第三十三話 足立務と桜沢実――トム&ジェリー 3


「どちらが彼を殺したか? それはいいッスけど、どう考えてもトムさんが圧倒的に不利ってことはもちろん理解してるッスよね? 自分にはそれがと分かった上での謎解きなわけッスから」


 テーブルに突っ伏したジェリーが上目遣いで釘を刺す。

 食料満載の冷凍室で首を括って死んでいたジンノ。現場保存の冷凍保存という訳でもないが、その遺体は霊安室になってしまった冷凍室で今もぶらさがったままだ。



    ◇◆



 ファミレスの要塞化が完了すると、トムたちに対するジンノからの指示は減った。とはいえ、別に不便でもなかった。一人でいることを好むジンノは、食事以外は倉庫で過ごすことが多かった。だいたいノートパソコンをいじっていて、仕事柄なのかどんな時でもスーツケースを手放さなかった。

 最初の頃こそ交代制で見張りの時間も設けてあったが、それもそのうちなくなった。となれば、気兼ねなくトムとジェリーがゲームに費やす時間も増えていった。WiFiフリーのファミレス様々である。

 一ヶ月が経ち、ミゲルが旅立つ。出会いと別れ、とはいえ一ヶ月程度の関係性では、そこまで感傷的にもなれない。

 異変があったのは籠城からミゲルが出て行って間もなくだった。その頃のトムたちの関心といえば、ヒマをどう潰すか、ということだけになっていた。結局、トムとジェリーの行きつく先はゲームでしかなかったが、ジンノには違ったらしい。

 身なりはいつも通り小ぎれいなままだったし、髪の毛もいつだってぴっちりと七三に撫でつけていて、変わった様子も見られなかったが、実のところでは少しずつおかしくなっていたのかもしれない。

 ジンノは、ファミレスの内にも外にもにいそいそとトラップを仕掛けるようになっていた。

 それは倉庫内にあったロープの先に輪を作ったもので、例えばゾンビがそこに腕を引っ掛けると、ロープの端に付けられた重石代わりの椅子が落ちて吊るし上げられる仕組みのものだった。苦労して取り付けては外し、別の位置へと付け直す。神経質そうに繰り返される単純作業。はたまた古い木片の先端を尖らせて杭状にした幾つものブービートラップ。それも進入口とみなされる場所で設置と移動を繰り返された。

 その頃になるとジンノは念仏のように単語を繰り返していた。一つ目のワード『ゾンビ』は理解できる。しかし残り二つ『ピースメイカー』と『ゴースト』というワードにはトムもジェリーも思い当たる節はなかった。

 来る日も来る日もトラップを作り続けていたジンノ。建物の周囲に杭が並び、裏口一帯がぶら下がったロープだらけになると、今度は冷凍室内のトラップ作りに着手した。

 冷凍室の中にまでゾンビが入ってくることはないだろう。思いはしつつ、トムもジェリーも何も言えなかった。少しおかしくなっていたとしても実権はジンノが握ったままだし、それ以上に、何もないよりは何かすることがあった方が良いことに変わりはないのだ――それほどまでにトムたちはヒマを持て余していたのだから。

 ちょうど二週間前のその日も、ジンノは冷凍室にトラップを作ると言っていた。昼食を一緒に囲んだ時も、虚ろな瞳で確かにそう言っていた。


 だが、それから数時間経ち、夕食が出来たと声を掛けに行ったとき、ジンノは冷凍室内で自分の作ったトラップ、そのひとつのロープで首を吊って死んでいた。


 そしてトムとジェリーは、どちらともなくそれを自殺と結論づけた――はずだった。



    ◇◆



 ジンノ殺害の考察に関して、トムは不利とは思っていなかったが、現状が膠着状態であることは理解していた。

 トムは言った。牽制するように。


「少なくとも俺はジンノについて知らないことが多すぎる。まずはジンノを知ることが謎を解くヒントになるだろう」


 テーブルの上に、ジンノが居座っていたファミレス奥の倉庫、そこに残されていた手帳を置く。

 ジンノは几帳面な性格だったようで、こまめに手帳に記録を残していたようだ。

 トムはジェリーに向けて置いた手帳のページ適当に開いた。

 そして二人は絶句する。


 6月12日 Mが感染した。Uと二人で処分する。

 6月13日 託された資産、その現金化に失敗する。

 6月15日 Aとの連絡が絶えて7日が過ぎた。

 6月20日 Uが死んだ。鳩の仕業。連中に嗅ぎ付けられた。当初の予定を大幅に修正、逃走経路の確保が最優先課題となる。

 6月21日 鳩からの逃走中、アタッシュケースのひとつを紛失する。中に身元を特定するものはないが、手元に残ったのはロンダリングの済んでいない資金のみとなる。

 6月22日 非常回線を用いてAに現状を連絡した。だが指示はいまだになし。

 6月23日 自身身の安全、その切り札としてアタッシュケースを隠すことにする。

 6月24日 Aからの連絡はない。俺は切り捨てられた?

