第12話 Ex=ReD 帰宅ダブルス フラッグメント編 5

 朝、いつもよりもかなり早い時間に部屋のドアをノックする音がする。


 鉄雄は焦って飛び起き、何事かと思った次の瞬間に、そういえば根亀が泊まり込むと言っていたのだったと思いだした。


「鉄雄殿ー! 鉄雄殿ー! 時間でござるよー!」

「……六時? まだ随分と早いんじゃ……」

「何を呆けておりますか! 拙者がお嬢様を手助けせぬならば、彼女はどうやって登校すると言うのか。迷いに迷って別の町まで言ってしまうではありませぬか」


 そうか。

 帰宅できないという事は、登校もできないということか。


 鉄雄はしっかりとその事実を失念していた。


「悪い。急いで行く」

「朝食はテーブルにございまする。拙者、先に学校へ行きますぞ。お二人で登校ランデブーとしゃれ込まれなされ」

「ありがとう。根亀さんも気を付けて」

「気遣い感謝。手塚殿の帰宅部の朝練を偵察しておきますぞ」


 着替えてリビングに行くと、テーブルにはサンドイッチが並べられていた。


 これも、悪くないなとふと思ったが、ぶんぶんと頭を振って雑念を振り払う。今は、万里の方向音痴をどうにかすることが最優先だ。と鉄雄は自分に言い聞かせた。




   ○   ○   ○




 万里の屋敷の前で、彼女が出てくるのを待つ。

 根亀から話は通してあったらしく、鉄雄のスマートフィンに「あと少し待って下さいまし」とメッセージが入った。


 昨夜は既に暗かったので門から中はよく見えなかったが、明るい所でその全容を見るにつけて、想像以上に大きな屋敷だと感じた。

 重厚な門がその重さを感じさせぬほど滑らかに開き、万里が姿を現す。


「おはようございます。お待たせいたしました。お迎え、感謝いたしますわ」

「あ、ああ、おはよう」


 どぎまぎと鉄雄は言葉に詰まる。何を言っていか分からず、挨拶をするに留まった。


「登校の時にも迷うと聞いたが……」

「毎日、見える景色が違うのですから当然ですわ」

「なるほど。やっぱり、万里さんは記憶力が良すぎるんだな」

「そうですの?」


 鉄雄はこくりと頷く。

 そしてカバンから手帳サイズの小さなノートを取り出した。


「道順を書きますの?」

「ああ。これを、こうして……」


 ページを開いて、線を引いて分割していく。ページを9分割して、最初のページの左上に現在地の略図を書いた。


「この黒丸が万里さんの場所。そして、進む方向は矢印で書いた。交差点のたびにこういう絵を書いていく」

「地図全体ではありませんの?」

「ああ、交差点でどちらに曲がるかさえ分かればいい。交差点に着いたら、必ず自分の目の前にノートを持つんだ」


 これは、コマ地図という方法で、地図を簡略化し、目印だけを書き込んでそれを元にコースを辿る、ラリー競技用の地図である。

 変わってしまう目印ではなく、概略を捉えることを覚えるために鉄雄が選択した方法だった。


 交差点のたびに、道路の形だけを書き写し、目印を万里と一緒に確認していく。普段から変わることのないカーブミラーやポストなど、主に目線の高さにあるものを指定して、それらもコマ地図に書き込んでいく。


「とても、時間がかかりますのね」

「いいんだ。まずは時間よりも正確さだ。帰りも、帰り用のコマ地図を作る。見る方向が変わるからな」


 それでもおそらく、完全ではない。

 コマ地図はポイントをあえてクローズアップし、全体像を見ないようにすることで思考を制限する方法である。

 その最大の弱点は、交差点を素通りしてしまった際にリカバリが効かないことである。意識をしっかりと道路に向けて、交差点に進入したらノートを出す。これを徹底しないといけない。


「ノートを見続けるのもよくない。交差点を見落とすからな。意識は常に通学路に向けて、交差点ごとに立ち止まることを習慣化するんだ」

「わ、わかりましたわ」


 高校生男女が共に登校、という一見甘い青春シチュエーションではあるが、二人の間にはそのような空気は一切なく、ノートと目印を繰り返し見続ける登校模様だった。


 だが、鉄雄は真剣であり、万里もまた、それを感じ取って真摯に頷きながら往路、復路のコマ地図を完成させていった。


「ところで、鉄雄くん。根亀は元気にしていますの?」

「ああ、まさかうちに泊まり込む気だったとは思ってもみなかったが」

「釘を刺しておきますけれど、手を出してはいけませんわよ」

「誓ってもいい。彼女はかわいいが、それとこれとは話が別だ」

「男性諸君は、あのような体型がお好みですの?」

「趣味嗜好は人によると思うが……」

「坂道くんも、ぽっちゃりはかわいいと言っておりましたの。わたくしももう少し肉付きをよくしましょうかしら」

「勇吾は誰にでもそう言う。万里さんは綺麗だと思うぞ」


 少しだけ、万里の頬がふくらむ。

 それを見て、何か変なことを言っただろうかと鉄雄はノートからペンを離した。


 彼女はジト目で鉄雄を見ている。


「な、何か変なことを言ったか?」

「いいえ、別に。わたくしには、カワイイとは言ってくださらないのかと拗ねているだけです」

「え、いや……えぇ?」


 万里の心情が欠片ほども分からず、乙女心の難解さに戸惑う鉄雄だったが、次の交差点に差しかかったので気を取り直してコマ地図製作を再開した。


「失礼。鉄雄くんとの登校が新鮮で、少しふざけてしまいましたわ」

「い、いや、気にしない。大丈夫だ。それよりここの交差点はあの黄色い標識が目印だ」


 一つ一つ、丁寧に。

 万里が、自分の力で登下校できるように。それが、競技帰宅の最初の一歩になるように。




   〇   〇   〇



 

