第九話 足立務と桜沢実――トム&ジェリー 1


 H&Kヘッケラーコック社製 HK416をフルオートからセミオートに切り替える。路地裏からスコープ越しに狙いを定めてトリガーを引いた。

 完璧なヘッドショットに二体のゾンビが吹き飛ぶ。貫通性のフルメタルジャケット弾は、その後ろのゾンビの頭部も吹き飛ばしていた。

 まさに――


完璧パーフェクト。てかどうしてこんな当たり前のことが分からんかね、世界は」


 ちらと向かいへ視線を預けてみたが、返答はなし。分厚い黒ぶち眼鏡はじっと下にむいたまま。反応の薄さに、ちっ、と舌打ちをして、ゾンビの頭部を次々と吹き飛ばしてやった。

 その頃になって、


「その当たり前ってのは、ゾンビにゃきほん頭部狙撃ヘッショだろ、つうことがっスか?」


 ようやく黒ぶちメガネの陰キャが言葉を発した。とはいえ、視線はずっと下に向けられたままで、声のトーンたるや溶けそうもない万年雪を連想させる冷え冷えとして重々しいものだった。

 『桜の沢に実ると書いて――』サークルの新人歓迎会での挨拶が頭をよぎる。その時も名前とは正反対の真冬のようなトーンだった。

 雪解けなんて期待もせず、足立アダチツトムは続けた。


「そうだよ。そんなの今どき小学生だって知ってる。ジョーシキってヤツだろ?」


「そりゃまあ、そうかもしれねぇスけど。非現実フィクション現実リアルじゃ、やっぱそう簡単に割り切りも切り替えもできねぇもんじゃないスかね?」


「つったってこんだけの被害を出した原因はそもそもそこじゃねえの? 誰も声を上げなかったのかね、しかし。ゾンビにゃ基本ヘッドショットですよぉ、ってさ」


「だーかーらぁ、『トム』さんだって現に見たわけじゃないスか、さっきまでトムさんと同じく都会のきったねぇ空気を吸っては一緒に歩いてた一般ピーポーが突然ゾンビに変わるとこを。それをどうやらゾンビになったからとりあえず頭部を吹き飛ばしとこ、とはならんでしょ、フツー」


「いいや、俺ならやるね。俺のゾンビ狩りはすでに千の大台を超えちゃってるのよ。もう生粋のゾンビハンターなわけよ。そんなヤレバデキルコの俺にすれば、躊躇なんて感じる前にヘッドショット一発だな。躊躇なんてするぐらいなら最初っから鎮圧になんて乗り出すなっつーの。結果、そいつらが発症して被害拡大とか、ありきたりすぎだろーが」


「トムさんてハクジョーもんスからね。ってもそのヤレバデキルコ発言にはとても賛同出来かねねぇスけど。実際ブルって二人して逃げ回ってだけじゃねースか」


 カチンときた。


「おいおい『ジェリー』、聞き捨てならないな、そいつは。誰がブルってただと?」


 ジェリーはそこでやっと顔を上げる。そして言葉もなく、一度自分へと向けた人差し指をトムへと向けた。

 口を開きかけて、でも言葉を飲みこむ。一応、自分もブルっていた、と認めつつのジェリーの指摘。そこにほんの少しの配慮なんて感じたものだから、百パーで憤慨することも出来ない。言葉を選んでいるうちに、トムの手元で悲鳴と低い効果音が発せられた。

 トムが持つスマホの画面では、アーミーグリーンの装備を施したキャラクターが肩口からゾンビに噛みつかれていた。


「ああっ、俺のレールガンがっ!」


 恨みがましい瞳をテーブルの向かいへと向ける。


「知らねっスよ、そんなの」


 ジェリーが口を尖らせた。

 レアアイテムゲットの条件は無傷でゾンビ五百体を狩ること。あとたったの十体程度でその条件はクリアだったのに――トムはなんとも言えないやるせなさに、コーヒーをすすった。すでに飲み飽きたファミレスのコーヒーを。

 休日の昼時だというのにファミリーレストラン『ジョイパル』の店内はガラガラだ。二週間前までは三人いた客も、今はトムとジェリーの二人だけだった。トムは空になったカップを持って、コーヒーのお代わりに向かう。

 ドリンクサーバの補充はトムの役割だった。冷蔵庫の食材はとっくに尽き、今は大型の冷凍室で保存されている食材で食い繋ぐ日々。そこも空にはなりかけているものの、冷凍室はもうひとつあって、そっちは手つかずのままだ。


「今度はコーヒーと紅茶を混ぜて、アクセントにメロンソーダとオレンジジュースでも足してみるか」


 食傷気味な黒い液体を眺めて、一人呟く。かれこれと、いろんなカクテルを試してはきたが、考えつくレパートリーもすでに底を尽きかけていた。時間だけには困らない日々に溜息がついて出る。



    ◇◆



 この場所を教えてくれたのは、まだ少年と呼んでも差し支えなさそうな、見るからに貧相な学生だった。ゾンビ騒動から一週間が経った頃、かつての面影もない駅近のビルに隠れていたトムたちと彼はバッタリと出くわした。