 鳩疚はとやま稼頭央かずお=ゴースト――地縛霊。正義という名の歪な呪詛。愛国心――偏執的な思想主義。自身にとって都合の良い変化しか許さない最悪の愛国者。

 公安一課特務零部、通称『ピースメイカー』――偏執的な思想の集合体。具現化された正義の鉄槌。狩人ども。

 鳩山ゴーストに追われ、ゾンビに囲まれる。

 死

 殺す

 鳩の鳴き声が聞こえる。

 死

 殺す

 死

 殺す

 死


 イニシャルと特殊記号のような単語の羅列。まるで暗号。狂人の日記に、寒気を感じてトムは手帳をそっと閉じる。ジェリーも何も言わない。


 妄想的な内容の根底にはオカルトや都市伝説が見え隠れする。こんな時世なら尚更かもしれないが、ネットでは陰謀論を根強く信じる発言も増えてきた。有名どころだと、地図に載っていないネコナキ村とか、政府にとって都合の悪い事実を土地ごと沈めたウロコザワ村だとか。

 みんなのミヒナンこと粟津美雛あわつみひなの所属するテートソーマの開発したワクチンと、その副反応に言及する有識者との対立もいずれ霞んでしまって、このゾンビ騒動自体が何かの陰謀だったと論じられるようになってしまうのかもしれない。そしてまさかジンノもその手合いだったとはちょっと驚きだ。まあ驚きには違いないのだが……。


 トムはジェリーを覗き見た。ジェリーは居心地悪そうに視線を逸らす。


 変わらぬ膠着状態。


 結局、トムが分かっていることといえば自分自身という存在に過ぎない。トムは、自分が殺人を犯していないことを十分すぎるほど理解はしていても、それは二人だけの現状において何の証明にもなりえない。

 となれば、ジェリー自身にやったと認めさせない限り、つまりはジェリーの自供を引き出さない限り、この謎は永遠に解けないことになる。

 トムは咳払いして仕切り直す。なんにしたって主導権を握らなければならない、そう思えばこそに。


「ジェリーよ、お前の言うところの『実行不可能』な理由っていうのは、つまりお前に由来するところの『ハンディキャップ』的な部分を差しているのだろう。だがそれをして実行不可能と呼ぶには弱いのだ」

 

 立ち上がり、そしてジェリーへと人差し指を向けた。

 だが、ジェリーに動揺する素振りは見えない。テーブルに突っ伏したままで口を尖らせる。


「ハンディキャップとは意味あいが違うと思うッスけど」


 トムはジェリーの反論なぞ意に介さず、畳み込む。


「お前が実行不可能を主張するその根拠はハンディ……つまるところゆえ、ジンノを吊るすことは出来ない、ということなのだろうが――」

 

 ジェリーが肯定するように、しかし気だるそうに言った。


「そッスね。まあそれも実行不可能の理由のひとつではあるッスね」


 トムはニヤリと笑った。そして、


「――『地蔵背負い』という技術があるのだよ。これは、まあ、なんかの推理小説で読んだんだけど、要は相手の首に輪を通したうえで背負う形で紐を引けば極端に力が弱くても、例え片手であったとしても人を殺すことが出来るのだ」


 トムは高らかに告げた。そしてゆっくりとジェリーを見下ろす――どうだ、見たか。

 ところがどっこい、ジェリーは微動だにしていない。それどころか、あくびなんてしている。


「それって結局、自分にも人が殺せるかもっていうことを証明しただけで、トムさんが殺せないってことを証明できてないじゃないッスか。なんスカ? その地蔵背負い? してまで自分がジンノを殺さなきゃいけない動機も不明だし」


 不愉快なジト目に気圧されて、トムは二の句を告げなかった。確かに『動機』に関してはトムもジェリーも思い当たる節はない。

 それならもうやっぱり『事故』ってことで済まそうか――なんてトムが思っていると、以外にも二の句を継いだのはジェリーだった。


「自分もトムさんの動機なんて知る由もないッスから、その辺はもう置いておいて、互いのアリバイ崩しで話を進めるしかないんじゃないッスか?」


(なんという不敵さ。まさに傲岸不遜。人がせっかく事故で処理してやろうというのに、まさか俺を揺さぶりにくるとは。だが、それはまさに墓穴という意外にはない。そう。なぜと問われれば、俺は、俺が殺していないと理解しているから。そう。と、なればだ。犯人はジェリー以外にはいないのだ)


 怒り一周。冷静さを取り戻したトムが戦略を組み立て直す。


「あの日もいつもと変わらなかった。ジェリーもそれは覚えているよな?」


「あんな最悪の日のこと。忘れたくても忘れらんねーッスよ」


 ジェリーが継いだ。スマホを一瞥した後で、


「あれからちょうど一週間経ってたんッスね。ホントこん中にいると日にちの感覚なんてあってないようなもんスね」

「ああ、そうだな」


 わずかの間、二人苦笑を重ねる。それでもすぐに表情を直した。名残り惜しくはあっても。


「あの日、朝食もそこそこにジンノは日課のトラップ作りに取り掛かった。そして俺たちも日課のゲームで午前中を潰した。そして昼食の声を掛けに行った冷凍室で死んでいるジンノを俺が発見した」

