第四話 黒丸リオ――エンチャンター 2


 リオが訊いた。


「どしたの、あんた。どっちかってぇと体育会系だったよね?」


 にぱっと微笑む橙。わかりやすいくらいに表情が晴れる。デジタル式の一眼レフカメラを持ち上げながら、


「写真部に入ったんだ、あたし」


「あんたが?」訝しむリオは思い出したように続けた。


「てかさ、あんたチューガクのときってむしろ写真撮るのも写るのも嫌がってなかったっけ? ギャルのくせして」


「偏見だぞー、リオ。メイクのノリとか写真写り気にするのは乙女心ってヤツじゃん。リオだって女子だから分かるだろ?」


 ほとんどすっぴんの橙はジト目で言う。

 思い返しても橙がばっちりメイクしてた記憶のないリオは、陽光を受けて茜色に輝くポニーテールを揺らす橙をジト目で見返す。モデルみたいな容姿とスタイルの橙にそれを言われた日には、こっちの立つ瀬がないぞと言わんばかりに。

 リオとの思い出話に花を咲かせていた晴れ顔は、しかしてまた曇天へ。橙はポケットから小さなアルバムを取り出した。

 体育祭に文化祭、そして教室での何気ない様子。開いたページには橙の高校での様子が収められていた。

 橙が指す部分をリオも覗き込んだ。ついでにルイージも。


「ここに写ってんの、マミね。オナチューだからリオも覚えてるだろ」


 リア充サイドとの付き合いは薄いが、覚えているかと問われれば、なんとはなしにも覚えてはいた。橙の写真には大概、七波真美ななみまみが写っていた。


「マミになんかあったの? ひょっとして……」


 最悪な想像が頭の中で形になるより先に、橙がかぶりを振った。


「マミは元気だよ。ラインでやりとりする限りじゃ家にこもってるから退屈だけど無事だって」


(なんだそりゃ――)一瞬気も萎えかけたリオの前で、橙は指をずらす。「こっちの子」


 そこにはパッと見で小柄と分かる女子生徒がいた。結構な頻度で橙の隣に写っている彼女の髪は自然な金色ブロンドをしている。それを色とりどりのビーズの髪飾りでおさげ風に結っていた。


「誰?」リオが尋ねる。同じ中学でないことは確かだった。

 しかし橙の答えは、


「分からない……」


 リオはルイージと顔を見合わせる。

 橙が続けた。


「……そんなことってあると思う? これだけ仲良さそうにしてたはずの子のことを一切合切忘れてしまうなんて、そんなことってあると思う?」


 リオは橙が何を言っているのか、理解が追いつかない。


「つまり、それは、あんたが記憶喪失的な何かになったってこと?」


 橙は薄暗い顔のままで、それでもにかと笑った。


「だけどあたしはリオのこと覚えてたよ」

 

 リオはどうにか整理しようとして、訊いた。


「その写真、マミに見せたの?」


 橙が頷く。


「マミにも、クラスの他の連中にも見せたよ。そしたらさ、なんて言われたと思う?」


 リオにはもちろん分からない。

 橙は力なく言った。


「『橙なに言ってるの? そこには何も写ってないよ』だってさ」


 リオは写真をもう一度覗き込む。その後で隣を一瞥、ルイージが同意を示す。


「担がれたんじゃないの? 金髪の子でしょ、うちにもルイージにも見えてるけど」


「学校総出であたしひとりの為にドッキリ仕組んだ、とか?」相変わらず橙は力なく笑う。


「あたしなりの結論。彼女に関わった人たちに彼女の記憶は存在しない、どころか彼女の存在自体を認識することもできない」


 ダリぃ、とか言っているのが様になる風体ナリのくせして、いつだって蒔苗橙という人間は全力投球だった。見ている側が呆れるくらい、全力疾走すぎて擦過傷まみれだった。それを知っているからこそに、リオは橙の真っ直ぐな瞳を否定することが出来ない。


「て、言ってるあたしにも彼女の記憶はないんだけどさ。それでもあたしは写真に写る彼女のことは認識できてる」


 橙の言葉を咀嚼するだけで精一杯のリオとは違い、明確に反応したのは以外にもルイージだった。


「ソイツは君だけに与えられた不思議な現象、つまりは奇跡であり『能力』ってこったな」


 それは一種の正解。だけど安直な言葉で片付けられてしまったようでもあって、


「ルイージ、あんまり無責任なこと言ってんじゃ……」


 リオが口を尖らせるのを、ルイージが遮った。


「何も適当に言ってる訳じゃねえって」


 意外にも真剣な表情でルイージが続ける。


「例えば幽霊の姿だって見える人間にしか見えないもんだ。ソイツはつまり、その人間にはそーゆう力があるんだって考えた方がしっくりくるだろ? ってんなら、心霊写真だって撮れる人間にしか取れないってこった」


