第89話 荒野の風に吹かれる機人たち 21


「エレナ、僕がお金の入ったケースを取りに動き始めたら、十数えて走りだすんだ。いいね?」


 僕のあまりうまいとは言えない演技指導にエレナは「大丈夫、それよりお兄ちゃんたち、ちゃんと撃たれてね」と、けろっとした顔で返した。


 モルグのコンテナ街は相変わらず人の気配がなく、僕らはこの受け渡しのためだけに設置したバスとドラム缶を背に不安な顔を見合わせた。


「……来たぞ、コーゾー氏の車だ」


 徹也の声に振り向いた僕は、思わず唾を呑みこんだ。百メートルほど離れた場所に黒塗りの車両が停まっており、数名の人影が降りてくる様子が遠目にもうかがえた。


「見ろ、あっちの車は偽装したパトカーだ。銃を持った連中が物陰に隠れたら演技開始だ」


 スタンリーたちが現れたという事は、撮影班のカメラもどこかで回っているに違いない。


「こっちに来るぞ。うっかり点火ボックスに触らないよう、気をつけろ」


 僕が緊張で身を固くしている徹也に釘を刺すと、徹也は「わかってる」と短く答えた。


「――聞こえるか誘拐犯。イセだ。身代金を渡しに来た。エレナを返してもらいたい」


 ふいに大きな声が響き、車から降りたコーゾーが金の入ったケースを手にやって来るのが見えた。僕らは目顔で頷き合うと、台本通りの芝居を始めた。


「よし、ケースをバスから五メートル以上離れた位置に置いて立ち去れ。言っておくが、おかしな真似をしたら人質の命はない。我々を銃で撃ては背後のドラム缶が爆発し、このあたり一帯が火の海になる。いいな?」


「わかった。言われた通りにしよう」


 コーゾーは僕らから離れた場所にケースを置くと、後ずさるようにしてその場を離れた。


「ようし、いい気分だ。……モトコ、ケースを取りに行くんだ」


 徹也の指示に僕が「はい」と答えて動き出そうとした直後、背後で「きゃっ」というナナの声がして人が動く気配があった。視野の隅を駆けてゆくエレナの姿が掠めた瞬間、遠くで「撃てっ」という声が上がった。


「ああああっ!」


 僕が点火ボックスをオンにした瞬間、シャツにしかけられた火薬が次々と火を噴き、僕は衝撃に合わせて地面の上をのたうち回った。


「――撃ち方、やめっ」


 銃声が途絶え、あたりに静寂が戻っても僕はその場から動かなかった。火薬の臭いが鼻をつく中、複数の足跡が僕らに近づくのが感じられた。僕が地面に横たわったままじっと耐えているとやがて頭上から「死んだか?」という声が聞こえてきた。


「ああ、死んでる。銃撃は成功、犯人は全員死亡だ」


「人質は無事なんだな?……よし、身代金を持って退却だ。手わけして死体を回収しろ」


 カメラで撮っているとはいえ、真に迫った芝居だと僕は思った。やがて身体が担ぎ上げられる気配があり、複数の人間によって僕の『死体』はどこかに停められている車両へと運びこまれた。

 

 ――なんだか随分あっさり事が運んだ気がするけど、本当にうまく行ったのかな?


 僕が揺れる車内で律儀に『死体』の演技を続けようとした、その時だった。急ブレーキと共に車が停止し、運転席の方から「なんだって、人質がさらわれた?」というスタンリーの切羽詰まった声が聞こえた。僕が思わず跳ね起きると、一緒に運びこまれたらしい徹也とナナも起きて顔を見あわせていた。


「今の話……本当ですか?」


 僕らが血まみれのまま尋ねると、運転席のスタンリーが「どうもそうらしい」と頷いた。


「今、連絡があったんだが、どうやら狙撃隊の中に我々の知らない人物が紛れ混んでいたようだ」


 僕は呆然として、しばらくその場に固まった。エレナが本当に誘拐された?一体誰に?


「幸い、逃走車両を他の仲間が追跡しているようだ。このまま合流するが、構わないか?」


 僕は即座に頷くと「身代金が奪われたというならわかるけど、なぜエレナを?」と頭に浮かんだ問いを口にした。


「わからない。身代金のケースはこの車に積まれているし、作戦が漏れるはずはないのに…一体、誰が何の目的でこんなことを」


 僕らを乗せた搬送車は生き返った三つの『死体』を乗せたまま、逃走車両を追い始めた。

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