第13話 Ex=ReD 帰宅ダブルス フラッグメント編 6

 競技帰宅ダブルス、フラッグメントの試合はついに明日に迫っていた。


 鉄雄の特訓の成果もあり、万里はノート頼りではあるが、完璧に登下校をこなすことができるようになった。

 いくつかの交差点では、コマ地図がなくとも自信を持って進む方向を判断できるようにさえなっているが、それだけに今が一番危ない時期である。


 並んで屋敷への道を歩きながら鉄雄は言った。


「ここ数日の成長はとてもすごいと思う。だが、今が一番危険な時期でもある」

「どういうことですの?」

『帰宅に限ったことではないが、慣れてきた、できるようになってきた頃こそ、基本が大事なんだ。明日の試合ではいつも以上に、交差点でそのノートを見るように心がけてくれ」

「なるほど、理解できましたわ。わたくしは帰宅に専念して、ランダムに現れるフラッグは鉄雄くんにお任せする。そういうことでよそしいですのね?」

「ああ。俺が全て取るくらいの心づもりでいく」


 一本でも自分がフラッグを取れれば、鉄雄の負担をそれだけ減らせるのに、と少しだけ、残念に思う気持ちもある。

 ここまでなにくれと手をかけてもらったことに対して、ただまっすぐ帰宅するだけでは彼の努力に見合わないと思った。


 そんな万里の僅かな不満を感じ取ってか、鉄雄は優しく彼女に話しかける。


「大丈夫だ。二人で力を合わせれば必ず勝てる。万里さんは家を、俺はフラッグをそれぞれ目指す。役割分担だって立派な作戦だ」

「……そうですわね! すぐさま帰宅してご覧に入れますの!」

「その意気だ」


 鉄雄は深く頷いた。

 あとは、相手の戦法を判断しながらフラッグを取っていけばいい。


 根亀の偵察情報によれば、相手はパワーサイクルとブーストシューズをそれぞれ装備して試合に臨むらしい。


「相手も、おそらく同じような作戦だと思う」

「自転車とシューズ、と根亀が言っておりましたわね」

「小回りの利かないパワーサイクルは、フラッグを集めるのには向いていない。速度の変化は減点対象だからな」


 時速にして30kmほどの速度が出る電動アシスト自転車。それがパワーサイクルである。

 競技帰宅において、立ち止まったり急加速したりといった速度の変化は減点対象であるが、それを補って余りある速度で帰宅時間を短縮し、速度変化の減点分以上にタイムの短さで高得点を狙う機材である。


「スピードが出る分、目立ちもする。おそらく手塚先輩が乗るんだろう。問題はパワーシューズだな」

「社会人帰宅のプロリーグの選手ですらあまり所持していない、かなり高価な品物ですのに……贅沢なものですわね」

「とはいえ性能はすさまじい。単純に、脚力がアシストされるからな」


 シューズ、と名付けられているが、そのフォルムはブーツに近く、内蔵されているジェットスラスターで速度の向上やジャンプ力の強化ができるものだ。

 二階建ての戸建て住宅程度ならば、飛び越えることができる。


「扱いはとても難しいと聞きますの。慣れていない方がつけてくれるとよいのですけれど……」

「そうもいかないだろうな」


 対して、鉄雄らは特別な道具を使うつもりは一切なかった。

 それが、競技帰宅Ex=ReDの本来の形であり、いきすぎた道具によるアシストは本来の帰宅とは違っていると考えていた。


「だが、こちらにできることは体調を整えて万全の状態で試合に臨むことだけだ」

「そうですわね。勝ちましょう、必ず」


 夕日を背にして、固く意思を告げる。

 鉄雄も、同じ思いだった。




   ○   ○   ○




 翌日の放課後、校舎の外や校門までの並木道には生徒たちの姿が溢れていた。


「すごい人数だな……」

「みなさん、お暇なのかしら」


 呑まれかける二人の前に、手塚が現れる。その傍らには、すらりと細長い別の人物。

 対戦する四人が一堂に会する。彼らの服装は、制服。それが競技帰宅の正式なユニフォームだ。


「宣伝はこっちでさせてもらったぜ。デモンストレーションは派手にいかねえとな」

「なるほど、手塚くんの仕業でしたのね」

「おたくの所のおデブちゃんもノリノリで手伝ってくれたぜ。負けるから止めとけって言ったのによぉ」

「そちらこそ、人気と部員をこちらに奪われる覚悟はできていまして?」


 舌戦が始まるが、万里の自信はどこからくるのだろうかと鉄雄は考える。

 それにしても、手塚の隣にいる人物はやけに手足が長い。一歩一歩のストロークが大きい方が帰宅においては有利であるので、そういった意味では最適な人選なのだろう。


 きぃん、と校舎から一つハウリングが聴こえ、次いで賑やかに放送が聞こえてくる。


 ――さぁさぁ二つの帰宅部の一大対決を見ようと放課後の貴重な時間を潰して待っているヤローども! 実況の担当は放送部にお任せだ!

