第二十四話 黒丸リオ――エンチャンター 4
「なにがどうして、どうなってんだよ?」
階段を駆け下りて飛び乗ったライトバン、まだ呼吸の整わないルイージがそう言った。
「なんだろね、『奇跡』でも起きたんじゃないの」
リオはぼんやりとそんなことを答えた。
窓の外の景色は、ルイージの心情を写し取るように結構な速さで流れていく。それをなんとなく眺めながら、リオは一人呟く――本当は最初分かっていたことだけどね、と
●
始まりは中学時代の黒歴史、くだんの怪談大会。
参加する前から乗り気でなかったリオは、玄関を出る瞬間に見えた幻惑的な映像――光の輪っか――に完全に乗り気というものを失った。それがつまりは悪いことの起こる兆しに思えたのだ。
そして兆しの通りに悪いことが起こった。ラジオから流れ出たのは、女の悲痛な叫び――ユルシテ。
橙にも話してはいない。だけどそれ以降、そんなことは結構あったのだ。ラジオとBL漫画が心の支えだというのに、引き籠った先にも安らぎがないなんて、そんなひどいことがあっていいのだろうか?
と、なればおのずとラジオは遠ざけるようになった。やがてリオの支えはBL漫画だけになった。どうせ同人だろと言われればそれまでだが、BL作家としての船出はまずまずだったとリオは思っている。なのにそんな矢先に今度はゴーレム事件だ。
神はわたしから支えという支えを奪う気でおられるのか、と自暴自棄にもなった。なんのための試練なのかリオにはさっぱりだったからだ。
傷心のリオは思ったものだ。そんなのは敬虔な宗教の徒がおイタでもしたときに――例えば仏僧徒が後家に手を出した、とかのときにでも――取っておけば良いのに、と。まあ、そんな不届きなヤツぁいないだろうとしても、だ。
しかしそんなある日、リオは気がついてしまった。
きっかけはルイージが悲鳴をあげて喜ぶ『Emeth』の文字だった。
目にするのも癪にも障るその文字。だけどその文字にリオは見覚えがあった。なんのことはない――
新作出版記念イベントのことを思い出す。
あの日、新作の主人公が異世界に飛ばされた先で通う魔法学校の制服(学ラン風)に身を包んで、リオは売り子に勤しんでいた。もちろんただの売り子じゃない。作品を売る傍ら、ファンとの交流にも勤しんでもいた。
だがひとつ問題があった。作品の主人公は二人。もう一人分の学生風衣装も用意していたのに、約束していたレイヤーの女の子に別の予定が入ってしまったのだ。いくら困ってはいてもルイージに着せて作品の世界観を台無しにされてもらうわけにはいかない。
ということで、苦肉の策でルイージに準備させたのがマネキン人形だった。
万全とはいえないながら、平積みされた同人誌の隣に学生風の衣装で着飾らせたマネキン人形を立たせて、リオは新作――
そして世界がこんなことになってしまっても、結局リオは自分の作品のことばかり考えている。
そう。ゴーレム事件なんて最初からなかった。
リオの強い願いや思いが付加されたマネキン人形が、E:methodの宣伝をしようとして、そして途中で力尽きたのだろう――Emeth、と書いたところで。
いまにして思えば、ラジオにしたっておどろどろしい言葉ばかりではなかった。それはきっと、その時リオが強く思っていた心の声が電波放送に乗っかっただけのことに過ぎなかったのだ。
中二の夏、リオは怪談大会にまったく乗り気ではなかった。それもそのはず、リオのストックに盛り上がりそうなホラー系なんてなかったから。
なのに順番が回ってきたリオに周囲は期待の視線を寄越す。橙に悪気はない。『リオって絵ぇ描くの上手だなぁ』――と純粋に感動する彼女は、他意もなく「リオの話って面白いんだぜ」と前置きした上でリオにバトンを繋いだ。
当然リオに皆を満足させられるような怪談噺はない。だから内心で思った。
(無理無理無理、ムリだって。もう――)
――
なんにせよ、大した力でないのは確か。橙の妖精写真とおんなじ。言葉にすれば簡単な文章だけ、文字にすれば五文字で力尽きる、そんな力なんて。
