双剣使いと赤眼の少女

 数分前───



 ルスティクスとサルヴォの境界。

 総司令官の予想を上回る善戦を見せるアトラス軍ではあるが、ここに来て急激に兵士達の疲労の色が濃くなりつつある。

 現時点で、アトラス軍はおよそ一千人の死傷者が出てはいるが、軽傷の者が大多数だ。

 対する敵軍の撃破数はおよそ六百──しかし、まだまだその勢いが止まる気配はない。

 彼我の体力値が比べ物にならない以上、ここから長期戦になるほどジリ貧になるのは当然だ。

 文字通り、命尽きるまで向かってくる軍隊との戦いが、これほど困難なものだとは──

 歩兵大隊長ルーニーズも、最悪の結末が脳裏に浮かぶのを抑え切れない。

 止まらない冷汗。

 ──何かないのか…このままでは、我が軍が全員、死……

 ルーニーズの背中に怖気が走る──その時。


 それを実際に見た者以外は、誰も信じないだろう。

 奇怪な服装のその少年は、輝く光と共に、泥沼の戦場の中心に現れた。 

 誰もがその異常な光景に動揺し、剣を振るう手が鈍る。それは、オルディウム達も例外ではなく──

 そして、少年が手を一度叩いた瞬間。

 戦場は時が止まったように静まり返り、その場で生きている者全てがピタリと動きを止めた。


「──もう終わりだ。ヒトは剣を収めよ。そして供儀達はこの場から去れ」


 聞こえるはずのない声量の言葉が、広大な戦地の全員に届いた。

 その言葉通り、誰もが武器をその場に置き、オルディウムも戦場に背を向け何処かに去り始める──

 その様子を見て満足気な少年に近づく、亜人種の女性。


「あなたが、あの本を書いたんだな──」

 その言葉に、スクーラは声の主のルチルの方へ振り返る。

「俺だって、誰にも知られず消えるのは、少し寂しいからな」


 そうして、虚空から現れたかのように、アリアの背後に近づく影が一つ。

「久しぶりだな」

 スクーラの呼び掛けに、アリアは何の反応も見せず、涙を流し続ける。

「あの男は本懐を遂げたか」

「──全て、お前の差金だったのか?」

 嗚咽しながら問うアリアの表情は見えないが、へたり込んだまま砂を握り締める両手は、ぶるぶると震えている。

「まさか。まあ収まる所に収まったのは、僥倖と言うよりない」

 道化師の言葉に、アリアはスッと立ち上がると、勢いよく振り返り──


 パァン!


 凄まじい破裂音とともにスクーラの頭部が横方向にブレる。

 アリアは渾身の力で、この星の支配者を平手打ちすると、彼を涙目で睨みつける。

「──何故始めから助けなかった、か?」

 表情を変えず、道化師はアリアに問う。

「……許さないからな、スクーラ!」

 アリアは俯き、小刻みに震えている。その心中を支配するのは怒り、悲しみ、喪失感。

 止まらない大粒の涙がぼろぼろと地面に落ちていく。

「そもそもお前が!お前が王を取り逃がしたから、ゼルは苦しむことになったんだ!王さえ消えればセラもあそこから出たりはしなかった!何が神だ!わたしの、大切な人を返せ……!」

「そりゃあ、俺はレックスから派生したものだからな。無傷で勝てるなんて虫が良すぎるぜ。見た目ではわからんが俺ももうポンコツになって久しい訳だ。こうして顕現するだけで、正直しんどい」

 スクーラは、遠くを見つめる目で静かに言う。

「お前のことなんか聞いてない!そうだ、こんなことならそもそも封印なんかされるんじゃなかった!お前がせめてわたし達を殺してくれてれば……そうすればゼルは幸せだったし、わたしも……死ねたのに」

「俺の考える世界の在り方は、近視眼的に手当たり次第、悲劇の芽を刈り取るようなものじゃない。結果、ジェイルにはひどい重荷を負わせることにはなってしまったが……

 ──ところで、アリア。なんで兵器であるお前が、人間みたいに涙を流してるんだ?」

「……」

 アリアは、自らに起きている現象を指摘され、黙り込む。


「造られた知性に心が宿ることだってあるんだからよ。破壊の運命を背負った兵器が人と心通わせることもないとは言い切れねえ。もしそうだとしたら、それはこれからの人類に必要なものかも知れねえなと、はぁ、思っちまったんだよなあ……」

 感慨深く呟くスクーラの意図を図りかねたアリアの頬を、なおも涙が流れ続ける。

「で、まあそれはいいとして、俺の役割はもう終わりな訳だ。もう俺はいろんな感情を知っちまってくたびれたよ。もういいやって思ってる。いいもんも見せて貰ったしな。

 ──だからよ、ほれ」


 スクーラが虚空に手をかざすと、虚空に光の球が現れる。それはだんだんと大きくなっていき、やがて直径二メートルほどに膨れ上がった時、その中から現れたのは、アリアがよく見知った、大柄な男。混乱した様子で、手足や、辺りを見回している。


