双剣使いと赤眼の鬼子

奈下西こま

幕開け


 数百年前、この星がまだ地球と呼ばれていた頃。

 突如として地球全体を襲った未曾有の大災害により、人類は人口の大部分を失い、その文明を大きく後退させられていた。


 乱れに乱れた生態系が生み出した、強大な力を持つ残酷な化け物たちはオルディウムと名付けられ、弱った人々をさらに苦しめている。

 人類はかつての活動範囲の多くを失い、現在は限られた生活圏の中で、こちらも厄災の後に発生した亜人種と呼ばれる様々な種族と手を携えて暮らしていた。

 これはそんな世界で、すべてを奪われた男が、復讐の果てに死に場所を見つける物語。

 人の悪意、そして世の理不尽に疲れ果てた、あなたに捧げる物語。



 煉王暦三三八年十月 デパス王国領内 『果ての神殿』地下一階


 自分は、今日この日の為だけに、反吐を吐きながら鍛錬を重ねて来たはずだ。

 心を通わせるただ一人を、あらゆる暴力から守ると自分自身に誓ったはずだ。

 なのに、どうして……




「さて。お前に出来ることは、もう何もなくなった」

 少女の姿をした鬼が、右手に光り輝く奇妙な剣を携えて、なんとも嬉しそうに言う。

 視界が霞む。血の味が、絶えず体の奥からせり上がってくる。

 少女の左手には、今しがた切り離された、自分の右腕がある──


 自分は、負けてしまった。

 絶対に負けてはいけない戦いに敗れた。

 こんな事なら、すべて捨ててどこかに逃げればよかった……

 なぁラピス……なんでだろうな。

 自分たちはただ、ただ幸せになりたかった…それだけしか、望んでいなかったのに。


 だれか、お願いします。

 お願いだから、あの人を助けて……






「──ああ、殺す……」


 そうして、すべてを奪われた者の深い怨嗟の声が、深い闇の奥から聞こえる。

「……許さ…、あああ!殺す、殺す……絶…殺……やる……」

 前のめりに倒れ込んでいる声の主は、全身に大小無数の傷を負った、血塗ちまみれの大男。

 弱冠二十歳の年齢ではあるが、深い憎悪と苦痛に満ちたその表情は、とても年相応とは言い難い。

 かたわらには、切り離された彼の右前腕が無造作に落ちていた。

 真っ暗闇の神殿の中、男が持っていた携帯照明の光が、流れるおびただしい血に反射している。

 この出血量なら、致命傷に違いない。

「残らず、首を……!」

 男が左手を伸ばす先には、男のものとは違う、異常に粘度の高い血溜まりが、石畳を染め上げていた。

 それはちょうど、小柄な人間一人の身体を極限までしぼり上げたような──


 男は砕けんばかりに奥歯を食い縛り、残された左腕に渾身こんしんの力を込めると、床から拾い上げた独特な形状の大型マチェットを石畳の地面に突き立てた。


 ガチッ!


 石が砕ける音と共に、橙の火花が派手に散る。

 マチェットとはいうものの、石畳に突き立てられた刀身には、刃がほぼ残っていない。

 更にその高炭素鋼の表面は、全体が高温で瞬間的にかされた後、冷えて固まったかのように、泡立ち波打っていた。柄の木材も黒く炭化し、今にもバラバラに砕け散りそうだ。

 男はそれを杖に立ち上がろうとする。


 しかし、その脚からはとうの昔に力が失われ、地を踏みしめる役割を果たすことが出来ない。

 そうして中途半端に上半身だけを伸ばしたまま、またも前のめりに倒れ込んでしまう。

 その際にも顔をかばうような動作は一切なく、尖った石畳の縁によって、男の頬に新たな傷がきざまれる。だが、そこからは最早もはや、血は流れ出ず、全身が彼の意思とは無関係に、細かく痙攣けいれんし始めた。

