標的

 二人がキャンプ地点に到着した時、ジェイルにとっては少々、頭の痛い事態へと発展していた。

「面白え、おチビちゃん!確かに、剣を振るう時にほんの少し、右に振りにくいと思っていたそういうことか、重心が乱れてるってか!」

 ラーズが心底納得のいったような表情で、アリアを称賛していた。

「そうだな。ラーズは鍛錬たんれんに恐らく得意な型だけしがちなのではないか?故に、筋肉量にも相当左右差が発生しているから注意だな。それで脊柱せきちゅうにも負担が掛かってる。右脚も、踏み込み時の負荷で関節と腱が傷付いてるし、鍛錬のし過ぎで回復が追い付いてない。定期的に湯治とうじでも行って休んだ方がいいぞ」

 アリアは腕組みし、得意げにラーズに『アドバイス』する。

「次はおれだ、お嬢ちゃん。この槍……とあるルートで譲り受けた業物なんだが、実は時々、紙一重で相性が合わないんじゃないかと感じる時がある。確かに、素晴らしい槍なんだが、現状より上を目指すなら、替えた方がいいんだろうか……」

 真剣そのものといった様子のヒューズが、アリアの助言を乞う。

 何故この短い時間でそこまで深い話までさらけ出しているのかと、ジェイルは思う。

「ヒューズは武芸全般が達者たっしゃと見える。でもな、肝心な槍の鍛錬、本当に突き詰めていると言えるか?なまじ武術全般をおさめてしまっているが故に、違和感と向き合わずに他の鍛錬に逃げる癖があると思う。身体に合う合わないじゃなく、一流を超えたいならもっとヒューズがその槍と向き合うことだ。この十文字槍なら、応えてくれる」

 またも得意げに宣うアリアに、残ったサーシャまでもが間髪入れず言う。

「アリアちゃん本当、先生みたいだね……あたしはね、本当はもっと強い弓を引きたいんだけど、師匠にはこの弓が骨格と筋力の限界って言われちゃってて、それがすごく悩みで……あ、帰ってきた」

 ラーズは少し離れたところで早速、大剣を抜刀して虚空に向かって斬りつけているし、ヒューズはおもむろにその場で座禅を組み、神妙な面持ちで何やらぶつぶつ独り言を漏らしながら、槍を見つめている。

「アリア」

「サーシャ、それならばいい方法がある。ここアトラスから遥か西のデパス王国は知っているな?その東隣の小国ケルゼアの軍技術部が、ロストアームズの中では相当クラシックな部類に入るが、遺跡から発掘された弓の複製に成功してな」

 ジェイルが呼びかけるも、アリアにはそれが聞こえていないようだ。


「……アリア」

「関所を抜ける際に、隣国の情報共有と、軍部の不手際をサッと解決してやったおかげで司令部に招かれて設計図を見せてもらった。化合かごうきゅうという代物しろものでな」

「……」

「敢えて偏心へんしんさせた2つの滑車の働きによって、例え引き手が同じでも、安定性や矢の初速が著しく向上すると聞く。ゼルは弓が下手くそでやらんから現物はないが、安心しろ。設計図は私の頭にしっかり入ってる。この任務が済んだらアトラス城下町のランドール武器工房で作らせよう。あそこの頭領は頭が柔らかいからきっと名品が出来るぞ」

「……ルチル。川で返り血を流してくる」

 ジェイルが、埒が明かないとザックを素早く地面に降ろし、再び一行に背を向けたその時。

「あっ、ゼル。待ちわびたぞ。私も行くからな」

 何事もなかったような顔でアリアが宣った。


 辺りはもうすっかり夕暮れだ。一行が馬車から降り立ったのが午後一時過ぎだったから、おおよそ四時間は経っていることになる。

 二人が移動した先は、キャンプ地点から徒歩五分程度の河原だ。

 ジェイルはすぐ近くの手頃な大きさの岩に双剣を立て掛け、外套を取り外し、山岳地帯特有のとがった冷たさの清流で大まかに洗い流してから、全身の大部分を覆った薄手の板鎧と、顔や頭部、腕の裏側などの露出している部位を、濡れた外套を使って物のついでと水洗いしてしまう。

