第四十話 粕宵深弥――ミッドナイト 4


 保管庫へと飛び込むや、F・Fは早口でまくしたてた。


「籠城に見せかけてのー、一転攻勢を仕掛ける。準備はいいかよC‐4さん」


 C‐4が応じる。


「わーっとるわっ。威嚇で注意逸らす役割は任しときぃ」


 保管庫内は深也たちにとって都合の良い広さだった。8×6メートル、小学校の教室よりは若干小さめな造り。この広さなら、銃のような遠距離攻撃よりF・Fの近接戦闘の方が活かせるフィールドと呼べなくもない。先の戦闘に参加していないC‐4の援護射撃プラス爆破技術と併せての連携は、確実なアドバンテージになる。何より勝手知ったホームフィールド。地の利は完全に深弥たちにあった。


 保管庫の外からドアノブを握る音が微かに聞こえ、部屋奥に陣取るC‐4が火薬量増し増しの手製ロケット花火へと着火準備を進める。

 ドアは躊躇なく開かれた。それに応じるようにC‐4がライターを擦る。

 まさにその瞬間だった。


「大日如法界定印――āmhアーンク!」


 男の暗号めいた言葉。同時に光の帯がレーザービームとなって保管庫内の闇を切り裂く。

 呆然としながらも、深弥とF・Fは緊急回避。奇妙奇天烈摩訶不思議出前迅速御意見無用――つまるところ思考は不能。戦意喪失してもおかしくない状況で我に返れたのは、全くの偶然。


「ぬがっ」


 保管庫の入り口近くが爆発する。C‐4が一瞬遅れて発射したロケット花火は男の顔面を捉えていた。威嚇射撃のはずが閃光に気を取られた結果、精度百パーセントの命中率。皮肉としか呼びようのない偶然の産物。


「熱っちーし! 目も開けらんねーし! 何よりなんか恐ろしく臭ぇーっ!」


 男が絶叫した。C‐4のロケット花火は独自の改造で火薬量を増やすだけでなく、例えばスパイスだとかの添加物が独自配合されているのだ。

 F・Fの反応は素早かった。すでに取り戻した戦意の下、駆け出す。


「――切り返すぞ、ミッドナイトっ!」


 深弥がF・Fの意図に乗り遅れることはもうない。目指すべき背中をしっかりと見据え、追いかけた。

 顔面が吹き飛んでもおかしくない火薬量に、男は上半身を逸らせつつもどうにか踏ん張っている。

「薬師如来印――bhai《バイ》」再び暗号めいた言葉を発したその首目掛けてF・Fのエリミネイターの切っ先が迫る。男がすんでのところで避けた瞬間、ノーガードになったみぞおちに深弥は鉄パイプをめり込ませた。


「ぬっ、があああ」


 男が呻き声を上げながら、くの字に体を折る。

 間髪入れずに返す刀でF・Fが振り下ろした大型ナイフの刃。それは完全に男の反射神経を凌駕。血飛沫が上がった。

 致命傷には程遠い。男は躊躇うこともなく、F・F必殺の一撃を右腕でガードしていた。

 それでも相手の挙動を封じるには十分な成果――少なくとも男の右腕の機能は失われたはず。でも、そんな戦果に浸る間もなく、


「不動明王印――hāmカン!」

 

 両拳に燐光を収束させて、男は右拳で突き上げるアッパーカット。深弥とF・Fの間の闇が切り裂かれる。

 深弥とF・Fは阿吽の呼吸で男から距離を置く。

 縦に切り裂いた光の鎌鼬かまいたちが、十字を切るように今度は右から左、左から右――パターンの変調――それは燐光の刃という追撃オプション付随の近接戦闘特化能力。深弥が読み解いた相手の思考――と同じくしてC‐4は既に行動を開始していた。