 もう、ながくはない様子だ。

 その眼からは随分前から光が失われ、乾き切っている。

 それでもなお、たいの男は今にも消えそうな声で続ける。

「あああああああ…殺す、殺す……絶対に……よくも、ラピスをっ……!」


「──そんな状態でよく喋れるな。お前なら、あるいは……」

 暗闇から突如現れた人影から発せられた、自身を値踏ねぶみするような台詞せりふを最後まで聞く前に、男の意識は完全に消失した。


 それから十五年後。

 煉王歴三五三年九月十四日

 アトラス王国領内 サウスヒルズ


 目的地へと急ぐ、一台の四頭引き大型馬車。

 アトラス王国軍所有の特殊車両だが、その外見は民間仕様に変えられている。


勅命ちょくめいとは言え、こう急ごしらえじゃあね」

 ため息と共に呟いたのは、栗色の髪をポニーテールでまとめた、弓兵の若い女。

 細身の身体には似つかわしくない、いかつい弓を丹念に磨き上げている。まだ弦は張られていないが、大の男でも満足に引けるかどうかの強弓に見える。

「なんてったってアトラス国王様の意向だ、贅沢言うんじゃねえサーシャ。魔具のお陰でほとんど揺れねえんだからいいだろ。さっさとやることを済ませろ」

 少々苛立った様子で彼女に反応したのは、隻眼せきがんの青年剣士だ。上背うわぜいはそこまで高くないが、発達した全身の筋肉と立ち振る舞いは、彼が相当の実力者であることをうかがわせる。

 馬車の壁に立て掛けられた彼の長剣は全長百八十センチ程もあり、彼がその気になれば並の騎馬兵なら馬ごと両断出来そうだ。


「少しの愚痴ぐらい良いじゃないかラーズ。到着まで、まだまだ余裕がある」

 亜人種の女魔術師が三角帽子を深く被り、壁に背をして座った姿勢で、分厚く古めかしい書物を読みながら、隻眼の剣士に目を合わさずに言う。

 尖った大きな耳と、褐色の素肌にエメラルドグリーンの瞳をした、人で言えばまだ十代後半に見える亜人種、ブラウンエルフの少女。

 ただし、亜人種の大半は肉体の成長が人類よりも格段に遅いため、正確な年齢を見た目で判断するのは不可能に近い。


「そりゃあ、やっぱり……この方々がねぇ」

 影の薄い、長身の十文字槍使いの男が意味ありげに答える。目が切れ長で細く、東方の血を感じさせる男。

 彼の槍の全体に刻まれた無数の小傷や、研ぎ澄まされた刀身は、彼もまた、歴戦の古強者ふるつわものであることを表していた。


 槍使いの言葉の後、この4人の視線は自然と、無言で馬車内の長椅子に座り込む二人の人物に注がれる。

「──おいオッサン、やっぱ言わせてもらうわ。これはよ、遊びじゃねえんだよ。そんなガキ連れやがって、一体どういうつもりだ?」

 ラーズは隻眼を鋭く光らせ、大型馬車の反対側に腰掛けている二人組に詰問きつもんする。

 二人組は、齢三十代半ばの双剣使いの偉丈夫いじょうふと、まだ十代前半の白髪赤眼の少女だ。


「……」

 男の反応はない。

「黙ってんじゃねえぞ、オッサン。王国直属の先遣隊せんけんたいが文字通り全滅してる。皆殺しだ。命令って言っても、子連れと同行する余裕なんかねえんだよ。中継地点の街で降ろしてやるからそこで帰投まで待っとけ」

「随分な余裕だ、ラーズ隊長殿。部隊も少数精鋭、自信に満ちている──だが王が自分を同行させた理由、もう少し深く考えてみたらどうだ」

 ラーズの吐き捨てるような乱暴な物言いに、ようやく双剣使いが低い声で答える。

 外套がいとうと無骨な板鎧で、その大部分は隠されてはいるが、ラーズの肉体をしのぐ体格と筋量。

 練度は別として、彼の長剣も扱えるに違いない。

「……確かにてめえは、かなりやるだろう。おれも素人じゃねえ。てめえが見掛け倒しじゃねえってのは一目でわかる」

 十文字槍使いの男も同意を込めて頷く。

「──だがそのガキはなんだ!見たところ初級の治療術式も使えなさそうなただのガキ。

 ハッ、剣の腕は知らんが頭の方はイカれてるらしい。お前ら、髪の色も目の色も顔つきも全く違う。血が繋がってるとも到底思えん。となるとそいつは──オッサン、お前が毎晩可愛がってるオモチャってことでいいんだな?」