「ゼル、悪かったと言ってるだろう」

 水飛沫みずしぶきがかからない程度に距離を置いて少女は弁解する。

「自分もそこまで悪いこととは思っていないが、この任務限りで会わない者達だ。何よりも今回は間違いないんだろう。あまり、距離を詰めない方がいい」

「そんな、ケチくさいことを言うな。少しの話ぐらい良いだろう。皆、ゼルの師がわたしだと聞いて大層たいそう驚いていたからな。それから講義を開いてあげた訳だ」

「なんでそんなことまで……」

 鼻高々で話しながら、アリアは沐浴が完了したジェイルに、厚手で起毛された手拭いを差し出す。ジェイルが不服そうにそれを受け取り清流ですすぐと、アリアはおもむろに着ている服を脱ぎ始める。

 少女特有の華奢な骨格に、全体的に薄くしなやかな筋肉が付いている。脂肪は殆ど付いておらず、肌は透けるように白い。

 しかし、そんな少女特有の中性的な美しさも、彼女の胸部中央から顔を覗かせる、巨大なルビーのような深紅の宝玉が放つ違和感が、すべて台無しにしてしまっている。

 それは恐らくは外科手術等で後から埋め込まれたものには違いなかったが、それは現代の医療では到底不可能な水準の技術であり、その目的がピアスや刺青等のファッションの為ではないことだけは、誰の目にも明らかたった。


「……」

 ジェイルは自身の身体を拭くよりも手拭いを固く絞り、ジェイルはアリアの身体を拭き始める。

「冷たいな」

「そう言われても困るというか、いつもいつも同じことを言うが……自分は、お前の言う事には逆らわないんだから……たまにはこっちの言い分も聞いて欲しいと思っている。というか本当に、頼むから自分でやれ……」

 語尾が消えるほど溜息を吐きながらジェイルがアリアに懇願する。

依代よりしろを清めるのも神子の務めだ。ん、手が止まってるぞ。特に背中は念入りに頼む。ほら、集中しろ」

「」

 ジェイルはげんなりしながらも、手拭いを何度か絞り直し、その度にアリアの全身を丹念に拭き上げていく。

 やがて沐浴が済んだ二人はキャンプ地へと連れ立って向かう。ジェイルはキャンプ地が近付くにつれ、真剣な面持ちへと戻っていく。

 ジェイルには、ラーズ達にまだ話していない事実があった。

 傭兵部隊とは言え、何故わざわざ民間仕様に偽装した馬車を使う必要があったのか──

 それは、この作戦の全容が、単なるオルディウム討伐とうばつに留まらない可能性があったからだ。


 


 やがて日が落ちた頃、各々が焚き火を囲み、ザックの中から携帯食料を取り出し食事をしていると、数分前に何処かへ出掛けたサーシャが戻ってきた。その手に下げているのは、前脚の付け根辺りを真横からつらぬかれた痕がある二羽の兎。

「どれだけ短時間で、しかも何で夜にれるんだよ。やっぱりサーシャすげえ。おれは片目だから尚更なおさら無理だ」

 サーシャが獲物をヒューズに手渡すタイミングで、ラーズが驚嘆の声を上げる。

「ウサギを獲るなら夜の直前が一番って決まってるからね」

 サーシャがさも当然という様子で答えながらヒューズにウサギを手渡すと、ヒューズは懐から小振りのナイフを取り出し、手慣れた様子でさばき始める。


「それに──アリアちゃんに期待しすぎるのも良くないけどさ、近々こいつともお別れかもって思うと、出来るだけ使ってやりたくなってさ」

 サーシャは背負った黒い強弓を慣れた様子で左手に持ち替え、しげしげと眺めると、感慨深げに言う。

「いつも通りいい腕だ。狂いなく心臓を撃ち抜いてる。明日も同じように頼みたいね」

 手際良く兎達の皮をぎ、可食部ではない内臓や骨を、あらかじめ掘っていた穴に放り込みながら、ヒューズが言う。

 飛行する大型オルディウム、しかもそれを複数討伐しなければならない場合、不可欠なのは遠距離攻撃を連続で行える能力ということに尽きる。

 単純な威力だけなら、複数の高位魔術師による電磁投射術式に敵うものはないが、つぶての飛翔速度が音速を遥かに超えることで、耳障りな衝撃波が発生するのは避けられず、連発も難しいため、今回のような複数の目標を無力化する任務を成功させる見込みはさほど高くないと言える。

