第十九話 粕宵深弥――ミッドナイト 2


 隣の水は甘いはずで、手のなる方へやってきたつもりが、気づいたときには既に手遅れ。いつのまにやら粘着シートで捕らえられていた虫の心情。見た目は面白味もなく狭い事務室といった内装に、ブラック企業顔負けの殺伐感。まるで雑居房。


 暦の上では大安吉日。そこへやってきたのが深弥だった。

 コミュ障の深弥は精一杯に媚びへつらった愛想笑いを浮かべながら、


「すいません、ぼく、どうやら間違った所に来ちゃったみたいで」


 言い終える前に回れ右。だけど駆けだそうとした瞬間、襟首を掴まれる。


「間違ってねーっつーのー」


 お姉さんは馬鹿力。そして深弥は力任せに引き倒される。


「ここは間違いなく、君ぃがアポまで取ってやってきた希望通りの配属先、動物愛護の為なら実力行使かて辞せへんリフレクティア、その実働部隊がひとつ第十三課や。十三枚目の札ザ・デスでも十三使徒イスカリオテでも好きなように呼んでもらって構へんよぉ」


 ひっくり返った深弥の後頭部でのんきな関西弁が聞こえた。


「でぇ、新入り。君ぃの名前はぁ?」


 深弥はそのままの姿勢で答えた。


「か、粕宵かしとあ深弥しんやです」


 お姉さんが深弥の顔を覗き込む。両耳に合わせて六つのピアス。鼻の上にも小さなピアスがあった。真紅の石で飾りつつも、化粧気のない薄い唇でお姉さんは告げた。


「しんや、かー。じゃあ今日からお前の呼び名コードネームは『深夜ミッドナイト』、な」


 しょーじき呼び名なんてそんなもんや、と言ったのは十三課リーダーのC‐4だった。

 ごま塩頭に牛乳瓶の底みたいな眼鏡かけた『C‐4シーフォー』。本名を中長ちゅうちょう朝吉ちょうきち。名前をアルファベット表記にするとCが四つあるから、そんな安直な理由が呼び名の由来だった。

 それはおなじく田辺蛍が本名の『F・Fファイア・フライ』にも言えることで。要は仲間内で呼び合える記号なら何でも良いってことらしい。


 いつだったか、スタンガン片手にF・Fが言っていた。


「おれはさー、ホントはウシトラ解放戦線って組織トコに入りたかったんだよー。ウチが長年研磨してきた対人戦闘技術が活かせるってったら、テロリズムの向こう側くらいしかないだろー? だけどさ、そこのネット募集が終了してたからさ、動物愛護団体ココで妥協したってわけー」

 

 テロリズムの向こう側に何があるのかなんてもちろん分からないが、志望動機は人それぞれ。だけどキナ臭い所に変わりはない。

 F・FもC‐4も自分の動機が果たせれば良いから、逆にそのキナ臭さがかえって都合が良いらしい。ゆえに呼び名に意味を持たせる必要もない、ということでもあるらしい。


 それでも名は体を表すとかなんとか。後付けながらもC‐4は火薬への造詣や爆弾制作の技術を深めている。

 しかして分かりきってはいたことながら、F・Fに体を表すつもりはないようだ。

 ちなみにその時、F・Fが持っていた独自に電圧を弄った違法な改造スタンガンは、七罪術式スキル・オブ・パーガトリーがひとつ、『色欲の衝撃ラブ・ズッキュン』とのことで……。もっと物騒な呼び名にした方が良いのに――とF・Fのネーミングセンスに対して皆が内心で思っているのはあながち間違いじゃないだろう。


 呼び名というなら、深弥がハルモニア十三課に来たときには、通称『ジェノサイド』なる先輩(深弥より二日)がいたわけだが、彼の姿はいつの間にやら見えなくなった。ひょっとしてテロリズム万歳な先輩方に消されたのでは、などと勘ぐってはみたものの、単純に失踪しただけという結論に至った。

