第十話 足立務と桜沢実――トム&ジェリー 2


    ◇◆


 彼がやってきたのは、倉庫に積み上げられていた板をすべての窓に打ち付け終わる頃だった。もちろんファミレスの防衛力を高めるための試みだったが、てきぱきとした指示のもとでトムとジェリーは不平不満を並べつつもやり遂げた。


「ちょうど良かっタ。ワタシはミゲルと言います。旅は道連れ世は情け、は人のため、ならずんば虎児をえズ。ワタシもご同伴させてくださいまセー」


 光沢のある黒いシャツの胸元をはだけさせ、そこからうっすら胸毛を覗かせる。縮れた黒髪に、神秘的な、しかしどこか愛嬌のある黒い瞳。上から下まで黒一色。いかにも怪しい風体の男は片言でまくし立てる。きれいにグルーミングされた髭で飾られた唇は驚くべき滑らかさで動いた。


「ちょっとアンタ、何勝手に上がり込んでんだよ」


 ジェリーが反射的に男を呼び止める。こういう場合、良くも悪くも空気を読めないジェリーをトムは内心で心強く思った。とはいえ、男はといえば既にトムたちの籠城先に上がりこんでいたが。


 振り返ると、彫りの深い瞳には驚きの色が浮かぶ。


「何ですカ? アナタたち、ひょっとして差別ですカ? ワタシが外国人だからって、そんな扱い。世が世なら、ヒンシュ差別は、ハクサイ問題ですヨ」


 流暢な日本語に、しかし言い間違いが目立つ。男は両手を腰に当て、非難の姿勢。手を宛がった腰には革製のベルト。全身を覆った黒に唯一の差し色。ベルトにはアクセサリー。キーチェーンのようにぶら下がったそれはベルトと同じく皮の色をしている。


「や、べつに人種の話とかじゃなくて」


 小さなファミレスの一角の小競り合いが、国際問題に発展しては一大学生には荷が重い。旗色悪く言いよどむジェリーに、しかしミゲルは勝手に一人しゃべり続ける。


「ワタシぃ、悪い人じゃありません。ハラキリぃ、フジヤマぁ、セーラッムーン。ジャパンの文化、音楽、アニメ、大好きでぇス」


 誰ともなしに大仰に声を張り上げながら、ドリンクサーバでカップにドリンクを注ぎ入れる。白い水面に砂糖を浮かべたカフェラテをひと口。ミゲルは頬を緩ませながら言った。


「ジャパニメーション最高でぇス。まだ観ていませんが、いま一番チェックしてるアニメありまぁス」


 ミゲルの勢いに完全に受け手に回ったジェリー。縋るようにトムを見る。

 しかしトムはといえば、託されたバトンを持て余すように、愛想笑いを浮かべながら尋ねることしか出来ない。


「な、なんですか?」


 ミゲルがきっぱりと言い放つ。


「ちびナルコ、でス」


(まるこじゃなくて?)首を傾げるトムの気も知らず、ミゲルは遠い向こうを見つめるような瞳で独り言つ。


「ナルコの話ですよ。素晴らしい話に決まってまス」


 感慨深そうに頷くと、腰のベルトからぶら下がる革のベルトも揺れていた。

 渋々なのか、自然なのか。トムもジェリーもこの闖入者を同居人として受け入れ初めていた。真面目なようで、ふざけているようで。人との距離をあっという間に詰める才能の持ち主だった。

 板張りの仕事を終えた二人も小休止を挟む。トムはコーラで、ジェリーは抹茶オレ。ドリンク片手に立ち話に興じる頃には、既に数年来の知り合いのように会話していた。


 ジェリーが尋ねる。


「ミゲルはなんの仕事をしてるの?」


「ワタシはメキシコで、まあクスリ屋さんをしていまス。友人との交渉でジャパンにきたところ、この騒ぎに見舞われたのでス」


「製薬会社に勤めてるんだ、ミゲル。交渉って、例えば帝都製薬とか? 世界中を股にかけてビジネスしてるってことは、ミゲルってばエリートなわけ?」


 ジェリーが厚い黒ぶち眼鏡の奥で瞳を輝かせる。

 ミゲルはちょっと困ったような表情を浮かべながら顎ひげを掻いた。


「そんな大それたものでも、下らないものでもないですヨ。ワタシの扱うクスリというのは、言うなれば社会をより円滑に、そして豊かにするようなモノでぇス。ところでジェリーさん、社会を豊かにするために必要な条件とは何か、ご存じでスかぁ?」