 しかし、彼女ほど卓越した腕があれば、標的が複数であっても、気づかれる前に風下から一方的に撃破することも可能となるだろう。

 通常、飛行型オルディウムは異常に発達した翼と胸骨を持っている為、なまじ心臓や肺を狙ってもいずれかではじかれてしまう。

 しかし今回、サーシャの存在と、ジェイルの卓越した戦闘能力、そして王国から貸与されたある装備により、かなり有利な条件で戦えるとラーズは踏んでいた。

 それはアトラスの国立科学技術部がアトラス領土の飛地とびちの島々を調査し、発見に至ったある生物の分泌物。

 それは先史ではコノトキシンと呼ばれていた物質で、アンボイナという名のイモガイの一種から取り出された非常に強力な神経毒だ。

 現地の島民の間では知らぬ者がないほど恐れられているこの貝だが、意外な事に近年まで王都の研究者達には知られていなかった。

 正式に知られたのはおよそ十年前、現地に派遣されたある軍人が、海洋生物の基礎知識を有していたお陰で上層部に報告が行き、後日王都の調査隊が向かったところ、現地入りした当日に複数発見されたという。

 もっとも、現在の科学水準では精製もままならないので、サーシャが使う矢は、複数のイモガイから取り出した大量の毒液をそのまま対象に撃ち込めるよう設計された代物となっている。無論、矢の重量バランスにも細心の注意が払われており、通常の矢と変わらぬ命中精度と飛距離が保たれている。


 コノトキシンは末梢神経に働く毒であり、例えサーシャの狙いがれ、急所を外して半矢になったとしても、しばらく経てば、例え大型オルディウムであろうと昏倒こんとうするに違いない。

 そこで毒が代謝される前に、息の根を止めるのが他のメンバーの仕事となる。

 被害にった近隣の村人の話では、飛行型オルディウムの数はおよそ五体。そして巣の場所もおおよそは見当がついているとのことで、地図にはその地点が赤く記されている。


 ヒューズは六本の細身の投げナイフに兎の肉を刺し、焚き火で炙る。そして表面が良い色に焼き上がったところで、別の山岳地帯で採取しておいた岩塩を削ったものを適量振りかけ、ラーズ達に配る。

 それを頬張りながら、『ヒューズが料理した肉は格別に美味い!焼き加減が最高だ』『いやそれもだがサーシャの腕があってこそ。でもこの岩塩を選ぶセンスは素晴らしいだろ?』などと騒いでいる。

