第56話 荒海へと漕ぎ出す機人たち 11
「――ようティムス。怪物は出るわ囚人は消えるわ、散々だったな」
無事ゴミ捨てを終えた僕が空になった二人房に戻ると、モルガンが声をかけて来た。
「ジャンはどうしたんだ?」
「看守長が空いてる倉庫に連れて行ったよ。一番近い房を担当してるスティーブが監視役をやってくれるらしい」
僕はモルガンの話を聞いて内心、ほっと胸をなでおろした。スティーブというのは、拓さんと入れ替わっている看守の名だった。あとは外からの『来賓』か到着すれば僕らの仕事は終わりだ。僕はモルガンに「房も空になったことだし、トイレに行ってもいいか」と尋ねた。
「まあ監視する囚人がいないんじゃあ、職場放棄とも言えないな。いいぜ、行ってきな」
僕はそそくさと鉄格子の前を離れると、トイレには向かわずそのまま通用口へと向かった。中庭に出て運動をしている囚人たちの近くでぶらついていると、やがて正面ゲートが開いて一台の車両が敷地内に入って来るのが見えた。
――来たな。予定通りだ。
『全職員に緊急連絡。第七地区治安警察署長が急遽、当施設の視察に来られた模様。通常の業務を遂行しつつ、所長の指示に従って臨機応変に対応せよ』
アナウンスが敷地内に響き渡り、僕は施設の正面玄関に目をやった。すると予想外の事態だったのだろう、所長と思しき小太りの人物が慌てて外に飛びだしてくるのが見えた。
僕は囚人達を監視するふりをしながら、横目で車両から降りてきた人物を見た。数名の部下を背後に従えて刑務所に現れたのは、ロングコートに身を包んだ中年の男性だった。
「これは署長さん、いらっしゃるとわかっていれば、お迎えする手はずを整えましたのに」
「それには及ばない。囚人や看守子の日常的な姿を見られなければ、視察の意味がない」
署長はそう言い放つと、正面玄関に向かって歩き始めた。僕は訪問者一行が施設内に消えるのを見届けるとその場で向きを変え、何食わぬ顔で関係者専用ゲートへと向かった。
キーを入力してゲートから外に出た僕はそのまま塀が途切れる所まで移動し、路上でホットドッグとピザを販売しているキッチンカーの前で足を止めた。
「仕事が片付いたんで、休憩しに来たよ」
僕は窓から顔を覗かせている人物――本物のティムスに声をかけると、キッチンカーのリアハッチを開けて中に潜りこんだ。
「お帰り、ティムス。目的は果たせたかい」
販売員の制服に身を包んだ本物のティムスは僕を労うと、服を脱ぎ始めた。僕は「お蔭様で、上々の首尾さ」と返し、看守の制服を脱いだ。服の交換が終わると看守の格好になったティムスが出てゆき、販売員になった僕は『還俗油』で顔を元に戻して車外に出た。
僕がろくに売り子もせずぼんやり佇んでいると、やがて往来の向こうから人影が近づいて来るのが見えた。
――ははあ、あれが本物の『スティーブ』だな。
人影は僕の前までくると「ホットドッグと監獄の鍵をひとつ」と言った。
「マスタードはどうします?」
「頭から盛大にかけてくれ」
僕はスティーブに笑いかけると「もうすぐ仲間が交代に来るから中で待っててくれ」と言った。スティーブが口笛を吹きながらキッチンカーの中に消えると、やがて看守の格好をした人物が見覚えのある歩き方で僕の方に近づいてきた。
「よお基紀。うまく行ったぜ」
「拓さん、本物のスティーブが中で待ってます。交代してください」
「了解」
看守の格好をした拓さんは、その場で顔を元に戻すとキッチンカーの中に姿を消した。
やがてリアハッチから看守の格好をした本物のスティーブが現れ、僕の肩を叩くと刑務所の方へ去っていった。
再びキッチンカーに乗り込むと、着替えを終えた拓さんが「どうだい、似合うかい?」とリラックスした表情で僕を出迎えた。
「ジャンはうまく脱獄できたかな」
「映像があるぜ。ジャンの身体についてるカメラが脱獄の一部始終を記録してたんだ」
拓さんはそういうと端末を取り出し、僕の方に向けながら記録映像を再生し始めた。
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