 度を越した挑発。

 リーダーが一線を越えてしまった感覚に、一行に緊張が走る。

「ラーズ!いい加減に──」

 魔術師のルチルが読んでいた本を荒く閉じ、隊長を強くたしなめようとする。

 その刹那。

 馬車内にドス黒く膨れ上がる殺気。

 双剣使いの右腕と、左腰に差された小太刀が掻き消え、次の瞬間には納刀の動作へと移行していた。鍔が鯉口にぶつかり、チィィンと甲高いつばりが響く。

 その音に合わせるかのように、ラーズの頸の円周に沿って一筋の赤い線が走り──


「ぐっ……!?」

 声の主はラーズだ。

 慌てた様子で首元を何度もさする。が、両断されたはずの首は、そもそも無傷。何事もない。

「ラーズ!」

 遅れて弓兵のサーシャと女魔術師ルチルが反応し、彼の元へと駆け寄る。

 確かにここにいた全員にはハッキリと見えた。双剣使いの居合が、ラーズに致命傷を負わせたのを。

「何事にも、加減は必要だとは思わないか、

 隊長殿」

「こいつは、驚いた……抜いたのは、途中までで、後は……殺気か」

 ラーズの息は上りきり、全身からは冷や汗が止まらない。

「──命のやり取りを望んでいるわけではないだろう?頭を冷やすことだ」

 槍使いのヒューズはそんな双剣使いの言葉に、額の汗を拭う余裕もなかった。

(命のやり取り?冗談じゃない。全く反応出来なかった。いくらなんでも速すぎる……こいつは、一体……)


 猛者揃いのはずの一行が緊張で静まり返る中、それまで一言も喋らなかった双剣使いの連れ合いの少女が、唐突に澄んだ声を上げる。

 もう少し成長すれば、男達の視線を集めるに違いない整った顔付き。両の瞳は大きく、ルビーの様に赤い。肌は透ける様に白く、伸ばした銀髪は光を反射してつややかだ。

「わたしが、断じて許せない間違いが一つだけある。わたしが玩具なんじゃなくて、この男が、わたしの所有物なんだ」

 不敵に微笑み宣言する少女に対し、双剣使いの偉丈夫は目線を下げ、頭を左右に振り、溜息混じりに答える。

「そうだ。結局は──そういうことだ」



 中継地点の街で何度かの休息を挟みつつ、出発から二日後、部隊の馬車はアトラス王国南部にそびえる、巨大な山岳地帯の山路を走っていた。

 こんな悪路を馬車で走破するなど、本来ならば到底あり得ない話だ。

 だがしかし、王国直属の高位魔術師と魔具師の匠の技が、不可能を可能へと変えた。

 強化術式に特に長けた術士が施したそれは、寿命と引き換えに、馬の肉体強度を通常の数倍まで引き上げ、魔具師によって馬車に着装された、空気圧を絶えず調整することで優れた衝撃吸収機能を備えた魔具は、車輪や車体にかかるストレスを極限まで減衰げんすいさせている。

 また、車輪自体も衝撃吸収性に優れた、今日こんにちでは大変貴重な合成ゴムでおおわれている。

 この特殊な馬車を意のままに操る御者ぎょしゃも、間違いなく只者ただものではない。

 ここまで高コストの予算が惜しみなく注がれるところを見るに、流石は大国の王の勅命と言ったところか。


 そこから更に数時間後、ようやく作戦開始地点に到着した一行は、若干のわだかまった空気を漂わせながら、それぞれが下車の準備にかかる。

 そうして全員が荷物と装備をまとめて降車したのを確認した御者は、一礼し馬車を発車させた。回収地点は現在地と同一、時刻は今から二十四時間後だ。それまでに全ての任務を完了させねばならない。

 今回の目標はラーズが話していた通り、猛禽類から進化したとされる大型のオルディウム数体。彼等は日が落ちてから、かなり離れた人里にも降り立っては老若男女を問わずさらい、巣に持ち帰り嬲り殺しにし、被害を拡大させている。

 通常なら、オルディウムも例に漏れず、鳥目で夜間の行動は不得手ふえてな筈なのだが、今回の被害の多さは、その常識外れな生態も大きな要因となっている。

 彼らは例外なく獰猛で、人間のことを獲物としか認識しないため可能性は低いが、今回の標的がそういった亜種の場合、不利を悟った途端に半矢はんやで逃げられる事も考えられる。

 前回はアトラス王国軍の先遣部隊が壊滅した為、少数精鋭の傭兵による隠密作戦に切り替えての任務となった訳だが、ジェイルが早々に作戦指揮官の鼻っ柱を粉砕してしまったことで、任務の遂行に支障をきたしてしまっていた。

 しかし──

「自己紹介が遅れてしまって本当に申し訳ない。私は魔術師のルチル」

 褐色の肌の亜人種、ブラウンエルフの娘は、覚悟を決めた様子でジェイルと少女に近づき脱帽すると、一度頭を垂れてから続ける。

昨日さくじつのこちらの無礼、誠に申し訳なかった。皆、妙に萎縮いしゅくしてしまっているので、ここで私に代表して詫びさせて欲しい。作戦にも影響が出るかも知れない。今一度しっかりと伝え謝罪したい。明らかに、こちらに非があった」