「交換してもらえませんか?」開口一番、彼は言った。

「え?」トムはなんのことだかさっぱりだったが、彼はじっと指をさしてよこす。


「その猫車」


 トムもジェリーもそう言われてようやく理解する。すぐそばに一台の猫車があった。気が動転していたからといえばそれまでだが、それは感染騒ぎが起きて以降、トムとジェリーが後生大事に運び続けていた物だった。

 彼は言った。


「それをもらえるなら、とっておきの隠れ場所を教えます」


 理性がまともに働きさえすれば明白だった。この状況下で猫車にはなんの価値もない。重くてかさばる粗大ゴミに過ぎなかった。


「別にいいけど」トムたちはふたつ返事で承諾する。


「最初に行ったときはゾンビがうろついていて諦めたんですけど、今ならきっと大丈夫のはずです」


 彼は言った。二つ返事で応じたものの、そこにほんの少しのうさん臭さを覚えてトムは、


「だったら君も一緒に来たらいいんじゃないの?」


 彼は力なく微笑みを返す。


「本当はそうしたいんですけど。それよりも今の僕にはどうしてもそれが必要なんです」


 トムとジェリーは一瞬だけ視線を合わせて、二人一緒にそれを見る。

 大学のサークル仲間数名で行く予定だったキャンプ。無い知恵を振り絞ったインドア派なりの本格的なアウトドア、その象徴。それがこの猫車だった。サークル仲間から徴収した予算を奮発した猫車はしっかりした作りのもので、小柄なジェリー程度ならわけなく載せて運べる代物だった。荷台の上には結構値の張る肉と保冷剤が詰め込まれたクーラーボックスが乗っかっていた。

 焼き肉用の肉と猫車の購入はトムとジェリーの係だった。それ以外の諸々は他のサークル仲間に託されたが、車で出かけて行った彼らとはそれ以来連絡がつかずにいる。

 トムは、残された我らがTRPGサークルの有志へと視線を預けた――話に乗るべきか否か。

 しかし返ってきたのは、重い黒髪と半分かかった黒ぶち眼鏡、その二重の防壁の奥でちょっと人を小馬鹿にしたようなジェリーの瞳だった。


「てかトムさん。ヒットアンドアウェイのゲリラ戦術がどーとかCQCがどーとか、シロートドーテイみてえに講釈ばっか長ぇっスけど、他に逃げる当てなんかないわけっしょ。乗っかるしかねえっスよ」


 尊敬の念などまるで皆無な後輩の言葉。お高い所からの発言は含みのあるニュアンスで。あなたとは違うから、というような。自分は実りのある人生なので、とも言いたげな。


「桜沢……実っちゃいないのはお前も一緒だろが」


 トムは罵った。ジェリーには拾えない程度の音量で。


 そして。


(苗字についた桜の文字と経験のなさを掛けてチェリーと呼ばれていたくせに。俺のことなんて言えた義理じゃないくせに。たまたま俺という先輩がいたおかげで、トムとセットでジェリーと呼ばれることになったんだろうが、お前は。そしたらそしたで俺って恩人じゃねえの?)


 矢継ぎ早に思いはしつつも、可愛げのない後輩に反論を挟むことも出来ずに、トムはただ虚勢を張る。


「つーか、俺は最初っからそのつもりだったつーの」



    ◇◆



 そしてトムたちは、その日からこのファミレスで過ごしている。

 豊富な食料。おまけに二十四時間営業じゃなかったおかげで、たくさん窓はあるもののその全てにシャッター完備という至れり尽くせりな完全防護ぶり。籠城生活も早三ヶ月、外界とは完全に断絶された現状にも特別不便さを感じることもない。


 世の中が変わってしまったとして、ライフラインが途絶えた訳じゃない、というのが今回の災害のミソだろう。必要最低限の生活が送れる電力は供給され続けていた。ファミレスへの電力供給が維持されている以上、庫内の食材が腐ることもないし、スマホの充電にも事欠かない。

 となれば、食う、寝る、以外はスマホのアプリゲームで日がな一日過ごすという予定調和な毎日に変わりはなかった。TRPGサークルといっても、毎回サイコロ片手にボードに向き合うわけではない。メンバーが集まったところで、思い思いのアプリゲームで時間を潰す方が圧倒的に多かった。


「そんな毎日を変えたくて計画したキャンプだったのにな」


 トムが独り言つ。


「結局なにも変えられなくて、俺は閉じこもったままだよ」


 外界と断絶されてはいても、情報はいつもこの手の中にあった。ネットのニュースは毎日更新されているし、最近話題の『光の輪』に関するような都市伝説系の掲示板も賑わっていた。

 とはいえ、それが見えたらゾンビ発症の兆候だという説も、ちょっと前までは天使降臨説と呼ばれていたらしいからまるで当てにはならない。なんでも約十年単位に三年周期で九件の観測報告があって、もれなく天使の力が宿ったとかなんとか。何はともあれオカルト系の情報に根拠を求める方が間違っているのかもしれない。

