第18話 利き水と追及

「何?」


 怪訝そうに眉根を寄せる男爵、私はオルトを振り返った。


「あれをお願い」

「了解」


 なぜかちょっとうれしそうなオルトが懐から取り出したのは、宿の部屋に取りに行ってもらった水の精霊石である。もちろん、使用済みではない本物である。


「さてさて、ここに取り出したるは水の精霊石でございます。べべんってね」

「き、貴様ら。盗んだのか」

「いやいやいや、なんでそうなるのよ。どこに盗むチャンスがあったと。私たちは旅の人間なんだから、持っていても不思議じゃないでしょ」

「ぐぬぬぬぬぅ」

「さて、そこの住民ども。男爵から配給されている水の味は知ってるわよね。まあ、すぐそこに水樽はあるわけだから、一口飲んでみればいいわ」


 事の成り行きを見守っている住民の一人が、男爵からもらった水だるの蓋をあけて一口飲んだ。


「ああ、いつのもの水だが。それがどうした」


 その動きを止める様子のない男爵は知らないのだ。水の精霊石から取れる水と、井戸水の違いが。貴族様がただの水を飲む機会もないのだろうから、それも当然だろう。男爵の周りの人間も止めないということは、あまり一般的に知られていることでもないのかもしれない。


「さてと住民A、ちょっとこの水を飲んでみなさいな」


 さっき水を飲んだ男に両手を器にしてもらって、オルトが精霊石から水を取り出す。その結果は言わずもがな。


「まずっ、ぺっ、何だこれは」


 男が不思議そうなに顔をしかめると、住民B、住民Cと他の住民たちが精霊石からにじみ出る水を口にする。


「ほんとだ。くそ不味い」

「どういうことだ。いつも飲んでいる水と全然違うぞ」

「じゃあ、こいつらが言っているのが本当ってことか」

「そうだよな。配給されている水が精霊石のものなら同じ味がするはずだ」

「ええい。お前たち何を言っているのだ。水の味などどれも同じだろう。私にも寄越せ」

 

 この男爵、思った以上に馬鹿だった。

 オルトから水の精霊石を奪うと、マナを注ぎ流れてきた水に口をつけた男爵が、酷く顔をしかめたのだ。まあ、住民たちと違って吐き出さなかったのは流石というべきか。そして、樽に入っていた水を口にしてその味の違いに気付いて顔を引きつらせている。


「こ、こんなものが何の証拠になる。味の感じ方など人それぞれだろうが」


 言ってることは正しいけどそんな顔をしていれば説得力がまるでない。自分たち自身で味の違いを確認した住民にとって、もはや疑いようがないんだろう。男爵を見る目が変化している。ただ、ここまでお膳立てしても、行動を起こせないのは相手が貴族だからなんだろうね。


「そうは言いますが、これは明らかに別物ではないでしょか」

「ああ、俺もそう思うぜ」

「男爵様だって、顔をしかめてらっしゃったではないですか」

「ええい、黙れお前たち。いいか、その樽の水は前もって準備した水なのだ。時とともに味が変わることくらいあるだろう」

「いや、しかし……」


 クズ男爵のくせに、何気に正解を言い当てている。純水は何でも溶かす性質があるとかで、純粋な純水はないという。駄洒落じゃないよ。特殊な施設でもなければ純水はすぐに空気中の物質を取り込んでしまうのだ。まあ、少なくとも地下水と同じ味になることはないけども。


「じゃあ、もっとわかりやすくしましょうか――。ねえ、農作業用のため池があるのよね。そこに魚とか棲んでいないかしら。小魚でいいの」

「食用にはならない小さいのでよければ」

「ええ、それでいいわ。それを二匹捕まえてきてくれないかしら」


 外壁の方へ向かって走っていく住民の後ろ姿を見送ると、男爵の方へと視線を戻す。


「それと、男爵様には桶を二つ用意していただこうかしら」

「なぜ、私が貴様の遊びに付き合わなければならんのだ。余興はもう終わりだ。私は忙しいのだ。ほれ、お前たち何をしておる。この女をさっさと捕まえろ」


 護衛の男が抜き身の剣を手に歩きだした。

 そうなると男爵に疑いを持っている住民も為すすべなく道を空ける。でも、オルトだけは違う。オルトだけは私の目の前に立って背中の剣に手をかけた。

 抜いてはないけど、鋭い眼光で護衛を睨みつけているのだろう。


「下がれ」


 その一言だけで、空気が変質し護衛の動きがとまった。

 やばい。

 何よ、この背中。

 超カッコいい。

 男爵の護衛とオルトではたぶん力量に差があり過ぎるんだと思う。だから、威圧された護衛は一歩も動けなくなっていた。


「そんなに時間は取らせない。そうだよな」

「ええ、すぐにわかるわ。そうね。できれば男爵様に桶を用意してほしかったのだけど、仕方ないわね」


 その様子を見た住民の一人が「私が」とどこかに向かって走り出す。

 緊迫した空気が流れる時間というのは、ものすごく長く感じられる。オルトが威圧してるといっても男爵の護衛は私の捕縛を諦めたわけではないのだ。だから、隙あらばという様子で距離を取ったところに立っていた。