 男の上半身に再びロケット花火が命中。光の刃は明後日の方向を切り裂いた。

 刻一刻、いやコンマ単位で変動していく戦況の中、深弥とF・Fも立て直す。次の戦時行動アクションを開始する最善の位置取りポジショニングで。

 闇の中、顔は見えない。それでも深弥はF・Fへと視線を預ける。闇の中、確かに視線が重なる。

 深弥は確かに感じた。F・Fの瞳――あの厳しくも優しげな双眸――に向けて頷く。行動開始を告げるために。


 だが、その場で最初に行動を起こしたのは男の方だった。


「キラリさーん、援護が全然ないんですけどーっ!」


 それは怒声とも泣き言ともつかない大声。爆発の衝撃を続けざまに受けている割には良く通る声で。

 どこか余裕すら感じられるその響きに、浮かんだ疑念がすぐに消え去る。緊張が深弥の身体と思考を凍りつかせた――この場において最大の攻撃手段と殺傷力を備えているのは……

 深弥の思考と共有レゾナントするようにF・Fが後を引き継ぐ。


「くそっ、忘れてた。あっちだったねー、厄介なのは。なのに、なんでだ? なんで、あの女は戦闘に参加しない?」


 困惑が波紋となって広がる。深弥たちの間に。

 でもその波紋は深夜たち以外にも。

 男が声を上げた。


「あのーキラリさん。爆発したり、ナイフで切られて、鈍器で殴られ。なによりめちゃくちゃ臭くて鼻が曲がっちまいそうなんですけどぉ。このままだと俺、死んでしまうのではないでしょーか? だのに、どうしてキラリさんはなんにもしてくれないのでしょーか?」


 それは深弥たちと同じ疑問。沈黙を続ける女への問いかけ。とはいえ言葉とは裏腹に、男に身の危険を感じているような緊迫感はない。

 それがかえって不気味だった。明確な殺意を持っていたテートソーマの警備員や、言語の通じないゾンビとは全く異質のもの。未知の恐怖――未知であるという恐怖。深弥の背を得体の知れない何かが這い上がっていく。


 そして女がついに動いた。


「五月蠅いのう、胤光は。見れば分かるじゃろ、尊がいま忙しいのは。文字通り、手が離せんことくらい、のう?」


 幼い、まさしく少女そのものの声は、どこか呆れたように告げた。声の出元にぼんやりとした薄明かりが灯っている。

 紛れもなくそれはスマホの液晶画面の発するものだった。まるで写真をSNSにアップでもするようなお気楽さ。完全な場違いさが映し出す違和に、深弥の恐怖は加速していく。


「それはもちろん、俺が殺されるかもしれないってことより重要なことがあるわけですよね、そのスマホいじりに」


 男はげんなりとした声音でいながら、世間話の延長のようなノリで尋ねる。そして深弥たちを半ば無視するように会話が続いていく。


「無論のことじゃろ。尊が経典を眺むるは、だいたい騒動絡みと相場が決まっとる」


「あー、こいつら。ひょっとして『恩寵ギフト』持ちっすか」


「今さらじゃのう。尊らが辿るべき経典への道々筋々、神の思し召したる恩寵に満ち満ちておるわ」


 深弥は駆けだしていた。

 背中を這い上がるものに急かされるように。逃げ出すように。その言葉の意味なんて分からない。分かりたくもない。それでも恩寵というワードを耳にした瞬間、弾かれるように体が動いていた。


 そして。


 確実に分かっていたこともあった。それはたった一つだけの解。思考は、その解で塗りつぶされていく。思考は、衝動へと変わり身体を支配していく――今、ここでコイツらを殺してしまわなければ、きっと取り返しのつかないことになる。


 少女の声が離れた場所から聞こえた。


「闇の中、行動が制限されるせいで手間取りはしたがの――」


 深弥は男の腹部に鉄パイプをめり込ませる。


「――そこな恩寵の名は、〝深夜ミッドナイト〟。言うなれば胤光、お主の下位互換的な能力じゃ」


 C‐4のロケット花火が男の額に着弾する。


「その能力は、闇の中でのみ他者の物語を紡ぐことが出来る空間限定能力」


 そしてF・Fの右腕が男のみぞおちで激しく明滅する……


 ――明滅!?


