第八話 XXXXX――ベルゼブブ 2
X 7.D.A
第七回スパルタン・Zが終了し、それぞれが思い思いの夜を過ごしている。スパルタン・Zは週に一回の開催が定例だった。命懸けのレースから解放されたプレイヤーたちに束の間の休息が訪れる。地獄の底に再び放り出される一週間後のことを今だけは忘れて。
時刻は夜の九時過ぎ。余暇というならまだ宵の口と呼んでも差し支えない時間帯。しかし早いうちから消灯された建物は廃墟の如き様相を呈している。
王子駅の程近く、全国展開するヘボンモールの北区の旗艦店として華々しくオープンしてから一年も経っていないことなど、誰が信じられるだろうか。賑わいの絶えなかった三層ガレリア式の都市型ショッピングモールに当時の面影はない。潰れてそのまま時が止まってしまったかのようだ。
それでも天蓋に広がる曇ったガラス窓越しにも満天の星は注いでいる。アンドロメダ座やペガスス座で形成される秋の大四辺形が見つけられるあたり、確実に季節は移り変わっていた。
二階にある文具コーナーの一角。そこが
日々のほとんどを横になって過ごすハギトの傷が癒える気配は遠い。この日も早々と眠りについていた。
「ハギトが動けるようになるまで、あと二週間はかかるじゃろう。そこからのリハビリを考えれば、スパルタン・Zへの再起は絶望的じゃろうな」
レジカウンターに腰かける
今から約三か月前、ケンたちが必死に逃げ落ちたのがこのショッピングモールだった。
モール内の一階はゾンビがはびこっていたものの、円環状にショップが展開する二階へと至るエスカレーター、その昇降口を生存者が押さえたことで生活圏は守られていた。階段の入り口は防火扉が降ろされ、決して開くことのないよう溶接されてある。
ここに来た当時、甲斐甲斐しく皆の世話をしてくれたのがモールの先住民だったタギルとミチル、そしてワタル――現、
特に医大の学生だというワタルは、寸暇を惜しんで怪我や病気の治療に勤しむ姿に避難民からの信頼も厚かった。
「本当は白衣の方が様になるんだろうけどね」
黒いコーディガンを着た彼は、疲れも垣間見せずに涼しげな瞳を緩ませたものだった。
彼らによれば、『
連絡には館内放送を利用する
『ようこそ新入りどもォ。今回の感染騒ぎだがァ、空気感染の可能性もあるってなこったァ。だがまぁ心配すんなィ。建物にゃあ外気と隔絶するよう完璧なバリケードが敷いてあっからよォ。それに最新鋭の空気循環システムっちゅーもんが導入されてっからな。ゾンビに直接噛まれりゃ別として、空気汚染の心配はねぇから安心しなァ。一階は地獄だがよォ、豊富な食材と合わせて二階はまさに天国だァ。まぁあれだ。出ていきたいヤツは別に止めねぇから、好きにやってくれィ』
顔も知らぬ男、
彼の決めたルール、そのひとつが誤情報に踊らされないためのスマホやタブレット、携帯電話の類の没収だった。感染騒動の当初から供給量は万全でなくとも電力自体は生きていた。自宅に引き籠れなかったいわゆる『難民』たちはSNSを活用し、自衛隊による配給品投下の場所や時間、一時退避場所などの情報を共有し合いながら避難を続けてきた。
日常と化していたネット社会からの隔絶は、新たな社会システムへの変化を意味している。情報統制と平等性を理由としたルール。それをひとつ受け入れるたび、人々もまたひとつ安心を手に入れていく。快適とまではいかなくとも、不便を感じることもないショッピングモールでの籠城生活は続いていく――、はずだった。
異変が生じたのは一ヶ月が経とうかという頃。館内放送に乗って届けられたのは絶望の知らせ。
『残念なこったが食糧の消費が思いのほか激しんだわァ。まことに遺憾ってやつだがよィ、オイラにゃ