 とはいえ、やはりルイージの言葉には責任の欠片もなかった。

(よりにもよって心霊写真を引き合いに出すなんて……)リオはルイージを睨みつけた。

 だけど橙の表情に陰りはない。むしろいつものにか笑いで「ありがと」と言った。


「あたしにしか出来ないなら、やっぱりあたしがやるしかないよな。裸眼じゃ見えない妖精少女だって、魚眼レンズなら見えるかもだし。最悪、写真にだけでも存在を写すことが出来るかもしれないっていうなら、それはやっぱりあたしがやるべきなんだよ」


 橙は自らに言い聞かせるように、胸にぶら下げたカメラを力強く握った。

(橙のソレ、魚眼レンズついてないけどね――)とは言わずにリオは、


「あんたの妖精探しは理解したけどさ、やっぱりいまは時期じゃないって。も少し状況が落ち着いてからにしなよ。こっちの用事が片付いたら、そん時はうちらも手伝うからさ」


 本心からの言葉を告げる。ようやく合点がいったのだ。橙の制服姿、それはメッセージ。あまりに頼りない――夜の海を照らす灯台のような――目印に過ぎないとしても、妖精の側からなら見えるかもしれない。そう思えばこその橙なりの決意の表れ。


 しかし当の彼女はといえば、やはり明らかな不満顔で。

 頬を膨らませた橙が何か言い出す前に、リオはルイージのスネを蹴った。リオにすれば、無責任発言への挽回のチャンスをくれてやったつもりで。


「ここはリオの言い分がもっともだぜ。治安のぶっ壊れた街を橙ちゃんみたいな可愛い娘がひとりで歩くなんて、襲ってくれって言ってるようなもんだって。橙ちゃんはリオみたいなチビブ……」


 リオは蹴りをさらに一発。同時に汚名返上のチャンスも、くれてやる。

 右のふくらはぎを押さえながらルイージは言った。


「治安と一緒に常識だってぶっ壊れたまんまでしょお。フィクションでしかお目にかかることもなかったゾンビが溢れかえってたのが一昨日の話だよ。それに『人造人形』だってうろついてるかもしれないんだからねっ!」


 涙目のルイージに向けてリオは内心で呟く――このバカ、と。


「人造人形?」


 案の定、橙が食いついた。

 再びルイージのターン。無責任な話を始める。


「うん。最初はリオの新刊イベントだった……」


 黒丸リオはそれなりに集客率を見込める作家なのだよ――的な出だしにちょっとだけリオは鼻の穴を大きくする。新刊イベント(――まあコミケのことなんだけど)、という一瞬の気の緩みにリオの反射速度は遅れた。きっと瞳をきつくしてみた頃にはすでに手遅れ。ルイージはちょっと遠くの空なんか眺めながら雄弁に語り続けていた。


「……客足が遠のいた頃、俺たちはようやくにして気付いたんだ。壁にマジック書きで並んだアルファベットを。そこには、E、m、e、t、h――『Emethエメス』と書かれていたんだ。そのワードはその日を境に俺たちの周辺でたびたび目撃されるようになった。今回の騒動が起こるよりも前から、約半年に渡ってそのストーカーじみた行為は繰り返されているんだ。確かに直接的な被害はない。だが気がついた時にはそのワードが俺たちの視界の片隅に映りこむんだ。これを恐怖と言わずしてなんと言うのだろうか」


 語り終えて小さく震えて見せるルイージ。

 そして橙は当たり前の疑問を口にする。


「でもそれってストーカーかなんかの話で、人造人形って関係ないじゃん」


 似合いもしない不敵な笑みをルイージは覗かせながら、


「いいかい橙ちゃん、Emethっていうのは人造人形――ヘブライ語で胎児を意味し、ユダヤ教の伝承に登場する泥人形、『ゴーレム』の胸に書かれているワードなんだよ。このEmethっていうアルファベットのうち、Eの文字を消すと『meth』――つまりは『真実』という意味になってゴーレムは滅びる、って言われてるのさ。とにもかくにも本物のゴーレムかゴーレム気取りのストーカーなのかは知ったこっちゃないけど、そんな不思議でイカれたヤカラがうろついてるってことには変わりないわけで、危険なことにも変わりはないってわけさ」