「発見、なんてお行儀のよいモンじゃなかったッスけどね。悲鳴を通り越してもはや絶叫っつうんじゃねえスか、あれ?」


 咳払いをひとつ。恥ずかしさを紛らわすように。


「まあ、そのおかげでお前も飛んできた。俺が冷凍室に行ってから何か裏工作をする間はなかった、という証明にはなると思うが」


 ジェリーは素直に頷いた。


「確かに。あの短時間で出来ることはたかが知れてるッスね」

「と、なれば。ジンノ殺害は朝食を食べてから昼食の声をかけに行くまでの午前中の間、ということになる」


 俺の報告をジェリーが否定する。


「正確にはちょっと違うッスね。最初の頃こそ規範的に行われた一日のスケジュールも日に日にダレてきて、その頃には朝食も遅め、十時過ぎくらいッスね。だから昼食も午後の二時近く。食事担当の自分が言うんだから間違いないッスよ。なわけで、殺害時間は午前中過ぎまで可能ッス」


 ジェリーの言うタイムスケジュールにトムは否定を持ち込む気はない。軽く両手を挙げて、


「ということは、ジンノ殺害は十時から十四時の間ってことだな」

「朝はロールパンと目玉焼きとベーコンのモーニングセット。昼はハンバーグ定食。ちゃんとメニューまで覚えてる調理担当の記憶をなめてほしくないッスね」


 ジェリーの首肯に、トムも頷き返す。そして続ける。


「その間、きほん俺とジェリーは一緒だった。だがそうじゃない時間もあった。例えば生理現象。俺はトイレに一回行った。でもその前に、お前が席を立ったのを記憶している」

「十一時前ちょい前くらいッスね。自分、基本的にメインのゲームは十一時からやることに決めてるんで、その前に行っとこうと思ったはずッスよ。トムさんが行ったのはそれから三十分から一時間後ってとこスかね」


 この期に及んでトムは異論を挟むつもりはない。時間の把握能力に関して、ジェリーの方が一枚上手らしいということは認めざるを得なかった。


「この窓側の席からトイレは死角になる。場所はキッチンより、さらにその奥に冷凍室はある。トイレに行く振りを装えば時間的に十分犯行は可能だ」


 それはつまりトムの犯行も可能ということに他ならないが、とりあえずトムはジェリーのアリバイ崩しにかかる。

 それに対してジェリーが短く返答する。


「大きな犠牲を払いますがね」


 怪訝な表情を浮かべる俺に、やれやれといった風のジェリー。


「自分が午前中にトイレに行ったのはその時だけッスよ。じゃなきゃ漏らしちまってるはずッスよ。で、トムさん。自分がそれ以外でトイレに行ったという記憶はあるんスか?」


 首を捻るも、


「ない」


 悔しいが、ジェリーのアリバイをトムは自身で認める羽目になる。


「じゃあ今度はこっちの番ッスね」


 ジェリーの黒ぶち眼鏡。その奥の一重の瞳に蹂躙する者特有の悪意が覗いた。舌なめずりするようにゆっくりと言葉を紡ぐ。


「自分のトイレの後、トムさんが今度はトイレに行ったスよね? そして結構な時間席には戻って来なかった。さすがにおかしいと思った自分は訊いたッスよね?」


「だ、だから、あれは……」トムは急激に喉の渇きを覚える。


「ええ、覚えてるッスよ。トムさんはこう言ったんでスよね……『便秘気味でさ』って」


 反射的にトムは立ち上がっていた。自分でも気づかぬうちに、固く拳を握りしめていた。


「べ、便秘くらいなるだろ。偏った食事ばっかりなんだから」


 瞳を緩めるジェリーは弄ぶように言葉を吐いた。


「だとしてやけに挙動不審だったッスよね、トムさん。ドリンクこぼしたり、コーヒーの中に指突っ込んで熱がったりして」


 トムの頬を冷汗が伝い落ちる。

「そ、それは……」トムの視線はすがる物を見つけるように彷徨い続ける。既にジェリーの顔をまともに見ることなど出来なくなっていた。

 悪意のある瞳が刺さるのを肌で感じながら、トムは「あ」と間の抜けた声を上げる。そして震える声で言った。


「ジェリー、お前が俺と一緒にいない時間はトイレ以外にもあった」

 

 余裕綽々のジェリーもトムの視線が向けられている場所に気付いた。ジェリーが振り向くのと同時に俺は言った。


「キッチン……あそこで昼食を作っている間、それも結構長い時間、俺はお前の行動を全く把握していない」


 キッチンを向いていたジェリーがゆっくりと向き直す。やがて長い溜息を吐いた。その後でジェリーは観念したように言った。


「そッスね。自分が生きているジンノを見たのはその時が最後でした」

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