 ほどなくして桶を持った住民と、魚を捕まえてきた住民が戻ってくる。


「じゃあ、その二つの桶にそれぞれ樽の水と精霊石の水でいれたら、そこに魚を入れてみてください」


 私が言った通りに二つの桶に水が注がれ、それぞれ親指ほどの小さな魚が投入される。洗面器ほどの桶のなかを小魚が元気に泳ぎ回る。

 そして、静かな時が流れる。

 住民も男爵も桶で何が起こるのかとのぞき込んでいる。


「何も起こらぬではないか」

 

 痺れをきらせた男爵がそう口にしたとき、それは起こった。

 小魚が苦しそうに暴れ出したかと思うと、そのままプカリとお腹を上にして浮かび上がったのだ。


「な、な、なんだ。これは。貴様、毒を盛ったのか。まさか、さっきワシが口にしたのも!!」

「違うわよ。でも、そうね。私が言ったところで信じてくれないでしょうし」


 私は買ってきたばかりのコップで、死んだ魚のいる桶から水をすくうと一気に飲んで見せた。正直、うぇって感じだけど我慢する。

 その様子を度肝を抜かれたように見守る男爵と住民。

 ああ、本当に不味いわね。


「ほらね、毒なんてないわよ。魚が死んだのはただの窒息死よ」

「窒息死?」

「魚だって人間と同じように呼吸をしているの。でも、この水には空気が含まれていないから窒息した。ただそれだけの事」


 私は何食わぬ顔で説明をしてるけど、実際心の中では胸をなでおろしていた。だって、精霊石の水が純水だろうというのは想像でしかない。ちゃんと確かめたわけではないのだ。


「ぐぬぬぬぬぅ。そんな馬鹿なことがあるか。大体、精霊の力の宿った水が不味いうえに、生き物が生きられぬなどあり得ぬわ。何か汚い仕掛けをしたのだろう」

「そう思うなら、お屋敷にある精霊石を使ったらどうかしら。住民のために水の精霊石は大量に確保しているのでしょう」

「あ、ああ。そうだな。よし、お前すぐに用意してこい。この女の詐欺を暴いてやる」


 詰んだわね。

 傍らの男が屋敷に走っていくのを見ながら勝利を確信する。まあ、勝利っていっても何に対するものかはわからないけど。


「なあ、あんた。さっきの水は本当に毒じゃないんだろうな」

「違うってさっき証明したじゃない。別に信じなくてもいいけどね」


 私は住民の見方じゃないのだ。

 むしろ、男爵の追及に対して躊躇いなく私を売った住民を許せない気持ちの方が強い。だから、こうして証明しているのは追及を逃れるためであり、ただの保身に過ぎない。住民が男爵を討てば面白いとは思っているけど。

 

 男爵の部下はすぐに戻ってきたけど、その手には何も持っていなかった。それどころか、男爵の耳元で何かを囁くと驚いたように目を大きくした。


「残念ながら精霊石はないらしい。ああ、安心したまえ、お前たちのための水は問題ない。さっきも言っただろう。水の精霊石は二日後に入荷する予定だ」

「し、しかし、男爵様?」

「それなら二日後にもう一度……」

「ええい。黙れ黙れ。私は忙しいのだ。こんな茶番に付き合っている暇などないわ。貴族である私が間違っているとでもいうのか。私に意見するなど、貴様ら覚悟はあるのだろうなっ!!」

「……」


 男爵が一喝すると、住民たちは委縮して言葉を詰まらせた。明らかな嘘であるけれど、貴族が強権を振りかざせば反論することができないのだ。不敬罪なんてものがあるかわからないけど、貴族に逆らうだけで死刑なんてこともあるのかもしれない。


 男爵は「ああ、忙しい」と声を大きくすると屋敷の方に向かっていった。おそらくだけど、部下は持ってくる前に確かめたのだろう。そして、持ってこないという選択をした。

 屋敷に戻る男爵は一度だけちらりと私のほうを振り向いたけど、その目は昏い願望を抱えているようで酷く気持ちが悪かった。さっきまでは捉えろと言っていたのに、護衛もあっさり引かせたのも不気味だった。

 音を立てて閉じられるゲートが住民たちを現実に引き戻す。


「結局、水不足はないってことなのか」

「くそ、結局どっちなんだよ」

「なあ、あんた。俺たちはどうすりゃいいんだ」

「それを私に聞くの。そんなものは自分たちで考えなさいよ。帰りましょう」

「ああ、そうだな」

「違うか。そういえば私たち買い物の途中だったのよね」


 二日後に入ってきた精霊石で同じ実験をしてもいいんだし、誰か読み書きできる人がいるのなら、嘆願書っていうのを書けばいい。貴族の不正を訴える機関もあるという話だ。それか前にここを治めていた何とかっていう伯爵でもいいと思う。まあ、そんな話はどうでもいい。私を巻き込もうとした住民に助言する必要がどこにあるというのか。


 だけど、この時、私にオルトのようなやさしさがあれば結果は変わっていたのかもしれない。それを知るのは後になってからのことだった。

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