第11話 Ex=ReD 帰宅ダブルス フラッグメント編 4
商店街の明かりは眩しく、多くの人々の生活感にあふれていた。
そこから筋を外れると途端に静かになる。喧騒を背に歩みを進めるにつれて、辺りは静かに、そして暗くなっていく。
勇吾から連絡のあった公園が見え、ベンチに万里らしき人物が座っているのが見えた。
そしてその横に立って万里に話しかけている二人組の男性。
「……誰だ?」
公園の入り口からでは表情は見えないが、鉄雄はかまわずずんずんとベンチに向かって一直線に歩いた。
「大丈夫だと、言っておりますの!」
「まあまあ、夜になったら、危ないからさ。向こう行こうよ」
「そうそう、ご飯でもどう?」
軽薄な態度で、彼らは万里に接している。
――ドロップキックでも見舞ってやろうか。
ふとそう考えたが、あまり事を大きくするものでもない。近づきがてら「万里さん!」と声を張った。
名を呼ばれた彼女も、話しかけていた二人もいっせいに鉄雄の方を向く。
こういった手合いを相手取るには、最初が肝心だ。
相手を怯ませた方が効果的なのである。
「俺の彼女に、何か用ですか」
静かに、だがはっきりとそう言い放つ。
万里の目が驚きとともに大きく見開かれ、二人組の男たちの顔はパッと明るくなった。
鉄雄が思っていた反応と違う。むしろ逆の反応をされている気がする。
「おー! 良かった良かった! こんな時間に女子高生が一人だったから心配でさ!」
「商店街の方が明るいからって言っても聞かないし困ってたところで!」
とても、気さくに話しかけてくる。
控えめに言って善人のオーラをひしひしと感じ、鉄雄は一瞬前までドロップキックを繰り出そうとしていた自分を恥じた。
「じゃあとは彼氏くんよろしくね! ケンカしたみたいだけど、ちゃんと仲直りしてねー!」
「紛らわしい声のかけ方して、彼女もごめんねー! それじゃ!」
颯爽と、二人は去っていった。
後に残されたのは、静かな気配と、困惑した鉄雄。そして気まずそうに目をそらして沈黙する万里だった。
数秒の沈黙を破ったのは万里だった。
「あ、あの、鉄雄くん……助けてくれようとしたのですのね?」
「……盛大にやらかした気がするから、できれば忘れてくれ」
「迫真の演技でしたわよ」
「ああ。思わずドロップキックまでしそうになった。しなくて本当によかった」
思わず万里が吹き出す。鉄雄は耳まで赤くしてそっぽを向いて頭を掻く。
「ありがとう。そして、先刻は失礼を致しましたの」
「こちらこそ、すまなかった。わざと怒らせるようなことを言った」
「わたくしのためを思って言ってくれたのでしょう? それに、事実その通りだと思いますわ」
目でベンチに座るように促す。鉄雄は何も言わずに彼女の隣に座った。
陽は、すっかり沈んで辺りは暗い。遠くまでは見渡せず、隣にいる万里の輪郭だけがはっきりと感じられた。
「あの子、昔はとても泣き虫でしたのよ」
「本人から聞いた。万里さんが、手塚先輩にドロップキックしたことも」
「ま、余計なことまで。自信をつけて差し上げようとあれこれ世話を焼いたものですわ」
「そのおかげで、彼女はとても有能になったんだろう」
「助けてもらった恩、などとあの子は言いますが、お互いさまですの。近くにいてくれて、いつもどれほど心強いか」
「……いい関係だな」
「ええ。でも、そればかりではいけませんわね。わたくしも、根亀離れをいたしませんと」
ベンチから立ち上がり、数歩進んで彼女は鉄雄に向き直り深々と礼をした。公園の控えめな街灯の灯りは、彼女の表情をはっきりとは照らさない。
「どうか、一人で帰宅できるよう、わたくしに力を貸してくださいまし。ダブルスで勝つために」
「ああ。勝とう」
鉄雄も立ち上がり、右手を差し出す。
静かに、だが力強く交わされた握手。
空には、春の星が瞬いていた。
「ところで、一人で帰れる……はずがないな」
「断言とは失礼ですわね。無理に決まっておりますの」
「送っていくよ。競技帰宅の下見にもなる」