 なにはともあれ深弥に二番を煎じる余地はなし。十三課の人員、ひいては勝手の良い使いパシリを失う訳にはいかなくなったC‐4とF・Fによる深弥への監視は厳しくなった。


 気づけばハルモニアでの軽い軟禁生活も早二か月、両親の願いは半ば叶って引き籠るヒマなんて完璧に失われた頃、ついにその日がやってきた。

 ハルモニア実働部隊の十三課へと三空戯代表が指令を下す――浜松町のとある会社の研究施設で動物への違法な薬物実験が行われている。動物たちを解放せよ。

 そして、任務ミッションは滞りなく進んだ。動物たちを無事解放して、ただ自分たちは解放されていないというだけで。



    ≠



「……いったいぜんたい僕はこんなところで何をしているのだろう」


 深い溜息をひとつ。しゃがみこんで室内に残された缶詰類をかき集める。両手で抱えきれない量の缶詰をバックパックに詰め込んだ。

 自身の頭上で黄緑色の光が点滅しているのに気づく。それはノートパソコンの電源だった。深弥は立ち上がり、スリープモードを解除する。

 三ヶ月前に受信したメールの画面が映し出される。



 機密諜報部がサンプル‐βについて嗅ぎまわっていると社長より連絡があった。諜報部、ひいては経営戦略部顧問の狗神とサンプルの接触については必ず阻止すること。サンプル-αについては諜報部も既にその存在を知るところだが、同様に警戒を怠らないように。これは警備部全体への特命である。データの奪取は即ち、警備部の敗北である。その意味を部員は重く受け止め、業務にあたるように。なお部内で本内容の周知徹底が成された時点で、このメールは抹消すること。

 追記 社長より、社命に従わない創薬研究部ソウケン壊古軒エコノギ主任の抹殺命令が下りている。特務のための処理班を組織する。選別は私自ら行うので部員は心して連絡を待つように。


 警備部長 高遠タカトオ鋭磁エイジ



 深弥は冷めた視線で液晶画面状の文章を眺める。三か月の間メールが放置され続けたという事実が、警備部自体の志気の低さを物語っていた。そこに付け入ったわけでもないが、結果論として深弥たちの任務ミッションは円滑に運んだ。

 ここの警備部が優秀で手強かったのなら、侵入すら叶わなかったかもしれない。別の未来を想像して深弥は深々と溜息をついた。

 気もなくデスクの引き出しに手をかける。鍵付きのはずのそれは呆気なく開かれる。中には『重要』と書かれた小箱。それすら抵抗一つなくふたが開く。まるでずさんな管理だった。

 一番上に置かれた封筒を手に取った。出版社宛の封筒は封が開いている。中から一枚の便箋を取り出す。


『少年のような瞳で壊古軒エコノギ十一トーイは『混沌』を求めた。反して社長が求めたのは『秩序』だった。だがそのどちらもが狂っていることに変わりはない。詳細はUSBメモリを見れば分かる。見れば私の言葉の意味が分かる』


 研究所員が書いたと思われる手紙。しかしひっくり返した封筒を振ってみたところで肝心のUSBメモリは入っていなかった。

 深弥は引き出しをさらに物色しようか迷う。


 ――と、まさにその時だった。


 部屋の嵌めこみ窓がガタガタと激しく揺れた。

 慌てて深弥はノートパソコンを閉じる。隙間からはブルーライトが漏れ出ていた。それを気にしている暇など当然なく、窓の死角へと体を滑り込ませる。手紙はバックパックのサイドポケットに押し込んだ。

 頭上で、人とも動物とも知れぬ唸り声が聞こえた。悲鳴を上げそうになる口元を必死で塞ぐ。数時間とも感じられるその数瞬、息を殺して待ち続けた。

 声が遠のくのを確かに感じながら、混乱する脳内で深弥は懸命に考える。とはいっても、とるべき行動なんて既に決まっていたようなものだ。深弥にとっての答えは最初から一つだけだった。


「非常扉の照明を破壊して、闇に紛れるんだ――」

 

