広い世界

 故郷を飛び出してから半日が経ち、昼に差し掛かっていた。


 左右に生い茂った草が壁を作るように生えており、辺りの情景は故郷とあまり変わらない。


 しかし、未知の世界に踏み出したという確かな事実に彼女は静かに胸を高鳴らせていた。


 突如、甲高い鳴き声が天心で響き渡る。鳴き声の方に目を向けると鷹が両翼をはためかせて、心地良さそうに悠々と青空を飛行していた。


 鳥を見るたびに彼女は僅かに羨ましく思うことがある。



 翼という飛行手段を持っている事で自分では知る事が出来ない空の世界を見ることが出来るからだ。


 あの空の向こうにもきっと別の光景が広がっているだろう。


 しかし、彼女には行動力というものがある。おそらくどの翼よりも優れているに違いない。


 旅への憧憬を忘れなければきっとどこまでいけるはずだと彼女は確信していた。


 林道に差し掛かると太陽の光が鬱蒼とした木々に遮られて、薄暗くなる。


 ひんやりとした空気が漂っており、肺に送り込むと体内が清涼感で満たされていく。 

  

 心地よさとともに血の巡りが加速して、細胞が欣喜雀躍としているのがよくわかる。


 のらりくらりと森の奥に足を進めていると、ある物が視界に映り歩みが止まった。彼女は思わず目を疑った。


 仄暗い森の奥。荘厳とした印象の大樹が堂々と地に根を張っていた。老樹というべきだろうか。


 丈夫そうな木の幹にはいくつも皺ができており、彼女が見る限り樹齢一千年は超えている。


「すごい。なんて大きいの」

 ただならぬ気配に糸で引き寄せられるようにゆっくりと近づいていく。


 木陰に入ると身の回りの温度が一気に下がったのが肌身で分かった。


 あの木の上はどうなっているのだろう。そんな素朴な疑問が頭の中に浮かんだ。


 好奇心が彼女の手足を刺激して木肌を駆け上り始めた。彼女自身、木登り自体は初めてではない。


 故郷にいた頃は友とよく木の上に登り、そこから見る景色を楽しんだものだ。


 中間辺りで先ほど、自分がいた場所に目を向けるとあまりの高低差にギョッとした。


 一瞬、目眩がして四肢の筋肉がひるみそうになり、なんとか力を入れた。


 この高さで落下してしまえば無事ではすまない。息を整えて、再度高みを目指すと、葉の隙間から木漏れ日が差し込んだ。


 そして、ついに最上部まで登る事が出来た。視線を外に向けると驚嘆のあまり、目を見開いた。見渡す限りの緑葉の絨毯。


 翼を目一杯伸ばして、飛翔する鳥。大蛇のように細長く伸びた川筋。


 地平線から盛りあがるように存在する山々。そして、あの山の向こうにも自分がいくべき世界がある。


 大樹の上で、彼女は改めて母なる大地の広大さを肺腑の底から思い知った。故郷を飛び出して初めての夜。


 一日目を祝福するかのように輝く星空と満月が瞳に映る。全てを吸い込み、空に還すような光景から目が離せない。


 おそらく気の遠くなるような遥か昔から地上を見守って来たのだろう。


 星空を眺めていると、自分という存在があまりにもちっぽけに思えてしまう。


 近くで緩やかなに流れる小川が月夜に照らされて、天の川銀河のように輝いていた。


 山々は月光が指していないので昼間の生気に満ちた緑の景色とは違い、夜陰に覆われて何も見えない。


 散りばめられた星芒が、静かに彼女の姿を見下ろしていた。


 

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