第二十三話 黒丸リオ――エンチャンター 3


「娘っ、男っ、離れろ!」


 黒く塗りつぶされた廃墟の二階、その窓ガラスを突き破って落ちていく胤光には目もくれず、キラリの挙動は俊敏だった。牡丹の赤で彩られられた黒地の振袖が舞う。

 轟く二発の発砲音。天井からコンクリ素材の破片が崩れ落ちる。

 リオたちに声を掛け終える頃には、キラリの両手には二丁の拳銃が握られていた――


「――って、銃!?」


 二転三転。まるで思考の追いつかないリオを置き去りに、場の空気は変化を続けていく。


「おいおいおいおいぃ、マジかあぁ、お嬢ちゃん!」


 怯みはない。Dと名乗った男のがなり声。愉しくて仕方がないといった――まるで祭りの参加者といった――高揚をぶちまけるように。

 そこに向けて迷いなくキラリは銃口を向けた。Dは動きを止める。それでも爛々と輝く眼光は、隙あらば飛びかかると言わんばかりに。Dが獰猛性を一時潜めた代わりのように、その後方でスキンヘッドのWが身を低くして一歩だけ前に出る。

 迷わずWに向けて左の銃口を向けるキラリ。

 機先を削がれたWの後ろで、寡黙なBはゆっくりと時間をかけるように、薄手の手袋――革製のオープンフィンガーグローブ――を両手に嵌める。握りの感触を確かめながら。

 

 キラリの斜め右、七、八メートル程の距離を置いてD。左十五メートル先にはWとB。銃は二丁、男は三人――完全なる膠着状態。それでも数にモノをいわせてじりじりと詰め寄っていく男たち――二発の弾丸が放たれた後、確実に三人目が仕留められるという自負をチラつかせて。

 キラリも後退せざるを得なくなる。


「娘、男、長くはもたせられんぞ。さっさと逃げよ」


 さがりつつ、キラリが撤退の合図を告げた。

 廃墟内を静寂が包んでいく。聞こえる音といえば、遥か後方のラジオのノイズだけ。場の空気は刻々と冷えていく。まるで歪んだ音が知らせてくれるよう――爆発までのカウントダウンが始まっただけ、と。

 

 動転する頭で、『逃げよ』、という言葉にリオは無理やりに理性を取り戻そうとする――目当てのものは手に入れた……から――右手の小箱を握り締める――荷物をまとめて……ラジオは別に置いていってもいいか……あれ、ルイージはどうなったっけ?

 

 リオの隣には、ボサボサ頭を掻きむしり続ける、憐れなルイージ。頼りないことこの上ない。

 柄シャツに羽織ったジャケット、伸びざらした頭髪。本人なりにはチョイ悪風を意識しているつもりらしいけど、むしろ際立つ貧相さ。まるでこの場にいる誰よりもか弱い生き物であることを証明しているような。

 余裕ぶって蒔苗まきなえだいだい相手に講釈たれてたのは、今からたった二時間ほど前の話だった。

『ユダヤ教の伝承に搭乗する泥人形、『ゴーレム』の胸に書かれているEmethっていうアルファベットのうち、Eの文字を消すと『meth』――つまりは『真実』という意味になってゴーレムは滅びる、っていわれてる……』なんて得意げに。

 その時のルイージが現況を予測できるはずもない。スタイル抜群の美人JKをヘラつきながら新大久保に送り届けて一時間と経たずに、悪夢が訪れるなんて。

 ハヒハヒ言いながら、ボサボサ頭を掻いて、むしって、掻いて、むしって。挙動不審に泳ぎ続ける視線。見るも無残なルイージ。


 それでもリオは、自分以上の茫然自失ぶりにはからずも吹きだしてしまった。

 そしてリオは完全に理性を取り戻す。廃墟の奥、二階の入り口付近をちらと見た後で、


「うちが合図したらキラリちゃんも一緒に逃げて」

 

 なるべくキラリにだけ聞こえるよう小声で言った。

 キラリは余裕もなく、


「お主は何を言っとるのじゃ! お主らなぞ尊が抑えている間でなければ――」


「いいからっ!」


 リオが遮る。多分だいじょうぶ、いや、わたしならきっと出来る――そう言い聞かせて。

 