●
「……それでも、ないよりあっただけマシか」
リオはひとり呟く。そして今ある生に安堵する。
「ま、苦労して見つけたってのにお宝は失っちまったわけだが、命があるだけ儲けもん、てか」
ハンドルを握るルイージが、残念さを覗かせるでもなくそう言った。車窓からの風景は今までに比べ、ゆっくりと流れていた。それがそのままルイージの心情を表している――危機は去った、と。
リオがルームミラーで後方を確認する。連中は大型のRV車を所有していたはずだ。このライトバンとでは勝負にもならないだろう。しかし不思議なことに連中が追ってくる気配はなかった。
なので。
「宝物なんてとっくに見つけてたけど」
リオは流れる景色へと視線を移すと、興味もなさそうに呟いた。
「は?」
ルイージは助手席のリオをガン見。車体が蛇行する。
「ちゃんと前見て運転してよ。でもまあ、ここらまで来たら大丈夫でしょ。ルイージ、車止めて」
ライトバンはのろのろと路肩に寄る。無人となったコンビニの駐車場に乗り入れた。気づけば新荒川大橋を越えていた。廃墟からは四キロ以上離れている。
後方に怪しい車が来ていないか一応確認して、リオたちは車を降りた。
二人して後部座席に乗り込む。外された座席の代わりに、畳まれたパイプ椅子としつらわれた棚、その上にはパソコンが二台とプリンターやらの各機器。ケーサツの秘密車両にも似たルイージのプライベートルーム。
リオが起動させると、パソコンはフリーWi-Fiにログインし自動的にネットワークに繋がった。
いつも通りならトップに現われる画像は、テートソーマの広報、みんなのミヒナンこと
トレードマークとなったロングの髪をハーフアップにした美雛の画像ももちろんあったが、それはサイドの小さなコマにあるだけだった。その下にテートソーマの散布した抗ウィルス剤の副反応について発信するウィルス学の専門家や所在も不明な有象無象の画像が並ぶ。
テートソーマの顔たる粟津美雛と彼らとの連日のやりとりは周知の事実だったが、今の時間帯のトップニュースとして大々的に映るのは見たこともない中年の顔だった。
表示された検索エンジンのトップニュースは、『
中年の正体は新たに就任した復興省の担当大臣ということらしい。午前中までのミヒナンフィーバーが嘘のように、人々の興味は政府の一挙一動に移りつつあるのかもしれない。世の中がどうであれ、興味の対象や流行の移り変わりの速さは相変わらず。時代は進み続けていく。変化に追いついていけなければ取り残されてしまう。
ルイージはやるせなさそうに、
「副次的災害で機能を果たせなくなった都市圏を捨てて、地方に集団疎開でもさせる気か? その次はなんだ? 植民地計画に遷都か? まるで戦時中だな。大義名分をもって政治屋や金持ちどもが逃げ出すには好都合ってわけだ。そのうち、この捨て去られる首都は魔都・トウキョウなんて呼ばれるようになんのかね?」
どういう形であれ、世界は変わっていく。
「うちは変わらぬものを求めたのかもしれない」
リオの呟きはルイージには聞こえない。心情は顔に出さず、瑠花和マコトのホームページを開いた。
「瑠花和先生のホームページ、最終更新のカキコミ、そこに記されたメッセージ『サガシテミロ ワタシノスベテヲソコニオイテキタ』そしてヒント、『人魚』の文字と北緯35度51分25秒、東経139度38分56秒」
どこぞの海賊王か――などとルイージが瑠花和マコトを冒涜する前にリオは話を続ける。
「『人魚』はおそらく名義を変えた新生瑠花和マコトの新たなモチーフを意味してるはず。そしてその経緯度が示す場所は埼玉。埼玉で瑠花和先生に所以のある場所といえば、学生時代に通い詰めた浦和の喫茶店。マコニストにとってはあまりにも有名な聖地の壁の一角でうちらは第二のヒントを見つけた。それは壁にちっちゃく刻まれた『アネモネ』の文字と新たな経緯度、北緯35度36分17秒、東経140度07分24秒」
ルイージが継いだ。
