第十八話 粕宵深弥――ミッドナイト 1


『後ろ来てんぞっ――』


 F・Fが声を張り上げる。

 瞬間、簡易の炸裂弾の明滅と同時に、声。「もう対処したわっ!」

 C‐4の苛立ちを置き去りに、F・Fは既に隣にはいない。


『――切り返すぞ、ミッドナイトー』


 間抜けにもF・Fの意図に乗り遅れる。振り返った時、愛用の大型ナイフ――エリミネイター――を片手にF・Fの姿は闇の中へと消えていく。

 目指すべき背中を見失い、それでも駆けた。

 黒く塗りつぶされた先で罵声――光源を過度に取り込む暗視ゴーグルは炸裂弾の発光でフラッシュアウト。男たちの声の出所を標的に、めったやたらと手にした鉄パイプを振り回す。手ごたえは十分の二。それで充二分。

「援護は!」離れた後方からC‐4の声。

 F・Fの返答は短く、「いらねーっつーの」

 間もなくして男の悲鳴が上がる。一瞬の明滅は、暗中で無策な警備員の威嚇射撃か。何はともあれ集団感染パンデミックしていく混乱。それは自身の持ち場から三メートルほど離れた場所で。F・Fの七罪術式スキル・オブ・パーガトリーがひとつ――嫉妬の舌舐りレヴイア・タン――自称、が発動した結果に間違いない。

 パイプを振り回すしか能はなくとも、十分の一で命中した先で、男の手もとから転げ落ちた黒い塊ドロップアイテム回収ゲット


 しょせん僕らは路地裏の住人。ひっそりと薄暗がりで生きてきた僕たちは、元から夜目がきく方だ。イレギュラーに使用された暗視ゴーグルなんかより、ずっと。


 いつの間にか、闇に眼は慣れていた。


 深弥がF・Fの方を見る。一目見て理解した。F・Fを取り囲んでいるものの警備部隊の視覚はシャットダウンしたまま。それは好機であり、だけど同時に危機を意味している。暗闇の中で錯乱した警備員の一人が照準も定めず、引き金に指をかけるのがはっきりと分かった。


 だから深弥は手にしたM4カービンの銃口を男たちに向けた。そして迷いなく引き金を引いた。


 闇の中で乾いた音が弾けた。



    ≠



 いま思い返してみれば、ずっと闇の中にいた。それはひょっとしたら生まれた時からそうだったのかもしれないし、そうじゃなかった時があったのかもしれない。でもそれだっていまはどうでも良いことだ。なぜなら振り返れば振り返るほど、暗黒時代じゃなかった人生なんて思い当たらないからだ。物心つく頃から暗中模索ってヤツを続けるうち、結局なにも手にすることも出来なくて。気づけば親から疎まれる年齢になっていた。

 高校こそはギリで卒業したけれど、大学も途中から行かなくなって、それからずっと引きこもりの毎日。朝から晩までネットの世界で過ごして、昼か夜かも分からない毎日を過ごした。で、結局今も昼か夜か分からない現状っていうのは、ちょっと皮肉が効きすぎかもしれないけれど……。


「ミッドナイトー、腹減ったぞー」


 すぐ間近の闇の中で、F・Fが言った。あやふやな意識は断ち切られる。

 場所はとある製薬会社、その保管庫の一室。壁に備えた棚には膨大な量の書類やCDが並んでいた。


「武士は食わねどー、やってられるか、だぜ。さあさっさと飯を用意しなー、ミッドナイト」


「高楊枝ですよ、そこは。それにそもそもF・Fさん武士じゃないし」


「上官に口答えとは、武士道不覚悟だなーミッドナイトー」


「軍人か武士か設定は一つにして下さいよ。それにそもそも朝ごはん食べたじゃないですかぁ、F・Fさん」


 『ミッドナイト』、こと深弥が情けない声を上げるや、F・Fの憤怒の丸齧りドラゴン・ヘッド――習慣的に鍛えた両の握り拳が深弥の頭をグリグリする――が発動。それは日々研磨してきたF・Fの対人戦闘技術――七罪術式スキル・オブ・パーガトリーのひとつ、とのことだった。 

 深弥がなおさら情けない声を上げるのを聞いて、隣の隣の闇からC‐4が助け舟を出す。


「F・F、新入りのゆーとーりやで、さっき昼飯食ったばっかりやろが」

 

