第三十九話 粕宵深弥――ミッドナイト 3
「おっ、本日のヒーローのお目覚めだ」
「ここは……?」
ぼんやりとした視界で辺りを窺う。とはいっても周囲は闇に覆われているから、なんとなくそこがそれなりのスペースがある場所だと想像することが限界だが。
間を置かずに、F・Fの呆れ声が聞こえた。
「そりゃまーいつもの保管庫に決まってんだろー」
そして何かが転がる音。深弥の足元へ転がってきたそれを拾い上げて、愕然とする。
「これって僕が苦労して手に入れた缶詰じゃないですかっ!」
中に入っていたはずのサバの味噌煮はきれいさっぱりなくなっている。
「せや、だからありがたく頂いとるんよ」
離れた場所から今度はC‐4の関西弁と新たな空き缶がやってくる。牛乳瓶の底みたなメガネの奥でニヤニヤしているのは声の調子で容易に想像できた。
「ああっ、楽しみにしてた乾パンのやつまでっ!」
深弥の悲鳴じみた抗議に対して、呑気な調子の反論。
「あぁん? ミッドナイトー。呑気に気絶してたお前を運んできてやったのは誰かなー? ウチらに対する感謝の言葉が先じゃねーの? サバ缶とか乾パンとかツナ缶とかは置いといてさー」
ツナ缶までかよ――思いつつも、「はいっ、ありがとうございました」反射的に謝辞を述べる調教済みの深弥。ゴマ塩頭と赤毛のベリショ、動物愛護団体の基本理念も皆無な趣味丸出しのハルモニア・十三課の諸先輩の教育の賜物であった。
「分かればよろしー。今ある生に感謝しなよー」
満面の笑みでF・Fは続けた。両耳に合わせて六つのピアスと鼻の小さなピアス、髪の色と同じ真紅の石が煌めいて。化粧気のない顔で無邪気に笑う。
「戦場じゃ自分を信じられないヤツから死んでいくのさ」
そして深弥の手の上に新たな缶詰――コーンの水煮缶――が載せられる。
「何はともあれご苦労やったな、新入りぃ。取りあえず腹ごなしせぇよ」
蓋を開けて深弥は味気の無いトウモロコシの粒を口に放り込む。C‐4にしろ、F・Fにしろ、おそらく最初からコーン缶は選択肢から外れていたに違いない。それは分かっていたけれど、深弥は二人の気が変わってしまう前に大急ぎで掻っ込んだ。
そんな深弥をさておいて、
「しっかし、あれが噂のゾンビってヤツやろ。こうなってくると動物愛護を標榜するワイらの立ち位置ってどうなるんやろなぁ。ゾンビってな動物にカウントされるんかい?」
とC‐4。
C‐4とF・Fがなぜゾンビの存在を知っているのか? 二人が助けに来たのは、白檀と名乗ったくすんだ金髪の若い女がゾンビの首を断ち切った後だと深也は記憶している。
ひょっとして食料調達へ送り出したあと、二人の先輩が自分を心配して後ろをついてきてくれていたのだろうか? 口は悪くも後輩思いの先輩が後ろで見守ってくれていたのかと思うと、深也は少しだけほっこりする。
だが深也は結局それを尋ねなかった。頭にひっかかった別のことに意識が集中していく。
終始無言の深也なんて気にも留めないF・Fは大真面目な調子で、
「生きているのかー、死んでいるのかー。動物なのかー、ノット動物なのかー。まーどっちにしろウチにすりゃ、
「まあ、それゆうたら一芸採用みたいなワイらぁ、そもそも動物愛護とかそんなに興味もないしなぁ。とはいえ、あんなんウロウロしとるんか思ぅたら気が気がじゃないでぇ」
「でもよー、ネットニュースじゃ抗ウィルス剤が散布されてゾンビは元々の人間に戻ったか、活動を停止したかのどっちかになったって話だったよなー」
「ほなら、なんでここには現役バリバリのヤツがおるんや、ちゅう話やろ?」
「ここが特別ってことじゃねーの? 震災の後とかだとエリアによって復旧の進捗が遅れる所が出るって聞いたけどあるぜー。例えばだけど、ここが抗ウィルス剤の効果が出にくい環境になってるとかさー」
C‐4とF・Fのやりとりをしり目に、深也は別のことに気を取られ続けている。ハッと思い出すと、バックパックのサイドポケットにしまった手紙を取り出す。
グチャグチャになった紙切れ。保管庫内は闇に包まれていたが、深也の目にはその字がハッキリと読めた。
『少年のような瞳で
≠
彼は言った――
『サバゲーでも格ゲーでも有名なプレイヤーだよ、トーイは。顔出ししてるから素性バレしてるけど、本名、
そう彼は――ジェノさんは――言った。