 呟く。決意を表明するように。

 あれが警備員なのか巷で話題のゾンビかなんて知る由もない。それがなんであれ、闇に紛れさえすれば利は深弥の方にあった。

 非常扉は、四つ目の部屋を抜けた先、T字の東端にあった。当然、F・Fたちが身を潜める保管庫とは真逆に位置している。

 脂汗で滑る鉄パイプをしっかりと握り直し、深弥はゆっくりと部屋の扉を開けた。

 周囲を確認しながら非常扉を目指す。静寂の中、ぴたりと止んでしまったかのように唸り声は聞こえない。まるでこの階からいなくなってしまったかのように。

 少しだけ緊張が緩む。このままF・Fたちが待つ保管庫へと引き返そうか――なんて後ろ髪を惹かれながらも、深弥は非常扉の方へと向かった。


 神経をすり減らしながら進み、ようやくにして辿り着いた時、深弥は自らの判断ミスに気付き、同時に自分自身を呪った。

 警備員なのか巷で話題のゾンビか――正解はそのどちらも。壁に顔を預けるような姿勢のままで、微動だにしない警備員姿のゾンビがそこにいた。

 呻き声ひとつ上げず、ともすれば寝ているのではとさえ思える姿。とはいえ今の深弥には、連中の習性を発見したと喜ぶ余裕も、眠っているからと安堵できる余裕なんてもちろんない。

 非常扉から少し離れた壁にもたれる歩行死者リビングデッド。緑色の明滅に土気色の肌がなおさら色悪く浮かんでは消える。呻き声ひとつ上げず、ともすれば寝ているのではとさえ思える姿。とはいえ今の深弥には、連中の習性を発見したと喜ぶ余裕も、眠っているからと安堵できる余裕なんてもちろんない。

 東南の部屋と部屋の間で、退くも進むも出来ずにいる深弥。途方に暮れかけたその時、唐突に非常口の扉が開いた。


「てか、ガチやべェじゃん。マジでゾンビいんじゃん」


 薄闇の中へと踏み込んできた人物。その声に急かされるように、深弥は部屋の角に身を隠した。非常口からは死角となるそこにしゃがみ込む。気配を殺して正体を探った。

 非常扉を抜け、薄闇の中へと入ってきたのは若い女だった。僅かな光源でも目立つ派手な格好。翠玉エメラルドのミニワンピースはスパンコールがあしらわれ、薄闇の中でもキラキラと輝いている。ぱっくりと開いた胸元からはパイソン柄のブラが覗いていた。細い生足に絡みつく白い剣闘士グラディエーターサンダル。カラコンらしき真紅の瞳。


「エグくネ? 閃虚セロサマ、興奮しすぎて死んじまうんじゃネ?」


 透き通った白い肌に、くすんだ金髪のウルフヘアー。舌をチロチロと出しながら、女は意地悪そうに笑った。

 

「あ、あのぉ、白檀ビャクダンさまぁ……」


 後ろから新たな声が加わる。付き従うようにして控えていたのは二人の女だった。共に長い黒髪と化粧っ気もない顔立ち。派手な女とは正反対のように地味な身なりをしている。

 懇願するように続けたのは、ブラウスにベージュのカーディガンを重ね、グレーのロングスカートを履いた女だった。どこか図書館の司書を連想させる。気の弱そうな彼女はおずおずと、


「そのぅ、宜しければ、宜しければでいいんですがぁ……」


 三つ編みのおさげが揺れていた。結局、彼女は勇気を出しきれなかったかのように言い淀んだ。白檀と呼んだ派手な女よりは年長と思われたが、まるで引っ込み思案な少女みたいに顔色を窺っている。それでも白檀を見つめる瞳は異様に輝いていた。

 その隣に立つ女が生唾を飲む音がはっきりと聞こえた。ブラウスに黒のタイトスカート。

ストッキングを履いた両足は短いヒールのパンプスに収まっている。下ろしたストレートの黒髪と細いフレームの眼鏡。倉庫に資料でも取りに来たかのようないでたちにも、こちらも眼鏡の奥の瞳は興奮の色に満ちている。


「わたっ、わたしっ、白檀さまに少しでも近づきたいんですっ!」


 派手目な女生徒を叱る女教師といった構図に、まるで逆転した関係性。眼鏡の女は言い終えて俯く。耳まで真っ赤にしていた。体の前で絡めた両手の指を忙しなく動かしつつ、上目づかいで白檀の様子を窺う。