 じりじりと詰め寄る男たち。

 Dはやる気もないように両手をぶらさげ、けれども瞳には愉悦に浸る色を覗かせながら。Wは身を低くして、分かりやすい程に殺気を籠めたってな険しい表情で。Bといえば、Wの後ろで今度はフットワークの感覚でも確かめるように時々ステップを刻んでいる。


「……ルイージ、準備して」


 唇の動きを悟らせないよう俯きながら呟く。だけどルイージときたら、発狂したみたいな頭のくせに子犬めいた瞳で見てくるから、リオはまた吹きだしてしまう。


(そうだ、うちもルイージもこんなところで死ぬわけにはいかないんだ――)


 リオの頭は冴えていた。


(――瑠花和先生の想いを……いや――)


 リオの口元に浮かんだのは別の意図。


(――騒動のゴタゴタのせいで、うちは新作の正統な評価をまだ知ることが出来ていない)


 普段のBL要素に、今回の新作、イーmethoⅾメソッド・悪の方式にはリオが感銘を受けた流川マコト作品、アントワープ・シンドロームにおける宿敵、通称、花街の魔法使い――尼龍ナイロンを意識した魅力的な悪役ヴィラン作りに力を注いだのだ。それはリオにとって初めての試みだったのだ。


(――それを知るまでは死ねるわけがない!)


 世界がこんなことになってしまっても、結局リオは自分の作品のことばかり考えている。自分自身に苦笑ってしまう。

 リオの頭は冴えきっていた。

 だから、自分なりの情報解析もすでに終わっていた。


 Dはおそらく反射的に動く。それも動物的なまでの絶対的な反射速度で。

 Wもそこまででないにしろおそらく同様な反応を示すはずだ。

 Bは……一番厄介だろう。Bは一応、戦闘態勢を固めた素振りを見せながらも、この『祭り』に積極的に参加しようとはしていない。おそらく現状の変動を客観的に観測しているのだ。沈着冷静に。導かれる推測――


(――彼こそが司令官だ)


 冷徹なる情報管理官は、獣たちの調教師にして、静寂と暴発を掌で転がせる指揮者。


「おいおいおい嬢ちゃん、後がなくなってきたぞお。お前の方から来てくれねえなら、俺の方からブチこんでやるしかねぇぞお」

 

 Dは豪放に笑う。Wはイカツイ風体とは裏腹に生真面目そうににじり寄る。Bは、やっぱり時々ステップを踏みつつも、けれど視線は常に動き続けている。変化、その機微すら見落とさないように。三位一体、といった風を装いつつも、その視点は枠の外に在る。

 

 ゆえにリオの結論――


(――DとWは奇襲的に騙せても、Bを騙すことは出来ない)


 だから。


「……キラリちゃん、もうすぐが駆けつけるから」


 キラリにだけ聞こえるように小声で話した。


「うちを信じて」


 そしてリオは右手を高く上げる。もちろん小箱を握り締めながら。


「あんたらの欲しいのはこれだろ。渡すから、ねえ、頼むよぉ、見逃してくださいぃ。お願い、お願いしますぅ。お願いしますからぁ、なんでもしますからぁ、良い子になりますからぁ、殺さないでくださいぃぃ」


 憐れな声を上げる。やる気満々の男たちから興がほんの僅かに削がれるのを肌で感じる。そして相手の信じる、信じないを確認する暇も必要性もなく――

 

 ――小箱を放り投げた。

 

 見事な放物線を描いた小箱は、Bの頭上へと落下していく。

 その瞬間だった。


『動くなっ! 警察だ!!』


 廃墟の奥、二階の入り口付近から声が響く。

 声に反応したBは掴み損ねる。その頭上を通り過ぎた小箱が床に転がる。

 リオはルイージの右手を掴んで駆け出す。


「娘よ、無事を祈っておるぞ」

 

 男たちに背を向ける間際、窓の外へと跳躍するキラリの声が確かに聞こえた。マントみたいに着物を翻すさまは、男たちの注意を少しでも惹きつけてくれているようにも映った。

 リオは後ろを振り返る余裕なんてなく、駆けた。二階入り口とは逆の非常口を目指して。それでも後方からの警察の声に、男たちが確実に不意をつかれたのを肌身で感じていた。

 いまはもう思考は置き去りにして、ただ駆け続けていた。


 非常階段まで辿り着いた時、機械――十年物のラジオ――が破壊される音が聞こえた。

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