 それを少し離れた場所から聞いていたラーズは、最初ギョッとしていたものの、ルチルが二度目のお辞儀をするに合わせ、それにならう。

「私はルチル。ルチル・ウィスプウェルだ。傭兵仕事がない時は、ずっとオルディウムの研究をしている。今回もサポート面で役立てれば幸いだ」

 そう言ってルチルが差し出した手を、ジェイルは間を空けず握り返す。

 まるで岩のような手だと、ルチルは思った。

「実は自分も、道中どうちゅうどうしたものかと、悩んでいた。自分はジェイル。ジェイル・クロックフォードだ。こちらの赤目娘あかめむすめはアリア。部隊で行動しなくてはいけないのに、つい感情に任せて動いてしまった。年長者として相応しくなかった。すまなかった」

 ジェイルと名乗った双剣使いの表情は相変わらず読めないが、その雰囲気は幾分いくぶんやわらいだようだ。


 ルチルのようなブラウンエルフも含めた、人類と生活圏を共にしている亜人類の特徴として、人類と比較して平均知能は同等か、あるいは多少上回るほどの高い水準であるが、精神面での悪意、狡猾さがあまりなく、他種族である人類とも素直にコミュニケーションを取る種族が大半を占める。

 この特性に対して研究家界隈かいわいでは、数で上回る人類との無益な争いを避ける為だという説や、種としての歴史が浅いが故に、狡猾さをまだ身につけていないという説が有力だ。

 中には創造主が、人類が厄災から立ち直る為に創造したのだという不遜ふそんな意見もあるが、ともかくそういった特性から、下手をすれば亜人種の方が信頼が置ける、というのが世間一般の通説であり、事実、亜人種が大企業の重要な役職にいていることも、今では決して珍しくない。


「隊長。彼女に甘えてしまうが、今回の任務は名目上、貴隊に命じられたものだ。隊長である貴官に我々の運用を改めて正式に委任したい」

 ジェイルのその台詞を聞くまではバツが悪そうな顔をしていた若き隻眼の剣士だが、ここに来て本来の、隊長としての本分を取り戻したように見えた。


「すまねえなルチル、こんな役目をさせちまって。おれがリーダーなのによ。

 なによりあんた、言っちゃいけねえことを軽々しく言っちまった。勅命なんて初めてなもんで、緊張して気負い過ぎて舞い上がっちまった。頼む、許してくれ」

 ラーズは勢いよくジェイルに深々と頭を下げる。

「自分は、その言葉で充分だ。大型オルディウム複数、しかも猛禽類ベース。これは自分一人ではおそらく手に余る。個の力ではなく、部隊としての力が肝要かんようと思う。しっかりと連携を指示して欲しい」

「了解した。と言っても、あんた程の達人でも、連れを守ったままどう戦うのか、実際の戦闘を見てみないとイメージできねえ。幸いというか、奴らの寝ぐらの予想地点までもう少しかかる。それまでに通常のオルディウムと遭遇したら、試してみてくれねえか?」

「守る、か……いや、わかった。そうしてみよう」



 修羅



 そしておよそ二時間後、目的地へ向かう一行の前に姿を現したのは、中型のオルディウム三体だった。

 距離はおよそ百五十メートル先で、まだこちらに気付いてはいない。

 さすがに単騎で三体は多過ぎると助太刀に入ろうとしたラーズを、ジェイルは手振りで制する。

 そして背負った巨大なザックを素早く、しかし静かに降ろしながら、呟くような声で言う。


「問題ない、あの程度なら」


 その声を聞いたラーズは思わず馬車内での出来事がフラッシュバックし、ただ無言で頷く。

 魔術師のルチルもまた、奥歯を噛み締めて、無言で三体のオルディウムを見つめている。その眼には、何らかの、感情をし殺した光が宿っていた。


「でも、あれは…」

 弓兵のサーシャが呟いた理由は、オルディウムの種族。

 通称、鎧竜と呼ばれる怪物で、亀の一種から急激に進化したものとされる。

 体長は三メートル、体高二メートルほどで、体重は優に三トンを超える。乱雑に生えた巨大な牙と、鋭い爪がその攻撃手段だ。

 それだけでも人類からすれば多大な脅威だが、それに輪を掛けて厄介なのが、彼等の全身に張り巡らされた甲羅という装甲だ。

 それ以外も、四肢と頭の大部分が、尋常ではないほど硬い金属の結晶で構成されており、刃物で斬りつけるなど、全くの悪手あくしゅとしか言えない。

 十数年前、この国の領土内で一体の鎧竜が亜人種の家族を襲い、幼い女の子を一人残して虐殺した事件があった。

 その後、王国軍が討伐した鎧竜の死骸を使った実験では、用意された刀剣類のほぼ全てが使い物にならなくなったと記録されている。


 この種を比較的安全に倒すセオリーとしては、弓や弩、あるいは槍で鎧竜の間合いのはるか外から、弱い口内や首の付け根部分を狙って破壊するか、よほど腕に自信があるならウォーハンマーやヘビーメイスなどの鈍器で頭部をピンポイントで殴打おうだし、のう振盪しんとうを起こさせた後、装甲が薄い首の下顎側したあごがわからナイフで頚動脈をって仕留めるか、手っ取り早く済ませたいなら、魔術師の火炎術式で火炙ひあぶりにするかだ。