「私も、いえっ、私の方が強く思っていますっ!」


 弾かれたように三つ編みの女も叫んだ。両目をぎゅっと瞑ったままで。二人の女の宣言はどこか告白にも似ていた。とはいえ歪んだ三角関係の。

 間もなく目を開けた三つ編みの女と、眼鏡の女が一瞬だけ睨み合う。まるで恋敵でも見るように。しかしそれも束の間、二人の女は内に籠った熱を抑えきれないように、もじもじと身を捩り始める。睨み合っていたはずの両者の瞳がとろんとしたものに変わっていた。二人の息遣いは徐々に強く、荒くなっていく。

 白檀は呆れながら言った。


「なに? 礼降ライブラ救潤スクウルも、あんなモンが食いたいってえの? うへぇ、あーしは御免だけど。ま、いんじゃネ」


 頬を上気させた二人の女が潤めがちの瞳で「ありがとうございますぅ」とハモってみせた。二人の女の顔をしっかりと捉えた深弥がヒッと悲鳴を上げそうになる。二人の額には、見開いた『瞳』の模様が刻まれてあった。アーモンドの形に六重の輪で形成された黒目部分。睫毛までリアルに描かれている。それがシールであれなんであれ悪趣味なものであることに変わりない。


「かわいいアンタらのために、あーしがひと肌脱いで上げっからァ。離れときなヨ」


 白檀と呼ばれた女が前に出る。従えた二人の女より頭一つ分は小柄で華奢な体躯。反応するように仮眠中だった警備員姿のゾンビが覚醒する。

 言われた通り、司書風と教師風の二人の女が引き下がった。壁を背にした体育座りで白檀の一挙手一投足を見守る。隠し切れない昂揚感。両足が不規則にリズムを刻む。

 呻き声を上げながら迫るゾンビにも白檀は余裕の表情で、グラディエーターサンダルの踵を鳴らしただけだった。カツンというヒールの音が消えていったあとで、白檀は呟く。


「ふーん」


 そして白檀は上半身を沈めながら、右足を高く振り上げた。柔軟な姿勢にも支点の左足は微動だにしていない。ピタリと天を突く右足、そこに絡みついたサンダルがほつれるや形状を変えた。一瞬のうちに解け、サンダルを構成していた繊維が織り直される。踵から直接生えた白く長い突起へと。天井にも届く長さのそれを掲げたまま、白檀は舞う。支点を軸にした回転。まるで新体操の演目。踵から生えたそれが白檀の動きに併せて鞭のようにしなった。白檀を起点に衝撃が波となってつむじに広がる。


終幕フィナーレ


 静寂に包まれる薄闇の中、白檀の声だけが聞こえた。

 ゾンビが演技を終えた白檀の横を通り過ぎていった。バレエの片足回転ピケ・ターンのように回った白檀の右足で白い突起がサンダルへと再構築されていく。糸の切れるが如くゾンビの体は前のめりに倒れて。遅れて首から切断された頭部が床に転がった。

 うわあ、と二人の女が歓声を上げる。どちらもが自分の為だけの特別な行為と信じて疑わない恍惚の表情。二人の視線は白檀へと釘付けられていた。

 白檀は期待に応えるように振り返ると、チロと舌を覗かせながら蠱惑的に笑う。


「いっぱい食べれた方に沢山いいことしてあげるヨ」


 一瞬だけ見合わせた司書風と教師風。礼降と救潤は目の色を変えて駆け出していった。背中から取り出したのはコンパクトサイズの薪割り用の手斧。ゾンビの体へと飛び付いていく。振り下ろされる手斧での手慣れた解体作業は、クリスマスのチキンでも食べやすくするようだった。

 深弥は吐き気を覚える。口元をぐっと両手で押さえた。

 二人の女が屍肉をがっつき始めるのを眺めて、


「頭は閃虚サマに取っときなヨォ」


 白檀は呆れ気味に言った。パーティーの輪に加わることなく、一人舞台のタップダンサーのように踵を鳴らす。やがて開脚した両足でふわりと跳躍した。タップダンスからのバレエ。白檀は深弥の隠れる部屋の角の方へと優雅に舞った。

