第三十一話 XXXXX――ベルゼブブ 6


    XXXXX



 ショッピングモール二階部の包囲網は狭まりつつあった。円環状テラスの北側に押し込まれる観客オーディエンスは、薄汚れた迷彩服にガスマスク姿のゾンビ――戦争War疫病Plague――に挟まれる形で徐々に圧縮していく。増え続ける被害者にも健常者は右往左往するだけ。逃げ道などない。

 遥か上空で何かが爆発するのが聞こえた。遅れてこだまする地響き。自衛隊のヘリコプターが墜落したのだと脱衣ダツエハギトは直感する。

 間もなくして、モールの外で建物が崩壊する轟音が轟く。抗ウィルス剤とは別の粉塵が天蓋に空いた穴から降りそそぐ。

 もはや残された退路は階下くらいのものだった。少年と少女を連れたハギトが見下ろす。


 だが一階にも新たなガスマスクゾンビが出現していた――。


 迷彩服の上にズタ布を纏った長身。左手が無いためバランス悪く歩く。杖のように引きずる大ぶりの鎌を右肩から生えた二本の腕で振り回す。額に貼られた札には――Desth


 膨れ上がった腹部。迷彩服がはちきれそうほどの肥満体。しかし両腕はない。腹部から伸びる伸縮自在の六本の触手。飛び出た大腸の先端に取り付けられたドローン。宙を回遊するその先端には顎がくっついていた。トラバサミに似た乱喰い歯を軋らせる――飢餓Hunger


 飢餓Hungerの触手の一本に焦熱ショウネツゴウカの左肩が食い千切られた。赤銅色のジャージをそれ以上の赤が染めていく。わずかにゴウカの瞳から色が失われる。

 同時に炸裂音が響く。挽臼ヒキウスナタクの一撃だった。青いロングヘアーをなびかせ、長身の長い手足が躍動する。飢餓の触手の一本があっけなく弾け飛んだ。スタッズが並んだ細いベルトを編みこんで作ったバラ鞭の凶悪な一撃だった。 

 ゴウカの隣に立ち叫ぶ――鬼神の如きナタク。


「何してんだい、アンタら! 立つんだよ、ここが本当の正念場だ!」


 鉄板を加工したナックルダスターを構え直す。瞳に再び戦意が灯った――ゴウカは咆哮する。


「戦え! 死にもの狂いで戦え!」

 

 完全に気勢を失っていた畜生モトルが長得物を構える。バンダナから覗かせた瞳はぎらつきを取り戻していた。重装備の八寒ハッカンレイドが、ほとんど初めてのような手つきで忍ばせていた手斧を抜いた。

 殺伐とした状況下にあってもソラはやはり儚げな笑顔で、「まったく、二人とも。ホント人使いが荒いんだから」小首を傾げるとミルクティー色の髪がさらりと揺れた。

 破れた仁甚平姿の懸衣ケンネの爺様を先頭に、プレイヤーたちも集結してくる。

 ナタクが戦闘再開の激を飛ばした。


「行くよ、アンタらっ!」


 一階にすら逃げ場はなかった。

 百人以上いた観客オーディエンスも確実に数を減らしつつあった。今や三分の二程になった人の群れは一つの塊となり、満員電車の如くひしめきあう。


「リン! バト! 離れるな!!」


 はぐれないようハギトはリンとバトの手を殊更強く握った。昨日負ったケガで痛々しい姿、それでも少年と少女を守るために。どんどんと圧縮されていく集団。その時が訪れたのはすぐだった。 

 圧力に耐えきれず、二階テラスに張られたガラスフェンスの支柱が根元からへし折れる。決壊。人の波はそこに開いた空間へと吸い込まれていく。


「絶対に手を離すな!!」


 人の波に呑まれないようハギトは両手を力いっぱい握った。少しでも握る力を弱めたら体ごと持っていかれる。人波のぶつかる衝撃で額の傷口が開く。まぶたが血で滲む。それでも必死だった。零れ落ちていく観客に手を伸ばすことなどできやしない。自分たちが生き残るためだけに必死だった。

 テラスの人数が減ったことで洪水の如き勢いが一時的に弱まる。瞬間的にハギトはリンとバトを両手で抱きしめた。一難が去ったところで脅威は迫りつつある。ハギトは理解している――終焉を。理解していればこそ、二人に覆いかぶさるようにして抱きしめた。少年と少女の最後の盾となるために。