 C‐4の手もとからはカチャカチャとした音がする。おそらく、自前の工具で手製の携帯型爆弾を作成中なのだろう。とはいっても、辺りは全くもっての漆黒。当たりをつけるのが関の山、なのだが。


「嘘? 今って二時だろー、深夜じゃねぇのー? 夜飯食いそびれちまったかと思ったぜー、オレ」


 F・Fの間近にぼんやりとした光源が浮かぶ。それはデジタル式の文字盤。とはいえその腕時計には午前か午後の記載はない。


「まだ、午後の二時ですよぉ。寝てばっかりいるから時間の感覚が余計なくなるんですよ」


 言い終えぬうちに、頭グリグリ、いやさ憤怒の丸齧りドラゴン・ヘッドが発動。今度はC‐4も助けてはくれなかった。


「そうは言ぅても、ほんま寝るくらいしかすることもないしなー。まったく、いったいいつまで身を潜めとったらええんやろなー」


 C‐4がしみじみと呟いた。



    ≠

 


 僕らの任務ミッションは半分成功、あとの半分は失敗。潜入してお目当てのものも見つけたし、お膳立てもびっくりするくらい上手くいった。

 だけど遠足は家に帰るまでが遠足、の格言にもある通り。気の緩みが命取り。帰り道で僕らは警備員に見つかって、そこからは逃走劇に切り替わったっていうお粗末な顛末。


 とはいえ、警備員の執拗な追撃も長くは続かなかった。そして、その理由はもちろん理解していた。今の世の中、スマホさえあれば情報の収集には事欠かない。僕らみたいな零細から大手のテロ組織、国家機関に至るまで、諜報活動の要は結局ネットで。安易に繋がれる世の中は、簡単に脅威に曝される世の中にもなったってことなのだろうけれど。

 さておき、そんなわけで僕らは外の世界の動向を知り得た。つまりは終焉の始まりを。相手は目に見えぬウィルスだ。警備員たちも自分の身を守ることに必死で、僕らみたいな小者に構っている場合じゃなくなったということだろう。


 だけど。


 そこまで理解していても僕らは身動き取れずにいる。ここしばらく追撃が止んだとはいえ、可能性はゼロじゃないのだ。僕らが身を潜めるこのフロアにいなかったとして、数を減らしたとはいえ、僕らを憎んでいる連中がいなくなったとは限らない。僕が抱える幼少の頃からの暗中模索は、ここに来ての暗中模索になった。ついでに疑心暗鬼のおまけつきで。



    ≠



「ああ、こりゃあかん」

 

 言葉とは裏腹の気の抜けた調子で言ったのはC‐4だった。ガサゴソと袋を漁る音を鳴らしながら、


「頂戴してきた缶詰、食い尽くしちまったようやわ……」


 さらに続けた。


「……こら探しに行かなあかんなー、新入りが」


「そうだなー。行くしかないなー、ミッドナイトが」


 間髪入れずにF・Fが継ぐものだから、深弥が被りを振るのは間に合わない。まあどうせ闇の中だから、それも気づいてもらえないのだけれど。

 だから深弥は必死で、


「ど、どうして僕が、ひ、一人で行かなきゃならないんですかぁ」


 深弥は頭グリグリを覚悟して言ってみたけれど、予想外にF・Fの武士道不覚悟を責める懲罰はない。代わりに呆れるような声で言った。


「だってー隠密行動ステルス・ストラテジーが一番向いてんのってー、お前じゃん」


 当たり前と言わんばかりにC‐4も乗っかる。


「せや、百戦錬磨のワイが、新入り、お前にだけは何度背後を取られてビックリさせられたか分からん。お前は気配を消すプゥロフェッショナァルやからなぁ」


「それって単純に僕の存在感が薄いってだけの話じゃないですかぁ」


 深弥は泣きそうになりながら言ってはみたけれど。


「あのさー、ミッドナイト。あんたも知っての通り、おれの髪は真っ赤なわけよー。それにC‐4さんなんて今どき牛乳ビンの底みたいなメガネかけてるしー。ウチらもそりゃプロだぜ。そんでもやっぱり隠密行動にゃ、目立つ外見ナリしたヤツぁ控えるに越したこたないだろー?」


