捕食者

 高い背の草が生えた草原を進んでいた。生い茂った草は天敵に襲われそうになった際、隠れ家になるものの同時にいつ自分が奇襲に遭うかもわからない。


 つまり彼女が今の道を進んでいるのはかなりリスクが高い行為なのである。


 すると突然、ガサッという音とともに草の陰から何かが飛び出てきた。驚きのあまりに思わず身を仰け反る。


 同胞の顔だった。同胞が生い茂った草の中から頭のみを突き出していたのだ。


「びっくりした」

 何かに襲われると勘違いした彼女は安心感から、思わず嘆息を吐いた。


 旅とは何が起こるか、分からないので警戒を怠る事ができないのだ。


「こんにちは」

 彼女は警戒しつつも友好的な態度で接する。しかし、同胞は一切、反応しない。


 それどころか目に生気を感じられないのだ。すると同族の首がゆっくりと草を撫でながら上がっていく。


 いきなりの事に彼女は戸惑いを見せる。やがて自分達の体格ではありえないほどに頭の位置が上がった。


 目の前の出来事に思わず、気味の悪さを感じる。


 同胞の首が前に動き、草がゆっくりと開いていく。彼女の全身に怖気が走った。


「ひっ」

 そこには同胞の下半身を咥えて、ニヤリと卑しい笑みを浮かべる狐がいた。


 細長い口に飴色の体毛に覆われた体。白く鋭い爪。口元には鮮血がべっとりと付着しており、嫌悪感に拍車をかけた。


 とっさに踵を返して、荒い息遣いで何度も胸を起伏させながら走り続けた。


 周囲から耳に入る小鳥のさえずり、草木が揺れる音、虫の鳴き声、その全てが敵意に感じられるほど彼女の内心は危機的状況に陥っていた。


 後ろから一定の間隔で素早く草を踏む音が聞こえる。


 本能的に先ほどの獣だと察した彼女は近くにあった石の下に隠れた。恐怖で体の震えが止まらない。


 しばらくすると、腐臭が混じった血の匂いがに触れた。おそらく今、隠れている石一つを隔てて、怪物をうろついている。血の匂いが強まってくると同時に早まる心臓の鼓動。


 恐怖心と吐き気すら催す腐臭に堪えていた。すると低い鳴き声が聞こえた後、身を隠していた石を見下ろした獣と目があった。


 狐は彼女を見つけるやいなや狡猾さが滲み出た笑みを浮かべた。


 彼女は踵を返して、全速力で近くの草原に向かった。背後から地面を削り取る音が等間隔で追いかけてくる。


 捕食者の鋭利な爪が彼女を捉えようとした時、身をそらして代わりに自身の尾を切り離した。彼女の奥義、自切である。


 自身の尾を切り離すことでそれを身代わりにする策だ。


 見事に狐は踊らされて、その隙に彼女は矢のような速度で草原に飛び込むことに成功した。


 草花をかき分けて、ひたすら安全な所まで足を動かし続けた。狐の臭いが感知できない距離まで離れた所で、近くにあった樹木の根元にへたり込んだ。


 改めて、先端が無くなった事実を確認した時、瞬間、耐え難いほどの倦怠感と喪失感に襲われた。


 彼女やその同胞達の尾には栄養を溜め込む、移動時のバランスを取りやすくするための舵取り。


 変温動物で彼女らは体温をある程度保っていないと行動できないため、日射面積を広げるための役割を果たしているのだ。


 自切は逃亡には非常に有効な策だが、同時にこれらの負担が襲って来るのだ。


 彼女は自切を行って間も無く逃亡を図ったため、全身に疲労感がのしかかっている状態だ。


 いつかどこかの瞬間で使う機会がくると予想はしていたものの、思ったより早いタイミングで来てしまった。


 尾が再生するまで以前と同様に警戒を緩めない他に選択肢はない。ふと視線を上げると東の空には茜色が侵食しており、夜の訪れを告げていた。

 

 気づくと彼女は瞼を閉じていた。狐との壮絶な逃亡劇を繰り広げて心身ともに疲労してしまい、つい眠ってしまったのだ。


 辺りはすっかり夜のとばりに包まれており、月明かりが生い茂る森を明るく照らしていた。


 意識がはっきりとした瞬間、焦燥感に駆られてとっさに辺りを見渡した。


 先ほど自分を追って来た狐が付近にいるか確認するためだ。眠ったおかげで体力は幾分か回復したが、それでも尾を失った損失を大きい。


 奇襲攻撃を仕掛けられた際は逃亡できるか分からない。周囲に五感を研ぎ澄ませたが、獣の存在らしきものは見当たらない。張っていた糸が切れたように胸をなでおろした。


 千切れた尾が彼女の生死をかけた修羅場の厳しさを物語っていた。傷心する彼女を慰めるかのように草原から虫達の鳴き声が聞こえる。


 奏でる音一つ一つが見事に調和しており、川のせせらぎのように心地良い。


 徐々に心が落ち着きを取り戻していき、夜の闇に再び、身を委ねて眠りに落ちた。

 

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