神秘の木と水

 彼女は初めて目撃する光景に目が点になった。地面が割れているのだ。


 正確には水分が一切なく干上がっており、その影響で割れ目が出来ているのだ。


 灼熱の太陽が大地を焦がさんばかりに照りつけ地表の水分を蒸発させたのだろう。


「これが旱魃か」

 地面と同じく、自身の体から水分が枯渇しかかっている。まるで血液や筋肉から水分が蒸発していくような感覚だ。


「ダメだ。このままではカピカピになってしまう」


 夏は終わりへと近づいており、鈴虫がりんと鳴いて秋の始まりを告げる。


 故郷でもよく見られた光景だ。青葉は緑から茜色に衣替えをして、紅葉へと姿を変える。


「あー、疲れた」

 休憩を挟みつつ、進んでいたが喉の渇きの肉体的な疲労から逃れることは出来なかった。


「ん?」

 薄れゆく意識の中、聞き馴染みのある音が聞こえた。幻聴かと思い、意識を尖らせて耳を澄ませた。やはり遠くの方で水の流れる音が聞こえる。


「もしかしたら」

 生存本能が原動力となり、体を前に進めて行く。音が徐々に近く鳴っている。

 彼女は目を見開いた。


 川である。透き通って川の底が見えるほど綺麗な小川が流れていた。


「水だ!」

 あまりに渇きが酷かったため、彼女は頭から川に突っ込んだ。冷えた川の水が喉を通り、体内に潤いを与えた。


「ああ、うまい!」

 そこから何度も喉に水を通して、幸福感に浸った。


「あー、やっぱり水は生命の源だな」


 ふと前方の方を見上げると彼女は目に映ったものに驚愕した。川の水に夢中で気がつかなかったのだ。


 川の向こう岸に見たこともないような巨木が立っていた。


 神々しい雰囲気を纏っていて、あまりの壮麗さに思わず息を飲んだ。


 小川に足を踏み入れると、小柄な彼女でも容易に足がついた。そのあと、いともたやすく向こう岸に渡ることが出来た。


 幹や皺の多い木の表面を見て、かなり昔からこの大地に存在していたと予想できた。


 木の根元には黄、青、赤など色とりどりの植物が生えており、独特な雰囲気を放っていた。


「おやおや、こんなところにお客さんとは珍しい」

 巨木の隣から雄のリスが不思議そうな表情で顔を出した。


「こんにちは。綺麗なお花ですね」


「ああ、いつ見ても美しい花だよ。お嬢さん見ない顔だけど、ここらへんの者じゃないね?」


「はい。私、旅をしていてそれでここに来たんです」


「なるほどな。若いのう」

 リスの穏やかな笑みを浮かべた。敵意を持っているわけではなさそうなので、彼女はそっと胸をなでおろした。


「でも良かったよ。お嬢さんがただの旅の者で」


「良かった? どういうことですか?」

 リスの安堵したような表情に彼女は思わず、傾げた。すると先ほどまで朗らかな雰囲気を漂わせていたリスの表情が僅かに曇った。


「昔、ここにヒトが来てな、生えていた植物を持ち出したんだ」

 ヒト。数週間前に彼女も見た事があった。灰色の森に住む欲深い生き物である。


「ここの植物や水は神の寵愛を受けていると言われている。噂だとその植物から力を得た奴にその人間どもは皆殺しにされたってさ」

 恐ろしさを紛らわせようと彼女は水を飲んだ。喉に通していく毎に体の内側から水々しさを取り戻していき、満たされていくのが分かる。


「リスさん。私、ヒトを見た事があります。そして、彼らが生きる世界も。こことは違い、生きていくときにあまり不自由はしない印象でした。しかし、その目には活気や生気といったものが宿っていないように見えました」


 彼女は胸に抱いた虚無感を吐き出した。贅沢のために自身の目を削っていく生物。彼女が今まで見てきた生物でも異質といっても過言ではない。


「きっと彼らにとっては貴方方の神様は重要ではなかったって事ですね」


「信仰や崇拝云々を抜きにしても自然への敬意がない者に未来はない。我々は自然とともにあるから生物なのだ」

 リスののしかかるような言葉の重みに彼女はうな垂れた。視界の端で明るく光る何かが見えた。夕日だ。真っ赤な夕日が木々の隙間から差し込んできたのだ。


 リスの元を去り、森を抜けると夕焼けがはっきりと姿を現して、彼女を出迎えた。


「綺麗だな」

 紅く照らされた空は口では言い表せないほど、色鮮やかだった。


『我々は自然とともにあるから生物なのだ』

 リスの言葉が波紋のように心に広がっていくのを感じながら、地平線に消えていく夕日をただ、呆然と眺めていた。



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