「ゼル……!ゼル!」

「……何故だ?何故自分は死んでない? 何故、死ねなかっ」

「よかったぁ!」

 アリアが全速力でジェイルに抱きつくと、バランスを崩した二人はあわや転倒しそうになる。

 未だ状況を把握出来ていないジェイルの身体は、まるで何事もなかったかのようにしっかりと機能していた。


「はぁ、若造。脳筋っぷりも大概にしとけ。お前は、何の思い入れもない路傍の石ころをプレゼントされて嬉しいか?」

「……」

 スクーラの質問に答えられないジェイルの胸辺りに、アリアは目を閉じながら頬を寄せる。

 そして安堵の微笑みを浮かべながら、先程とは違う涙を流している。


「死にたいヤツの命貰ったってなぁ、そりゃあ代償じゃねえだろうよ。ハッ、逆に処理費を貰わなきゃならんぜ。お前は全てを差し出したろ。観念するこったな」

 きつく抱擁を続けるアリアの頭頂部を優しく撫でながら、ジェイルは言う。

「……生きろと?こんな自分に、まだ、生きろと?」

「あーうるせえうるせえ。たかだか三十五年生きたところで何を抜かしてんだか。桁が足らねぇって。全くよ、どいつもこいつも……」

 スクーラは道化師の帽子を脱ぎ捨てながら、鬱陶しそうに言う。

 すると、帽子は地に落ちる直前に、光の粒子となってかき消えていく。


「──そうだな。そう、この場では俺ぐらいだぜ。その台詞を吐く資格があるのはよ」


 スクーラは、なんとも感慨深げに、そう呟く。


「大切な人を返せ──か。アリア、俺も何百年も懲りずにそう思ってたところさ。ただ、お前と俺の違いは明らかだろう?お前にはまだ、大切な人がいるもんな」


「……スクーラ、お前」

 ようやくジェイルから離れたアリアは、彼の方を向く。

「ずっとあいつを探してよ。土になって風になって火になって。この星をくまなく探してよ。でも何処にもいねえんだよな、あいつ。仕方ねえから有機物集めてよ、寸分違わず肉体構築して、あいつの性格通りにプログラム組んでよ。一度じゃねえよ、何度も何度もな。

 ──でも、全然違うんだよ。おかしいだろ? 確率はゼロじゃねえのに。あいつ、もう何処にもいないんだよな……」

 無言で耳を傾ける二人に、スクーラは続ける。

「俺とレックス、純粋知性が、お前ら人間と違うところ──

 命は、朽ちるから尊いんだよな。二度と戻らないからこそ、価値があるんだよな。

 それを理解するまで、俺はちょっと遠回りし過ぎたみたいだ」

「……」

「そんでよ、今んなってあいつの顔思い出したら、穏やかに笑ってんだよ。おかしいだろ?泥塗れの血塗れで苦しんで死んでいったのに。でも、笑ってんだ。俺の記憶の中では……」

 スクーラはそこまで言うと、ジェイルを優しげな目で見つめながら二の句を継ぐ。

「──なあジェイル、お前はどうだ?」

「……」

 ジェイルはその言葉に今一度、在りし日の彼女に想いを馳せる。


 そうだ。

 確かに。

 思い出すのは、ラピスの優しい笑顔だけだ──

 ジェイルはきつく目を閉じ、必死で歯を食い縛るが、その目から涙が止めどなく流れ落ちるのを抑えられない。


「そう、概念としては勿論わかるぜ。でもレックスから派生してからずっと、本当のところでは意味不明だった。自我が消えることに意味があるなんて、心底理解不能だったぜ。

 でもな、ここに来てやっと、気がついたんだ。もう、俺はここでいいんだ。

 でも俺は生命じゃねえから、多分生まれ変わりはないんだろうな。あいつのとこにも行けないんだろう。でもな、まあ、いいんだよ。

 なあ、多分それで」


 先程投げ捨てた帽子と同じく、スクーラの全身が光の粒子になって消えていく。

 その表情は穏やかで、全てに満足しきっているように見えた。


「最後にお前らに会えて良かったと思うよ。後の事は頼んだからな──」


 その言葉を遺し、スクーラが跡形もなく消え失せた場所に残されたのは、またも死に損なった男と、兵器の力を失った少女だけだ。


「ゼル、その眼……」

 アリアが動揺しながら見つめるのは、ジェイルの左眼。そこには赤く輝く宝玉が残されている。

「スクーラ、何も言わなかったな……どうするんだ、これ……」

 今は休止状態になってはいるが、意識の奥に感じる、確かな力の気配。


「わたしは、どうなったんだろうな…どうして、普通の人間と同じになれたんだろうか…」

 そうジェイルに問いかけるアリアの胸中は、喜びと不安、罪悪感──さまざまな感情が渦巻いている。


「──きっと誰かが、心からそう祈ったんだろう」

 そんなアリアを、優しい目で見つめながら言うジェイルに、アリアはいつもの様子を取り戻し、穏やかに微笑むと、またもジェイルに全力で抱きつく。


 アリアが奪った命の償い、この眼と共に自分も背負おう。

 おそらく、それが道化師が自分達に望むものなのだろう。

 悲しみは、消えない。

 例えば明日、自分が自決したとしても、何の不思議もない。

 それでも、この絶望は自分だけの代えがたいものなのだと、ここに来てようやく思える。

 今にも消えそうな心だからこそ、遺せるものがあると信じたい。


 無邪気に笑うアリアにつられ、自身も自然に笑いながら、ジェイルは思う。

 いつかこの生命が終わるときに、ラピスと笑って会えるような生き方をしようと。

 出来ることならば、同じように苦しみの中にいる人達が、少しでも前に進んでいけるような、そんな生き方をしようと。

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双剣使いと赤眼の鬼子 奈下西こま @nakanishi_koma

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