第5話 禁術
「なんで黙るんです?」
「それは、その……さっきの精霊石をちょっと貸してもらってもいいか」
「あからさまに話を逸らしましたね」
びっくりするくらいワザとらしい話の転換に私はジト目で応じる。といっても、精霊石のことも気になっていたので素直に返却する。するとイケメンは受け取った火の精霊石に”何か”をした。両手で包み込むように持つと、イケメンの掌から何かが精霊石に注がれたのが何となくわかった。ファンタジー的な発想で言えば、魔力とかそういうものじゃないかと思う。
「はい、これで大丈夫。精霊石は脆いから落とさないように手に持つより懐とかに入れたほうがいい」
「何をしたんですか」
「精霊石にマナを流したんだ」
予想通りの答えだった。
再び戻ってきた精霊石は仄かに熱を発していた。言われたとおりに精霊石をポケットに入れる。部屋着にしていたパーカーはちょうどお腹にポケットがあったので、精霊石を入れるとだんだんと温かくなってきた。
これ、懐炉だ。
「ありがとうござます」
「そ、よかった。じゃあ、行こうか」
「えっと、完全になかったことにしようとしてますね。村に向かうのはいいですけど、教えてくださいよ。何が問題なんです」
イケメンが小走りで道を進み始めて、私はそのあとを追いかけるように走った。
「あの人は送還術を使えないんですか?」
返事は返ってこなかった。
でも、無視しているわけではないのだ。一度、後ろを振り返って私の方を見て口が開きかけていたから。でも、言いよどんでいた。
考えられるとすればそれくらいしか思いつかなかった。あるいは送還術そのものが存在していないか。でも、それならあの老人が送還術と口にするはずはないと思う。存在しない技術でも言葉だけ存在するということはあると思うけど、可能性は低いんじゃないだろうか。
そんな風にしばらく考え事をしながら村へと向かっていると、先を走っているイケメンが速度を落とした。そして、ほとんど歩くのと同じくらいのスピードになると私の方を振り返って口を開いた。
「静かに」
話をする気になったわけではないらしい。
背中の剣をするりと抜くと、右手の闇に向かって静かに一歩踏み出した。そっちに意識を集中すると、森のざわめきが大きくなってきた。目を凝らすと月明りに照らされて、角の生えた狼が走ってきているのが見えた。
イケメンが走り出す。
そこから先は彼の後ろ姿が影になって何も見えなかった。代わりに聞こえてきたのは刃物が何かを断ち切る音と、獣の断末魔のようなもの。
ほとんど一瞬の出来事といってもいいほどの短い時間で剣を収めたイケメンが戻ってきた。
「大丈夫か」
「ええ。私の方は何とも」
襲われる前に対処してくれたのだから当然だけど私には怪我一つない。そんな状況でも私の安否を気遣うところがイケメンだよ。島の男たちとは天と地ほどに違うなぁと思う。
「人の行き来がないとはいえ鬼獣が多いな」
「そうなんですか。まあ、立て続けに襲われたわけですけど、山を下ってるときは大丈夫だったんですけどね」
「それは、あれだろう。雨もないのずぶ濡れだから変だと思ったが、川にでも入ったんじゃないのか」
「なんでわかるんです」
「狒々の妖獣に遭遇したときに匂いがついていたんだろう。この森の主である狒々の匂いがついていれば他の獣に襲われることはないはずだ。でも、その匂いを川で洗い流せば話は別だ」
「ああ、そういうことね」
オーマイガーっ!!
素知らぬ顔で流したけど、襲われたのって自業自得ってこと? つまり、狒々が「お前は我のものだ」と唾をつけていたから、川に入るまでは無事だったってこと。おう、余計なことをしちまったぜ。
っていうか、臭かったんだからしょうがないよね。だって、マジで臭かったんだよ。もうあれは死臭っていってもいいレベルの匂い。
「この世界の動物ってああいうのばかりなんですか。鬼獣とか言ってましたけど」
「そんなことない。普通の動物の方が多いさ。だけど、さっきみたいな角の生えた獣――鬼獣や角獣と呼ばれる種類の化け物も少なからずいる」
街道に戻ったイケメンが歩き出し、私はそのあとを追いかける。さっきまでとは違って小走りではなく普通の速度で。話をするために無理のないペースにしてくれているんだと思う。
「化け物っていっても、妖獣? なんかに比べたら大きさとか普通とあんまり変わらない気がしますけど」
狒々の化け物は身の丈三メートルはありそうだったけど、狼も熊も私の知っている動物の範囲を超えてない。
「そうだな。見た目に関して言えばその通りかもしれない。中には特異な鬼獣もいるが、ほとんどは普通の動物とそんなに変わらない。だけど、大きく異なるのは鬼獣が人間を敵視していることだろう」
「敵視?」
随分な言葉のチョイスだ。
動物が人間に対して抱く感情として不自然なほどに。人間を食料と思う獣がいたとしても”敵視”はしていないはずだ。
「鬼獣は元々この世界にはいない生き物だったんだ」
「それって――」
「ああ、召喚術で呼び出された異世界の獣だ」
一拍置いてイケメンがこの世界の召喚術の歴史を掻い摘んで説明してくれた。
