第十一話 一持院胤光と鬼宿星――ワールド・トラベラーズ 3


 光が弾けた。

 襤褸ぼろとしか呼びようのない衣装をまとった男は後方に吹き飛んでいく。

 光の出所は、左の掌の上に右手の甲を重ね、両手の親指の先を付くか付かないかに合わせた。大日如来由来の法界定印ほっかいじょういんからだった。

 

 天を仰ぐ男の姿を、一持院いちじいん胤光いんこうは凛々しさの残る瞳で見つめた。プリズムのように迸った光はすでに失せていた。


 廃ビルに覆われた路地裏。沈みつつある夕日と長く伸びる影。瓦礫の散らばるコンクリートの上で、背中から落ちた男は二度と動かない。だが、その周囲からは無数の獣じみた呻き声が広がっていく。

 男と同じく襤褸を身に纏う集団。その数十二。老若男女問わず共通するのは、力なく持ち上げられた両手とすり足の歩行。そして白濁した双眸――かつて『ゾンビ』と呼ばれていた感染者たち。だとして、いまや当時の面影はそこにない。抗ウィルス剤の効果で呪縛は解けた、はずだった。

 だが虚ろな瞳は宙をさまよい続けている。自分という存在を探し求めているかのように。


 法界定印を結んだ瞬間、凛とした声が聞こえた。


「援護は任せよ。存分に暴れるがよいぞ」


 牡丹ぼたんの赤が染め抜かれた黒い振袖が翻る。躍り出たのは小柄な影――鬼宿たまほめキラリ。両手に握った黒い塊――回転式拳銃――が火を噴いた。

 轟音が轟き、射出された弾丸が集団の足元で炸裂する。コンクリートの欠片が弾け飛び、砂煙が舞い上がる。だが集団は臆することなく行軍を開始する。巻き割り用のコンパクトサイズの斧を手に。


 その集団へと胤光は悠然と歩いていく。ビーチサンダルで。白の長ティーとデニム。少しはマシになった姿にも、足元はビーサンのままだった。

 

 真言――仏尊ごとにある、真実の言葉を意味する呪文めいた言葉を口にする。


「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン――」


 種子――その存在が秘めし本省や余力を示すただ一つ――唯識――の文字を告げる。


「大日如来法界定印――āmhアーンク


 両手を重ねた四指と親指との空間に脈動し続ける小さな球体が出現する。時折わずかの黒いシミを浮かび上がらせ、極小サイズの爆発を発する赤橙の光球。それはまるで小さな太陽のようだった。

 プリズムが迸る。それは光の帯となって胤光の法界定印より放出された。さながら強力なサーチライト。その光が命中した瞬間、彷徨える徘徊者――灰色たちボーダー――は大の字に倒れていく。放たれ続ける光を左右に振ると彷徨い人たちは次々倒れ、一つの山が出来上がっていった。

 やがて残光は闇に溶けていく。消えていく。その中で。

 生ける屍としての世界より生還してなお、自分自身を見失い続けた灰色たちボーダーにようやく安堵の表情が取り戻されていく。

 彼らを見送る瞳からは凛々しさが失われ、哀切の色だけが残る。


 そこに立つひとつの影――それはまるで地獄へと現れた〝救世主ヒーロー〟のような……。

 

 長い髪をふたつに結った振袖姿のキラリが言った。


「迷える魂を解放してやったのじゃ。じゃがのう、これより先は各々で切り開く他ない。苦悩に満ちた旅路であったとしても、より良いが人生たびじの終着点が待っていることを願うばかりじゃ」


 淡々と話すキラリへと、問わずにはいられない。


「それはつまり、俺のしていることなんてその場しのぎにしかならないってことですか?」


 胤光は虚しさを覚える――今ある迷いを断ち切ったとして、その先で再び道に迷わないという保証などない。それもゾンビとして人の――知り合いだったかもしれない――肉を貪ってきたという過去のある身なら。

 それは自身の問題でもあった。胤光自身、まだ迷いの中にあった。

 だが、キラリはふんと鼻を鳴らすと、


「物語における終着点それをどこに置くか、が最重要であって、経緯や経路、なお言えば当座のゴールなぞ些末なことに過ぎぬのじゃ。そんなものはのう、胤光よ。人それぞれじゃ。どこに視点ポイントを置くかで、物語は全くの別物に様変わりする場合とてあるわけじゃしのう」


