自然の脅威


「うう、さむ」

 小さな体をカタカタと震わせながら、進んでいた。季節は巡り、今は冬に差し掛かっていた。


 ここ数ヶ月で彼女はかなりの距離を進んでいた。森を超え、山を越え、ヒトが横行する世界を抜けたのだ。



 周囲には葉が抜けきった木々が立ち並んでいる。以前まで山々を美しく彩っていた紅葉は枯れ果てて、辺り一面から哀愁のようなものが漂っている。



 地面には落ち葉があちらこちらに散乱しており、秋の残骸を踏みしめて、故郷への道を着々と進んでいた。


 故郷に近付くにつれて、胸の奥から湧き上がるものをあった。実感というものを覚える事が出来れば、俄然、やる気も出てくる。


「ひゃん!」

 彼女の背筋にひんやりとした感覚が染み込んできた。思わず飛び上がり、辺りを見渡した。


 しかし眼前に映るのは先ほどと変わりない、もの寂しい森の草木。目と鼻の先を白い埃のようなものが落ちてきた。


「ん? なんだ?」

 視線を上に向けると、思わず目を見開いた。森を包囲せんとばかりに粉雪が夜空から降り注いでいたのだ。



「ああ、綺麗だな」

 月光を浴びて、幻想的な雰囲気を纏っており、まるで煌めく星屑が落ちてきたように見えた。


 しかし、我に返って彼女は酷く絶望した。去年、この季節に雪は降っていなかったからだ。自然界の不規則な気候変動が災いした。


「ぐお!」

 さらにそこに追い討ちをかけるように体が凍り付くような寒さの強風が吹き始めた。煽られないように足を棒のように突き立てる。


 これは天からの褒美などではなく、紛う事なき試練だ。吹雪は白魔とも呼べる傍若無人な振る舞いで、彼女の体温を急激に奪っていく。


 視界は瞬く間に白く染まり、何も見えなくなった。風の勢いと凍てつく寒さで足が石の様に重くなっていく。


「まずい」

 逆風に抗い、重い一歩を踏み出すと指先から冷気が侵食する。ホワイトアウトと体温の低下という二重苦を背負い、視界が定まらなくなり、度々映るものが分離して見える。


「動け、動け」

 そんな彼女の言葉を裏切るように白雪が硬い鱗に付着して、白く染め上げていく。小枝のように細く、今にも折れそうな指を突き立てる。



 顔を伏せながら、襲いかかる雪嵐に耐え忍んでいると突然、風の音が止んだ。


「あれ?」

 先ほどまで彼女を支配していた寒さという鎖が断ち切られて、韋駄天の如く、目に映った木の根っこ付近まで走った。


 頭から地面に滑り込んで、土を体に被せた。じんわりとした地熱に包まれて、体の芯まで暖かくなっていく。


「あー、生き返る」

 先ほどまで本当に死にかけていた彼女にとっては言葉通りの意味である。遅くなっていた心臓の鼓動がゆっくりと早くなっているのを理解した。



 数分間、地熱にお世話になった後、彼女は再び、故郷へと向かい始めた。地面は先ほどの雪と強風のダブルパンチにより、ひんやりとしていた。


 地熱のおかげで体が温かくなっているが、この状態もいつまで保つか分からない。また、あの冷風が吹き荒れる可能性もあるのだ。


「早いこと、故郷にたどり着かないと」

 冷たい外気と暖かな地熱で覆われた体が触れ合い、生温い感覚に晒される。


 肉体的な余裕がなくなる前に急ぎ足で進んでいく。しかし、それ以上に彼女を突き動かしていたものがあった。


 故郷にいる彼の事である。あと少しで彼に会えるのだ。その時に旅で目にした事、起こった事をたくさん話したい。


 脳裏をそんな思考をぐるぐると巡らせていると、不意に足が止まった。


 見えた。目の前には見覚えのある景色が白雪に彩られて、存在していたのだ。故郷だ。喉から手が出る程、待ち望んだ景色。

「帰ってきた」

 

 安堵感のせいか、思わず頬の力が緩んだ。早速、彼女は彼といつも昼寝をしていた草村に向かうことにした。


 彼女の小さな心臓が胸の中で、大きく鼓動する。彼に会いたい。その思ったら寒さなどどうでもよくなった。


 ようやくたどり着いた。草原の表面には彩りを加えるように白い雪が乗っていた。おそらくさっきのせいだろう。


 彼女は周囲を見渡した。しかし、そこに愛しの姿は見当たらなかった。到着した勢いと、湧き上がる喪失感から全身の力が抜けて思わず、その場にへたり込んだ。


「これだけ寒かったら土の中か」

 手足が鉛のように重く、感覚もない。今にも朽ちてしまいそうなほどの脱力感。僅かな気力で、草むらに背を預ける。


 どんよりとした空と目があった。今の彼女の精神状態と見事に合致していた。


「なんだか、すごく疲れた」

 ここまで来た精神と肉体の疲労感で徐々に意識がおぼろげになっていく。二度と目覚めることのない永遠の眠り。草原で視界がじわじわと狭くなっていく。


 疲労と吹雪で体温が低下しており気力も体力も底をついている。五感が薄れていき、やがて視界が黒く染まった。


 朦朧とした意識の中、薄い目を開ける。一面の闇が広がっており、何も見えない。背中がじんわりと温かい。


 ほのかに香る土の匂いから地中だと悟った。おそらく誰かが地中に穴を掘って空洞を作ったのだろう。


 しかし、先ほどまで寒空の下、草原に腰掛けていたはずである。戸惑いながら暗闇の中を見渡した。


「起きた?」

 ぼんやりと耳に入る声。懐かしく、それでいて愛おしい声音。暗闇に目が慣れて朧げな視界が徐々にはっきりとしていく。


「あなたは・・・・・・」

 目の前にいたのは彼女が夢に見るほど、焦がれた彼だった。

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