 アリアも同じく周りのペースに合わせて食べているが、皆が盛り上がっているのを黙って見守っている。ジェイルも物憂げに何か考えているようだ。


 騒がしかった晩餐ばんさんも終わったところで、ルチルが索敵術式を辺り一面にほどこす。

 ルチルの杖の先から柔らかなあわい光が辺りの空間に広がり、地中にもぐると、一瞬だけその円状の有効範囲が光る。

 その半径は、おおよそ六十~七十メートル程。

 通常の魔術師の同系統の術式有効範囲は、半径三十メートル程なので、ルチルはやはり相当に優れた魔術の使い手なのだとジェイルは実感する。

 彼がこれほど優れた魔術師と作戦を共にしたことは、今までに一度しかなかった。


「さあ、食うもん食ったし、明日の作戦に備えて休むとするか」

「──少し待って欲しい」

 ラーズの提案をさえぎったのはジェイルだ。

「皆にはまだ言っていないことがある。大事なことだ。場合によっては、撤退も有り得る」



 午前五頃、まだ辺りが暗い内に、部隊一行は荷物をまとめ出発した。

 予測の地点まではここからおよそ四時間後に到着する。夜行性である標的は、おそらく狩りを終え、巣で休んでいることだろう。

 大型オルディウム。その厳格な定義がある訳ではないが、体長や体高が四、五メートルを超えるものをそう呼ぶことが多い。

 今回の標的である飛行種の大型オルディウムは、猛禽類が急激に進化した怪物とされている。

 その姿を目の当たりにした者によれば、平均的な個体でも、体長実に四メートル。そこから推測される翼の両端の長さは、優に十メートルを超える。

 鳥類らしく、体重はその体躯に見合わず六百キロ前後と予測されるが、人類からすればその戦闘能力は圧倒的だ。

 予測通りの体重であれば、矢一本に仕込まれた毒液の量で十分に致死量の筈だが、オルディウムは通常の生物と比較して毒への抵抗力も格段に強い為、決して油断は出来ない。

 奇襲の際は、光の屈折率を変える魔術をルチルが施すことで、射手しゃしゅのサーシャの位置を隠匿いんとくする。

 五、多くとも六体とされる今回の目標であるが、サーシャが一度に狙撃可能な目標数となると、ルチルの魔術支援を加味しても三、四体が限度だろう。近接攻撃要員だけで一体は正面切って仕留め、なおかつサーシャが急所を外した個体の排除も同時に行わねばならない。


 夜行性であるということは、必ず日中に活性かっせいが落ちる時間帯がある筈だ。オルディウムと言えど、無限の体力がある訳ではない。

 しかし先遣隊の作戦が昼間に行われたにも関わらず、壊滅のき目に合わされていること。

 加えて、いくら大型オルディウムとは言え、十分に対策した筈の王国軍の部隊十六名が全滅した事実を考慮こうりょすれば、敵の戦闘能力はこちらの予測を超えて高いという事になる。もしかすると群れの中に、飛び抜けて強力な個体が紛れているのかも知れない。

 無闇矢鱈むやみやたらに突撃するようなことになれば、そのまま先遣隊の二の舞になりかねない。

 もしもの時には、リーダーであるラーズは速やかに戦略的撤退を選択する必要があった。


 作戦展開予測地点までおよそ一キロの地点。地図を懐中かいちゅう仕舞しまいながらラーズが小声で指示を出す。

「よし、皆ここで止まれ」

 局地的に存在する針葉樹林。ここを抜けた辺りに標的はいる筈だ。

 ヒューズは皆の荷物を預かった後、ロープを使い地表から数メートルの高さの木の枝に吊るす。作戦の成否に関わらずこのポイントで落ち合う為の目印となる。

「いよいよだな、各々気を引き締めていけよ」

 何故かアリアが隊長のような発言をする。小声で話してはいるが、その表情を見れば微塵の緊張もないことが丸分かりだ。


「──ジェイル。昨晩の話、未だに信じられないんだが…本当にそれでいいんだな?」

 ヒューズが小声で、問いかける。

「おそらく間違いない。すまないが皆、言った通りに頼む」

 ジェイルの念押しの一言に、アリア以外のメンバーは緊張した面持ちで頷いた。



 開戦



 その瞬間、感情はただの足枷あしかせとなる。

 もしも外したら、獲物が動いたら、というたぐいの心配は考えるだけ全く無意味なことだ。

 今までに気の遠くなるほど繰り返して来たように、ただ、中たるように射る。

 それだけで、すべては解決する。


 サーシャの一家はアトラス東部に広がる森林の集落で、綿わたかもを狩って生計を立てている。

 サーシャが初めて獲物を狩ったのは、僅か七歳の頃。

 その得物は、師でもある彼女の父が手ずから、イチイの木を削り出してしつらえた張力十三キロの弓だ。

 これは成人男性ならば問題なく引ける重さだが、まだ小さな子供には明らかに不釣り合いな代物。

 それを彼女に与える父も父だが、なんとサーシャはそれを苦もなく引き切り、たった数日の訓練の後に、見事に綿鴨を射抜いた。

 もっとも、彼女の一撃だけでは流石に仕留めきれず、父が直後にとどめを刺したのだが、その見事な結果に、普段は寡黙かもくな父も大層喜んだという。

 何代にも渡って猟師として生きてきたサーシャの一族には、生まれながらにして非凡な弓の才能が備わっていた。それは、進化と言っても差し支えのないほどに。

 しかしサーシャは、女なんだからもう弓は止めろという、一部の親戚の心ない声に嫌気が差し、女でも男よりも優位に立てると証明する為、数年前から単独で傭兵を生業なりわいとして生き始める。