 ミゲルの柔らかな瞳に促されるように、ジェリーは返す。


「社会保障の充実とか、多様性にマッチするセーフティネットの構築とか?」


 当たり障りのない答えを。

 ミゲルは大仰に人差し指を振って見せ、


「全然違いまーす。時代が変わればニーズが変わるのでス。ということは、社会が変われば、担い手も変わらなければなりません。つまり社会を豊かにするために必要な条件とは『変化』。可愛いと変化は正義でース」


「正義て。変化って、つまりは新しい生活様式ってヤツ?」


 それには答えず、ただミゲルは人好きのするような笑みを浮かべる。

 違和感。えもいわれぬ居心地の悪さを一瞬覚えたトムだったが、ミゲルの笑顔を見ているうちにそれ自体を忘れることにした。



    ◇◆



 そんなミゲルも今はいない。

 共同生活が一ヶ月を過ぎた頃には、旅立ちの時は来た、と言って外の世界に出て行ってしまった。

 

 ミゲルみたく――


 ジェリーは再び口を開きかけ、やはり言葉を呑みこむ。だが、その目は確かに言っていた。

 トムもジェリーの言いたいことを理解する。でも、あえてそれに気づかない振りをした。


 ――そろそろ一緒に世界への扉を開きますか? 

 

 代わりの言葉をジェリーが吐いた。


「で、他に何があるっつーんスか? ゲーム以外の何が?」

 

 トムはジェリーの問いに素直に答えられない。ジェリーの瞳に映ったその言葉を告げるだけのことだとしても。

 トムもまた代わりの言葉を吐いた。


「とっておきの話がある」


 一瞬にしてジェリーが呆れ顔になる。


「トムさん……。それって前にトムさんが言ってた。トムさんが考えただか、テレビで見ただかしたっつー『とっておきの三つの謎』のヤツっスか?」


 ジェリーが言った。溜息まじりに。


「そうだ。その最後の、三つめの話だ」


 トムは可愛げない後輩の向ける悪意ありありの瞳を真っ直ぐに見る。


「最初のが『ファミレスでいつも無銭飲食をしているジーサンの謎』。で答えは、ボケたジーサンが日課で飯を食いに来て、家族が月払いでまとめて支払ってたんでしたっけ?」


 ジェリーが言った。隠す気もない退屈そうな顔で。

 それを先輩の余裕で受け流して、トムは頷いた。

 ジェリーはそんなトムに向けて、なおさら侮蔑の眼差しを向けて。


「んで、次のヤツが、スマホの電波も繋がらないような山奥で暮らしてる偏屈ジーサンの話っスよね。『郵便局員も週に一回しかこない山中で暮らすジーサンが麓の村と三日に一回連絡を取り合える謎』。てかトムさんの謎、ジーサン率高くねーっスか?」


 謎の高齢化はさておき、トムは大仰に頷いてみせた。「ああ、そうだ」

 ジェリーはあくびをひとつ吐いて、


「答えはなんのことない『伝書鳩』でしたっけ? ホント、しょーもな……」


 呆れまじりだったジェリーの言葉が僅かに途切れる。わざとらしく顎に手なんか添えて、


「皮肉っつーかなんつーか、似てるっスよね」


「あん?」勿体ぶったジェリーの仕草にぞんざいに返す。


「いや、だから今回の災害にっスよ」


「今回の災害って、ロメロ・ウィルス関連のことか?」


「それ以外にないっしょ。いや、思い出して下さいよ、トムさん。今回の件もウィルスの保有は認められても症状の出なかった犬やら鳥やらが媒介となって人に感染させたって噂もあるじゃねーっスか。当初は狂犬病説が有力だったわけだし。そっから先は人から人へのヒト感染だとして、これって似てねーっすか?」


「噂っつっても、そのソースたるやあくまでネット上の、だろ?」


「それはさておき、自分が似てるって言ってるのは、まるでトムさんのやってるパンオペみたいじゃねーか、ってことがっスよ」


 『パンデミックオペレーション・N』――市街に溢れたゾンビの殲滅を目指す、という意味ではよくある主観視点アイソレートビューのスマホゲーながら、類似のサバイバルアクションゲームと一線を画すのは独自の『Nシステム』にある。