 と、まさにその瞬間だった。

 天井に開いたガラス窓の穴、そこから人影が降りてくるのが映った。


「こんな便利な能力があるなら教えといてくださいよ」


 群衆と疫病Plagueの間に降り立つと、場にそぐわないどこかのんびりとした声で文句を言ったのは男だった。ハチマキ風に額に巻いた血染めのタオルとプリン状態の茶髪。白い長ティーの上に、黒地の大布を袈裟懸けにして巻いている。なぜだか足元はビーサンだった。


飛天ひてんの恩恵とはいえ、お主が使えるのは本家の数万分の一と言うとろうが。せいぜい三秒飛ぶのがやっとじゃな」


 ハギトが見上げる前で、男の背におぶさっていた和装の少女が飛び降りながら言った。ぽっくり下駄できれいに着地すると、男と合わせたような黒い振袖と艶のあるツインテールが揺れる。


「さて、どうやら坑ウィルス剤が効かぬよう処理が施され、かつ何者かの意思をもって動いとるようじゃのう。薬が効かぬ以上、直接的に破壊する方が手っ取り早そうじゃのう。胤光、お主はあっちのガンマンに彼岸を拝ませてやれぃ。チューシャキは尊自ら相手をしてやろう」


 少女はぬふんと鼻を鳴らすと両袖から二丁の拳銃を取り出す。

 

「ご武運を、キラリさん」


 言うや男は群衆へと向かって駆け出す。「不動明王印――hāmカン」呟いて跳躍すると人垣をあっさりと飛び越えていった。


「胤光よ、お主誰に物を申しとる?」祭りの踊り手のように紅がひかれた瞳を緩め、八重歯を覗かせ不適に笑う。キラリと呼ばれた少女は引き金を引きまくった。六発装填と思わしき回転式拳銃リボルバーは、しかしいつまでたっても空になることなく、破壊力抜群の弾丸を射出し続ける。


 戦争Warと対峙する胤光と呼ばれた男。単発式拳銃の銃口を向けられた瞬間、錐もみしながら戦争Warの頭上を飛び越える。

 振り返る戦争War観客オーディエンスを背において。そこへ胤光は燐光を発する拳で直接ガスマスクを叩いた。マスクの三分の一が削れるようにして消滅する。反射神経は完全に凌駕していた。銃口が向けられる頃には、戦争Warの別の部位が削り取られる。


 そして、二体のガスマスクは現世から完全に消滅する。キラリと胤光が現れて五分と経っていなかった。

 リンとバトを抱えたままで、ハギトは腰を抜かすように床にへたり込む。

「胤光よ、急ぎ救護じゃ」キラリが言った。

「薬師如来印――bhai《バイ》」胤光が告げると両手から緑色の光が発せられる。胤光が触れるや、苦しんでいた観客たちの顔色が見る間に血色ばんでいく。

 その光景を呆然と眺めていたハギトが思い出したように叫んだ。


「ここから一階に落ちた人たちが!」


 それだけですべて通じた。胤光はハギトへと小さく頷くや身を翻し、支柱が根元から折れたガラスフェンスの間から階下へと躊躇もなく飛んだ。

 キラリが声を張り上げる。


「苦界の箱庭まで作りせしは、何がしかの予行演習シミュレーションとでもいうわけか? のう、狂科学者マッドサイエンティストよ」


 その声に反応するように、二階と三階に跨る大型ディスプレイに電源が入る。


科学者サイエンティストォ? そんなんじゃないねェ。オイラはしがない技術屋エンジニアさァ」


 モニターに映し出されたのは狭い個室。まるでネットカフェの一室のような空間で、男がデスクの上に足を投げ出していた。ゴーグルと布地が一体化した溶接マスクを首からぶら下げ、シミだらけのオーバーオールに身を包む。その上に羽織った上物のファーコートだけが浮いていた。モールのショップから盗ってきたのは明白だった。

 週末の映画でも鑑賞するように、両手をオーバーオールの上で組んだリラックスの姿勢。伸ばしざらした長髪の下で徹夜明けのような双眸が三日月に笑う。そして無精ひげに覆われた口を開く。


来訪者ゲストは大歓迎だァ。オイラの名は在庫管理人ストックマネージャー、近しい連中にゃ獄門卿ゴクモンキョウなんて呼ばれ方もしてる。アンタァ、好きな方で呼んでくれて構わないぜィ」