 しかし双剣使いの武具は重さが精々せいぜい一キロ、刃渡り六十センチほどの小太刀こだちが二本。これはいくらなんでも無謀すぎると、サーシャが声を上げたのも無理はなかった。


「アリア。念のために補充しておく」

 ジェイルは両手を身体の前で交差させ、左右の腰に納められていた刀を抜きつつ、赤眼白髪の少女にだけ聞こえる声量で呟いた。


「それに越した事はないが……制御だけはしっかりな」

 合わせて小声で返答するアリアに緊張や焦燥しょうそうは全く見られない。それほどまでにジェイルを信頼しているのだろうか?

 アリアは、オルディウムと距離を詰める双剣使いの後方から十メートルほど離れ追行ついこうしていく。やがて三匹がこちらに気付き、その間合いが一触即発となった瞬間、アリアが言う。

「さあ、行って来い」


 それに呼応こおうするかのように一番先頭にいた鎧竜が、巨体に見合わぬすさまじい速度でジェイルとの間合いを詰めると同時に、よこぎに高硬度こうこうどの爪を繰り出した。

 成体なら、どの個体であっても三トンを超える彼らの一撃は、例えば人間の四肢ししに当たれば、爪の鋭さもあいまって、さしたる抵抗もなく千切ちぎれ飛ぶ程だ。

 そして、彼らが得意とする薙ぎ払いの攻撃は例外なく、人の腸部分から下を狙って繰り出される。

 これはすべてのオルディウムに共通することだが、例え狩りであっても獲物の急所を狙って一撃で仕留しとめることは、その性質からあり得ない。

 まずは運動機能を奪ってから、可能な限り長い時間をかけて、嬲り殺しにしていく──


 そうして、鎧竜の防御不能の初撃がジェイルと交錯こうさくしたと見るや、そこから三十メートルほど後方で事の顛末を見守っているラーズ達を大きく飛び越すように、何か肉のかたまりが凄まじい勢いですっ飛んで行く。

「お見事……」

 槍使いのヒューズは優れた動体視力で、その正体が何なのかしっかり視認した後、思わず呟き、生唾なまつばを飲み込んだ。


 鎧竜が右前みぎまえあしで放った横方向の攻撃に合わせ、双剣使いはえて左足を鋭く踏み込ませ、右手で打ち下ろす斬撃で迎えた。

 そして、ラーズ達にとっては信じ難いことだが、そのまま鎧竜の前脚の先を、その装甲ごと斬り飛ばしたのだった。


 鎧竜はまだ、自分の身に何が起こったのか理解出来ていない。

 当たると確信した攻撃が外れたどころか、自身の右前脚は消失し、青い鮮血がき出ている。

 しかし、彼がその痛みと、自らが置かれた状況を正確に理解する前に、双方の間合いの遥か内側、ほぼゼロ距離にまで到達していたジェイルが、今度は左手上段からはなった二の太刀で、彼の首は分厚い装甲ごと離断りだんされていた。


「なんだありゃあ……」

 思わず左手で首元をさすりながらラーズが言う。

「アレ、パッと見、普通の刀に見えるけど、何か特殊な術式でもかかってる?なんで切れるの?おかしくない?」

 驚異の視力を誇る弓兵のサーシャは、裸眼で双剣の刀身の細部までまじまじと観察しながら、武具の鑑定技能にも長けたヒューズに問い掛ける。

「先程歩きながら少し見せてもらったが、業物には違いないね。はがねに見えるけど、何か特殊な合金が使われてる。でもそれだけじゃ到底、あの芸当の理由にならない。

 例えば大業物の太刀でも、あの装甲なら数センチ切りつければ御の字と言える。金属の塊だからね。おれも刀剣の心得はあるけど、例え寿命を削るほどの強化術式をかけたところで、あれだけの芸当は、不可能だろうね……」