 何はともあれWiFi完備のファミレスだ。日本橋に本社を置くテートソーマという製薬会社が開発した抗ウィルス剤が散布され、世の中が劇的に良い方向に向かっていることをトムもジェリーも知ってはいた。

 トムが開いたネットニュースではこの数日、急上昇ワードの常連となっている女性がしゃべり続けている。


『ワクチンは各家庭を自衛隊、警察と医療機関がまわるかたちで進めています。抗ウィルス剤の散布は全国で終了していますが、密閉されている室内などには正常に散布されていない場合があります。各市区町村から発信される安全保有率の動向を注視してもらいつつ、解除宣言が発令されていない地域ではくれぐれも自粛に協力ください』


 微かに差した栗色のミデイアムをハーフアップにした彼女は、地味になり過ぎない黒のレースブラウス姿。大人の女性の佇まいにも、くりっとした目。深刻そうな表情にあって、どこか幼さの残る目鼻立ち。


「ミヒナン、黒も似合ってる。今日も可愛いな」


 トムの独り言に、視線も上げないジェリーの返答「キモっ」

 毒舌後輩へと、「お前はぜんぜん可愛くないけどな」と返すトム。

 ミヒナンの愛称で呼ばれる彼女は紛れもなく、この騒動収束における顔だった。テートソーマの広報、粟津あわつ美雛みひな、二四歳。国営放送に乗って届けられる彼女が発信する情報は、まさに希望の象徴だった。大人びた雰囲気に愛嬌のあるヴィジュアルが相まって、現在、彼女のフォロワーは伸び続けている。

 ミヒナンこと、粟津美雛は言った。


『抗ウィルス剤の副反応について、さまざまな誤情報が発信されていますが、どれも全く根拠のないものです。くれぐれも誤った情報を信じないよう、お願いします』


 トムたちの知る世界は崩壊した。ネットがソースとはいえ、調査によれば世界の人口は七割にまで減ってしまった。そして、例えゾンビが人としての尊厳を取り戻したところで、罪の意識に苛まれ自死を選ぶ者、あるいは開き直りの野蛮性に身を委ねる者も少なくはないらしい。専門家とやらが言うには、さらに人口減少が進む可能性は高いとのこと。そして抗ウィルス剤の副反応についての言及も……。

 ライフラインは完全に復旧したものの、治安状況は依然変わらず。政府からの緊急事態宣言は取り消されたものの、関東圏じゃお決まりの自粛要請に変わりはない。同社の開発したワクチン接種で予防措置も完璧らしいが、やはり圧倒的に数は足りていない。医師の他、警察や自衛隊が事態の収束に向けて動いてはいるものの、今回の騒動の損失たるや見るに堪えないありさまだ。

 

 でも。


 自粛要請には過ぎない近況だ。外界との遮断は緩やかに解除されつつある――。

 

 だけど……。


 トムたちは今も変わらずアプリのゲームに時間を費やしている。


 コップの中で、あれこれカクテルして結果なんだかよく分からない飲み物になった焦げ茶色の液体が揺れる。溜息がちにトムは自分の席に着く。


 と。


「おっしゃ『クリムタ』ちゃんキター!」

 

 ジェリーが五つ星の激レアキャラ、緑髪の戦乙女を引き当てたと高らかに告げた。そりゃ無課金で手に入れたのだから喜びもひとしおだろう。時間は無限に等しくあったとして。


 だとしても、だ――。


(ちょっと気遣いが無さすぎじゃなかろうか。俺のレールガンをオジャンにしておきながら、自分はレアキャラをちゃっかりゲットして大喜びなんて)


 トムの怒りがぶり返す。


「へえ、そりゃあ良かったですねぇ。これでますます引き籠り生活を謳歌できますねぇ」


 キョトンとするジェリー。おそらく皮肉とも気づかなかったろう。元来がこういう性格だった。空気を読むことに長けていないからこそにジェリーは他意もなく毒を吐ける、ともいえた。


「今さら引き籠り生活、なんてトムさんも一緒じゃねえスか。他にすることもねーから二人してこうなってるわけっしょ」


 ジェリーはさらりと言った。


「別にやろうと思えばやることなんて山ほどあるだろうが」


「他に何があるっつーんスか? そもそも自分が引き籠ってるからってコッチまで巻き込まないでくださいよ。トムさんが引き籠ってるのは、トムさん自身の問題なわけで」


「じゃあお前はそれで良いのかよ? 日がな一日ゲームだけしてよ、今日俺とお前で何分会話したよ? これだけの時間があって、なんかこうもっと生産的な何かのひとつも生み出せてないこの状況ってどうなのよ?」


 シャッターで閉めきられた店は暖色系のライティング。いつだって薄暗い店内に時間の概念は存在しない。スマホが教えてくれなければ、今が昼なのか夜なのかも分かりはしない。そんな中でトムたちは、食う、寝る、以外のほとんどをアプリゲームに捧げてきた。

 ジェリーは問いかけに反応するように、


「じゃあどーするっつーんですか? ミゲルみたく――」


 しかし、途中で言葉を詰まらせる。

 この快適なシェアハウス、ならぬシェアファミレスの同居人。陽気なメキシコ人がここを後にしてすでに二ヶ月が経っていた。


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