 着地した左足を軸に片足回転ピケ・ターン。膝を曲げたままの右足、そこに絡みつくサンダルが回転とともに形状を変えた。と、思った次の瞬間、


「ヒィッ」


 声に出して悲鳴を上げた深弥。左頬すれすれを刃が通過していた。尻もちをつくように部屋の角から深弥は転げ出る。


「おつゥ、必死にコソコソ隠れてご苦労さん♪」


 曲げた状態の膝で壁を踏み鳴らされた右足。その踵から生えた細身の刃――サーベル。豆腐でも切るように、部屋の角、直角を形成する辺と辺に当たる壁を容易くを貫いていた。


反響定位エコーロケーションって聞いたことあっかァ? あーしの特別製の『耳』によれば、ここらにゃゾンビ以外じゃキミ一人しかいねーってのはバレバレなんだヨ。ワンチャンとかねーかァ、小細工とかメンドくせェマネすんなよォ」


 右膝の上に乗せた右肘。軽く首を傾けて深弥を見下ろす白檀。真紅の瞳で嘲笑う。睥睨へいがんじみた所作。

 深弥の瞳ははっきりと白檀の姿を捉える。ウルフヘアーのくすんだ金髪はパーティー明けの朝帰りのように毛先が乱れていた。両の太ももはあけすけに開きっぱなし。丈の短いスカートはめくり上がり、丸見えになっているパイソン柄の下着。そして右太ももの内腿に四つ並んだ――開いて、閉じて、半目に三白眼――瞳の彫りタトゥー


「あーしは白檀。六識深滔リクシキシントウ泥眼デイガンってサークル? みてーなトコで第四深層ってのやらされてる。で、キミは誰サ? こんなトコに籠って何してたァ? ひとりでナニでもシゴいちゃってたかァ?」


 白檀の問いに深弥は何も答えられない。ただ唇を震わせことしかできない。

 白檀はつまらなそうに嘆息する。返答のない対話自体を無視して、話を続けた。


「あーしらは『元・ゾンビ』ってヤツだ。ま、あーしらのボスは『元・天使』ってワードを使いたがっけどナ。で、ボスいわく、『素晴らしきあの頃に戻るためには、あの頃の習慣を続けなきゃならない』ってゆんだよネ。『六識リクシキ』へと至る『深化シンカ』の道かなんか知らんけど、何が悲しくてクソマズイ人肉なんか食わなきゃなんねーのヨ……とは思うけどサ、相手は地上最強の生物、そんなボスに出会っちまった以上、元・ゾンビは食う側に回るか、食われる側に回るかの二択しかねーからサァ」


 金髪を掻き上げながら天井を見上げる。それはもはや独り言であり、ただの愚痴だった。

 白檀の言葉を聞きながら、屍肉を貪る二人の女を深弥は呆然として見ている。

 

「キホン元・ゾンビってもフツーの人間と変わんねーシ。生肉食ってた頃の名残で歯と胃が丈夫ってだけでサ。でも稀に他の器官が発達する例もあんだヨ。片鱗持ちって呼ばれるヤツさ。振動レベルの音まで拾えるあーしの特別な耳は人間の感情まで聴覚化できんの。どうイタぶりゃ苦しむかとか、どこをどういじりゃとろけて喜ぶかの把握なんてガチで朝飯前。ついでにいえば発達しすぎて体の外に突き出た『骨』は、自分の意志で密度と形を変えることができんだ。これはまあオマケみたいなモンだけどヨ、エグいだろ? さっきゾンビを真っ二つにしたのは関節で細かく繋いだ蛇腹状。で、いまは密度をメッチャ凝縮して切れ味だけ上げまくってんだヨ」


 独り言から対話へと調子を戻した白檀が再び深弥を見下ろす。だが真紅の瞳はどこか寂しげだった。攻撃的な外見とは裏腹に、目じりの下がった瞳に映した色は驚くほどに優しい。諦観にも似た表情で諭すように続けた。


