第9話 オルトの過去(1)

 ノーブレンの領軍服に身を包んだ若い騎士が通りを歩いている。

 嬉しそうな反面、困ったような不思議な顔をしていた。花屋や食堂、雑貨屋と抜けて二階建ての小さな木造アパートの前で騎士は歩みを止める。

 扉をノックしてしばらく待つと、愛くるしい顔立ちの女性が出てくると騎士を見て嬉しそうに顔をぱぁっと輝かせた。


「レン。どうしたのこんな時間に」

「ソフィこそ家にいてくれてよかったよ。店が閉まってたから、戻ってるかと思ってね。ちょっと話があったんだ。入ってもいいか」

「ええ、もちろん。ちょうどよかったわ、レモンパイを焼いているところだったの。少し待っててお湯を沸かすから」


 踵を返して室内に戻るソフィからふらりと甘い香りがする。レンは彼女の後について部屋に入ると、慣れた様子でコートを掛けて椅子に腰かけた。

 ソフィがコンロでお湯を沸かし始め、出来立てのレモンパイに包丁を入れているのを見ながらレンは話の切り出しを考える。


「仕事はどうだったんだ」

「午前中は普通に仕事してたよ。でも、午後から先生に緊急の依頼が入っちゃって。まだ、お客様のところに一緒に行くのは早いって」

「それで帰ってきてたのか」

「そっ、それで時間ができたからパイでも焼こうかなぁって。レンこそどうしたの? こんな時間に珍しいよね。まさか、クビ!!」

「違う違う。その、逆になるのかな?」

「ん?」


 ソフィが眉根を寄せて、湧いたお湯をポットに注ぎ入れる。茶葉が膨らみ、豊潤な香りが部屋に広がった。ティーセットをもって、ソフィが向かいに腰を下ろした。それを見てレンは意を決したように話を始める。


「来年ノーブレンの領主様が中央都市に入るのは知っているだろう」

「もちろんだよ。それで最近忙しかったんでしょ」

「ああ、領主様と一緒に向かう部隊に俺の小隊が入ることが今日正式に決まったんだ」

「うそ。すごいじゃない。それならもっといいパイを焼けばよかったかしら」

「何言ってるんだよ。俺がソフィの焼くレモンパイが一番好きなこと知ってるだろ」

「ふふ。うれしいこと言ってくれるのね」

「でも今後はこんな風に頻繁には食べられないんだろうな」


 中央都市に入る期間は5年。

 その間、休みは貰えるだろうけどノーブレンの領都に戻る機会はほとんどなくなってしまう。中央都市に行く部隊の一員として選ばれたことは大変な名誉であるのだが、レンの顔がすぐれなかったのはソフィとの別れを意味していたからだ。


「なんでよ。レンが行くなら私も中央都市に行くわよ」

「そんな簡単に決められることじゃないだろ」

「ううん。簡単な話よ。なによレンは私に来られると迷惑なの」

「そんなわけ……。だけど、ソフィだって最近になってようやく薬師の先生のところに弟子入り出来たんじゃないか」

「それはそうだけど、薬師になるなら中央都市でも勉強はできるもの。ううん、むしろ中央都市の方が進んでいると思う。先生は中央都市で勉強していたんだし、お願いしたら誰か紹介してくれるかもしれないわ。それがダメでも向こうに行ってから先生にお願いした時みたいに何度でも頭を下げればいいだけだもの。私は皿洗いでも、掃除でもなんでもするわ。中央都市ならきっと仕事だって見つけられる」

「はは、ソフィは前向きだな。ソフィに会えなくなるかもって悩んでた俺が馬鹿みたいだ」

「悩んでたんだ」

「だって……」

「ふふ。レンってそういうところ可愛いよね」

「な、男に向かって可愛いはないだろ」


 顔を真っ赤にしてレンは声を大きくすると、恥ずかしさをかき消すようにレモンパイを口いっぱいに放り込んだ。甘くてすっぱくてレンの大好物の味。これが最後にならなくて本当によかったと思う。いや、レモンパイなんてのはおまけみたいなものだ。本当に大切なのは――。


――――――――――――――――――


「夢か……」


 木々の合間から見える空には月が浮かんでいる。といっても、ドゥブロブの月はすでに沈んでいるので夜明けは近いかもしれない。

 懐かしい夢だった。それにしてもソフィの夢なんて久しぶりだ。

 レンなんて呼ばれたからだろうか。


 周囲の気配を探ると右手の方から鬼獣が近づいてきているのがわかった。

 野営するとき完全に熟睡することはない。周囲の気配や物音を探りつつ半覚醒のような状態で眠っているので、何かが近づいてくれば自然と目は覚める。

 もう少し夢の続きを見たかった気もするが、邪魔をした連中の相手をしないわけにもいかないよな。剣を鞘から抜き放ち、傍らで眠るアイカが起きないように静かに動く。


 森に足を踏み入れ鬼獣に相対した。

 狼にしろ熊にしろ本来は昼行性の鬼獣のはずだが、村での騒ぎのせいか興奮して動き回っていたのだろう。ここで野営を決めてからすでに二回目の襲撃だ。

 鬼獣そのものは大した敵ではないので、適当にあしらって角を切り取ると適当に枯れ枝を拾い集めて野営地へ戻った。


 鬼獣との戦闘音には気付かなかったようで、アイカはすやすやと眠っていた。

 この辺りじゃ珍しい黒髪に黒目の女性。18歳と言っていたから成人はしているようだけど、こうして眠っている無邪気な姿からはもう少し幼くも見える。だが、村人にたいして啖呵を切っていた彼女の瞳は年齢以上の、芯のある強い光を宿していたわけだが。

 いきなり住んでいた世界とは全く違う場所に連れてこられて不安でいっぱいだろうに、そんな弱みを見せることはなかった。頭の回転も速いし、現状を冷静に見つめて、前向きに動こうとしている。

 見た目がこんなにも違うのに、ソフィを思い出したのは前向きな感じが似ているからだろうか。

 

 焚火は消えていないものの大分勢いが弱まっていたので、そこに薪を足しておく。アイカには毛布を貸しているが、夜の森はそこそこに冷える。彼女が着ている服は変わった素材だったが、あまり温かそうには見えなかった。冬ではないし大丈夫だろうと思うが、風邪でも引けば大変だ。


 周囲の気配を探り安全そうなのを確認して再び腰を下ろした。

 剣を抱きかかえるようにして座り込む。野宿するときの基本姿勢。鬼獣のいる森の中、横になって眠ることはまずない。

 アイカがこんな風に熟睡していられるのは俺を信頼してくれているからか。

 随分と肝が据わっているとも思うが、気を張り詰めっぱなしで精神的に疲れているのだろう。だとしたら、ぐっすり眠れるようにしてあげるだけだ。

 アイカの生きてきた世界はここより遥かに文明が進んでいたらしいし、鬼獣のような恐ろしい獣もいないという。そんな世界に生きていれば、旅をするのも容易なんだろう。だから俺についてくるなんて発想が出てくるんだろうな。


 だが、ソフィと同じくらい頑固者っぽい。

 ってなんでまた俺はソフィとアイカを比べているんだろう。

 こんなにも似てないのに。

 ソフィは繊細だし、こんな風に野営するなんて絶対無理だ。アイカは口が回るからな。説得がうまくいく気が全然しない。かといって連れていくのは危険だし、どうしたものか。


 パチパチと爆ぜる焚火を眺めながらアルバートのことや、アイカのこと、この先のことを考えていると、いつの間にかうつらうつらとし始めて俺は再び眠りに落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る