共存
早朝。山頂から霧がかかった森を見下ろしていた。静寂が支配する朝の森は夜とはまた別の静けさが漂っている。
鼻の穴から冷たい空気を肺いっぱいに送り込んだ。ぼんやりとした気分が霧散していくように消えていく。
「良い気分だ」
朝靄がゆっくりと晴れていき、森の草木がはっきりと見えるようになった。
「行こう」
彼女は踵を返して、ゆっくりと歩み始めた。遠くの方からは川のせせらぎと小鳥の囀りが聞こえる。鼓膜に優しい自然音に心癒されながら、先日の事を振り返っていた。
『やっぱり大事なのは愛やな』
先日、命を助けてくれたカラスが言った言葉だ。それが彼女の脳裏をぐるぐると巡っているのである。
「愛か」
あまり深く考えないようにしていたが、どこか引っかかっている。つまり心のどこかで意識している自分がいるのだ。
森を出た時、彼女は思わず目を見開いた。見たこともない木造の巨大な物体が存在していたのだ。
「なんだこれ、何かの巣か?」
初めて見る物に目を奪われているとその中から何かが出てきた。
「えっ?」
なんとヒトと犬が仲睦まじい様子で現れたのだ。他生物が共存する生き物を何度か見た事があるが、それは双方に利益があって成り立つ関係なのだ。
しかし、ヒトは自給自足を行える。犬も森や山で生き物を狩る事が出来る。何よりヒトも犬も本来は群れで行動する生物だ。
自分と違う種と手を組む理由が存在しないのだ。彼女の中から好奇心が湧き上がり、彼らの元に足を進めた。
近くで見るとなお、不思議な光景だ。以前、ヒトの世界に行った時には見なかっただけかもしれないが、とにかく新鮮である。
するとヒトが巣の中に入って行った。犬はそのままヒトの帰りを待ち焦がれているような態度だった。
「やあ」
「ああ、こんにちは。トカゲさん」
彼女を見るなり、犬が嬉しそうに尻尾を振った。茶色の体毛。穏やかな性格が一目で伝わるような優しそうな顔立ち。
彼女が見た獣といえば、狡猾な狐ぐらいだったので内心、安堵感を覚えていた。
「貴方はヒトと一緒に住んでいるんだね」
「うん。大事な人だよ」
犬が嬉しそうに答えた。表情や様子からして心底、慕っている事が理解できた。
「怖くないの?」
「どうして?」
「自分と違う生き物と一緒に生活するって考え方とかが違うからストレスが溜まりそう」
彼女は胸に渦巻く疑問を犬に問いかけた。決して嫌悪感から出た疑念ではない。
純粋に気になったのである。
「俺は生まれた時からこの家にいるからかな? 種族とか関係ないんじゃないのかな? 同種でも他種族でも。食べる。眠るだけなら生きていけるかもしれない。でもそれだけじゃあ心が持たないのさ」
犬がそう言ってニコリと笑みを作った。我欲を満たした先に待っているのは他者への愛なのかもしれない。
他者を愛し、愛されるという関係性を求める。カラスが言っていた言葉の意味が彼女には少し、分かったような気がした。
「君にはいないの? 掛け替えのない存在」
「私は」
彼女の脳裏にある存在が浮かんだ。故郷で彼女を待っている心優しい同胞である。
「もしかしたらっていう存在はいる」
「ならその子と交流を深めてみるといいよ。意識しているのであれば、これまでとは違う見方になるはずさ」
犬がそう言って、口角を上げて白い歯を見せた。すると遠くの方からヒトがこちらに大声を上げた。どうやら犬を読んでいるようだ。
「もう呼ばれたからいくね。少しの会話だったけど、楽しかったよ」
「こちらこそありがとう」
彼女は犬に感謝の言葉を伝えた。犬が彼女に頷くと勢いよく、ヒトの元へと向かって行った。
並んで歩く犬とヒト。その姿は家族そのものだった。相容れない存在だと思っていた存在が強く固い絆で結ばれている。
この世界は自分の知らない事で満ち溢れていると再三、感じた彼女であった。
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