 深弥の戦慄き。


「なん、で……」


 自分のものだと理解できない程の。

 混乱。

 埋めつくされる思考――それはF・Fと同調していたがゆえに。

 矛盾――ありえないはずの行動。

 F・Fは黙りこくったまま。でも沈黙が雄弁に語っていた。


『戦場じゃ自分を信じられないヤツから死んでいくのさ――』


 その事実に慄然とする。


「どうして……色欲の衝撃ラブ・ズッキュンなんだよぉ。嫉妬の舌舐りレヴイア・タンなら大丈夫なのに……色欲の衝撃ラブ・ズッキュンじゃ、色欲の衝撃ラブ・ズッキュンじゃダメなのにぃ」


 戦慄き。まるで自分でない何かが自分をしゃべらせているような。


「胤光よ。大日如来の法界定印でも不動明王印でもない。浄土すべからく照らし輝く阿弥陀如来印じゃ」


 他人事のように通り過ぎる女の声。

 深弥の中で何かが弾けた。


色欲の衝撃ラブ・ズッキュンじゃ、ダメなのにいぃぃぃ!!」


 その声は、


「阿弥陀如来印――hrihキリーク


 掻き消される。無情で慈悲深い光に。

 そして魔法は解けた。


「こいつが深夜ミッドナイト?」


 保管庫内は真昼の如き明るさで満ちている。

 その中で傷と火傷まみれの男が言った。


「つまり、こいつがやってたってことっすか? この小太りでヒゲ面のおっさんが、一人で」


 は力なく保管庫の窓へと顔を向けた。照らされた窓は、自身の真実を映し出していた。

 広くなった額と薄くなった髪の毛。薄汚れたランニングシャツ。色褪せたグリーンのカーゴパンツ、そのウェストには六本のロケット花火を刺してある。パンツには付属のナイフホルダー、エリミネイターはしっかりとその中にしまわれていた。たるんだ右手に鉄パイプを握り、そして左手には力なく改造スタンガンをぶら下げている。

 三ヶ月前に比べれば多少精悍な顔つきになったようにも見える、でもやはり三ヶ月前とはさして変わらぬ外見をした、四十三歳の中年がそこにいた。


 魔法は解けた。確実に。

 真実は白日の下に晒された。

 それなのに……。

 少女は無慈悲に続けた。


「それが〝深夜ミッドナイト〟の能力。闇の下でのみ、他者の記憶を引き継ぐことが出来る恩寵じゃ。他の二人の物語を独りで紡ぎ続けたのじゃろう。その奥に眠る同胞はらからの物語を、な」


 少女は真っ直ぐに見据えていた。

 拒否権はなかった。決して見てはいけない。それを認めてしまえばすべてが終わる。分かってはいても振り返ざるをえなかった。

 白日の下に晒される。

 保管庫の奥に――失われた筋肉と比例するように窪んだ衣類。眼球のあった部分には深い闇のような穴が開いていて、そこから這い出るように湧く蛆。そして無数、という言葉では表せない程の蠅が覆い尽くす――の遺骸が横たわっていた。



   ≠



「――切り返すぞ、ミッドナイト」


 間抜けにもF・Fの意図に乗り遅れる。振り返った時、愛用の大型ナイフ――エリミネイター――を片手にF・Fの姿は闇の中へと消えていく。

 目指すべき背中を見失い、それでも駆けた。

 黒く塗りつぶされた先で罵声――光源を過度に取り込む暗視ゴーグルは炸裂弾の発光でフラッシュアウト。男たちの声の出所を標的に、めったやたらと手にした鉄パイプを振り回す。手ごたえは十分の二。それで充二分。

「援護は!」離れた後方からC‐4の声。

 F・Fの返答は短く、「いらねーよっ」

 間もなくして男の悲鳴が上がる。一瞬の明滅は、暗中で無策な警備員の威嚇射撃か。何はともあれ集団感染パンデミックしていく混乱。それは自身の持ち場から三メートルほど離れた場所で。F・Fの七罪術式スキル・オブ・パーガトリーがひとつ――嫉妬の舌舐りレヴイア・タン――自称、が発動した結果に間違いない。