 今回は競技帰宅ダブルス! フラッグメント形式での対戦だ! こいつぁ見た目が派手で実にエンターテイメンッッ!! ドローンで映像も出るから、リアルタイムで見たい欲しがりさんは今から言うチャンネルに繋ぎやがれぇ!


「すっかり見世物だな」

「おいおい、後輩君が提案したんだろうがよ。盛り上げて、お互いに新規部員を獲得しようや」

「卑怯な手はナシですよ」

「そんなもん、使うまでもねえ。そっちには方向音痴お嬢様がいるんだからなあ!」

「ふふん、今に見ていなさい。そのにやけ面、驚きに染めて差し上げますわ」


 ギャラリー達も盛り上がりを見せ。場の熱狂に流されてか、万里も好戦的な様子を見せる。

 だが、手塚達が装備を始めたのを見て鉄雄は驚く。


「パワーサイクルは、そっちの人が……!?」

「なんだ、後輩。俺が乗ると思ってたか。ま、スピードが出るからありゃ目立つけどよ……」


 ぎらり、手塚の目が鋭さを増して野獣のように鈍く光る。


「俺は、負けっぱなしってのは好きじゃねえんだ。フラッグの取り合いで、てめえをギッタギタにしてやろうと思ってな」

「……ギッタギタなんて言葉、使う人初めて見ましたよ」

「されるのも初めてになるだろうよ」

「じゃあやってみて下さいよ」


 言いながらも鉄雄は不敵に笑う。

 間違いなく、手塚は強敵だ。その圧力が、まっすぐ自分に向けられている。ぶるり、と自然に武者震いをした。


 試合前の熱に浮かされているのは、自分も同じらしい。

 がちりとブーストシューズを装着する手塚の横で、入念に準備体操をする。


 万里も、ノートをしっかりと握りしめてから、髪を後ろで一つにまとめた。


 ――間ァもなくスタートだ! ルールは単純!! 家に帰れ! ただし、途中にあるフラッグを回収したら得点アップ! フラッグは合計5つ! 全部取ったらその場で勝利! それ以外はフラッグポイントと帰宅ポイントの合算で決まる! 4つ取れたらほぼ勝ち確定だぜ!

 細かいルールは追々説明していくからスタートに注目だぜジェントルメーン!


 深く息を吐いて、スタートの合図を待つ。

 深呼吸で大事なことは、吸うよりも吐くことだ。鉄雄の隣では、万里も真剣な表情をしている。


 鉄雄の目標は、フラッグを4つ取る事だ。

 帰宅ポイントの差は、よほどでなければフラッグ4つで埋められる。現実問題として、5つ取れることはほとんどない。ブーストシューズ相手ならばなおさらだ。


「万里さん」


 すっと右の手の平を差し出す。


「次に会うのは、試合後だ」

「ええ、ご武運を」


 力強く、ハイタッチ。

 二人の意思が通じた瞬間と、スタートの合図は同時だった。


 駆け出した鉄雄の隣で、ごう、と風を巻く音がする。


「さあとくと見やがれ!! 手塚インダストリ製の、ブーストシューズの威力をなあ!!」


 飛ぶように一歩駆け、校門から直進。目の前のブロック塀にぶつかるかと目を背ける者もいたが、シューズの力で高く舞い上がった手塚は空中でくるりと華麗に姿勢を整え、住宅の上を越えて全員の視界から消えた。


 割れんばかりの歓声が上がる。


 ――グレイト! グレイト!! グゥゥレイトォォ!! めったにお目にかかれねーブーストシューズ! 家も道路もひとッ飛びだ! これは圧倒的な勝負になるかぁぁぁ!?


 目を丸くする万里に向かって、鉄雄は笑顔を作って見せた。


「あれくらいなら、大丈夫だ」

「……え?」


 鉄雄は姿勢を低くして駆け出し、塀に向かって速度を落とさない。

 その体格に似合わず、たん、と柔らかく飛びあがってブロック塀の上でさらにジャンプ。住宅の屋根に手をついて前転で跳ね、鮮やかに住宅を越えて見せた。


 先ほど以上の大きな喝采。


 ――ヤローども!! あの負けん気の強いスーパーパルクールマンは誰だ! って顔をしてやがるな! アイツは九条端鉄雄! 入学してきたばっかりだが帰宅リトルリーグの覇者だってんだから驚きだぁ! あの動きは本物だぜ!! さぁ、ドローンの映像にも注目してくれよな!!


 負けていない。

 ブーストシューズにも、負けていない。


 わたくしは、わたくしのできることを。


 誰もが二人の派手な行動に目を奪われる中、ひっそりと万里は歩き出した。

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