 それから後の戦いは、一方的なものだった。

 鎧竜の青い返り血を半身に浴びたジェイルは、ゆらりと残りの鎧竜に近づく。

 遥か後ろから見守る部隊一行には、彼の表情をうかがい知ることは出来ない。


 2匹目の鎧竜こそ、戸惑とまどいながらも果敢に同じ攻撃を繰り出しては来たが、今度は攻撃が届く前、後から始動したはずのジェイルが放った、大上段だいじょうだんからの唐竹からたけりで頭部を縦に断ち割られ、地響じひびきを立てて崩れ落ちる。

 延髄えんずいごと頭蓋を両断されて、死をまぬがれる脊椎動物はいないだろう。


「残り、一つ……」

 誰にも聞き取れないほどのわずかな声量でジェイルが呟くと、またもゆっくりとした足取りで最後の獲物へ向かう。

 最後の鎧竜は比較的小型の雌の個体。

 彼女は自分が数秒後にどうなるのかを理解しており、逃走したとしてもその試みは徒労とろうに終わると、本能的に気付いているようだった。それ程までに、ジェイルの暴力は圧倒的だった。

 彼女はただ、置物のように動かない。歴戦の強者であるラーズたちも、獰猛なオルディウムが戦意を喪失するのを見るのは、これが初めてのことだった。

「──ルチル。あんなの、あり得るのか?」

「あり得ない。奴等が、恐怖を感じるなど……」

 ラーズの問いに、静かに驚嘆と怨嗟の感情を込めて答えるルチル。

 しかし、ジェイルの桁外れの戦闘力、そしてオルディウムの常識をくつがえす姿のインパクトが大き過ぎて、その哀れな鎧竜の有様を見つめるジェイルの瞳が、ひどうつろなものに変容へんようしていることに気付いた者は誰もいなかった。