 真っ赤にカラーリングしたベリーショートを指しながら話すF・F。その珍しく理屈っぽい説明を聞きながら、だったら潜入作戦用に目立たない恰好で来るべきだったのでは――と深弥が思ったのは至極当然。けれど同時に、それを言ったらF・Fの機嫌が悪くなるのも想像に難くない。結局深弥は詰んでいた。


「あのなーミッドナイト、お前の隠密行動ステルス・ストラテジーは大したもんだってー、実際。もっと自信もてっつーの」


 F・Fは投げやりに、しかし深弥へと自分の信念を説く。


「戦場じゃ自分を信じられないヤツから死んでいくのさー♪」


 無理やりに納得させられた深弥は、「ほな、ファイトやでー」というC‐4の緩めのエールを背中に受けながら、保管庫の扉へと向かった。



 扉を開けた先は、保管庫ほどではないにせよ薄い闇が広がっていた。

 このビルに侵入するにあたって切断した電源の復旧はとっくに済んでいるはずだった。だとしてこの地下フロアが光で満ちることはない。せいぜい非常扉の位置を知らせる切れかけた緑色の照明がチカチカと点滅しているだけだった。


「この階は放棄したってことかな?」


 独り言は闇に吸い込まれていった。そこには静寂しかなく、人の気配は感じられない。

 とはいえ油断は禁物。なにしろ今回は単独行動。鉄パイプ片手に、深弥は壁に背中に負ったバックパックをつけてゆっくりと進む。壁が途切れるたび、首だけ出して何度も辺りを窺った。

 地下フロアは廊下で仕切られ、碁盤の目状に部屋が並んでいる。すべて同じ規模の部屋が四×四。各部屋が独立した造りになっているのは、ここが研究棟だった頃の名残だろう。

深弥たちが潜伏する保管庫は北側の東端に位置していた。まっすぐ進めば、このフロアへと逃げ込んだ非常口のある北側へと辿り着く。

 あてもない深弥は建物の南を目指しながら、東側に位置する部屋をひとつずつ探っていくことにした。


 一つ目の部屋に辿り着く。片方の手でパイプを振り上げながら、ドアノブに手を掛けた。息を殺しながらノブを回し、鍵が掛かっているのを確認しては脂汗を垂れ流す。

 どっと押し寄せる疲労。どうにか切り替える。途切れかけた集中力をギリギリ保って、日が暮れるのではないかと思えるペースで歩を進めた。

 辿り着いたふたつ目の部屋も施錠がしっかりとされていた。うまく働かない思考で、短絡的に窓を叩き割ろうかと僅かに悩んだ深弥だったが、斥候役の自分が派手に行動すべきでないと判断する。不法侵入しておいて、何を今さらの話ではあったが。

 三つ目の部屋に辿り着くと、簡易な嵌めこみ窓からちらと中を覗く。そして素早くドアの前へと移動した。施錠されていないのを確認してゆっくりとノブを回す。頼りない光源を背に目を凝らした。壁には警備員の制服が二着掛けられている。そこは雑多な物が詰め込まれた備品庫兼、警備員の詰所らしき部屋だった。

 斥候の心得で屋内の把握。安全が確保されているのを確認すると同時に、素早く潜入と施錠を一呼吸で済ませた。

 深い呼吸と共に床にへたり込む。そして、自然と言葉がついて出る。


「こんなの、リハビリもなしに全国大会に臨むようなもんだよ」

 

 半年前までは自分の部屋が世界の全てだった。そんな深弥にとってはハードルが高すぎる。外の世界に踏み出すのだって結構な勇気が必要だったというのに、いきなり家宅侵入なんて。

 うなだれたまま、嘆息まじりに言葉を吐く。


「……いったいぜんたい僕はこんなところで何をしているのだろう」



    ≠



 きっかけはいつものやりとりに過ぎなかった。

 高圧的なパパの台詞、『そろそろ働いたらどうだ』

 おどおどとしたママの台詞、『せめて部屋から出てきたら……』

 何十回と聞かされて耳タコな常套句じょうとうく。そんな毎日にいい加減うんざりとさせられる頃、ついに行動を起こすことにした。

 それは両親を納得させられて、かつ自身の生活を維持するための、つまりはテイの良い言い訳となるはずだった。

 条件のワードをいくつか打ち込んでヒットしたネット上のサイトを巡る。やがて自身にとって都合の良い団体を見つけた。


 動物愛護団体、『ハルモニア』


 引きこもり生活の長いニートがいきなり仕事なんて土台無理な話。だから当面はボランティア活動に従事する――これが言い訳その一。

 さらに言えば、稀の会話も両親だけという現状を鑑みれば、コミュニケーション能力に難があるのは否めない。そんなわけで言い訳その二――だけど動物相手ならハードルも下がるだろう。