「あーしはフツーの人間とは違ぇーんだ。それくらい分かるだろ? ガチで攻撃力もテクもキミとは次元が違ぇーんだ。だから、さっさとキミがドコのドイツで何をしてたか――」


 話しかけられた深弥が声の方へと視線を上げる。サーベル状のヒールを突き刺したままの白檀、そのスカートの裾が視界を遮る。面積の小さな下着を繋ぎとめる紐までしっかりと映った。深弥は急いでうつむく。

 白檀は嬉しそうに笑った。


「チェリーくんにゃ刺激強すぎかァ? でもあーしそーいうのガチで嫌いじゃないゾ。ちゃんと答えられたらご褒美――」


 しかし一転して深弥は駆け出した。一度落とした鉄パイプを握り、下を向いたまま、白檀の顔は決して見ずに。


「待てコラ! 失礼だぞ、テメー!」

 

 叫ぶ白檀。壁からサーベルを引き抜いたとき、バランスを崩しよろめく。

 

「がっつくの一旦ストーップ! 礼降、救潤ソイツ止めろォ!」


 口から屍肉を飛び散らせながら、「はいっ、白檀さまっ」二人がハモる。肉片のこびり付いた手斧を振り上げた。

 逃げ出したい衝動に一瞬駆られる、それでも深弥は結局走り続けた――非常口の方へと。

 素人然とした礼降と救潤の大振りを頭を抱えるようにして躱す。

 最後の最後、やはり深弥の選択肢はひとつだけだった。振り回した斧の反動でひっくり返った二人の女が、立ち上がる。逃げるならばフロアの東か南の壁沿いに廊下を駆けるべきだった。白檀と違い、礼降と救潤の身のこなしが重いのは深弥にも分かった。だが、だからこそ深弥は袋小路の非常口を目指した。

 大声を上げながら鉄パイプを叩きつける。非常口を知らせる緑色の案内灯が砕け散った。


 完全な闇に呑みこまれる。


 勢いのまま床を転がる深弥は確かに聞いた。二人の女の罵声を。同時に聞きなれた関西弁も。


「伏せとけっ新入りぃ!」

 

 ピーッ、という甲高い音を響かせて、北側へと延びる廊下の奥から迸る火花。倍以上の火薬を搭載したロケット花火が二人の女の顔面に命中する。

 衝撃で礼降と救潤がのけ反ったまさにその瞬間、炸裂した花火が色鮮やかに閃光する。

 深弥は朦朧としていた。その意識は覚醒と消失を繰り返す。非常灯の明滅のように。

 それでも僅かに咲いた光源の中で、確かに見た。白檀の背後に立つ赤毛の女性を。そして彼女の持つ大型ナイフの刃が白檀の首元へとあてがわれるのを。

 カツンとヒールの音が響いた。


「ッざけんな! ここにゃチェリーしかいねーはず――」


 深淵の中で吐かれた罵言。その声は途切れる。


 深弥が呟いた。


七罪術式スキル・オブ・パーガトリーがひとつ――嫉妬の舌舐りレヴイア・タン


 それは最高峰の無音の術式サイレント・スキル。相手に自身の死すら知覚する暇も与えない程の殺人術。

 両手で押さえても喉から零れる血を止めることはできない。白檀は声にならない呻きを上げながら膝をつく。翠玉エメラルドのミニドレスが血に染まっていった。スパンコールの煌めきも失われていった。白檀の上半身がくず折れ、小刻みに痙攣を繰り返し始める。微かに残った意識は深淵へと引きずり込まれていく。やがて沈黙に支配された闇だけが残った。


「そう……色欲の衝撃ラブ・ズッキュンじゃダメなんだ」

 

 全身の力が抜けていく。その安堵の中で、


嫉妬の舌舐りレヴイア・タンなら、それなら完璧だ……嫉妬の舌舐りレヴイア・タンなら……問題ない」


 深弥の意識も薄れていく。


「新入りぃ、無事かあ?」


 C‐4の声を聞きながら、深弥の意識は完全に深淵の底へと落ちて行った。

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