第15話 魔法医、魔霊山へと向かう


「……いったいどこへ向かってるのん?」

「もうすぐ着く」


 ――“女神の安息亭”を出て、半刻。


 レリアが訊ねると、エロースはそう答えながらも淡々と歩を進めていく。


(もうすぐ……ね)


 溜まりに溜まった疲労にくわえ、魔素熱のせいでつらくはあったが、レリアは必死にエロースのあとをついていく。


 そしてしばしあって、エロースはある場所でふいに立ちどまった。


「ここだ」

「え……どういうことなのん?」


 レリアは眉をひそめる。


 たどりついたのは、集落の中心を横切るように走っているだった。


 大飢饉のときに大精霊が引いてくれたと言われているもので、集落の民にとっては水源としてなによりも不可欠なものだった。


 この川と魔素熱がどう関わってくるというのか理解ができなかった。


「考えてもみろ。魔素熱を発症するには、それこそドラゴンほどの強大な魔力を日常的に浴びる必要がある。このような辺境でそんなことがどうすれば起こりえるのかと考えれば、やはり可能性として大精霊は外せない。一方でいくら大精霊といえど、身近にいないかぎりは人間に魔素熱を発症させるほどの影響力はない。ならばどのような形なら、人間にそれほどの影響を与えうるのか」

「どのような、形なら……?」


 エロースの視線のさきに流れる川をふたたび見て、レリアはハッとする。


 人間の魔力摂取経路というのは、なにも空気中からだけではないのだ。


「まさか……この川の水に?」


 レリアが生唾をのんで訊ねると、エロースは肯定するようにうなずいた。


「この川は大精霊の棲まう魔霊山から流れてきている。結果、この川の水には大精霊の濃密な魔力が含有されているのだ。実際きみが今朝くれた水にも高濃度の魔力がふくまれていたし、集落で売られていたりんごも同じ傾向にあった。集落の民は大精霊の魔力という毒入りの水を日常的に摂取しつづけていたということだ。そのため、ついに魔素熱を発症した。大精霊の魔力を直接体内に取りいれていれば、そうもなろう」

「この川が……原因なのん? え、じゃあこの川の水を飲まなければ……?」

「ああ、魔素熱は発症しない」


 断言され、レリアは二の句をつげない。


 なんということだ、とただただ口をあんぐりと開けて驚愕するほかない。


「まさか集落を助けてくれていたこの川が病の原因だったなんて……」


 あまりに皮肉な事実にショックを受け、だがそれ以上にこれほどはっきりとした原因が間近にありながらも、いままでそのことに気づけなかった自分自身に呆れ、レリアはがっくりとうなだれる。


 魔素熱の発症時期についてもっとしっかりと考えていれば、この川にたどりつけた可能性は十分にあっただろうに。


 いや――いま過去を悔いていてもしかたない、とレリアは首を振る。


「……でも、この川はいま集落にとって生命線なのん。飲まなければ罹患しないと簡単に言うけれど、多くの民が魔素熱で倒れているいま、この川の水を使えなくなってしまえば生活は一層厳しくなる。飢えて死ぬものも出るかもしれないよ」


 川の水がなければ、民の飲料水を確保することすらも難しい。病にやられる前に水不足で死んでしまう。死活問題なのだ。


 エロースはふむとうなり、


「ならば二択だな。川以外から水を確保する方法を早急にさがすか……大精霊に山から出ていってもらうか、というな」

「だ……クオレルさまを、魔霊山から追いだすって言うのん!?」


 当人の意思がどうかはわからないが、ムーランという集落は大精霊クオレルに助けられてきた。それは事実だ。


 そんな守り神を追いだすというのは、やはり拒否感がぬぐえない。


「この川の水に濃密な魔力がふくまれているのは、大精霊が源泉であるあの山に居ついているのが原因だ。大精霊さえいなくなれば、川の水は正常化される。そうなれば日常的な使用も問題なくなるだろう。一番単純な解決策だと思うが?」


 エロースはそう言い、肩をすくめる。


 確かに彼の言うとおりだった。そしてもはや集落の皆のため、いかなる方法でも躊躇している場合ではないということだろう。


「だけどクオレルさまを追いだすって、そんなことができるのん? クオレルさまはそれこそ、そのへんの竜よりも強大な存在だよ? さらなるお怒りを買ったら、今度は直接この集落に裁きをくだされることもありうるんじゃ……」