 ふうん、と橙は大げさに頷いたあとで、


「それって、あれのこと?」


 指さした新宿駅の外壁には、はっきりと記されたアルファベット――Emethの文字。


「ひゃあうっ!」


 もはやの恒例行事、ルイージの甲高い悲鳴には放置プレイで、リオはふてくされぎみに呟く。


「まったくもって世も末だね、ゾンビに妖精にゴーレムとはさ」


 こんな世の中になっても都市伝説の類は後を絶たない。徘徊するゴーレムやら、視界に光の輪が映ったらゾンビ症状発症の兆候サインだとする説。むしろその逆で、天啓だとされる説。リオは辟易していた。そのすべてが馬鹿馬鹿しい噂に過ぎない、と。流れでいけばルイージが高説ぶって陰謀論へと繋げるのは明白で、余計にうんざりさせられる。

 

 しかしルイージが何か言いだす前に、「不思議な現象だらけってこったね」合いの手を入れた橙がリオの顔をまじまじと見つめた。


「不思議な現象っていえば、リオもあったじゃん、昔」


 うっ、と言葉を詰まらせるリオ。代わりに、食指を動かされたらしいルイージが面白がって先を促す。「なになに、どゆこと?」


「中二の夏に怪談大会をしようってことになったんだ。女子だけで夜に集まってラジオの怪談特集の合間に、それぞれの持ち寄った怖い話を披露しあうっていう。嫌だって言ってたけど、その頃はまだ人付き合いもそれなりだったリオも誘ってさ」


「うるさい。それなりだった、は余計だろ」


「で、怪談大会も佳境、一時間くらい経ったところでリオの番が回ってきたんだ。満を持して、リオが話し始めようとしたその矢先、突如としてノイズ状態になったラジオから……『ユルシテ』……っていう女の声が聞こえてきたんだ。もうみんなギャーってなって、怪談大会は終了。あれ? そういえばその頃からリオの人付き合いの悪さに拍車がかかったような」


「だからうちは嫌だって言ったんだ」


「なんだよお前、実は呼び寄せちゃう系の子だったのか。俺にはそんなこと全然教えてくれなかったくせに」


 冷やかし交じりのルイージへと、


「たまたまだ、たまたまっ! それなのにそんな風な目で見られたら、現実から目をそむけたくもなるだろっ! 流川作品に逃避したくなっちゃうのも仕方がないだろ!」


 リオの不覚。言ったそばから自己嫌悪。


「て、うちは何をカミングアウトしてんだっ!」


 居心地の悪さからルイージは話を取り繕う。


「ま、まあ、そんなわけで、やっぱり危険なことに変わりはないんだ。家まで送って行ってあげるからさ、橙ちゃんの妖精少女探しは今度にしようよ」


 でも中途半端な優しさは罪だ。

 だからリオは、今日イチのローキックをルイージにお見舞いする。

 悶絶するルイージを尻目にリオは継いだ。


「橙ンチって今も新大久保だよね? うちら赤羽方面まで行く用事があるからさ、ルイージの車で送ってくよ。で、ちゃんと用事が済んだらあんたの探し物手伝うからさ、連絡先って中学ん時と変わってないよね」


 頷いた橙が訊いてくる。


「ところで、さっきから言ってるリオたちの用事って結局なんなの?」


 リオは橙の問いに思い返す――瑠花和マコトを象徴する単語のひとつ『群青色』と記号の羅列、N35°41′22、E139°41′30、

 瑠花和マコトのホームページ――『Rolle:Lieローレライ』――に記された謎を辿って手に入れた新たな手掛かり。

 北緯35度41分22秒、東経139度41分30秒。それは東京を示す経緯度を意味している。

 そして東京で瑠花和マコト関連の場所といえば、サイトに投稿された最後の画像――赤羽のマンション――が濃厚だった。

 もちろん瑠花和関連で東京だったら、千代田の修英社本社ビルだってありえるだろう。しかしリオは直感的に、だとして確信的に赤羽だと決めつけている。


 ルイージのよりはいくぶん様になった不敵な笑みで、リオは橙に向けて言った。


「宝探し、さ」


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