自殺が簡単な世界
真っ白な天井。清廉で潔白で明白で空白。何色でもない代わりに何色も拒まない。白色のことをみんなそう思いがちだけれど、全然そんなことはない。完全な白はあらゆる色を拒む。完全な白にとってあらゆる他の色が意味するのは汚れだ。
ODで担ぎ込まれた。ここは病院。
「目立つね、アンタの黒髪」
姉さん。透明のバッグに入ったタブレット端末と一緒に帰ってきた。
「これね。病院の端末」
そういって私に端末とペンを手渡した。
「安楽死の手続き。済ませたから、アンタのサインだけ。後は」
そういってベッド横の椅子に座る姉は透き通るように白い。
その肌も髪も、もちろん身につけているものも。
この世界ではそれが普通なのだ。私のような黒髪は真っ白な世界では異物。
「別に染めちゃえばよかったのに。そんなに気になるなら」
駄目なのだ。染めたって私の色が根本から黒であることに変わりはない。それに私が白くなったら、この世界が白くて白々しいことを誰も知らないし気もつかないままじゃないか。それはちょっと私が黒く生まれた意味がない。
「しかしなんでまたODなんか。今どき手続きさえすれば健全に死ねるのにさ」
確かにここでは誰もがキレイに自殺することが出来る。その代わりに自殺志願者はその人のあらゆるデータを差し出さなければならない。生体データ、思考データ、ライフヒストリー。情報としての私が持ちうるすべてのリソースをパージして提供することを条件に、私は無痛分解の機会を得る。特殊な酵素とナノマシンを使って私の物質的結合をすべて分解して自死は達成される。砂のようにキレイに消えるのだそうだ。
けれど私はそんな自死の仕方を選択しなかった。
「それじゃ意味ないから。死ぬの」
「死ぬのに意味もなにもないでしょう」
それは
「アンタは自意識が辛いんでしょう。結局自分を変えたり世界に馴染んだりするための努力が全部過剰に感じられちゃうんだ。私もちょっとぐらいわからなくはないよ。けどなおさら、病院で死ぬべきじゃなかった?アンタは自意識を手放す。代わりにアンタの持ってるリソースは全部社会に還る。後は偉い人や機械がリソース全部有効に使ってくれる。アンタが自分で選択して自分で考えなくても、アンタのリソースを使ってアンタの代わりに、機械とかシステムがアンタをシュミレートしてくれる。アンタの自意識はそこでは必要ない。けどアンタが働くのと同じ様に思考の結果も選択の結果も社会はリソースとして得られるわけだ。最低限の読み書きは出来るんだし、思考力は私よりも得点高いんだから、社会的リソースとしては十分じゃないの。自意識で苦しんで動けないアンタよりも、アンタのリソースを機械が回して情報経済が回るほうがよっぽど健全だし社会貢献だと思うよ」
そんな風に言わなくても
「わかるでしょ。アンタは賢いんだからさ。アンタが無理して生きたり野垂れ死んだりするより、よっぽど病院で分解してもらうほうが社会のためだよ」
姉はそう言って私にペンを握らせた。
「一筆書きな。それで全部おしまい」
それでは駄目なのだ。分解された私の情報は社会システムの部分として再利用されはしても、人格として人間と社会の軋轢をシュミレートするために使われることは決して無い。私が分解されても私のリソースを使って私を知ろうとする人や、私を通り抜けてその先にいる私の可能性みたいな他の人達について考える人は現れない。
私がしてほしいのはそういうことなのだ。
ここは自殺が簡単な世界。誰もが手続きをして一筆描けば分解されて情報経済の一部として再利用してもらえる。誰もが簡単に自意識を殺すことが出来て、そこにはあまり意味がない。意味がないから誰でも簡単に自殺することが出来るのだ。
ここは誰もが簡単に自意識を捨ててしまえる世界。ここではシステムと自意識の軋轢は存在しない。なぜならシステムに適応できない自意識はすべて消えてしまうから。社会と個人の軋轢はもはや存在しない。健全で潔白で明白に白々しい世界。
私は無痛分解の同意書にサインしなかった。
その夜私は病院の屋上から飛び降りる。安易で簡単な自死。伝統的で古臭い、今はもはや誰も真似しない死に方で私は死んだ。由緒正しく死んだのだ。
そのあと私がどう処理されたのか、葬儀は行われたのか、私のために泣いたり、私の気持ちや私の思考を心でシュミレートして人は居たのかどうか、私のストレージは知らない。ここにはそういった情報は追加されない。
以上が私のライフヒストリーの最後のファイルだ。
この時代にこのタグのデータを開く人がいるのは珍しいことだ。私はあなたの声も姿も知ることは出来ないし、あなたの動機はなおさら知る由もないのだが、願わくばあなたが死者たちを弔う人であって欲しい。
様々な死の中でくすぶったままサルベージされないライフヒストリーがある。今や誰もが見返さず、解消されたことになっている社会と個人の軋轢の問題を、人間の問題として取り扱い弔う人。あなたがその一人であることを祈ります。
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