「ふん。で、、哀れな彷徨い人をわざわざ抗ウィルス剤では成仏できぬ体にしとったのが貴様と見て間違いはないのじゃな?」


 在庫管理人ストックマネージャーはなおさら愉快そうに、


「ゾンビだって元は人間だァ。脳に電気信号を送りさえすれば簡単な動作は可能となるんだなァ。対外的なガスマスク然り、皮膚吸収にしてもトカゲの尻尾と同じ要領で抗ウィルス剤に浸かった肉を切り捨て、ってーカサブタで覆っちまえばゾンビとしての肉体の保持も可能。試験段階っつったったてェ、そこは不死の軍団。その可能性を探るってのァ、くすぐるわけだなァ。オイラのエンジニア精神をねェ」


「この改造ゾンビどもが貴様の技術の結晶ということか? ならば悪かったのう、貴様のお粗末なエンジニア精神とやらを無駄骨にしてしまっての。じゃが、切ったり貼ったりするだけで満足というわけじゃなかろう? 何を企んでおる」


 在庫管理人ストックマネージャーの瞳に一瞬だけ厳しい色が灯る。


「作業対象がなんであれ、目指すべくは至高。言うなりゃ人もゾンビも超えた存在への到達。だがまァ、そいつはオイラの役割じゃあない。さっきもいったはずだぜィ、オイラはしがない技術屋エンジニアだってなァ」


 言い終えて在庫管理人ストックマネージャーははぐらかすように笑った。元の呑気で陽気な口調を取り戻すように。私情を閉じ込めるように。

 締め括りの所作を――情報の隠匿を――阻止すべくキラリは続けた。


「ご高説ごくろうなことじゃの。じゃが、まあ重畳重畳。どうやらそんなものは完成しとらぬようじゃからのう。ならばここで貴様を止めればそれで終わりじゃろう」


 在庫管理人ストックマネージャーは動じることもなく言った。


「終わり? 終わりだとォ? 黙示録の騎士の後に始まるのがなんなのか知らねェと見えるなァ。そんなものォ、神と悪魔の戦いと相場が決まってんだぜェ。スタートエリアから悪魔が放出されるのさァ。とはいったってェ、まあ、未完成。せいぜいが副王止まりってなもんだがなァ」



    XXXケX



「やめろ! 離せ!」針山ケンが言った。

 それでも、三途川ミトガワ渉流ワタルのナイフは首筋にあてがわれたまま。

 だから、ケンは叫んだ。


「離せっ! もういいだろうが、ワタル。離せって言ってんだよ!」


 やれやれといった表情のワタルがナイフを引っ込めた。

 確認するように首筋へとケンは手を伸ばす。うっすらと血の跡が滲んでいた。

 そんなケンへと、黒のコーディガンのポケットに両手を突っ込んだワタルは悪びれもせず、


「ごめんねー、ケンちゃん。でも、迫真の演技だったろ。タグリもまさか犬が、いや蠅だっけ? とにかく裏切者がケンちゃんだったなんて気づきもしなかっただろう?」


 ケンはタグリにカットしてもらったダークブラウンのショートカット、ヘアワックスでセットした上げた前髪アップバングの先端を整え直すふりをしながら呼吸を整えた。

 血乃池チノイケ未散ミチルがぶらさげた短機関銃MP5Kを眺めながらケンは言った。


「やっぱり、お前らは最初から在庫管理人ストックマネージャーと組んでたんだな?」


在庫管理人ストックマネージャー、まあ俺たちは獄門ゴクモンさんて呼んでるんだけど。騒動の避難中にSNS上で知り合ってさ、その人が仲間らとモールを要塞化したから、協力してくれるなら甘い蜜吸わせてくれるっていう話に乗っかったのさ。あとは分かるだろ。SNSを駆使して、ケンちゃんたち後続者を呼び込んだよ」


 訝しんだ表情でケンは訊いた。


在庫管理人ストックマネージャーは単独犯じゃないのか?」


 答えたのはミチルだった。


「元いたお仲間さんたちは他にやることが出来たから、要塞化した後でモールからいなくなったんだってー。なんか高級時計みたいな名前だったよ♪ だから男手一人じゃ厳しいっていう獄門さんの手伝いのために、人材が必要になったってわけだね。つ、ま、り、私らは最初から選ばれし人間だったのだー☆ まあ食材やらはドローンで運ばれてくるから、私らも獄門さんとはしばらくは会ってもいないんだけどねー」


 ケンは鼻を鳴らす。概ね予想通りだったから。


 予定調和のような暴食ヴェルゼブブの連勝は止めらない――だからこそ、同盟を組んで挑むしかなかった。

 暴食ヴェルゼブブの連勝が予定調和なら、自身が予定調和の一部に組み込まれることが最善だとケンは考えた。だからケンはワタルたちの飼いバエとなった。有益な情報を提供する代わりに、颱風ハリケーンの順位の如何に関わらず、ケン個人は優勝した暴食ヴェルゼブブから副賞の一部を得る――対等のパートナーとして。