 きっぱりと言い切った。そこから先のことなぞ面倒見切れるか、と言わんばかりに。

 それでも紅のひかれた祭りの踊り手風メイクの瞳に慈愛の色を覗かせると、


「人は強いよ。お主が思っているよりずっと、ずっとのう」


 胤光はわずかにキラリの横顔に見惚れる。だがそれも束の間、キラリは双眸に怒りをにじませて言った。


「そんなことよりじゃ、胤光。さっさとスマホを探して、持ってこぬか。スマホがなければネットもSNSも出来んのじゃぞ!?」


 スマホ依存症の現代人のようなことをおっしゃりだした己が旅路の導き手様へと、胤光は情けない声で尋ねる。


「キラリさーん、スマホよりも優先的に手に入れなければならないのは足替わり、つまりは車ではないでしょーか?」


 徒歩での熱海縦断を果たしてのち、小田原でキーが挿しっぱなしの軽自動車を発見したこともあって旅の行程は劇的に捗った。キラリの神託により目指すこととなった東京。だがここ八王子にきて、ちょっとした問題に見舞われた。それは当初、胤光だけのトラブルに過ぎなかったが、結局はキラリにとってのトラブルへと発展した。

 別れを告げることとなった軽自動車。そこにキラリはピンキーでデコデコしたスマホを置き忘れてしまったのだ。結果、胤光にすれば足を失い、キラリはスマホを失う羽目となった。

 神託通りにさっさと都心を目指すなら車を手に入れる方が手っ取り早い。だがキラリはといえば、


「いーやーじゃー、嫌じゃ! 尊はスマホがないと駄目なんじゃ! ぜったい絶対にスマホが必要なんじゃ!!」


 駄々をこねだす始末。

 ひとつ溜息を吐いた胤光。だとして新たな神託に従うほかはない。使えるスマホを探しに向かおうとする。だが小石が転がる音が聞こえて、結局その足は止められる。

 振り返った先には、二人の男が立っていた。


「半端ものは所詮半端もの、食料集めも満足にできないねえ」


 大柄な男。袖のないシャツから伸びる筋肉質な双腕には絡みつくようなドラゴンの入れ墨タトゥー。サスペンダー付きのパンツと被ったシルクハット。口の周りを囲むようにグルーミングされた髭は緑色に染められている。


「最初から私が相手をするべきでしたねえ」


 もうひとりの細い男に抱き着くように腕を回した大男の額には、アーモンドの形がふたつ。六重に形成された黒目と、まつ毛までリアルに再現された『瞳』の入れ墨タトゥーが縦に並ぶ。


「そう言うな、ガスパール。手柄を上げるチャンスは誰にだって均等にあるべきだ」


 抱き着かれたままで返したのは、猫背気味の若い男。だが、こけた頬と真っ白な頭髪は病人のようだった。黒い大布をマントのように巻いていたが、覗く上半身はあばらがくっきりと浮き出ている。生き残ったゾンビのような風貌に、ブルーのシャドーで覆った切れ長の瞳だけが怪しく輝きを放っている。

 異質な存在をなおさらに強調するのは、額に刻んだ入れ墨タトゥー。十字のように配置された瞳が五つ。なんとなく、昔見たアニメに出てきた秘密結社のシンボルを胤光は連想する。

 男が低い声で告げた。


「我が名は、後髄コウズイ深淵シンエン、ブンラクなり。喜べ。貴様らは良き糧となる資質を持っているぞ」


 黒い大布がはだける。先の連中と同じ手斧を二振り、両手に握っていた。隣の大男も背に負っていた巨大な形状をした大斧を構える。


「尊らを糧にするじゃと? なんじゃあそれは? 死亡フラグか?」


 不敵に笑うキラリ。その耳元へと胤光が耳打ちする。「こいつら、何者です?」


 なんでもお見通しのはずの神仏の顕現へと尋ねるも、不愛想な返答。「そんなもん、尊が知るか」


 と、ここでキラリは何事か思いついたように悪い顔をする。


「法界定印頼みも芸がないのう。そろそろ新しい引き出しの一つも増やしとかぬとなあ。そうじゃな、大日如来の化身たる不動明王印でもいってみるか」


 有無をも言わさぬキラリの圧力に、胤光は真言を唱える。


「ナウマク・サンマンダ・バザラダン」


 ガスパールと呼ばれた大男が巨大な武器――穂先に斧頭と反対側に突起物の付いた槍斧ハルバード――を振り上げて迫っていた。


「不動明王印――hāmカン


 告げると同時に両拳に燐光が収束していく。

 振り下ろされた斧の横腹を光る右拳で叩く。すんでの所作。だが胤光のヘタクソなパンチで斧ごと大男の体が傾ぐ。被っていたシルクハットが転がり落ちる。

 キラリが言った。


「すべてを浄化する光を収束せしはピンポイントで狙うには効果的。なによりフィジカル全般の底上げというオプションつきじゃ」


 大男の脇を駆け抜けるようにして、ブンラクと名乗った瘦せ細った男が胤光の目前に現れる。右の斧を回避する胤光。「ふへっ?」間の抜けた言葉を発しながら、ただの一歩で三歩分は跳躍し、後方へと着地する。