 吸血鬼ノスフェラトゥの子孫にあたるという設定の主人公は、一般的な武器類の装備強化の他に、シリンジキットを使用することで他の生物の遺伝子情報を体内に取り込める。すると一時的な能力の向上が図れる、というものだった。

 ただ厄介なのは、市街を生ける屍で溢れかえさせたゾンビウイルスの他、ゲーム世界では様々なウィルスが蔓延しており、遺伝子情報の取り込みには少なからずデメリットがあるということだ。ゾンビの殲滅と同時に生物情報の解析と抗体の生成がゲーム攻略の必須条件でもあった。パンデミックオペレーション・Nの世界では、ウィルス媒介者となった蚊への備えをしていないと開始当初で既に詰んでしまうこととてあるのだ。

 だとしたって……


 しばしの沈黙。満を持してトムは告げた。


「……で?」


 そのひとことにジェリーの熱は急速に冷めていった。犬猫媒介説信者と鳥媒介説信者は今なおネットで論争を続けている。それはある種のペット論争に似ていた。

 伝書鳩から連想したこととはいえ、騒動の遥か以前にダウンロードが開始になったパンデミックオペレーション・Nに非はない。なるほど、確かに昨今主流のペット類からのヒト感染説よりは、ゾンビモスキート感染説の方が具体性もあるような気はするが、ファミレスでだべり続けることが原因究明の貢献に繋がることもまずないだろう。


「おんなじ直接感染っぽいけど、犬猫による経皮感染と、虫由来の媒介ベクター感染は経路が異なると思うけどな。ま。どうでもいいけど」


 感染経路の究明なぞ当たり前のように投げ出して、トムはニヤニヤと笑った。 

 トムはジェリーの鼻をへし折ってやった。だがそれはあくまでも先輩として、阿呆だが可愛い後輩が社会に出て恥をかかないよう、そう思えばこその鞭でもあり、だからそれはそういうことだからとして、結構それなりに胸がすっとする。


 しかし、そんな先輩の優しさに気づかぬジェリーといえば、急速に失った熱量の代わりに冷静さと特有のジト目を取り戻しただけだった。抑揚ない声で訊いてくる。


「でぇ、最後の謎の正解の、ごホービは何にするんスか?」

「冷凍室に残ったプリン・アラモード。つまりはラスト・プリン・アラモード、だ」


 興味もなさそうにジェリーが呟いた。「あっそ」


 トムが実生活で体験したことを披露した、いわゆる『日常系ミステリ』。自分から話を振って来ることなどまず無い、配慮も愛想も欠如した後輩との話題と時間つぶしの為に温めておいた『とっておきの謎』。先輩としての思いやりもジェリーにはどこ吹く風で、先の二つは不評だった。それでもとっておきの謎は、最後のひとつが残っていた。


 だが。


 軽蔑の表情を浮かべるジェリーの顔をみているうちに、トムは冷静さを失った。それは二人だけの環境に麻痺していればこそのデリカシーの欠如とも呼べる。先輩として、男として時には引けないことだってあるのだ。感情的になっていた。だからこそ、トムは予定していたものとは別の言葉を告げた。


「最後の謎は、『どちらが彼を殺したか』――だ」


 その瞬間、黒ぶち眼鏡の奥でジェリーの瞳が見開かれる。

 トムの言葉はまったくの無意識化で吐かれたものといっても過言ではない。正直な話、内心ではトム自身も驚いていた。

 とっておきの謎を披露したところでジェリーが小馬鹿にしてくる未来はもはや予定調和。ゆえにトムの頭にあったのは、ジェリーが予想もしていない言葉を吐いてやる、というその一点だけ。それはジェリーを見返してやりたいというただの見栄みたいなもので、いうなれば小学生が好きな子を困らせるのにも似た幼稚な思考でしかなかった。 

 しかし、驚愕に歪むジェリーの顔を見ているうちに、トムはようやくにしてことの重大さを理解する。ジェリーの問いに対する最悪の回答を導き出していた、ということに。そして同時に、もう後戻りも出来ないということにも。


