑)。



「いつも、のんびりしてるのね」と

美人猫さんは、話掛ける。



いつも、自分から

話し掛けた事などなかった。


美人故、回りが

大切にしてくれたから、である。



なので、たどたどしく

話し掛け、その不安を

ときめき、とおぼえる

猫ちゃんは、それが誤解であったとしても



恋、に堕ちてしまったりするのも



それはそれで、恋は楽しいものである。



猫の恋は、人間よりずっと

シンプルである。


それは、家族制度や租税、などと言う

面倒なものがないせいもある。



人間界でも、そういうものがない

社会は、自由で明るいのと同じ、である。



ラテン諸国のように、人として

楽しく生きるなら、経済的困窮は

厭わない、そういう生き方もあったりするように。





イタリアの猫は、そうすると

自由で至上なのだろうか?



などと、にゃごが思っている訳では、

もちろんない

(笑)。



にゃごの心には、天使さんが居るので


美人猫さんが、猫として

魅力的であったとしても



それは、やはり

満ち足りたしあわせ、と

競合するものでもなかった。


生き物としての制度から自由な

天使さんの愛、は

やはり至上なのであったり。




それは、美人猫さんにとっては

やや不幸な事、でもあった。




シンプルな猫の恋、それとは異なる

にゃご、の恋に


強く惹かれたちもした。



美人猫としての自尊心が、後押ししているのも事実である。



シンプルな猫の恋心に沿って

にゃごに寄り添う美人猫さんは

片思いのような、甘美な感覚を

初めて味わった。


それは、美人猫さんにとって

高貴な感覚であった。



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