いつか来る死を受け入れて

夏の蒸し暑さと蝉のコーラスがひしめき合う中、彼女は川の水に口をつけていた。

「いやーさすがは生命の源」


 暑い日の水は飲まずにはいられないほど、美味しく感じる。


 付近の木の根元には数匹の蝉が虚ろな目をして、仰向けになっていた。天寿を全うした者達だ。


「私もこうやっていつかは死んでいくんだろうな」

 故郷で何度も見たことがある光景だ。夏の照りつく日差しの下、みんみんと声を上げて、鳴く蝉の夏の終わりにはパタリと姿を消している。


「ん? 何あれ?」

 一際爽やかな声で鳴いている蝉を発見した。他の蝉達とは違い、爽快感がその身から漂っていた為、クールガイと呼ぶことにした。


 するとクールガイと目があった。

「やあ、見ない顔だね! この森は初めてかい?」


「こんにちは。ついさっきここに立ち寄ったばかりなんです」

 彼女が返事をすると木の上からゆっくりと降りてきた。何故、こんなに爽やかなのだろう? 内心、そんな小さな疑問を抱いていた。


「この森は僕やその同胞達が子孫繁栄のパートナーを探している場所なんだよ」

 

 木の真上の方で若い蝉達が必死に鳴いていた。ここにいる皆全員が自分の短い生涯のために何かを残そうと鳴いている。いわば魂の叫び声なのだ。


「死ぬのって怖くないんですか? もちろん私もいつか死ぬことは分かっているんです。でも貴方達は私よりも遥かに寿命が短い。子孫を残すためだけに生まれて死んじゃうのって嫌とは思った事はないんですか?」


 彼女は胸のうちにあった思いを投げかけた。彼女自身も故郷で無為に時間を割きたくなかったから旅に出た。


 しかし、それは時間に余裕があるから出来た事だ。蝉は地中でほとんどの時間を過ごしいざ、外に出たとしても他の個体と子孫を作り、その生涯を終える。


 人間は生きていく上で虚無感を抱いていたように見える。しかし、蝉の場合は短命のあまりに生まれた意味すら見出せないまま終える事に対する虚無感を覚えたのだ。


「以前、君と似たような事を言っていた子がいたね。自身が短命である事と自由に生きる時間が少ない事を嘆いていたよ。でも生まれたからこの世界の広さや美しさに気付くことが出来たんだ。幸せだと思わないかい」


 クールガイの口から心が温まるような前向きな言葉が出てきた。短命な彼がいう分、その言葉には説得力があった。


「自身が短命であることと不自由であることは話が別だよ。行動するのも自由。行動しないのも自由。選択が出来る時点で僕達は自由さ」


「選択が出来る時点で自由ですか」


「ああ、それにいつか終わるからこそ、命を燃やせるんだ。君だって命があるからこそ行動しようと思うんだろ? 仮に永遠に命があるのなら、ほとんどの時間を惰眠と暴食で塗りつぶすと思うんだ。生き物の基本行為は睡眠と食事だからね」


 そう言うとクールガイが爽やかな笑みを浮かべた。あまりの爽快感に周囲に漂う夏の暑さが吹き飛んでいたのを感じた。


 確かに寿命の短さ故に悲観して日々を過ごす事も出来るし、一分一秒に意味を見出して、行動する事も出来るのだ。


「それじゃあ、僕はあっちの木に素敵なお嬢さんを見つけたから失礼するよ。胸を張りなよ。自分の人生に」


 そういい小さな羽をはためかせて、消えていった。飛んでいくその姿は小柄な身からは抑えきれないほどの勇ましさを放っていた。


 その後ろ姿に心の底から敬意を抱いた。


「ありがとう」

 彼女の小さな感謝の言葉は無数の求愛のコーラスにもみ消された。


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