「あ、まずいな…まあ、いいか」

 小声でそう呟く、アリア以外は。

 ジェイルはあくまでもゆっくりと近づいていく。

 鎧竜の雌は動かない。動けない。

 ただ4本の脚だけが、ガクガクと小刻みに震えている。

 そして鎧竜のすぐ右斜め前まで着いたジェイルは、一挙動で、彼女の右前足を斬り落とす。

「ギアアアアア……」

 力なく叫ぶ鎧竜。

 その数秒後、続いて右後脚も同じ運命を辿る。


「ちょっとあいつ、どうするつもり……」

 息を呑んで戦闘を見守っていたサーシャが思わず呟くのも無理はない。

 勝敗は既に決していた。


 観念した哀れな鎧竜は、自分から見てみぎまわり順に、全ての脚と、尾を斬り落とされていく。

 一連の作業の中、双剣使いの身体がこちらを向くことで、彼の顔が確認出来た。

 その目はまるで、死んだ魚のそれの様に虚ろで、焦点が合っていなかった。

 ヒューズにはその有り様に、情緒不安定な子供が、粘土細工を勝手かって気儘きままに千切り遊んでいる光景を連想する。

「きもちわる……」

 サーシャが嫌悪感を隠さずに吐き捨てた。


 やがて、理不尽な加虐かぎゃくの時も、終わりが来る。

 右手で大きく振りかぶった大上段の構え。

 青く染まった小太刀は、真っ直ぐ天へ屹立きつりつしている。

 達磨だるまにされた雌竜は最早鳴き声も上げず、じっとその瞬間を待ちわびている。

 斬り落とされた四肢から流れる青い血の量は、まだ彼女の意識を奪うにはいたらない。

 そして、次の瞬間。

 ようやく振り降ろされた剣は、あろうことか、ビタリと彼女の首元で、寸止めされた。

 ジェイルの虚ろな瞳が、哀れな鎧竜の目を至近距離で覗き込む。


「ギ、ギアアアアアアアア!」

 その意味を悟った竜は、せきを切ったように嘆きの声を上げ、最後に残った首を、滅茶苦茶に振り回した。

 この人間は、決して自分を楽にさせてはくれない。

 自分たちがこれまでに獲物にしてきた仕打しうちを、今度は自分が受けるのだ。

 彼女を支配するのは、紛れもない恐怖、絶望。

 化け物であるはずのオルディウムにも、人類たちと変わらず、その感情があるのだとはっきり理解させられるほど、悲痛な表情を浮かべている。


「何なの、もうやめて……」

 サーシャはその凄惨せいさんな光景に、思わず両目を手で覆ってしまう。

 そして、哀れな雌竜の、あふれる恐怖が最高潮に達したであろうその瞬間。

 今度こそしっかりと、彼女が切望した一撃が放たれる。

 しかし、ゴトリと地に落ちた首は、そのまま恐怖と苦痛の表情をくずすことはなかった。


「……」

 ジェイルは、刀身に付着した青い血液を自らの外套で丹念に拭き取り、納刀のうとうしてからこちらに向かって歩いて来る。

 その表情は、先程までの虚ろなものではなく、視線は地面に向けられ、奥歯は噛み締められている。その瞳には明らかな後悔の念があった。


「実力は十二分にわかった。しかしこれは……」

 ヒューズが無意識に手汗を握りながら、皆に向けて呟く。


「──仕方ない。うん、ご馳走ちそうさまだ」

 惨劇を最後まで見届けた銀髪の少女は、ラーズ達に背を向けたまま、またも小さく呟き、自分の胸部をでさする。その胸部が、彼女の服の下で赤く発光しているのに気づいた者は誰もいなかった。


 不具


 そのまま一行の方へ歩いてきたジェイルは、特に怪訝な顔を隠そうとしないサーシャの視線から顔を背けるように素早くザックを拾い上げる。

「──すまない。すぐに追いつく」

 ラーズ達に目を合わせないまま、ジェイルは言う。


「何か、計算違いがあったってことか?おれは、強けりゃ細かいことはどうでもいいけどな。というか隊員として欲しすぎるが……おい、チビちゃん、一旦いったん一緒に来な」

「わたしか?」

 ラーズは、さしたる動揺もなくアリアを呼ぶ。その落ち着いた様子は、先程馬車の中での騒動の時とは違い、リーダーとしてのふところの深さを感じさせるものだった。

 若さゆえのムラはあれど、兵をたばねる者の資質は確実に持っているようだ。

 アリアはその呼び名が気に入ったようで、機嫌良さげに微笑みながらラーズの近くまで歩み寄る。


「陽が落ちるまでそんなに間もない。最初の予定通り、次の地点でキャンプを張る。早く来てくれよ」

 ラーズはそうげ、一行は出発した。




「とは言え……」

 ヒューズが大きなため息と共にらす。

「アリアちゃんには悪いけど、あたしもう無理だよ。ちょっとおかしいじゃんアイツ。バーサーカーだよバーサーカー」

 弓の名手とは言え、一行の最年少である二十一歳のサーシャが、このような口調になるのも無理はなかった。

「めちゃくちゃ強いのには文句はないけどさ、あのメスの鎧竜、あそこまでされるほど悪いことした?さすがにやりすぎじゃない?」

「サーシャ……!」

 珍しく強い口調でさえぎったのは、普段は飄々ひょうひょうとしているヒューズだ。

 彼は目配めくばせをしてサーシャの目線を、先程から黙ったままのルチルの方へと向かせる。

「あ、ごめん!そんなつもりじゃ……」

「昔の話だ。もう余り思い出せることでも……ないしな」

 サーシャの焦燥に、ルチルは感情を押し殺して答える。

 その瞳は、一行の進行方向の虚空こくうの一点を見つめている。


「忘れられてりゃ、あんな怖え目でさっきの鎧竜どもを見ることはないだろうよ」

 ラーズも前を向いたまま、ぶっきらぼうに言う。


「──そうか、あの種に特別な恨みがあるのか、ブラウンエルフのルチル」


 突如会話に加わったのは、黙って同行していたアリアだ。

 その表情は、先程までの柔らかな少女のものではなく、見た目の年齢とはかけ離れた、こちらを見透みすかすような独特の雰囲気があった。

 皆が少々面食めんくらう中、彼女は意にかいさず続ける。

「なるほどな、ここまで酷い怨みとなると──あの種に大切な誰かを、殺されたな?」

 唐突で無遠慮ぶえんりょ

 その一言に、一行の歩みもピタリと止まってしまう。

 ラーズ隊の面々だけが知っているであろうルチルの内面への深い踏み込みに、若きリーダーは、またも頭に血が上りかけてしまう。

「このクソガ…!」

「ラーズ、構わない。この子はおそらく、そんなつもりでは言ってない」

 ラーズの激昂げっこうを冷静におさえつつ、それと反するある種の心の勢いに任せて、彼女は続ける。

「そもそも私がラーズ達に同行しているのは、オルディウム発生の起源と、その原因を探る研究の為だ。そして、そもそもの動機は、アリア。あなたの言う通り、私の家族みんながオルディウムに、鎧竜の亜種に殺されたから」

「やはり、そうか」

 アリアが少しだけ俯きながら言う。肩甲骨の下端かたん辺りまで届く、艶のある銀髪が顔にかかり、その表情を伺うことは出来ない。

「──酷い殺され方だった。父さんはアトラスではそこそこ名の知れた術師だったのに。だから、そこらのオルディウムなんかに遅れを取るはずがなかった。でもそいつは、見た目は同じでも、火炎術式が効かない変異種だったんだ。父さんも母さんも、まだ小さかった妹も、みんな、達磨にされて腸からっ…!」