一方的で不当な取り決め。早々と賛同の意思を示したワタルたちとは違い、当然、反発する者は現れた。
短髪に左目を縦断する傷跡、掛けたロイドグラスに知性の欠片も感じさせない大男。そんな奈羅國率いる叛乱グループと、ワタルたち現・
ことここにきては
ケンたち傍観者グループはさて置いて、先住者グループも静観を決め込んだこともあり、奈羅國たちの探索は順調に進んだ。二日がかりで二、三階を探し回り、
迎えた一階探索の日。事件が起こったのは、その日の朝のことだった。
集合時間を過ぎても奈羅國は現れなかった。
間もなくモトルが発見したのは、全身を蜂の巣にされ二階から吊るされた大男。死因は明らかだった――銃火器による銃殺。
程なくロープが千切れ、奈羅國はゾンビのエサとなる。プレイヤーとしてA級以上は確実だったであろう男はスパルタン・Zに参加することなく舞台から姿を消した。
奈羅國一直という実力者を力ずくで黙らせた
当初は脱落者イコール新たなゾンビを量産していた不条理で命がけなレースも早二ヶ月。戦術や攻略法の発見と改良に伴い脱落者は著しく減少した。それでも予定調和のような
だからこその同盟ではあったが、敢え無く瓦解した。
定められたルール自体が信用のおけないものである以上、出ていくという選択肢も現実味を帯びてはいた。だが、この二週間のうちにモールの外では、強大な重量で建築物が自壊するような地響きが三度鳴り響いている。天蓋のガラスには火山灰を連想させる粉塵が降り積もっていた。情報統制という名のもとに敷かれた情報操作、外界の状況が分からないことに変わりはない。脱出こそが懸命な道とする根拠などどこにもなかった。
ゴウカたちプレイヤーの根底にあるのが焦りであることは間違いない。
間違いはないが――
「だからこそ、同盟を組んで挑むしかなかった」
ケンは呟いた。
応じるように声が返る。
「ッてんならなおのこと。不確定要素の蠅野郎の特定か、可能性を潰したうえで、もう一度みんなに働きかけるしかないんじゃない?」
ほろ酔い気分でウトウトし始めた縣衣の爺様ではもちろんなかった。ショートヘアのバイオレットがランタンの明かりで妖しく揺らめく。幼いリンとバトを寝かしつけたタグリが立っていた。女子には禁断の深夜スイーツを片手に。
自作のプリン・アラモード(風)。食糧難を反映したように、トーストに塗るタイプのカスタードクリームを流し込んだガラス製の小鉢にプリンが乗っかっている。そこにペット用のジャーキーが四本突き刺さっていた。
いつもの黒いシャツに重ねた同色のネクタイ、その下には不規則な裾のロングスカートを履いている。瞼はまだ少し腫れぼったい。
ケンが尋ねる。「どうすればいいと思う?」
「そんなの、怪しいヤツを片っ端から調べてくに決まってるっての」
タグリは形の良い胸を張って自信満々に言い放つ。そして不適に笑った。息を吸いながらの「ヒィ」という独特の笑い方で。
赤色のボールペンをケンへと放り投げると、スカートのポケットに無造作に突っ込んでいたA4ノートをカウンターの上に置いた。
ケンは曲がったノートに苦戦しながらページを捲る。そこには味のあるイラスト付きで各チームの有力選手の情報が載っていた。
それぞれのポジション――中盤の攻撃的役割を担う『フォワード』。オフェンスとディフェンスを用途で切り替える外周寄りの支援要員『ウィング』(ウィングは、攻守に渡りフィールド上を駆け続ける『ダイナモ』、逆に運動量を抑え絶妙なタイミングで他のポジションとスイッチする『スナイプ』に大別される)。そして誰よりも早くゴールインする大役を担う『ポイントアタッカー』――ごとにタグリなりの情報が記されてあった。
「
タグリが最初のページを開く。
〈