「俺たちは次の場所、千葉の瑠花和マコト由来の地で第三のヒントに行きついた。新人時代に住んでたらしい1DKのアパート、その自転車置き場の柱にマジック書きされた『アネモネ』の文字と経緯度、北緯35度26分52秒、東経139度38分33秒」
リオが頷く。
「経緯度の場所、神奈川県。ようやく独り立ちできた瑠花和先生は武蔵小杉にマンションを借りていた。ここまでは漏れなく聖地巡礼、知り得ていて当然の知識。マコニストならば辿り着けるはず。マンションの外壁を巡ったら予定調和の如くに新たなヒント、『群青色』の文字と経緯度、北緯35度41分22秒、東経139度41分30秒。つまりは東京」
リオは起動させたパソコンで流川マコトのホームページ――『Rolle:Lie――』へと飛んだ。新しいカキコミはなし。三か月前で止まったまま。
「そしてようやく見つけたわけだろ? そのBL界の大御所の宝物ってヤツを。宝って割には小さすぎる入れもんだったけどな。ま、それも今となっちゃ何が入ってたかも分からんわけだが、よ」
瑠花和マコト先生は作家歴十年くらい、大御所というのはどうかと思うけど――リオはそんなことを考えつつ、
「最後の場所、東京に関しては場所の特定は出来ないはずだった。瑠花和先生が、自分が今住んでいる場所をサイトに曝すことなんてなければ」
ブログの項目をクリックする。三か月前に最終更新された画像には赤羽の――今と違い立派な外観の――マンションが写っている。コメントには『高層階からの眺望より、二階くらいの眺めで私には丁度よかった』と記されていた。
「最後に投稿した時点で、瑠花和先生はそのマンションにはもう戻らないと決めていた。だからこそ、最後のヒントを残した自分の部屋を人目に晒したんだと思う」
ルイージが口を尖らせる。
「いやいや、それはそうだとしてよ。世界がこんな風になっちまってマンションが廃墟と化していなかったら、そもそも俺たちがあのマンションに入れることはなかったんだぜ。最初っから大先生は宝を渡す気なんてなかったんじゃねーの?」
リオはルイージを見るでもなく言った。
「もし瑠花和先生が、世界はこうなると知っていたなら?」
ルイージは絶句する。だがリオはそれ以上続けない。瑠花和マコトがその時何を考えていたのか、何をしたのか、それを突き詰めても得られるものなど何もないと理解していたから。
だから代わりの言葉を紡ぐ。瑠花和マコトに対するリオなりの推測などではなく、リオとルイージを繋ぐ現実への解答を。
「赤羽のマンションにあった小箱。中に入ってるのは多分、メモとかの類。書かれているのは最後のヒント。おそらく、というか確実に、『二つの塔』の文字と北緯35度51分25秒、東経139度38分56秒――埼玉を示す経緯度」
目を丸くするルイージ。
「お前、あのさなかに箱の中身が見えたのか?」
「見える訳ないでしょ、鍵も掛かってたし」溜息がちに小馬鹿にしながら、プリンターを起動させる。
「あのね、『人魚』が新生瑠花和マコトのモチーフかどうかは推測に過ぎないけど、『アネモネ』『群青色』『二つの塔』っていうのはマコニストにとっては常識、流川作品の三大モチーフってわけ」
ふてくされたようにルイージが継ぐ。
「つったって、経緯度が示す場所が埼玉ってお前、それって最初のヒントと同じじゃねえかよ。なんだよ、その振り出しに戻っての無限ループ的な理不尽はよ」
リオはそんなルイージを無視するように、マウスをクリックしていく。ガタガタ音を鳴らして、プリンターはホームページの画面をカラー印刷していく。
「Rolle:Lie――当て字の
ディスプレイには白い背景に群青色でタイトル文字が記されている。
「瑠花和先生のホームページはタイトル含めて全四ページで構成されてる。それもA4サイズで収まる程度のコンパクトさ。コメントも掲示板も古い物からブツ切りに消去されていくさまは、まるでそのサイズを維持するためのような頑なさ」