 なにはともあれ、まっとうな理由で外に出ると告げた息子の言い分に両親は納得した。ママなんて歓喜の涙を流すほどだった。

 とはいえ……。

 ボランティア活動に従事するつもりなんてさらさらなかった。適当に出かけて行って時間を潰したら、週の半分以上は部屋に引き籠っていたって文句は言われないはずだ。最初からそのつもりだった。

 そもそもがボランティア、仕事とは訳が違う。通常の社会人にすれば、仕事の合間に奉仕し得る範疇の活動時間。となれば自分の場合、必然的に自宅待機の時間の方が長くなるだろう。

 引き籠り活動を公認させるため、ハルモニアの門戸を叩くこととした。アポは既にネット上で取っておいた。


「始めまして、僕はハルモニアの第一支部長をやってるくちなし優雅ゆうがです」


 西日暮里のファミレス、ジョイパルで待ち合わせたその人は白い歯の覗く笑顔を浮かべて手を伸ばしてきた。緊張まじりに「こ、こんにちは」と震える声で返しながら握手を交わす。

 梔は緊張を少しでも和らげようとでもするかのように、ボディタッチも多めで、


「元々、僕と代表の三空戯みからぎるいは大学のサークル仲間だったんです。当時はエコ活動とでもいうのかな、CO2の削減運動に取り組んでいたはずだったんですけど、大学を卒業する頃にはどこをどう間違ったのか動物愛護団体を立ち上げちゃってたんですよ」 


 快活に笑う。前髪やトップが立ち上がるように調整された髪型とノーネクタイのスーツが良く似合っていた。大学生でも通りそうな若さと爽やかさ。縁遠かったリア充人種との邂逅は、怖気を催させつつも、ひょっとして自分もそちら側に行けるのかも、なんて淡い期待を燻らせたりして。


「あ、あの、梔さんと同じ第一支部に配属されるっていうことで良かったですか?」


 尋ねると、梔はちょっとだけ悩んだ素振りを見せて、


「気づけばハルモニアも大所帯になってましてね。一から十まである支部のどこに回されるのか、もしくは十一から十三まである特殊事例担当に任命されるかは代表の三空戯が決めることでして――」


 不安が顔に出てしまっていたのだろう。梔はうんうんと頷きながら、その右手で力強く肩を掴む。そしてやはり快活に笑った。


「――僕もあなたのような方と一緒に仕事が出来るならこんなに嬉しいことはありません」


 梔の運転するドアにハルモニアのロゴが入ったワンボックスでに乗り込んで、意気揚々と間借りした個人ビルへと場所を移した。もちろん彼の口約束を信じて。


「大丈夫、僕を信じて。じゃあ行ってらしゃい」


 二階の事務所の入り口で梔と分かれた。そして面接に通されて一分もしないうちに、そこが自身の予想していたものと違う場所であることを思い知らされる。

 代表の三空戯は、全身黒のヴィジュアル系バンドのメンバー(確実にボーカルではない)みたいなコーディネートの男だった。

 簡単な挨拶を済ませたあとで、三空戯は長い黒髪を掻き上げながら短く言った。「じゃあ君の持ち場は十三課だから」

 その言葉を聞き終えないうちに、真っ赤なベリショのお姉さんに文字通り引っ立てられる。


「なんや、新入りが来るゆぅから楽しみにしとったのに、随分ナヨナヨしたやっちゃのー」


 力づくで転がされた別室で、興味もなさそうな関西弁。

 さっきのお姉さんがまくしたてるように継ぐのを、呆然と見上げていた。


「だろ? 十三課ウチは在庫整理の担当かっつーの!」


 ふふんと鼻を鳴らしたのは、デスクチェアに腰かけた関西弁で、


「ようこそ、地獄の釜の底こと、ハルモニア第十三課へ」


 不敵に言った。

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