・
記載された自分の情報と、脇に描かれた短髪のイラスト。タグリの趣味で無理やり染められたダークブラウンの肖像に、ケンは照れ臭くなってこめかみを掻いた。
『冒険野郎ハリケーン』は主人公のハリーが科学知識をフル活用し、その場にあるアイテムと、わずかな手持ちのアイテムでピンチを切り抜けるのが物語の醍醐味だ。幼心にはまったドラマの影響で、ケンは自作の武器制作術やプラズマ物理だとか非ニュートン流体といった実用性もない雑学知識に無駄に詳しくなってしまった。それをリンやバトに話して聞かせると子供らしく真剣に耳を傾けていたものだが、タグリも時々目を輝かせては話に聞き入っていた。
タグリは開いたページの、ケンの項目の隣を指でトントンと叩く。
・
・
「――なんで私がCクラスなのかが納得いかないけどさ」
タグリが口を尖らせて。
追記しようとしたケンが思い止まる――『今のトコ、事実は隠れ巨乳だけ』
スパルタン・Zの基本ルールは、モールの端から端まで駆け抜けること。グッズコーナーが軒を連ねる東Aエスカレーターか、もぬけの殻と化した食品、日用品フロアの東Bエスカレーター。選択した二ヶ所のスタートエリアのどちらかからプレイヤーはスタートする。順番は決まっており、先陣はフォワード。その十五秒後にウィング、さらにその三十秒後にポイントアタッカーの順だ。
二階部に備え付けられた巨大なLEDビジョンディスプレイが目を惹く吹き抜けの中央部を抜け、アパレル用品とグッズのエリアに囲まれた西棟奥にある西Bエスカレーターを上り切ればゴールとなる。
ただしゴールへの
ポイントアタッカーとのスイッチで腕章を託されたプレイヤーに限り、タッチダウンの権利も移譲されるというのが例外的なルールだった。
先陣のケンが中央を押さえ、外周寄りで安全圏を見つけ温存するハギトが、最後に飛び出してきたタグリからアタックの権利を移譲して中央を切り裂いてゴールを決めるというのが
タグリがページを捲っていく。
〈
・
・
・
ケンが書き足す――『外周エリアで囲めたはずが、いつの間にかゴール付近までワープ。作戦は失敗』
〈
・
ケンが書き足す――『ハギトの恩人。だが次は潰すと明言』
・
ケンが書き足す――『なのに過酷なレースを生き残れているという事実』
〈
・
〈冥府の
・
ケンが書き足す――『没収されたはずの携帯電話。ショップの在庫品だとしても使えないはず』
〈
・
ケンが書き足す――『なのに裏切り者について言及し同盟を崩壊させたのもソラ』
〈
・
ケンが書き足す――『ひょっとしたら仲間すら信用していないかも』
ひと通り目を通した上で、ケンもタグリもため息を吐いた。誰も怪しくないようにも見えるし、全員怪しいような気もする。
「仮にその裏切者を見つけたとしたって……」完全に気の削がれた調子でケンが続けた。
「ハギトが復帰できない以上、俺たちがスパルタン・Zに出る道は閉ざされてるけどな」
モトルが言うところの蠅野郎を見つけ出せたとして、自分たちがレースに出られなければ何の意味もなかった。ケンたちにとっての目下の課題は、蠅野郎探しよりもハギトの代わりを見つけることだった。
そこへ不意に声。
「それなら解決しとるぞ。儂がハギトの代わりに出るからな。走ることは出来んが、まあ戦うだけなら問題なかろう」
息を吹き返したような縣衣の爺様だった。甚兵衛から伸びた細い腕の先には、高く掲げられた空のカップ酒。
ケンは頭を抱えたが、「爺様なら百人力だな。なんてったって合気道の達人だもんな」と太鼓判を押して、タグリはプリン・アラモードを平らげる。
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