暗闇という安心

 雑草がまばらに生えた砂利道。彼女は泣き出しそうな曇り空を眺めながら、進んでいた。

「これは一雨降るかな?」

 僅かな焦燥感を胸に抱きながらも、いつ降り出すか分からない雨に備えていた。


 突然、吹き飛ばされそうなくらいの強風に煽られた。


 彼女は地面に爪を突き立てて、態勢を低くしてなるべく風の影響を受けないように徹した。


 風はすぐに止み、元の静かな砂利道に戻った。彼女は地面を這うようにして慎重に進んでいく。


 そうしなければ再び、飛ばされてしまう可能性がある。風以外にも鳥や獣などの捕食者に対する警戒も惜しんではいけない。



 周囲に気を張りながら進んでいくと、前方で小刻みに震える黒い球体が見えた。


 近づいて見ると黒い光沢を帯びたその球体は小刻みに震えていた。ダンゴムシだった。

「こんにちは」


「っこ、こここ、ここ、こんにちは」

 緊張しているのかなんともぎこちない挨拶が返って来た。


 ダンゴムシがゆっくりと球体を解いていく。あまりの遅さに時の流れが止まっているような錯覚に陥った。

「どうしてこんな道の真ん中に丸くなっているの?」


「僕はさっき、道を進んでいたら物凄い風に晒されたんだ。凄まじい勢いで飛ばされて怖い思いをしたので、丸まっているんです」

 再び、ダンゴムシが体を震わせた。風とはおそらく先ほど吹いた強風の事だろう。


「でも風は吹いていないよ」


「はい。分かっているんですけど、足がすくんでしまって」

 おそらく理屈では理解しているものの、いざ行動に移そうとすると心が拒んでしまうのだろう。彼女自身もその気持ちは共感できる。


 すると頭頂部にひんやりとした感覚が走った。それを皮切りに叩きつけるような凄まじい雨が降ってきた。彼女は瞬時にダンゴムシを加えて、森へと向かった。

「なっ、何するんですか!」


「雨が降ってきた! こんなところにいたら、体温下がって死んじゃうか、水溜りに溺れて死んじゃうのがオチだよ」

 彼女はぬかるみ始める地面に気を張りながら、走って行く。


 急いで森に行かなければ水溜まりと泥濘みが支配する大地に身を囚われてしまう。


 そうなってしまえば、泥に足を取られた彼女を捕食者達に目をつけられる可能性があるのだ。

 

「痛い!」

 あまりに勢いが強いため、叩きつける雨に痛みすら感じた。大自然が生み出した弾丸の数々が次々と木や葉、地面に着弾していく。


 木陰に避難する事が出来た。小さな胸を何度も起伏させて、息を整える。

「ふう、ここならなんとか雨宿りできそうだね」


「何で、助けてくれたんですか?」


「ま、まあ知り合ったからにはね」

 彼女の少し照れながら答えた。ついさっき知り合ったとはいえ、豪雨が支配する砂利道にダンゴムシを放置する事はできなかったのだ。


「僕、昔から臆病でいつも周りからバカにされていたんです。分かっているんです。前に踏み出さないといけない事は」


「変化したり、行動したりするのって怖いこともあると思うけど、何もしない事が一番恐ろしい事だと思うんだ。さっきの雨だってそうでしょ? あのままいたら危なかったはずだよ」


「石竜子さんは勇敢だね」


「そうかな。旅をしているからかな。色々なトラブルに遭ったし必然的に肝が座るんだよ」


「たっ、旅をしているの!」

 ダンゴムシが目を輝かせていた。先ほどまで大人しかったダンゴムシが前のめりになったので若干、驚きつつも頷いた。


「なんで旅をしようと思ったの?」


「暇だったからかな。ただ、故郷で天寿を全うするのって退屈じゃない? だから色々なものが見たいと思ってさ」

 彼女は胸の打ちを明かした。ここまで色々なものを目にしていた。時には命の危険に晒されることもあった。


 しかしそれ以上に心躍るような出来事を何度も体験する事が出来た。


「明日死ぬかもしれない。そう思ったら何かしたいと思わない?」

 彼女はダンゴムシに問いかけた。ダンゴムシが静かにうな垂れた。おそらく彼の中で葛藤にしているのだ。


 ここで背中をもうひと押しすることも出来るが、それは彼の意思決定能力を蔑ろにしかねない行為である。


 すると先ほどまで地面を叩きつけていた大雨が大人しくなっている事に気がついた。


「おっ、もうじき雨が止むね」

 彼女の言葉通り、雲の切れ間からゆっくりと陽の光が差し込んで来た。


「上がった」


「じゃあ私は行くね。踏み出すか、どうかはあなた次第だよ。頑張って」


「あっ、あのありがとうございました。一気に変わるのは難しいかもしれないけど頑張るよ!」

 彼女は会釈を返すと雨上がりの空の下に飛び出した。


 ダンゴムシの方に目を向けると、木陰の中から静かに太陽を見ていた。その目には僅かだが、光が灯っているように見えた。

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