『今じゃスマホゲーで有名なパンデミック・オペレーション・Nも技術情報の一部提供と監修で関わってる。まあ僕はPC版の方が好きだったけどね。トーイが関わってから、シリンジキットの使用で他の生物の遺伝子情報を体内に取り込むっていう『N・システム』の面白みは飛躍的に向上したけど、PC版にあったようなNPCのウィルス除染ていう概念がなくなっちゃったからね」
深也は愚痴っぽくも、どこか嬉しそうに話すジェノさんの話に耳を傾けていた。
「なんかのインタビューでトーイは、『ウィルス感染したゾンビが人に戻れるっていうのはウィルス兵器としてそもそもおかしい。リアルさに欠ける』って答えてたけど、おかげでスマホ版はどのルート通っても感染したヒロインの何人かは助けられないんだぜ? ひどいと思わない?」
ジェノさんは誰ともなしに神妙な顔でうんうんと頷く。
「うーん、ぼくにはちょっと分からないです」言いながら深也も、楽しそうに眺めていた。
≠
記憶の言葉を反芻する深也はひとつの結論へと至った。
もしその
C‐4とF・Fはやはり深也のことなど無視してやり取りを続けていた。
「秘密裏に動物実験してるような場所やから、空調やら防塵システムやらの影響で、抗ウィルス剤が屋内で循環しにくい構造になっとるとか?」
「そーそー。このビルの半分は最新鋭の研究棟を兼ねてるわけだしー」
「て、んなわけあるかいっ! そもそもワクチンも抗ウィルス剤もこのビルで開発されとるんやぞ。ワイらが地下棟に閉じ込められとる間に、その研究棟の方でな。被験体としてっていうんなら話も分かる。だとしたって隔離が絶対条件やろ。ワクチンを開発、保存する場所にゾンビを放置するリスクは、本来なら第一に解決せなあかんはずや」
「ってことは……あえて、ってことかー? ここではあえてゾンビを野放しにしてるってことかよー」
「ともかく。そんなんがウロツイとるゆぅなら、ヤバイことには変わりないやろ。と、なれば……」
C‐4の言葉を遮ったのは深弥だった。
「
暗がりの中、二人分の視線を確かに感じる。
深也だけが確信していた。
だから深也はネットニュースで流れる情報はブラフだと理由づけた。自分たちを闇の奥から燻りだすための餌に過ぎない、と。
ややあって、
「先輩をさておいて断言かあ? ミッドナイトのくせに生意気だぞ」
F・Fの非難めいた台詞に、だけど口調はどこか面白がっているようでもあって。
深弥は慌てて付け足した。どこか言い訳がましく。
「た、たぶん、ジェノさんならそう言うと思います」
念頭に置いたうえで、自身の導き出した理由づけを深也は説明し出すもその言葉は徐々に尻すぼんでいく。
C‐4もF・Fもさめざめと返す。
「ああー。そやなぁー、ジェノサイドならきっとそう言うやろなー」
「ビビりのジェノなら確かに様子見の現状維持って言うだろねー」
ジェノサイド――こと、
深弥よりより二日早く動物愛護団体・ハルモニアに加入した男。境遇が似ていたことから意気投合したものの、いつの間にやら失踪した深弥の先輩。『様子見で待機』という行動方針は、彼の代名詞と呼べた。
深弥は言ったそばから後悔していた。怒られると思った。
しかしC‐4は、
「ホンマやな。ミッドナイトのくせして一丁前に指図やなんて……」
途中から笑い出す。
「……くくっ、成長したやん」
「いっつもおれらの後ろに隠れてるだけのアンタがねー、と見せかけて、怖いから引き籠ってたい、なんてゆーようなしょーもない理由だったら『
F・Fが含んだ笑いで言った。しかしその双眸に優しい色が灯っているのを深弥は感じとる。
「『
少しだけおどけた後で、深弥は真っ直ぐに見据えた。C‐4を。そしてF・Fを。
「もしゾンビがさっきのヤツだけじゃないとしたら、ネットニュースやらで得ていた情報は操作された偽情報の可能性があります。その目的が僕たちを外の世界に引っ張り出すためのものだったとしたら? ここを出るのは危険です」
C‐4が唸る。
「確かにミッドナイトの言うことも一理あるっちゃ、あるのぉ」
ひきかえF・Fは何も言わなかった。
だが深弥は知っていた。理屈であれ屁理屈であれ、それが的を射てさえいれば受け入れるのが彼女だった。沈黙はすなわち、深弥の意見へのF・Fなりの同意と呼べる。闇の中、それでもF・Fの厳しくも優しげな双眸を見た気がした。
深弥は結局新入りのまま。だけどいつからか結束していた。深弥たちは確かにチームだった。誰かに助けられるだけじゃなく、誰かの助けになれるということ。自分も誰かの助けになっていいのだ、ということ。同意を得る必要などなく、ただ当たり前にそうあった。深弥は幸せだった。