リオは印刷された四枚を空いていた棚のスペースに並べる。そして二枚目の右下の端を指さす。不自然に縦書きにされたタイトル文字。真ん中のeの文字は金色に輝いている。
「このeを中心、経緯度ゼロの、つまりは国際本初子午線、グリニッジ天文台と見立てた場合、最初のヒント、北緯35度51分25秒、東経139度38分56秒はどこに当たると思う?」
「だから、それは最初に行った埼玉の喫茶店……」
ようやくルイージも気がついたらしい。
「そうか、ホームページをまんま世界地図に見立てるってことか!」
「そゆこと。だから、あとは……ね、分かるでしょ」
やや前かがみになって、上目遣い。ちょっと女を出してやる。リオなりのあざとかわいい感じを狙って。が、ルイージはいまいちノリが悪い。
「つったって、リオ、当たりを付けるだけでも……」
「ググれっ」
しのごの言うルイージを結局のところ恫喝して、やる気を引き出す。せっかく使ってやったとっておきの女子力に、損した気分で。
ホームページを映してない方のパソコンが立ち上がり、マップで位置を割り出させる。
「おそらくこの辺」というルイージに、リオの即答「クリックしまくれ」
瑠花和マコトのホームページ上でせわしなく動く矢印、そしてポチポチ繰り返されるクリック音。やがて画面が一瞬赤く発光する。
「なんも変わらんけど」
冷めた目で見てくるルイージに「次のヒントの位置、ググれ」
再びポチポチ始めるルイージ。それを眺めながら、リオは正直なところ複雑な気分だった。
二つ目のヒントを手に入れた時、リオはなんとなくこのカラクリに気づいてはいた。つまりは遠回りを続けていたわけだ。理由は簡単。リオはただ瑠花和マコトの痕跡に触れるだけで、満足だったから。
瑠花和先生のメッセージ――『サガシテミロ ワタシノスベテヲソコニオイテキタ』。
それが書かれたのは今回の発症騒動が起こるよりも前のこと。
リオは怖かったのだ――そこにあるのは多分、宝物なんかじゃない。それはきっと瑠華輪マコトの真実を知るということ。つまりは彼女が休載に入った理由を知るということ。リオにとって瑠華輪マコトは神にも等しい。彼女は常に神秘的な立ち位置にいて、過去の痕跡を提示することはあっても、
覚悟なんて出来てなかった。
(それが休載などじゃなく引退じみた真実だとしたら、うちにとっては世界がこんなふうになった以上に絶望でしかない)
画面が二度目の赤い発光を灯す。そしてルイージが最後の力を振り絞って、腱鞘炎覚悟でポチポチ始める。
もはや執念とも思える表情でうおおお、と叫び出すルイージ。
そして。
「ツーコントローラーアタックぅ!」
必殺技まで飛び出した――て、それってツーコンの一撃ってこと?
「うちも大概だけど……あんたには負けるわ」
いまでこそ『痛恨の一撃』って常識だけどね――不覚にもリオは吹き出す。
「てか、やっぱり。あんたは正真正銘、うちの
いつの間にか、覚悟も絶望もどっかに一緒に吹き飛んで。
ホームページの画面、真白だったそれが真っ赤に変化していく。
現れたのは二つのファイル。そのひとつをクリックする。
リオとルイージが覗き込む。
そこに記されていたもの――真実。
だけどそれは瑠華輪マコトの、じゃなくて、世界の。
「ルイージ、こ、これってどういうことよ」
「俺が知るかよ」
ルイージの声も上ずっている。
次々と開いていくウィンドウ。まるで増殖するように出現する画像データ。それを大急ぎで写メっていく。
「とりあえずうちは知り合い中にラインで一斉送信しとくから、あんた、そのファイル、コピっといて」
リオが指示を終えた瞬間だった。
ふたつ目のファイルを開こうとしたルイージが、あっ、と声を上げる。
真っ赤な画面は端の方から変色を始める。
赤から黒に。
徐々に、だけども加速度的に。
やがて。
完全な漆黒に塗りつぶされる。
瑠花和マコトの残したすべては、闇に呑まれて消えた。
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