「もういい、無理するな」

 ルチルのにわかにたかぶる感情に、ラーズはルチルの肩に手を置き、それ以上の発露を制止する。


「そんな訳だからねぇ、お嬢ちゃん。理由は知らないがあんまり人の心に踏み込むのは、感心しないね」

 十文字槍を杖代わりに体重を預けながら、ヒューズがアリアをさとす。

 しかし当の本人は、それが聞こえていないかのように続ける。

「生きるというのはなんとも、悲しいものだな──まあ、あいつの過去も、相当なものでな」

「……」

 深呼吸し、落ち着きを取り戻したルチルは、黙ってアリアの言葉を聞く。

「こう見えてわたしは、結構長く生きているんだが、未だに人の心がよくわからない。だから、こんな事を頼むのもおかしな話だが、よければあいつに良くしてやってくれ……どことなく、似ているしな」

 にこりとおだやかに微笑みながらそう言うアリアの今の表情は、少し大人びた十代の少女にしか見えない。


「そうか──アリア、君も亜人種という訳か」

 先述せんじゅつの通り、亜人種は厄災後に発生した人類によく似た種族で、その大半は人類と共生している。

 しかし、限られた国、地域でしか生活していない種族も珍しくはなく、アリアはそのいずれかの、外見は人に非常によく似た、しかし肉体の成長は人類と比較していちじるしく遅い、白髪赤眼の種族なのだと、ルチルは解釈した様子だった。

「サーシャ。確かにあの人は怖い。あんなに強くて怖い人、私は見たことがない。でも、馬車の一件で、過度に挑発されても一線は越えなかったこと、私たちよりも付き合いが遥かに長い、亜人種の女の子がここまで信頼していること。それを考えたら作戦の為にも、もう一度お互いに腹を割って話す必要があると思う。また私が行こう。みんな予定通りキャンプの地点で待っていてくれ」




「未熟と言うしかない、すまなかった」

 数百メートル先の山の麓の辺りをぼーっと眺めながら、背後から近づく気配を察したジェイルは、ルチルに背中を向けたままで言う。

 先程と変わらずその半身は、青い血に塗れていたが、まとっている殺気が皆無かいむの為、オルディウムと戦ったことのない者からすれば、イタズラで青の塗料をぶちまけられたマヌケな大男にしか見えないだろう。

 ルチルはそのまま会話出来る距離まで近づいてから、少し申し訳なさそうに言う。

「実は、あなたの過去に辛い事があったと、聞いてしまった。さっきのもそれに関係が……?」

「……アリアめ、余計なことを」

 ジェイルは溜息を吐きながら呟く。

「誤解せずに聞いて欲しいんだが、あの子は言いふらしたのではなくて…」

「理解している。あいつなりに自分をはげまそうとしてくれたんだろう。実際、君が来てくれたからな」

 ジェイルは一呼吸置いてから、独り言のように小さく続ける。

「……制御が難しくなって来ている」

「…?」

「いや……こちらの話だ」



「──聞いてしまったから言うわけではないけれど……ジェイル。実は、私も……」

 それにかぶせるように、ルチルが自らの凄惨せいさんな過去をさらけ出そうとするのを雰囲気で察したジェイルは、それを手で制する。

「すまない。少し待って欲しい。気持ちは本当に有難いが、いくらなんでもお互い、初対面の相手に安易に聞かせていい話題ではないと思う。それに、こちらが迷惑をかけている現状では、その気遣いが逆に心苦しくなってしまうだけだ」

 ジェイルは、種族としての性質を考えても、特に真っ直ぐなルチルの目を見ながら、ほんの一瞬、感慨深かんがいぶかげな表情を見せる。

 それは、彼女に似た誰かを思い出しているかのような。

「お互いにこの話の続きはこの任務が終わった後、また縁があれば気の済むまでしよう」

 ルチルは、自らの歩み寄りを拒絶されたと思い、悲しげな瞳をしていたが、そうではないと分かったことであからさまに安心したようだった。


「よかった。ジェイルが協力してくれれば、この任務も被害なしで終われそうな気がするよ」

 そろって目的のポイントへ歩き出しながら、ルチルが嬉しそうに言う。

「……ああ、そうするつもりだ」

 ジェイルは、この作戦中に見せたことのないような、憎悪に満ちた表情でそう返答した。しかし、真っ直ぐ目的地の方を見ながら歩いているルチルは、それに気が付く事はなかった。

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