 そしてある任務にまつわる縁から、ラーズ隊へ厄介やっかいになることになったのだった。


 サーシャとルチルは、靴を脱いで素足になった上で細心の注意を払い、木の陰に隠れながら、目標地点までおよそ二百メートルまで慎重に近付く。そこまで視力の良くないルチルにも、木々の隙間の向こうにそびえる、巨大な黒い塊を確認出来た。標的たちは折り重なって眠っているらしく、ほぼ動きがない。

 サーシャにとって、単に命中させるだけならば容易い距離だが、複数の強大な怪物相手となると、強化術式で補強した矢尻で急所を正確に射たとしても、その表皮すら貫けるかどうか怪しい。

 そこでギリギリの所まで、慎重の上にも慎重を期して距離を詰めていく訳だが、ある地点で、これ以上は危険だという共通の感覚が、二人の胸中に俄かに迫り上がる。

 標的までの距離はおよそ百五十メートル。

 ルチルが目で合図を送り、無言で隠匿いんとく術式を展開する。

 可視光を屈折させじ曲げることで、ゆっくりとした徒歩の速さでしか移動出来ない事、効果持続時間が最長十分程度という条件はあるが、二人の存在は最早、何者にも感知不能となる。

 そうして二人は、じりじりと標的に近付いていく。

 ここまで来れば、ルチルの目にもはっきりと標的が見て取れる。この距離でも相当な迫力だ。

 幾度いくどとなく死線をくぐって来た二人であったが、これ程までの緊張は味わった事がなかった。

 ルチルの首筋を冷や汗がつたう。

 距離およそ五十メートル。

 森林がちょうど開けた空間に彼等はいた。

 目標の群は、やはり眠っているらしい。これは僥倖ぎょうこうだ。

 その周囲には哺乳類の毛や衣服や鎧の破片が散乱し、おびただしい量の血痕けっこんが残されていた。

 サーシャ達の位置から確認出来るオルディウムは、四体。そのいずれも頭部か首筋を露出させている。

 ──この距離ならば、抜ける。

 そう確信したサーシャは、先行するルチルの肩にそっと手を置き、木の陰にしゃがませると、数秒の内に呼吸を整える。

 てると決意した瞬間、感情はただの足枷となる。

 外したら、獲物が動いたら、それらは考えても全く意味がないこと。

 ならば、ただ外さないよう射る。

 それだけで、全てあるべき所に落ち着く。

 そして流れるような動きで、矢をつがえ、弦を引き絞った時。

 彼女はもう──何も考えてはいない。


 黒い強弓から放たれた最初の矢は、ほぼ直線の軌道をえがきながら、木々の隙間を切り裂き、サーシャから見て一番遠い地点で眠っていたオルディウムのひだりまぶたごと眼球を貫通し、脳を損傷した。

 コノトキシンは、生物の筋肉や呼吸器に特に重篤じゅうとくな作用を及ぼすので、仮に即死を免れたとしてもそれがダメ押しとなるに違いない。

 続いて、最初の矢が着弾するよりも早く放たれていた矢は、サーシャから二番目に遠い位置にいた若いオスのオルディウムの首筋へと吸い込まれる。

 またも驚異的な精度で硬い羽毛部分を避け、なおかつ矢尻部分を、動脈まで穿孔せんこうさせることに成功した。

 いかに奇襲に不慣れなオルディウムとは言えど、本能的に危機を察したメスの個体が警戒の声を上げようとくちばしを開いたその時、三本目の矢が口内を貫き脳へと至る。

 苦痛の声を上げ、激しくのたうち始める同胞たち。

 最後のオルディウムは、もう完全に襲撃者の存在に気が付いている。はっきりと知覚出来た風切音。

 ──これは、人間の弓兵の仕業しわざだ。


 すべてのオルディウムに共通することであるが、異常なほど旺盛おうせいな攻撃性と加虐性の他、種族によって違いはあるものの、それぞれの進化元の生物よりも高度な知性を持ち合わせている事も珍しくはなく、これがオルディウムの脅威に拍車はくしゃを掛けている。