 翌日は、できるだけ鉄雄は口を挟まず、万里がコマ地図を読み間違えた時だけ指摘をした。

 そして四日目の朝。屋敷から学校まで、ついに万里はノートと自分の判断力だけで登校することに成功したのだ。


 校門にたどり着き、桜の花びらを優しく孕んだ風を受けながら、万里は大きな達成感と共に鉄雄に抱きついた。


「鉄雄くん! やりました! やりましたわ!! わたくし、登校できましたの!」

「ちょ、万里さん、あの、おめでとう、でも、その」


 周囲の視線が刺さる。

 登校時の校門前。ほぼ全ての生徒が通るもっとも目立つ場所、そして人の多く集まる時間。そこで男女がハグしているとなれば、好奇の目線が集まることは想像に難くなく、甘酸っぱい青春を所望しながらそれを得ることができていない一部の生徒連中からは心中で妬み嫉みの感情と共に「ここはアメリカじゃねーんだよ朝っぱらからよお」と思われていた。


「周囲にどう見られているかなど、どうでも良いのです。わたくしが、今、大きなことを成し遂げた。その感謝は、今示さねばなりませんの」

「そ、そうか、光栄だ……」


 たっぷり数秒の後にようやく鉄雄は解放され、周囲の視線から逃げるように教室まで急ぐ。

 自分の席につこうとしたその時、ばんっ、と勢いよく机に手が突きたてられた。カッと目を見開いた勇吾が鉄雄の顔を覗き込んでいる。


「へい鉄雄。へーい鉄雄よぉ。なんだよさっきのはよぉ。ここはアメリカじゃねーんだよ朝っぱらからよぉ。すっかり青春野郎になっちまったんじゃあねーですかぁ? ボクちゃんちょっと事情が聞きたいなぁ。泣くよ? 泣いちゃうよマジでー!!」

「勇吾……。いや、あれはな、違うんだ」

「ふーん。ほーお。つまりなんですか。鉄雄君にとっちゃあ、アレくらいお遊びですか。はいはい、リア充越えてリア王だよお前はもう。なあ、なんか、そんな名前の話なかった?」

「まんま、リア王だな。シェイクスピアの。話の中身は知らないが」


 隣の席に座り、けろりと普通の態度にもどる。朝から美少女に抱き着かれる鉄雄がうらやましいと思ったが、よくよく考えてみれば相手は万里だ。高嶺の毒草と言われている彼女であれば、少しばかり破天荒な行動をとったところでなんの不思議もないと思いなおした。


「俺も知らねー。んで、お嬢様の特訓は順調か?」

「ああ。今日は一人で登校できた」

「まじかよ、すげーじゃん」


 そこでハタと気づき、勇吾は言葉を続ける。


「でもアレだろ? お嬢様と組んでダブルスやるんだろ。アレどうすんだよ。フラッグタッチ。試合開始まで場所分かんねーだろ」

「あれは俺が全部取る」

「お嬢様のラインズポジションでもか?」

「ああ。万里さんは帰宅に集中したほうがいい」

 

競技帰宅のダブルスには、シングルスと違い、試合を大きく左右する要素として『フラッグ』と呼ばれるチェックポイントが存在する。競技者それぞれの帰宅ルート分析を参考に、ランダムに指定された5つの地点が『フラッグ』として設定される。

 そこを一番に通過した選手のチームに加算される仕組みとなっている。。このフラッグの取り合いがダブルスの魅力の一つであり、実況で最も盛り上がる要素でもある。

 だからこそ、鉄雄はダブルスを提案したのだ。


「大丈夫かねえ。先輩連中が、また卑怯なことしてこなきゃいーけど」

「心配には及びませぬなあ、坂道殿」

「ッひょお、びっくりしたあ。なあ、根亀ちゃん。いつの間にか背後にいるの、やめてもらっていい?」

「気配に気づかぬ方が悪いでござるよ。拙者、これこの通り恰幅の良い体つきゆえ、すぐに気づくでありましょう?」


 根亀がたゆんたゆんと跳ねるが、近くに来るまで本当に一切の気配がなかった。ずれたメガネをくいと押し上げる。


「わっかんねーって。それより、心配ねーってどういうこと?」

「此度の交流戦、向こう方は勝ちを目的にはしておらんからですな。部活勧誘のアピールにしたいと考えておるようです」

「あぁ、なーるほど。そこで下手なことしたら逆に印象下がるってことね」

「いかにも。さて本題ですが鉄雄殿。今日のお弁当、テーブルに忘れておりましたぞ」

「ああ、悪い。助かった」

「夕食のリクエストがあれば放課後までに連絡するでござるよ。帰りはいかほどで?」

「万里さんと一緒に帰ったらすぐに帰る。多分、今日は彼女一人でも帰れると思うぞ」

「それは重畳! 頑張ってくだされー」

「ああ、万里さんにも伝えとく」


 ぱたぱたと手を振りながら根亀が去る。

 勇吾は、机に置かれた弁当と鉄雄の顔を残像が残るほど高速で何度も交互に見た。


 そしてにこやかに冷たく笑みを作って、鉄雄の肩に腕を回す。


「鉄雄くぅん。ちょっと屋上行こっか」

「うちの高校、屋上は閉鎖されてるぞ」

「トイレでも体育館裏でもいーんだよ、何だよ今の! ちょっと詳しく聞かせろぉ!!」


 鉄雄は一限目を強制的にサボらされ、校舎裏に連行されて事情の説明を余儀なくされたのだった。

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