 だが、ケン個人での諜報活動には限界がある。だからこその同盟だった。あくまで自分が情報を収集しやすいための。


 ケンは、タグリが這いつくばりながら逃げていったショップの奥を眺める。タギルの姿も消えてどれくらい経つだろうか。眺めながらケンはさめざめと溜息を吐いた。舞台の裏で苦心し、表舞台で取り繕ってきたケンにすれば、タグリの途中退場リタイアは痛い。颱風ハリケーンというチームを取り繕うことすら難しくなった。だがそれ以前に――


「前のレース、どうしてハギトをやった? ハギトにしろタグリにしろ、潰すのはしばらく先の予定だったろうが」


 苛立ちを露わにしてケンは言った。

 対してワタルは悪びれもせずに、


「ゴメーン。いろいろ予定が狂っちゃってさ。ハギトに関してはゴール前に立ちはだかったタギルに、勝てないと分かった上で玉砕覚悟のタッチダウン決めに来た手前、コッチも手は抜けないだろ? タグリに関してはまあ……」


 後半をミチルが引き取る。毛先まで綺麗なピンクプラチナのロングヘアー、白いブラウスのバルーンを重ねた袖はふんわりと広がる羽のよう。天使の如き佇まいと笑み。だとして銃身を撫でながら紡がれたのは舐め切った言葉。


「頭の悪いビッチキャラ♀ がさっさと処分されんのはゾンビモノの鉄則でしょー♪」


 ケンは舌打ちする。

 コイツらは頭の悪い快楽主義者と同じだ――それがケンの結論だった。自分たちが楽しむためには骨身を惜しまないが短絡的で飽き性。大局なんて見えていない。賢ぶっているワタルにしたって短期的な勝利を築くことは出来ても、長い目でスパルタン・Zをしていくことは出来ないだろう。

 だからこそ、最適解は既に導き出していた。

 在庫管理人ストックマネージャーこと獄門なる男の真意は他にある、とケンは睨んでいる。スパルタン・Zですらが本当の目的の前段階に過ぎないと。だからこれは取っ掛かりに過ぎない。獄門に必要な人材は暴食ヴェルゼブブではなく自分だと認めさせるための。そしていつか自分が暴食ヴェルゼブブに取って代わるのだ。在庫管理人ストックマネージャーの真のパートナーとして。


「それで、これからどうするつもりだ?」


 頭の悪い連中が思い描く杜撰ずさんな計画を想像しつつも、おくびにも出さずケンは訊いた。

 ワタルは気もない様子で返す。「どうするって何が?」

 苛立ちを嚙み殺してケンは説明する。


「レースに参加してないお前らが優勝するってのは無理がある話だろう。今回ばかりは颱風ハリケーンが優勝したってことにすれば、お前らの不正もごまかせて一石二鳥だったが、颱風ウチのポイントアタッカーはたったいま、お前らが処分しちまった」


 なんだそんなことか、とワタルはにっこりと笑う。


「そんなの、タグリの死体から腕章引っぺがしてケンちゃんが付けてゴールしたことにすればいいだけじゃん」


 ケンも最初からそれくらいは理解している。だから、あえて解をワタルが答えるよう誘導した。花を持たせてやったのだ。賢い暴食ヴェルゼブブのリーダーというポジションを守ってやることも、相互のWin‐Winの関係性を維持するためには必要だった。今はまだ。


 だが――。


「ま、そんなこと。もうどうだっていいけどね」


 笑みを浮かべたままでワタルは言った。隣では微笑を絶やさぬミチルが短機関銃の銃身を撫で続けている。ペットでも愛でるように。

 ケンは鼻息荒く、


「何のつもりだよ、ワタル。こっちはお前らの優位が今後も続くよう考えてやってるっていうのに」


「ケンちゃんも分かんないヤツだなあ。だーからあ、もうそんな、あれこれ考える必要もないっての。こっからは単純にパワーゲームで行くしさ」


 ワタルの返答に、ケンは鼻で笑った。


「そんな簡単にいくわけないだろ? レースの参加者たちの戦略は充実してきてる。このままいけば、お前らが足元を掬われる日も近いぜ? 俺に任せてくれればそんな問題を気にしなくて済むってのにな」


 短絡的とは思っていたが、ここまで愚かだったとは――ケンは微かに呆れつつも、それ以上の愉悦に浸る。やはり暴食ヴェルゼブブには自分という作戦参謀が必要なのだ。ゆえに、完璧なタイミングでカードを切った。


