「The Little Traveler」
蛙鮫
彼女の旅立ち
いつの日の事だろうか。自分がいかに幸せで、それ以上に窮屈だと感じていたのは。
暖かな日差しを背中に感じながら、草原の上で彼女は友と微睡みを覚えていた。
赤や黄色などの花が美しく咲き誇り、周囲に彩りを与える。
瞼を開けると果てしなく広い青空と暖かな光を放つ太陽と目があった。
不意に吹く穏やかな風が彼女と草花を静かに撫でる。しかし、彼女の内心は穏やかではなかった。
「暇・・・・・・」
ポツリと口から水滴のように溢れた一言。辺りは風光明媚といっても過言ではない程の雄大な自然。
息を呑むほどの壮麗な景色だが、対照的に内心は虚無感に苛まれていた。
不自由していない事に不自由さを感じているのだ。何も見出せない。いや、見出す必要がないのだ。
絶たれたといってもいい。外の景色を見ようとしたが視界を遮るように山々が阻んでいる。自身の小柄な身の丈では到底、拝む事は出来ない。
「ねえ、この地域の外に出た事ってある?」
風に吹かれて、心地良さそうな友に尋ねた。友の閉じた瞼が静かに開いた。
「あるよ」
友は当然のようにそっけなく答える。友は同種の雄である。二年前に見かけない顔だった友に彼女から声をかけて、仲が深くなったのだ。
やはり旅は楽しい物なのだろうか。
「でも旅をしたから、その傷ができたんでしょう?」
彼女は友の左目に焦点を向けた。友には左目が見えておらず、その証拠に片目部分には深い傷があった。
「まあ、そうだけど旅は楽しかったし後悔はしてないよ」
そういい友が笑みを浮かべた。ここにいれば、傷つかずに生きていける。豊かな環境のおかげで食料である虫も多く、生息している。
飢えに苦しむ事はない。そしてここで出会った異性とまぐわい、子孫を残していく。
しかし、本当にそれだけで良いのだろうか? その時はいつくるのだ? その時までここで時間を食い潰し続けるのか?
一つの疑問が生まれれば、連鎖的に他の疑問が顔を出した。現状に甘んじている限り、この負のスパイラルから抜け出す事は出来ない。離脱する方法はただ一つ。
「決めた。私、外の世界に行く」
決心がついた。言葉を放った瞬間、突風が吹いて霞みがかった視界を切り開かれたように気分が軽くなった。
「そうか」
友はそっけない態度で一言呟くと再び、無口になった。しかし、どこか嬉しそうな声音だった。
澄み渡る青空にゆっくりと茜色が混ざっていき、辺りは静かに夜を迎えようとしていた。
明け方。唐突の肌寒さに四肢を震わせて、重く閉ざした瞼を開いた。
視界には夜闇が薄まった虚空が広がっていた。数時間前、彼女の旅を祝い、友と送別会を行なったのだ。
その証拠に真横では友が瞳を閉じて寝息を立てている。友には世話になった。
出会うまでこれといって親しい者がいなかった彼女にとって初めてできた大切な存在だ。すると先ほどまで硬く閉じていた友の目が開いた。
「行くの?」
無気力な声音で尋ねる友。しかし、言葉や面立ちに覇気を感じなくとも彼女にはわかるのだ。友の内心が機微に一喜一憂を繰り返していることに。
「うん」
「そうか、気をつけて」
彼女は静かに頷いた。絶対に帰ってくる。白々明けの朝。山から顔を出し、差し込む朝日に背を向けて旅への浮き立つような気持ちを胸に駆け出した。
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