F・Fが改めて深弥の解を、チームの解として告げようとする。
「んじゃまー、ミッドナイトの……」
その時だった。
確かに聞こえた――バタン、とドアの閉じる音が。
一斉に口をつぐむ。間もなくして深弥の頭上に位置する嵌め込み窓を光が通り過ぎて行った。
深弥は忍び足で保管庫の壁へと近づく。その外へと耳をそばだてる。聴きとれはしない。まるで記号の羅列のような。だけどそれは間違いなく二人分のやりとり。つまり会話。
灯台の照明のように、窓の外を灯りは行きつ戻りつ。ドアが開いては閉まる音。
バタン。
遠くから、やがて近づいてくる。照明のまにまに。
バタン。
ドアの閉まる音が、近づいてくる。そして二人分の会話も記号から、意味を持ったものへと変化していく。
『……んぜん隠すつもりなくなっちゃってんじゃないですか、キラリさん』
『飽いたのじゃ、尊は。というかそもそも尊の如き貴き存在がどうして隠れなきゃならんのじゃ。こういう時は正面きって威風堂々と、じゃ』
『正面、は良いですけど、だったらなんで地下室スタートなのか、そこら辺しっかり聞いときたいんですけど?』
ドアの閉まる音。バタン。それはもはや手荒、と呼べなくもないほどの。
どうやらゾンビでないらしい、と結論づいたところで、着実に脅威は間近へと。
深弥はF・Fたちの方を見やる――どうしますか?
緊張は高まっていく。C‐4もF・Fも動く気配はない。だとして二人の思考は深弥の思考とリンクしていた。言うなれば阿吽の呼吸。息を殺し、右手て鉄パイプを探った。深弥は冷静に準備を進めていく。
『胤光、お主はほんと愚かじゃのう。胤惠も主が如き不肖の弟子を持ってさぞ災難だったことじゃろうよ。なぜ地下室からか、そんなもの、もし一階スタートで最上階まで昇ってみたものの、社長のアレンがおらんかったら、また降りてこんとならんじゃろ? だったら地下室からとっかかるのが定石というものぞ』
男のさめざめとした言葉が吐き捨てられる。
『結局しらみつぶしってことじゃないですか。無策と大して変わらんですよ、それは』
と同時にF・Fが行動開始を告げた。
「先制攻撃で対象を殲滅するぞ」
深弥は頷く。そっとドアを押し開くと、その脇をF・Fが抜けていく。廊下へと続く闇へと踏み出していく。
深弥が目を凝らした時、廊下の先で懐中電灯の明かりが左右を照らしていた。対象は数メートル先。ふたつの影、おそらく男性と思われる方は、それほど屈強には見えない。せいぜい一般的な体躯といったところ。もう一方、女性と思われる影はそれよりもずっと小柄で華奢だった。暗がりの中、侵入者の情報量は極端に少ない。だが、だからこそF・Fの判断は深弥の解析と同じくして即断だった。
懐中電灯の照明に感知されないよう、気配を殺したままで対象へと近づくと、訳もなくその背後を取る――もちろん脅威優先度の上位と判断した男の背後を。
無音行動からの完全急襲はもちろん――
F・Fの大型ナイフが首元へとあてがわれるまさにその瞬間、誤算が生じる。
「ぬあっ!」
男が間の抜けた声を上げひっくり返る。コンマ二秒遅く、その頭上を刃が通り過ぎる。
「ちょっ、キラリさんっ、なんかっ、なんかいたっ、いまっ、ここっ、頭の上ひゅんてなったっ、ひゅんてっ」
尻餅をついた男がまくしたてた。
落とした懐中電灯の明かりが、己が転倒の原因を照らす。足元を転がっていくそれは、紛れもなく深弥が散々たる思いで手に入れた缶詰だった。
ゾンビ戦からの撤収中に落としたのか――そんな疑念をよぎらせる頃には、誤算その二が発動。
小柄な方の影、その両手に握られていたのは――二丁の拳銃。ソイツが火を噴く。
「胤光、巻き添えを食いたくなくばジッとしておれっ」
「遅いっ、キラリさんっ忠告が遅いですぅぅぅぅぅぅ」
男の悲鳴じみた声を掻き消すように、銃撃の音が鳴り響いた。火薬が連続で爆発する激しい明滅。あっという間に廊下は硝煙で充満する。
混沌たる光景に、深弥は呆然と呟く。
「あっち、か。あっちが優先度上位だったのか」
一時中断する思考。そんな深弥に活を入れるように、
「ボーっとするなっ! ミッドナイト!」
F・Fの激が飛んだ。
弾きだされた結論は、戦略的撤退。脱兎のごとく駆けてくるF・F。
深弥は慌てて保管庫の扉を閉じた。
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