 最後のオルディウムは全身を瞬時に強張らせ、逆立った羽毛と強靭な筋肉で、全身を守る鎧を形成した後、その驚異の視力で、矢が飛んできた方向を索敵する。

 しかし肉眼で二キロ先の兎をも補足する眼は、襲撃者の姿をとらえる事が出来ない。

 彼がその不自然さに気付いたその直後。

 言葉を持たない彼の最期の思考を、無理矢理に言葉で表現するならば。

『なんだこの黒い点は?大きく、大きくなる……』

 サーシャがオルディウムに向けて放った一撃は、彼の眼球の中心を恐るべき精度で捉えた事で、その距離感を掴みにくくし、彼に回避行動を起こさせなかった。

 特製の鏃は、初めの一匹と同じく、彼の眼球の中心を抜けて脳に到達、同時に大量の毒液を溢れさせながら静止した。


「よし!」

 木陰から飛び出したラーズが、抜き身のグレートソードを背負いながら全力疾走する。

 そのすぐ背後をヒューズとジェイルが続く。

「見事だ!」

 ジェイルも珍しく感情を込めて声を上げる。

 近接戦闘において鬼神の如き強さを誇る彼ならば、弓もある程度は修めていて当然だったが、弓の練度だけは、王国軍の兵士の平均を大きく下回ってしまう。

 引く力加減が分からないというのが主な理由だが、兎も角、ジェイルは自らに不可能な事を成すサーシャを、素直に賞賛する。


 奇襲開始の際、近接武器の三名は標的の風上に侵入しない様、細心の注意を払いながら、サーシャ達とは別の、目標から百メートル程の地点まで回り込んで待機していた。

 サーシャ達から見て右手側の木々の影だ。

 そして最後のだんちゃくを確認した瞬間、スリーマンセルで確実に標的の息の根を止める為に突撃する。


 自身の精神の未熟さも相俟って、馬車の中で思わぬ牽制けんせいをされてしまったが、ラーズもまた、数々の戦いを生き延びてきた歴戦の猛者だ。

 通常、グレートソードと呼ばれる大剣は乱戦用の武具であり、実戦で使われることはほぼない。その重さの余り、隙が大き過ぎるからだ。

 そんな扱い難い武器をラーズが好んだ理由は、彼のたいかんの異常な強さにあった。

 勿論、斬撃に不可欠な握力、手首の頑強さ、上腕の筋力、股関節の柔らかさ、大腿と脹脛の瞬発力、様々な要素でラーズは並の剣士とは一線を画している。

 しかしそれだけでは、グレートソードを振る事は可能でも、自分より大きな敵を『斬る』ことは難しい。

 彼は常人には考えられない程、強く大きく発達した脊柱せきちゅう起立筋きりつきんと腹筋群の出力をたくみに利用することで、通常の剣士が振るう片手剣の剣速で、大剣をあつかえる境地に達していた。

「おおおおおおおお!」

 裂帛れっぱくの気合いを込めてラーズが斬撃を繰り出す。狙いはサーシャが首筋を射た、二匹目のオルディウム。

 動脈に猛毒が注入されていようと矢傷自体は軽傷なので、やはり毒が作用するまでの僅かな時間は、恐ろしい脅威であることに変わりはない。

 予期せぬ襲撃者達を上空から迎撃しようと、羽ばたき始めたオルディウムの左翼の真ん中辺りへ、容赦ない一撃が加えられる。


 ズドン!


 翼ごと断ち切る事は不可能だったが、人間でいうところの前腕部の骨、橈骨を両断した。

 これでこの個体が飛び立つ事はない。

「ヒューズ!」

 翼へ深く食い込んでしまった大剣を引き抜くと同時に、オルディウムの巨大な嘴によるラーズの頭部を狙った反撃を、膝の『抜き』により紙一重でかわしつつ、ラーズが叫ぶ。

「──今終わる」

 ラーズのすぐ頭上から答えるのは、十文字槍を両手でたずさえ、高くんだヒューズ。

 体長四メートルの巨体とはいえ、嘴で人の頭部を狙った攻撃を出せば、当然背を曲げ、まるでお辞儀をして頭部を差し出している様な格好かっこうになる。

 そうした体勢で、オルディウムは正に今、空中からこちらへ向けて必殺の一撃を繰り出そうとしているヒューズを見つめる。

 しかし、いくら鮮明に捉えられていても、この体勢から何らかの動作を行うことは、もう不可能だ。

 その優れた視覚は、槍の穂先が自らに真っ直ぐ迫り、頭蓋内へ侵入して来るその瞬間まで、正確に機能し続けた。

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