 ジェリーは大きく開いた瞳を細めたが、やがて、


「本気っスか。それが自分にはなことと分かった上で、その謎を明らかにしようっていうわけっスか」


 ことここにきて不敵な表情を繕った。

 退路はすでに断たれていた。トムはただ「そうだ」と言った。



    ◇◆



 トムとジェリーのシェアファミレス。実際はミゲルの他に、もうひとりの男がいた。


 少年から場所を教わってすぐ、辿り着いた店の前で鉢合わせしたその男は、細身の体にストライプ地のスーツを着て、ぴっちりとした髪を七三に撫でつけた、いかにもなサラリーマン風だった。

 明らかにジェリーのとは質の違う眼鏡、その細いセルフレームの奥には冷やかな瞳。トムとジェリーを品定めでもするように見たあとで、


「この場所は、私が先に目をつけていたんですが、まあ、良いでしょう。不測の事態でもありますし、協力し合うという道もやぶさかではない」


 勝手に話を進める。

 その場において、さっさと主導権を握ったのは男だった。だとして二対一、数の利に任せて主導権を奪い返すという方法もなくはなかったが……


「オレの名はジンノだ。これから先ヨロシク」


 男はこれ見よがしなスーツケースを置いて、手を差し延ばしてくる。握手を交わした瞬間、トムは悟った。ジンノの握力はその細身に反してえげつないものだった。TRPGサークルのメンバーとは質が違った、眼鏡も単純な腕力も。

 助け舟を求めてちらと視線を横にやるも、ジェリーは援護を要請する先輩に向けて軽蔑の眼差しを返すだけだった。


 こうしてそれ以来、このファミレスでの実権はジンノの下にあった。役割決めもジンノが決めた。トムとジェリーはただ従い、程なく途中退場するミゲルが加わった。

 ジンノの的確な指示と、奴隷の如くこき使われた二人の労力でファミレスの要塞化は着々と進んでいった……ある一点を除いて。

 一見、完全防護のファミレス。だが実は一か所だけ穴があった。窓にはシャッターが完備されているくせに、厨房の奥、大型冷凍室二部屋の脇を抜けた先、休憩室と一緒になった倉庫の裏口のドアが破損していた。結局、そこは椅子やテーブルでバリケードをこしらえるしかなかった。

 以降、ジンノは裏口の管理担当となり、トムは食材やドリンクサーバの補充担当、ジェリーは用意された食材の調理担当となった。後に合流したミゲルだけが無職だった。大した役割もないままに、ミゲルはちゃっかり居座ったわけだが、ジンノはミゲルにハンドシェイクの試験を行うでもなく、一定の距離を保ち続けていた。


 それから一ヵ月後、人懐こい笑顔を終始浮かべたメキシコ人と、細いフレームの奥で冷やかな視線を崩さなかったサラリーマン風の男。結局二人は一言も交わさないままに別れることとなる。

 ジンノに異変が生じたのは丁度その頃からだった。『ゾンビ』『ピースメイカー』『ゴースト』というワードを念仏のように繰り返しながら、来る日も来る日も建物の内にも外にも自前のトラップを仕掛けるようになった。

 ちょうど二週間前のその日も、ジンノは冷凍室にトラップを作ると言っていた。昼食を一緒に囲んだ時も、虚ろな瞳で確かにそう言っていた。


 だが、それから数時間経ち、夕食が出来たと声を掛けに行ったとき、ジンノは冷凍室内で自分の作ったトラップ、そのひとつのロープで首を吊って死んでいた。



    ◇◆



 少しおかしくなっていたジンノ。トムたちはそれを自殺として結論付けた。そして変わらぬ歪な日常へと戻っていった。

 ジンノの死体は今も冷凍室の中でぶら下がったままだ。


 でも、トムは知っていた――ジンノの死は自殺でなく、他殺であると。


 引き籠る以外に、他に何かすべきことはないのか、トムがそう尋ねた時、ジェリーの瞳ははっきりと言っていた――じゃあ外にでも出ますか、と。

 つまらない意地の張り合い。結局、トムは遠回りした挙句にジェリーの期待に対して最悪を返答していた。そしてそれは同時に、引き返せない状況をも作り上げてしまった。


 ジェリーが小さく呟く。


「もう後戻りできねーっスよ……」


 火を見るより明らかだった。この謎が明らかになった時、二人で一緒にここを出るという選択肢はなくなった。


 四人は三人となり、三人は二人になった。

 どちらが彼を殺したのか、それが明らかになった時、どういう形であれトムたちは今までの二人から、一人になる……。


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