「追いだす、というのは語弊がある。説得して出ていってもらうのだ。大精霊はそのへんの竜より強大だが、基本的に人と同等以上の知性を持っている。会話は可能だ。さきほども言ったが、精霊は基本的に人間に興味がない。大精霊がこの川を引いたのも、そして川に魔力が流れこんでいるのも、おそらく偶然のことにすぎない」

「ぐ、偶然……?」


 クオレルはムーランとそこに棲まう人間を守ってくれているとずっと教えられてきたレリアからすれば衝撃の告白だった。


「ああ、偶然だ。だからこそ、大精霊がこの山から出ていきたくなる情報を提供すれば、大精霊は特にこだわりなく山を出ていくだろう。精霊とはそういうものだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「それが……そうだったとして、だよ。大精霊さまが魔霊山から出ていきたくなる情報って、そんなものがあるのん?」

「知らん」


 即答だった。


 エロースのそのあまりの回答速度には、レリアも呆気にとられる。


「え……なにも思いついていないのに、そんなことを言ってたのん!?」

「そうだ。まあそれは山に行くまでに適当にでっちあげればいいだろう」


 エロースはなんの問題もないと肩をすくめたあと、いきなりレリアの腕を引いて「さっさと行くぞ」と早足で歩きだした。


「……え、え!? いまから行くのん!?」

「解決は早いほうがよかろう。いま行かない理由がない――【フライト】」


 エロースはおもむろに呪文を唱えると、ふわりと空へと舞いあがる。


 そしてそのエロースに腕をしっかりとつかまれていたレリアも――



「ま、待って!! う、うわあああああああああああああああああ!!」



 瞬間。エロースに腕を引かれ、ともに一気に上空へと舞いあがった。


 視界のなかでみるみるうちに小さくなっていく地上の人や家屋を見下ろし、レリアの顔から一気に血の気が引く。


「お……落ちる落ちるううううう! ねえねえ、落ちちゃうってばあ!!!」

「暴れると放りだすぞ」


 ばたばたと暴れながら大声で訴えるものの、エロースにそう言われたとたん、レリアはぴたりと身じろぎをやめた。


「……、」


 ごくりと生唾をのむ。


 いまレリアの命は、この素性も知れないヒーラーに握られているのだ。


 下手にこのまま暴れつづけた場合、なにを考えているかわからないこの男ならば、本当に自分を地上へと落としかねない。


 しかし暴れるのをやめたはいいものの、恐怖はぬぐえなかった。


 ちらと地上を見おろすと、そのあまりの高さに体の震えがとまらなくなる。レリアはかなりの高所恐怖症なのだった。


 しかしそのときだ。



(……え?)



 レリアの体が急にぐいと引きあげられる。


 そしてエロースはレリアを自身に引きよせると、そのままなんと――ギュッ、と包みこむように両腕で優しく抱きしめてくれた。


 これなら落ちることはそうそうなさそうで、レリアは胸をなでおろす。


(……気づかって、くれた?)


 ちらと見あげると、しかしエロース当人はあいかわらず無表情だった。


 この男はやはり、なにを考えているか読めないなと思う。レリアをいちいち一喜一憂させ、心を騒がしくさせるのだ。


 レリアがその本心を少しでもさぐりたくてじっと見つめていると、


「勘違いするな、本当に落下死させたらヒーラーの名折れだからな」


 エロースはぶっきらぼうに言う。


「ふふっ、ありがと!」


 それにそうこたえながらも、レリアの表情は自然とゆるんでしまう。


 エロースは変わらず無愛想だった。


 だけどほんの少し――ほんの少しだけ、頰が赤らんでいたのだ。その姿がなんだかとてもかわいらしく思えてしまった。


「なにを笑っている? 暇があるなら、精霊を追いだす嘘でも考えておけ」

「ふふふふふっ、はーい!!!」



 こうして――


 レリアとエロースの二人は、魔素熱の原因となっている大精霊クオレルを説得するべく、魔霊山へと向かったのだった。

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