第一章 水不足の街

第8話 野営と精霊石

 先を歩いていたオルトが足を止めた。


「ダメだな。何も見つからん」


 村を出てから多分二時間くらいは歩いている。アルバートとすれ違うことがなかったからと別の道を進んでいたけど足跡一つ見つけていなかった。夜というのもあるのかもしれない。オルトも私も明かりも持たず、月明りだけを頼りに山道を進んでいるのだから。


「どうするの」

「このまま進んだところで森を抜けるのは難しいな。この辺なら開けているし野営したいところだが、アイカは平気か?」

「大丈夫だけど、鬼獣はどうするの」

「問題ないよ。俺が一人で野営するつもりだったのは知ってるだろ。鬼獣のうろつく森での野営にも慣れているからな」

「そっか。じゃあ、ここで休もうか」


 そういう旅をずっと続けていたのだろうけど、なんだかちょっと寂しく思う。

 いや、ほんと。こんないい人に殺すとまで言わしめたアルバートは一体何をしたんだろうね。何となく想像はできるけど。


「とりあえず、何か腹に入れようかと思うけどアイカは食べられそうか」

「ううん。少しは」


 正直、お腹はかなり減っている。夕食のタイミングでの召喚だったし、そのあとも走ったり歩いたり運動しっぱなしだった。ただ、あんな風に死体を見たのは初めてで食欲があるかというと微妙なところだ。


「じゃあ、軽いスープにしておこうか」

「ありがとう。私は薪とか拾ったらいいのかな」

「そうしてくれると助かるが、足は大丈夫か」

「平気平気。今まで歩いていたんだし、道沿いで拾うようにするから」

「助かる」


 村を出たあたりで私が裸足であることに気付いたオルトが、布をくれたのでそれを足に巻いているのだ。靴とは比較にならないけど、あるとないでは全然違う。オルトの気遣いがうれしくて私も何か役に立とうと薪拾いを始める。

 これだけの森なら枯れ枝を拾うのは簡単である。


 島出身の私がキャンプとかすることはないけど、色々あって焚火の仕方とかには結構な知識がある。だから焚火に向いている木がどういうのかというのはよくわかっているつもりだ。

 比重が重くて堅い樫の木のようなものが長く燃えるし熱量も優れている。もちろん、よく乾燥しているというのは当然のことだ。そういったものを中心に薪を拾い集めてオルトのところに戻ってくると、荷物から取り出した干し肉や干し野菜をナイフで小さく刻んでいるところだった。


「結構集めてきたな」

「一晩使うなら全然足りないと思うけど」

「それは後からにしようか。まだ、服も乾いてないだろうし、疲れただろ。とりあえず火を熾そう。アイカはこっちに座っててくれ」


 そういって毛布らしきものを敷いたところを譲ってくれた。自分は岩場に腰かけているのにだ。折角なので「ありがとう」といって遠慮なく腰かけると、オルトが手早く火を熾す。乾燥した木の皮を繊維状にほぐして火打石で火種を作ると、瞬く間に枯れ枝に火が燃え移った。赤々と燃える火を見ているとそれだけで落ち着くのだから不思議なものである。


「何か苦手な食べ物はあるか」

「この世界の食材がわからないけど、多分大丈夫だと思うわ」

「そっか、そうだよな。まあ、食べられないものは残すなり捨てるなりして構わないから」

「ううん。大丈夫。ありがとうね」


 本当に細かい気づかいのできる男だ。

 だけど、日本人だからというか小さいころから両親や祖父母にきつく言われて育っているので食べ残すことは出来ない。まあ、もちろんアレルギーとかあればしょうがないけど、幸運にもそういう食材に出会ったことはない。


「それ何するの」


 オルトが取り出したのは火の精霊石と同じような水晶玉だった。こっちは仄かに青っぽいが。


「こっちは水の精霊石といってだな。マナを注ぐと水が出てくるんだ」


 そういってオルトの持つ精霊石からジワリと水滴が生まれたかと思うと、蛇口を捻ったように一気に水があふれてきた。それを具材を入れた鍋で受け止める。


「すごいわね。料理に使ってるってことは当然飲めるのよね」

「ああ。だけど、そのまま飲むのはお勧めしない」

「煮沸したほうがいいってこと」

「いや、そんなことはないが……飲んでみるか」

「ええ」


 私が答えると、オルトがコップに水の精霊石の水を入れてくれた。一瞬、村で睡眠薬を盛られたことが頭によぎったけど構わず口をつけた。オルトはそんなことしない。短い間だけどそれだけは確信している。


「まずっ」

「だろ」


 と、オルトがにやりと笑った。

 初めて見る彼の笑顔は屈託のない無邪気なものだ。いたずらが成功した子供のようなオルトに私もなんだかおかしくなってきて笑い出した。さっきまでの緊張とかそういうのが一気に吹き飛んだような気がする。


「もう、先に言ってよ」

「ははっ。普通は茶葉を入れたりして飲むものなんだが」


 と、オルトが取り出したのは爽やかなミントのような匂いのする葉っぱだった。本当ならお湯で煮だすものだろうけど、それを入れただけでほんのりと味がついた気がする。


「そっか、これって多分純水なんだ」

「純水? それはどういう意味だ」

「普通の水って不純物が含まれているのよ。鉄とか『マグネシウム』とか色々とね」

「マグネ…? ってのが何かはわからんが、水に鉄は入ってないだろ」

「極々微量によ」

 