 パイプを振り回すしか能はなくとも、十分の一で命中した先で、男の手もとから転げ落ちた黒い塊ドロップアイテム回収ゲット


 しょせん僕らは路地裏の住人。ひっそりと薄暗がりで生きてきた僕たちは、元から夜目がきく方だ。イレギュラーに使用された暗視ゴーグルなんかより、ずっと。


 いつの間にか、闇に眼は慣れていた。


 深也がF・Fの方を見る。一目見て理解した。

 F・Fの間近で激しい明滅が起こる。確実に相手を殺傷するエリミネイターじゃなかった――嫉妬の舌舐りレヴイア・タンではなかった。F・Fが握っていたのは、威力はあっても確実に相手を気絶させるだけの改造スタンガン――色欲の衝撃ラブ・ズッキュンだった。


「なん、で?」


 慄然とする。F・Fの顔に浮かぶものに。それは当の本人でさえ理解できていない――戸惑い、困惑、恐れ――つまりは人を殺すということへの拒否反応。

 暗闇の中で錯乱した警備員の一人が照準も定めず、引き金に指をかけるのがはっきりと分かった。

 だから深也はM4カービンの銃口を男たちに向けた。そして迷いなく引き金を引いた。

 闇の中で乾いた音が弾けた――警備員の放った銃弾がF・Fに炸裂する音が。

 安全装置が確実に機能を果たした深也の銃からは、一発の弾丸も発射されなかった。

 倒れた仲間を案じるように両手にロケット花火を備えたC‐4が躍り出る。

 警備員たちが銃口を漏れなくC‐4に合わせる。

 深也は今度こそ安全装置を外した。だがその時にはすでに警備員たちの一斉射撃がC‐4と深也を貫いていた。

 深也の手から零れ落ちた小型ライフルが床を転がる。



 僕は止めた。

 とりあえず様子見でいこうと進言した。

 でも初めての実戦にF・FさんもC‐4さんも、深弥ですらが興奮していた。多量に分泌されたアドレナリンが理性を失わせていた。当然のように、僕の意見は却下された。

 そして先制攻撃という名の下、無策で臨んだ結果はチームの壊滅。だからといって僕に何か言う資格はない。様子を見るという口実の下――今も変わらず――後ろの方で逃げ回っていただけなのだから。

 足元へ転がってきたM4カービンを拾い上げる。そして僕はありたっけの弾丸を警備員たちに向けて放った。


 辺りを闇だけが覆いつくす。静寂だけが残される。


 僕は駆け寄り、確かめる必要もなく理解した。F・FさんもC‐4さんもすでにこと切れていた。

 特訓から逃げ出して、でも行く当てもなくて、結局、動物愛護団体・ハルモニアへと帰ってきた僕を口悪くも受け入れてくれた二人。それなのに僕は感謝の言葉も告げられずじまいだった。


「死にたく……死にたくないよ……」


 蚊の鳴くような声が聞こえた。僕は深淵の奥へと急ぐ。

 大の字に倒れる深弥が荒い息を繰り返していた。

 僕はすぐ隣に膝をついて、深弥の右手を握りしめる。ただ繰り返す。


「大丈夫、大丈夫だから」


 境遇が似ていたことから意気投合して、なのに一人で逃げ出した僕を変わらず慕ってくれた後輩。誰よりも僕に優しくしてくれた深弥から体温が失われていく。


「嫌だよ……ぼくはまだ……死にたく、ない……」


 最後の言葉とともに、深弥の魂も闇に溶けて消えていく。

 言葉を絞り出した。誰のための慰めなのかも分からないまま。


「大丈夫、大丈夫だから。深弥は僕の中で生き続けるから」


 体が僅かに軽くなる。そこにもう深弥はいない。


 消えてしまいたかった。いなくなってしまえというなら、僕だけで良かった。僕以外のみんなに生きて欲しかった。

 C‐4さんの――記憶を。

 F・Fさんの――想いを。

 そして深弥の――望みを。

 僕は僕以外のみんなの物語を紡いでいきたかった。


 少女も男も何か言っていた。

 でももう何も聞こえなかった。

 

 僕は結局、昔も今も引き籠っていただけだった。闇の中にいたかった。見たく無いものを見なくてもいいように。

 その中で、誰かの夢を僕はずっと見ていたかった。

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