 与えられた加護に体が馴染んでいない胤光へと、ブンラクは左の斧を放った。放物線を描きながら飛んできた斧を右の甲で弾いたとき、胤光の右手から血が飛び散る。寂れた路地裏の廃ビルを背に追い詰められていく。

 離れて眺めるキラリはのんびりと言った。


「光の加護はお主自身を守ってくれるわけではないからの、気をつけることじゃな」


 二丁の拳銃は既に振り八つ口の袖へとしまわれ、両腕を組んで見守る姿はさながら傍観者のようだでもあった。

 ブンラクが引くと同時に手元へと戻っていく斧。鎖で繋げることによって可能とした連撃をどうにか躱しながら、胤光が情けない声を上げる。それなりのダメージを負ったままで。


「そーいうのは早めに言っといてくださいよぉ」


 仕切り直す間もなくガスパールが眼前へと迫る。髭と同じく真緑に染め抜かれた長髪をなびかせて。

 向上したステータス、だとして使いこなせぬ胤光の選択は逃げの一手。避けた瞬間、ガスパールが槍斧を突き入れる。脱兎のごとく窮地から脱した瞬間、尖らせた頂端の槍を起点として、背にした廃ビルで縦横にヒビが走った。

 前のめった態勢。息つく暇もない胤光。ブゥーンと低い音を上げながら飛んでくる手斧。

さながら死神の鎌。あわや首を引っ込めたそのすぐ上空を通過していく。

 鎖鎌よろしく左右の斧を自在に振り回すブンラク。すぐに右の手斧を投擲。学習の間に合わない胤光はそれを左で防御する。被弾する直前で、ブンラクが左手をくんと返した。その所作から発せられた振動を鎖が波となって先端に伝える。胤光の左腕に鎖が絡みつく。


「見苦しい。糧となる運命を受け入れよ」


 ブンラクのじっとりとした声。白髪の下で切れ長の瞳がギラギラと輝いていた。フィジカルを底上げした胤光を手繰り寄せようとするその膂力。拮抗。トリガラみたいな体のくせして。

 命懸けの綱引きのまにまに、立て直すガスパール。槍斧を再度振り上げ、じりじりと胤光へと迫る。その巨躯の陰に隠れるように、ブンラクはもう一方の斧による遠距離攻撃のタイミングを窺う。


 その中で――。


 やはり危機感もないようなキラリの声。


「不動明王の加護、その最大の特徴はピンポイントかつ一点突破で不浄を削り落とすことにあるのじゃ」


 それを合図に胤光は地を蹴った。槍斧を振り上げたガスパールとの距離を底上げされたフィジカルで一挙に縮める。

 ガスパールは槍斧を振り下ろせない。そのがら空きの胸元へと右拳を突き入れた。

 キラリが叫ぶ。


「削ぎ落とせっ!!」


 胤光の右拳に灯った光がガスパールの体内に吸い込まれた、と見えた瞬間には大男の背中を一筋の閃光が貫く。その光はガスパールの後方に身を隠していたブンラクの胸元をも貫いていた。

 自分の身に何が起こったかを理解する間もなかった。帯電するように燐光を散らしながら、二人の男は倒れた。

 その様を見ながらキラリは言った


「うむ。見事じゃ、聖夜セイヤ――」


 ハッとして振り向く胤光。それは己が導き手がついに認めてくれた瞬間だと、望む名で呼んでくれた瞬間なのだと思って。


 だが。


「――なぁんて言うと思ったか、胤光よ。この屑ヒモホストの破戒僧が。まったく無様にもほどがあるわ」


 ジト目。ついでに言えばやんごとなき身に起きたトラブルへの怒りも再燃したらしい。今回の反省点と合わせて、ブツブツ文句まで織り交ぜ始める。

 結構な出血までした上、説教される身の置き場のない胤光は話題を変えるように尋ねた。


「で、結局こいつらって何だったんですかね?」


 悪趣味な入れ墨タトゥーを額に刻んだ男たちの正体は不明のまま。よく見ればブンラクと名乗った男の十字に並んだ瞳のうち、三つの瞳は滲んで見えた。

 とはいえ、そんな質問なぞ火に油。キラリのジト目はいよいよ凄まじさを増していく。


「そーんなことどうでも良いわっ! 尊はなんと言った? スマホじゃ!! 何よりかにより尊はスマホを所望なのじゃ!」


 ビクリと身を震わせる胤光へと非情なる檄が飛ぶ。


「女心も分からぬお主はだーかーらぁ、最底辺のホストだったんじゃろうが! 修行僧として黒袈裟からやり直せい!!」


 ブンラクが脱ぎ捨てた黒い大布を引っ掴むや、胤光はスマホを求めて走り出した。

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