 相手の知らない言葉は思念でも翻訳されないみたいね。あれ、鉄は入ってなかったっけ。まあ、いいか。オルトにはわかんないだろうし。


「本当か」

「ええ。ともかく水っていうのはいろんなものが溶け込んでいるんだけど、それらが全くない水が『水の精霊石』から取り出せる水なんだと思う。で、なにも溶け込んでない水っていうのは味が全くしないのよ」

「ああ、確かに水って一言で言っても場所によって味は違うよな。それが不純物ってことか。アイカは物知りなんだな」

「そんなことないわ。私の世界じゃ誰でも知ってることだし」


 これって多分純粋なH2Oなんだと思う。こんなに簡単に純水が取れるなら元の世界の一部の人は大金を出してでも欲しがりそうな気がする。純水を作るのってかなり大変だったんじゃないっけ。

 この世界じゃ旅の必需品でしかないみたいだけど。


「精霊石って水と火以外にもあるの」

「俺が持っているのはその二つだが、他には風と土がある」


 焚火に掛けている鍋がコポコポと沸騰をし始めていた。肉や野菜のうまみが溶けだしているのか、美味しそうなにおいが漂ってくる。


「想像するに風の精霊石は風が出てくるのかな」

「ああ」

「風か……何に使えるのかいまいちわからないわね。『扇風機』代わりとかかなぁ。じゃあ、土の精霊石は土が出てくるの?」

「いや、土を元気にする」

「んん? どういうこと」

「畑なんかで使うと、豊作になるんだ」

「それは……すごいわね。なんか、ほかのと大分違う気がするけど。ああ、でも火の精霊石も火が出るわけじゃないんだもんね」

「言われてみると変、なのか。そういうものだと思ってたからなんとも思わなかったが」

「そういうのってあるよね。自分たちの常識がよそでは通じないっていうか。でもさ、土を元気にして豊作にするってすごいわね。この世界じゃ、不作がなかったりするのかしら」

「残念ながらそんなことはないな。日照りや長雨っていうのは稀に発生する。この水の精霊石も樽一杯の水に相当するといったが、一度にそれができるほど俺はマナが潤沢じゃないからな。同じように畑を元気にするには精霊石があっても使う人間のマナが足りないんだ。農家の人間が家族総出でマナを注いで、それを何日も掛けてようやく畑一つってところだろうな。それに長雨で溜まった水を取り除いたり、日照りの時に水を流し込むには結局べつの方法が必要になるから、土の精霊石だけでも足りないしな」

「ふーん。便利だけど中々難しいのね」

「ああ――。それより、スープはそろそろいいかな」


 鍋の中では色とりどりの肉と野菜が踊っていた。

 仕上げにオルトが塩らしきものを振りかけて味を調える。それをお椀に注いで匙とともに私に差し出した。オルトは鍋から直接食べるらしい。私が食器を使っているから自分の分がないのだ。なんだが、申し訳ない気持ちになってくるけど、その優しさがちょっぴりうれしい。


「『いただきます』」


 私はいつもの習慣で手を合わせてスープを口に運ぶ。

 そして、びっくりした。

 天は二物を与えずというけれど、オルトにはルックスと性格の二つが与えられている。もっと言えば剣の腕というのもあるかもしれない。

 でも、料理の腕はなかったらしい。


「不味いか」

「ううん。そんなことない」


 といって、二口目を口にする。

 私の反応でオルトには通じてしまったのかもしれない。

 決して不味いわけではないのだ。食べ物って乾燥させるとうまみが凝縮されるわけで、それがスープに溶け込んでいれは美味しくなって当たり前だ。その上、塩で味を調えていたようなので不味くなるはずはない。ないのだけど、なんかダメだ。

 使っている野菜の組み合わせだろうか。

 なんか味がくどい。

 この世界の味覚が私に合わないのだろうか。そうなるとちょっときついな。元の世界に帰りたいけど、すぐに叶わないことくらい理解している。それなら今いる環境を少しでも楽しもうと意識をシフトしていたところだけど、ご飯がおいしくないというのは悲劇だ。


「さっきの『いただきます』ってのはどういう意味なんだ」

「ん?」


 オルトが知ってか知らずか話題を変えてきた。食べられないわけじゃないから、スープは飲んでいるけど。


「食事の前の挨拶みたいなものかな」

「神への祈りとか」

「そんなに大したものじゃないわよ。私も詳しくは知らないけど、食べ物への感謝とか、作ってくれた人への感謝とか。言葉の意味としては『命を頂く』とかそんな意味だったと思うけど。ただの習慣のようなものよ。こっちの世界には食前の祈りとかってないの」

「聞かないな。だが、命を頂くか。いい言葉だな。精霊教の考えによく似ている」

「精霊教」

「ああ、精霊教じゃあ人は自然の一部であり自然の営みに感謝しましょうって教えられる。もしも、この世界に定住する気になったら洗礼を受けるのもいいかもな」

「定住する気になったらね」


 宗教はなー。

 日本にいたころも無宗教だったわけで。でも、とうとうオルトも私が定住する気がないって理解してくれてみたいでうれしく思う。

 そんな感じで食事をしつつ、この世界の常識をオルトに教えてもらいながら過ごしていると、疲れているのかウトウトしてきたので私はオルトの貸してくれた毛布に包まって眠ることにした。

 焚火のパチパチという音と森のざわめきが徐々に遠退き私は意識を深く深く沈み込ませていった。

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