「俺の言い分が聞けないっていうのなら仕方ない。俺は手を切らせてもらう」


 強気で言い切る。昨夜の連中のやり取りを知っていればこそに。スパルタン・Z最強のプレイヤー、タギルの怯えた声を思い出す――俺たちの命運はソイツ次第ということか。

 ワタルとミチルが顔を見合わせる。

 ケンは品定めするように、腕を組んで反応を見守っていた。

 ワタルとミチル、二人時を同じくしての反応が表出する――破顔。

 ワタルが言った。心の底からの笑いを交えて。


「ケンちゃんが手を切る必要はないよ。だって俺の方から首を切るもん」


 ワタルの言っている意味が分からなかった。定まらない思考で、ようやく導きだした答え――それは最初から、最後まで……。

 ケンは戦慄くように言葉を発した。「騙してたのか、お前が……」


「ケンちゃんさあ、俺たちが夜な夜なエレベーターの中よじ登ってたケンちゃんに気付いてないとでも思ってたの? マジで? あんなもん、夜遅くに必死こいて訪ねてきた友達に楽しんでもらうための茶番だってば。なんだっけ? 『関係を立たれれば、俺たちの方が苦境に立たされる』だっけか」


「ふぇっ?」喉元から出たそれは声と形容するにはあまりに曖昧で。当のケンですら自分の発したものとは理解できなかった。思考は完全に麻痺していた。

 目眩がした。踊らされていたのは自分の方だった。最初から、最後まで。そして最後の瞬間に突きつけられたのは現実味のまるでない現実だった――自分は今まさに切り捨てられようとしている。


「実はエレベーターは最初から壊れてなんかいないんだよね」


 ワタルがくだりのボタンを押した。到着の合図とともに、扉が開く。籠の内部のほとんどを巨大な塊が占めている。厚手の布で覆われてはいたが、籠の外へと染み出た屍肉の臭いが広がっていく。


「これこそが真のベルゼブブ。獄門さんからの最終指令ラストオーダーはベルゼブブによるモール内の住民の殲滅。作戦発動の合図は予定外のスパルタン・Zを開催する館内放送。作戦の終了とともに俺たちもこの思い出の地を後にするってわけ」


 言葉も絞り出せない。ケンはただ狼狽することしか出来ない。右も左も、上も下も分からない。自分の足が地に立っているのかどうかすら怪しかった。

 憐れむ素振りもなくミチルは言った。


「可哀そーなことしちゃったねー。ケンちゃんもタグリちゃんと一緒に殺してあげたら良かったのにね☆」


 ミチルは短機関銃の銃身を撫で続ける。卑猥な手つきで。

 全身から力が抜け、ケンは跪く。だが呼吸だけは加速していく。息苦しくなっていく。


「だってー、ケンちゃんはタグリちゃんと相思相愛ソーシソーアイ、イチャコキまくってたもんねー♪」


「そ、そんなんじゃないです!」ようやく絞り出したケンの第一声はそれだった。視線は、時に速く、時にゆっくりと銃身を弄り続けるミチルの細い指に釘づけられていた。アーミージャケットに忍ばせた自作の武器で応戦するなどという選択肢は頭にはない。そんなもの霞んでしまっていた。眼前にあるのは紛れもなく本物の――人を殺すための――兵器だった。


「タグリちゃん推しじゃなかったのー?」意地悪く問うミチルへと、


「俺はっ、俺は最初からミチルさん一筋です!!」


 ケンの即答。必死だった。恥も外聞もなかった。


「怪しいなー? 私のこと、どれだけ愛してるー?」天使のような笑みに、虫けらでも見るような侮蔑の視線。

 命乞いの言葉を。愛の告白を。縋るようにケンは告げた。


「世界で一番愛してますっ!!」

 

 ケンの視界の端に、ガスマスクを嵌めた処刑人の姿が映る。ジップアップされたモッズコートが真っ赤に染まっていた。生地のイエローに映える鮮烈な赤。返り血、まぎれもなくタグリの。右手にぶら下げた回転式のマグナム。左手には戦利品と思わしき――カーボン製の黒色バット。


 ケンを見下ろすミチルは、慈愛に満ちた笑みで言った。


「私はまあどっちでも良いんだけどねっ☆ でも、どっちにしろもう――」


 にっこり笑ったままのワタルが言った。


「――用済みだけどね」 


 悠然と歩いてきた油釜アブラガマタギルが黒バットでケンの側頭部を振りぬいた。

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