それによると、今からずいぶん昔には戦争の道具として獰猛な鬼獣が召喚術で呼び出されていたそうだ。召喚術で呼び出された獣は、召喚術士に逆らうことはできず命じられるまま戦いを強いられていたという。しかし、戦争であれば当然のこと、召喚した術者が死んでしまうこともある。
そうした場合、残された召喚獣は自動的に元の世界に帰るなんてことはなく、自由になった彼らは野に帰るそうだ。そして繁殖したのが今の鬼獣だそうだが、人間に無理矢理召喚されたからか、あるいは人間と戦うことを強いられていた記憶が遺伝子に刻まれているのか、鬼獣には人を襲う性質があるそうだ。
もしかして私ってあの召喚術士に逆らえないのかなとか気になる点はあるのだけど、一番の問題はそこじゃない。
「なんでその時、鬼獣は元の世界に送り返されなかったんですか。やっぱり送還術そのものがないとか」
「わからない」
イケメンが首を振る。
「すまないな。遥か昔のことだから正確なことはわからない。送還術はあると思うが、召喚した本人にしか送還できなかったのか。あるいは――」
「ちょ、ちょっと待ってください。どういうことです? ”送還術はあると思うが”って。あるかどうかもわからないってことですか」
私の言葉にイケメンがハッと何かに気付いたような顔をした。うかつなことを口にしたとでもいうように。
「ああ。送還術については何もわからない。いや、この言い方は正しくないな。召喚術に関しても何一つわからない」
「それは……」
「俺が知らないという話じゃないんだ。誰に聞いてもまともな答えは返ってこないよ。むしろ、そんな質問をすることすら許されない。これはそういう問題なんだ」
意味が分からない。
召喚術も送還術も誰も知らない? そんなことがあるのだろうか。だって、現に私は召喚されている。少なくともあの男は召喚術を知っているし、使うことができるのだから。
「召喚術は禁術なんだ。さっき言ったように召喚術は遥か昔は戦争の道具として異世界から鬼獣を呼び出して使役したり、あるいは知識を得るために異世界人を召喚したりと利用されていたらしい。だけど、ある時召喚術の失敗により制御不能の化け物を呼び出してしまったんだ。
元々は戦争のための召喚だったそうだが、戦争中であった両国はおろか世界の大半が失われてしまったんだ。それ以来、召喚術はこの国に限らず全世界で使用はおろか調べることすら禁忌とされることとなった」
「それならなんで、あの男は召喚術が使えるんです」
「禁術に指定するのなら、すべての知識も消し去るべきだったんだろうな。だが、中央都市の図書館に召喚術に関する書物が人知れず保管されていたらしい」
「つまり、あの男はそれを盗み出したと」
「ああ。そのため特級の犯罪者として指名手配されている」
イケメンが言うように召喚術が禁術に指定されたとき、召喚術に関する資料は一切合切処分するべきだったんだろうね。でも、自分たちは処分したとして、本当に他国も処分するのだろうかと疑問に思ったのかもしれない。そうなると、捨てるに捨てれないのだ。
術の失敗は世界を破滅に導いた。
でも、正しく使えば戦争の道具として有益なのだろう。原子力爆弾は世界を終わらせかねないとわかっていながら、保有する国があるのと多分同じだ。
表向き存在しないはずの召喚術に関する書物。
男がどうやって存在を知り、手に入れたのか。そんなことは考えてもわからない。それに、特級の犯罪者として指名手配され、失敗すれば世界を滅ぼしかねないリスクを背負ってまでやったことといえば、森の主に対する生贄の召喚なのだ。どう考えても割に合わない。
「つまり召喚術や送還術に関しては何もわからないと」
「すまないな。元の世界に帰りたいといっていたが難しいかもしれない」
申し訳なさそうな顔でイケメンがいう。
言いよどんでいた理由はそういうことだったのだ。でも。
「うーん。まあ、召喚術が禁術にされているんじゃ、ここで議論してもしょうがないですよね。だって、知らないんですから。そういうことなら、ますます私はあの男と話をする必要があるってことです。だって、ほかに手掛かりはないんですから」
「それはそうだが……」
このイケメンは顔がいいだけでなく性格もいいのだ。だから、召喚術士と話をする前に私に覚悟する時間をくれたんだと思う。何も知らされずに元の世界に帰れないことが確定してしまえば、ショックで三日は寝込む自信がある。
でも、話を聞いたおかげで一日で済むかもだ。
「考えてもしょうがないことは考えない主義なんです。だって、可能性が零じゃないなら、それは無限大と同じことじゃないですか。だから、急ぎましょう」
「わかった。少し飛ばすぞ」
逃げられたら元も子もないのだ。
徒歩から小走りにペースを上げて山を駆けのぼる。
鬼獣に襲われること数回、生贄の祭壇を通り抜け私たちは村にたどり着いた。
そこはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
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