「住所ならば生徒手帳に記しておりますの。それで事足りまして?」
「足り過ぎるほどに足りるんだ、万里さん以外にとっては」
○ ○ ○
万里を送り届け、自宅へ戻る。
学校から彼女の家までのルートを考えながら、どうやって迷わずに帰宅できるようにしようかと策を練っていた。
共に帰りながら彼女の感覚をできるだけ言語化してもらったが、一番大きな要因としては目に留めるものが毎回違う点だと鉄雄は考える。
交差点に出くわしたときに、おおまかな風景を捉えて道を判断するよりも先に、彼女は看板に書かれているメニュー表や通り過ぎた車の色などを印象として挙げていた。
「……瞬間的に映像を捉える力が強すぎるのかもしれないな」
変化してしまうものを捉えてしまっては、目印や判断材料そのものが無くなってしまうことになる。
なぜか。百舌鳥が獲物を刺した場所を勘違いするからである。
百舌鳥の記憶はとてもデリケートに構成されており、周囲の環境の葉の一枚や枝の一つが違っても、『以前の風景ではない』と錯覚するのである。
記憶力が悪いわけではなく、正確に捉えすぎるがゆえのエラーなのだ。
万里にも、これと同様のことが言えるのではないかと鉄雄は推理した。
記憶を、あえて曖昧に保つことが重要なのではないかと考えたのである。
リビングのソファにどさりと横になる。そういえば、夕食をまだ食べていなかった。
「……時間は限られているんだ。思いつくことはどんどんやっていなかいとな」
「その前に夕食はいかがでござる?」
「うぉあッ!?」
誰もいないと思っていたところに、声がかけられる。これは誰であっても驚く。いくら鉄雄であっても叫び声をあげてソファから跳ねる程度には驚く。これは仕方がないことである。
「か、帰ったんじゃなかったのか!? 鍵は郵便受けにと言ったはずだが……!」
心臓が激しく拍動する。
根亀はキッチンからひょっこりと顔を出して不思議そうに鉄雄を見ていた。
「拙者、監禁されると聞いて一週間分の荷物はまとめて持ってきておりますぞ? ご両親のことが気がかりでしたが、その辺りご迷惑をかけることもなさそうにて、僭越ながら夕食を作ってござる」
「あ、あれは言葉のアヤで、万里さんに手助けしないようにと……」
「まあまあまあまあ。話は食べながら続けましょうぞ。ところで、このエプロン、似合うでござるか?」
根亀はぴょこんと飛び出してきてくるりと回る。
制服の上から、淡いピンクチェックのエプロンを着ている。裾をつまんで小首を傾けて、メガネをすちゃっと整えてウインクしてみせた。
「あ、ああ。似合う、似合うよ……。心臓が飛び出るかと思った」
「ぬふふ、ドキドキしておられる? トキメイておられる?」
「そういうんじゃない。純粋に驚いたんだ」
夕食をテーブルに運び、改めて根亀はダブルスの試合まで世話になると告げた。
色々まずいのではないかと鉄雄は慌てたが、彼女は気さくに笑う。
「いやあ、拙者も、お嬢様断ちをせねばならぬと思い至りましてな。いっそ物理的に距離を取ってしまおうかと」
「しかしだな……男の家に泊まり込むんだぞ……?」
「問題ござらん。拙者、鉄雄殿を信頼しておりますゆえ」
「いや信頼とかそういう問題じゃ――」
「ええい、四の五の言わずにまずは飯を食うでござる! 異論はそれからでも遅くはありませぬぞ。もっとも、論を受け付ける気はさらさらありませぬが」
「だろうな……」
「あ、お風呂は覗いてはいけませんぞ?」
『覗かない!! 部屋は余ってるから好きに使ってくれ。しかし掃除なんかしていないぞ」
「あ、先ほど済ませて荷運びも終わりましてござる」
「分かった。降参だ……。万里さんと言い、根亀さんといい、どうにもグイグイ来るな……」
夕食の炒め物に箸を伸ばし、鉄雄は一言「美味いな、これ」と言って状況を受け入れざるを得ないことを認めた。
根亀は胸を張ってどうだとばかりにうんうんと頷いてみせた。
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