第三十話 山吹虎徹――ニルヴァーナ 5
山吹虎徹は観察する――刻刻と変容する修羅場にあっても、場景を写真の切り抜きのようにあまさず認識する。伸びざらした前髪が瞳に刺さっても既に気にはならなかった。
虎徹は忘れない――時に曖昧でも、事実は事実として保管し続ける記憶力は、やがて情報同士を結びつけ裏社会の事情にも通じていった。
命を拾うには十分だった。思考の必要性はない。虎徹に必要なのは行動目的でなく、目的のための手段に過ぎないのだから。
――そしてもうひとつ。虎徹にだけ備わった能力を。
『
元相棒、
そこはクソダメの世界で名前を売るための斡旋所。
『まだそんなことやってんのか?』
瞑想じみた儀式をするたびに歩は笑った。人目をごまかすという理由で強制させたのもまた歩だったが。
半ば無視して、虎徹は対象物に触れる そして同時に理解した。
触れた対象に残る人の意識を読み取る。それが虎徹の能力――『
身体能力も覚悟も人並み以上の歩と、虎徹の能力の相性は抜群だった。同い年のコンビは数えきれない程の
搾取される側としての日々。それは命の軽さを思い知らされる毎日。心が麻痺し、常識も塗りつぶされた頃、歩は言った。
『俺と一緒に行こうぜ』
歩の誘いを、変化という概念が最初から存在しない虎徹は断る。当たり前のように今に留まる。最後に苦笑を浮かべた歩が、虎徹の前からいなくなる。
新しい相棒と組んだ初日、些細なミスで仕事がおしゃかになる。相棒はその場で殺された。辛うじて逃げおおせた虎徹にも後はない。落第者への厳罰を待つだけ。
虎徹の人生は終わった――はずだった。
いつまでたっても虎徹が処分されることはなかった。他にすることもない虎徹は、流されるまま、気づけば探偵未満の何でも屋になっていた。
虎徹は触れた対象に残る人の意識を読み取る。
だから――。
虎徹は
不快だった。そこにあったのは、それぞれの根幹を成す本流に従うだけの意識。正義も悪もなく、疑いもしない。虎徹と同じ存在たち。双子にしても
同じ価値の、異物で形成された空間。
まるで寄木細工だった。
闇鍋だった。
「救いなんて、誰にも、どこにもねえよ」
特別な力を得てなお、自身の為に抗うことすらできない哀れさ。それを思って虎徹は呟く。それすら闇に呑まれて消えると知っているくせに。
巨躯は防戦一方だった。回転の加わった重量級の刃を力づく逸らしながらも、手の回らない銃撃にはスーツの耐性と分厚い筋肉任せで躱す気配すらない。
圧倒的優位に立っているのは双子。しかし決め手に欠けるのも事実。
膠着状態を打破するように、久しぶりのコンクリートに
岩の如く防御に徹していた
反射的に
刹那のやりとりに、しかし虎徹は理解している。張り巡らせた
虎徹は思考しない。思考の必要がない。相手が右を狙う、と分かっていれば左に避ければ良いだけの話。だから虎徹は思考しない。ただ理解している。皮肉にも張り巡らされた
不可視の壁――
巨躯が纏ったスーツの耐性を鑑みれば、筋量の少ない首狙いでも心許ない。斬撃が通る保証がない以上、確実に首が切断出来る状況を作り出す必用があった。
折り重なる
百パーセントの――全体重と回転を載せた――斬撃で首を砕く。双子の計算通りに事は進んだ――
――はずだった。
不可視の網へと振り下ろされた右拳。
巨躯の拳で上がる轟音。六角レンチの根元で噴射される炎。爆撃のような一撃は折り重なる強靭な線維束を引きちぎり、
十字で防御態勢をとる
そしてこの日、初めての言葉。
「
巨躯には似つかわしい重く、低い声。赤い眼光が爛々と輝く。
「
よろめきながら
満身創痍でありながら円月輪を離さぬ右手。念仏のように、「
「悪よ。滅びる宿命よ。我、正義の名のもとに鉄槌を下さん」
宣誓のごとく唱えた。位置を把握しながら歩き、阻む障害は壁の設置部ごと引き抜く。威風堂々とした行進を邪魔する
「むぅー、豚野郎の分際で生意気だゾー」
混沌と化していく空間。ことここにきては逃走という選択肢も当然ありえた。しかし虎徹は思考しない。流れに身を任せることしかできない。革ジャンのポケットからスキットルを取り出してウィスキーを流し込む。そして
「クソッタレ、クソッタレめ」
悪態。自虐的な言葉。虎徹に与えられた仕事は――奪われた銃と金を見つけること。そしてもうひとつ――『双子を仕事がてら東京観光に連れて行くこと』
だから虎徹は自身の役割を全うするため流れに身を任せる。
場を形成する寄木細工の一部となりに。
飛び込んでいく。
闇鍋の中に。
「これで終いか? これだけで終いか?」
防御と同時に突き出される左手。
「悪童ども、悪あがきも大概にしろ。薄汚い屑は黙って道理に従えば良いのだ」
双子の遊戯に付き合っているだけといった余裕の巨躯。もはや時間の問題だ、とでも言うように。
その中で走り出す。思考しない虎徹は、だが観察したことは決して忘れない。
爆発の推進力で巨体は体ごと跳んだ。
刹那の反応は
「
巨人の拳と回転の足りない丸鋸は――
対象の
だが、それで良かった。
化け物どもにとって虎徹など取るに足らない存在。忘れ去られて当然だった。だから蚊帳の外に置かれている現状は、虎徹にすればむしろ都合が良かった。
虎徹は記憶を辿り――双子の攻撃を意に介さない
音もなく巨躯の後方へと忍び寄っていた虎徹が、ダーツの矢を握り締める。そしてその左膝へと突き刺した。
左に握っていたグロッグ。
バランスを崩す間際、巨躯が右拳を振り下ろした。虎徹はズタ布のようになった右手で、
瞬間、フルフェイスで散る火花。
同時に円月輪が垂直に落ちてくる。回転はつけられない。重力によるただの自然落下。それでも
「薄汚い悪童どもが!」
憎悪の言葉を吐きながら
だとして
やがて
砕け、へし折られ、潰された頸椎。出涸らしのチューブ歯磨きのように擦り減った
それを
視線をちらと虎徹によこすと、ばつも悪そうに
「やるじゃん、オッサン。一応、言っとくよ――」
はにかんだような笑み。少年のそんな顔を虎徹は初めて見た。
だがそれすら束の間の出来事だった。虎徹の眼前で、少年の――
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