第10話 Ex=ReD 帰宅ダブルス フラッグメント編 3

 走り去った万里を引き留めず、鉄雄はじりじりと感じる頬の痛みに手を当てた。


「さすがに、言い過ぎたか」

「いえいえ、図星であるが故に何も言い返せなかったのでありましょう。かく言う拙者も耳が痛いでござる」

「すまない」


 根亀はひらひらと手を振って気にしない素振りをみせ、メガネの位置を直す。ついさっき、思わず万里の後を追って立ち上がろうとしたところを、鉄雄の視線に止められたのだ。


 こればかりは、根亀が、当事者である自分が言って伝わるものではないと思ったし、万里を甘やかしていたと明言されたことに対して少なからず罪悪感にも似た感情を抱いていた。


「正鵠を射抜かれてはいたたまれなくなるもの。ふくよかさが売りの拙者の蠱惑的ぼでー、しゅんと委縮してしまうでござる」

「根亀さんは大丈夫そうだな」

「えー? 乙女心が傷ついたかも知れませんぞ?」

「訂正しよう。まったくもって大丈夫だな」


 けらけらと笑う根亀。

 確かにショッキングな出来事ではあったが、鉄雄が競技帰宅のために真摯に行動していることは知っているし、極力、万里を気遣って言葉を選んだことも知っている。

 事前に呼び立てられ、今日の話の内容を聞かされてもいた。


「……心配じゃないのか?」

「んぇ? あ、お嬢様のことでござるか?」


 くふふ、と含み笑いをして大きく一つ伸びをする。たゆん、と二の腕が揺れた。


「鉄雄殿は、一つ思い違いをしておられる。万里お嬢様は、あれしきでへこたれるほど、か弱くはござらんよ」

「そうか。君が言うなら、そうなんだろうな」

「ただまあ、引っぱたいた手前、ご自分からここに帰ってくるのは心理的に難しいでしょうなあ。あ、あと物理的にも」

「……もう迷ったっていうのか?」

「甘く見てもらっては困りますなあ。三歩進めば来た道を忘れる。それが万里お嬢様であらせられる」


 愕然とした表情を浮かべて、根亀を見る鉄雄。つい数分前にここから飛び出していったばかりで、それほど遠くに行ったわけではないのに、と思ったが、事実その目で万里の方向音痴ぶりを確認したことは無かった。

 予想の遥か上をいくと言う根亀の発言に、方向性を誤ったかとの懸念が頭をよぎる。


「お嬢様の目には、前しか映っておらんのです。いつでも常に全速前進。それがいっとう魅力的なのですな」

「本当に、万里さんのことが好きなんだな」

「もちろんですとも。愛すべき、我がぽんこつお嬢様にて」


 彼女たちには、彼女たちなりの信頼の形があるおだろう。それに水を差すような真似をしてしまったかと思ったが、どうやら杞憂だったようだ。


 とはいえ、万里を放っておくわけにもいかない。


「まあ、もう一杯ほど飲んでから迎えに行かれては? 少しすれば、頭も冷えましょう。ちょうど拙者も、鉄雄殿に伺いたいことがございましたゆえ」

「何だ?」

「鉄雄殿のご両親のことをば。当方でいくら調べても情報が見当たりませんでしたでな。もちろん、無理にとは申しませぬが」

「ああ、そのことか……」


 頭を掻いて、その場で少し悩む。

 何も言わず冷蔵庫までいって麦茶のボトルを取ってきてテーブルに置いた。


 席に着き、口を開くかどうか考える。

 野外でさえずる鳥の鳴き声がはっきりと聞こえた。


「両親は……いない。詳しくは俺も知らないが、分かっている範囲の事情でよければ――」

「いやさ、その表情と葛藤のお時間だけで情報としては十二分。まっこと、出過ぎた質問をいたしました」

「……悪いな。いずれ、話すよ」

「時来たらば、お願いいたす。不躾な質問の詫び代わりに、拙者の秘蔵個人情報はいかがで? お安くしておきますぞ」

「……秘蔵? というか、詫びなのに料金を取るのか」

「ぬふふ、秘蔵の二文字にトキメイてしまう男子高校生のかなしき性でありますな。なに、拙者とお嬢様の出会いなどを少々。のちほど、お嬢様との和解に役立つこと請け合いでござる」


 そして根亀は幼少の記憶を引き出しながら、万里との思い出を語った。

 小さい頃から足屋の屋敷に雇われていた根亀だったが、当時は自分に自信がなく、ただただ丸いだけの存在だったこと。足屋家と手塚家には事業面含め、家同士の付き合いがあり、手塚の来客時にはよくイジメられていたこと。万里がそれを咎め、幼き手塚坊やにドロップキックを見舞ったのが二人の出会いだったこと。


 朗らかに。のびやかに彼女は万里との思い出を語った。


「と、いう訳で、拙者は恩義を感じてお嬢様の役に立とうと決心した次第にて。必要な事はなんでも学びましたぞ」

「なるほど、普段の忍者めいた動きもその賜物か」

「然り。いやあ、修行は大変でありました」

「……失礼な事を聞くかもしれないが、体型を維持しようとしているのも何か万里さんと関係が?」

「いやあ、幼少のみぎり、お嬢様が拙者は丸い方が可愛いと申されたので。ご本人は忘れておられるようですが。それに、拙者も今となっては愛着が湧いておりまする」


 ぷくりと頬を膨らませながらも、にこやかに根亀は言う。


「なるほど。逆減量みたいなものか」

「そうですな。その成果あって、拙者、カワイイでござろう? おっと、そろそろ迎えに行くには良い頃合いでは?」


 窓の外の日差しは、少しだけ柔らかく、東のそらには薄闇がかかりはじめていた。


 万里が迷っているというならば、どこにいるかも当然分かりようがない。

 だが、根亀の平然たる様子を見るに、彼女には万里の居場所が分かるのだろうと鉄雄は判断した。


「わざと怒らせようなことを言ったこと、謝ってくる。万里さんの場所は分かるか?」

「もちろん。お嬢様の下着にはGPSが取り付けてあります故」

「べ、別にどこに付けているかまでは聞いていない。それで、彼女はどこに?」

「くふふ、教えませぬー」


 柔らかそうな唇をぷん、と尖らせて根亀は頭の後ろで手を組んで後ろに反った。

 わざとらしい拒絶に、今度は鉄雄が困惑する。


「うちの大事なお嬢様にイジワルした意趣返しでござるよ」

「根亀さん、いい性格してるな」

「惚れもうした?」

「どうだかな。鍵は玄関にあるから、帰る時は郵便受けに入れておいてくれ」

「かしこまりましてござる」


 口の端を上げて、軽口を交わしてから鉄雄は自宅を出た。

 もちろん、万里がどこにいるかは分かっていない。けれど、見つけ出さなければきっと新たな部活動は先へ進まないだろうという予感があった。




   〇   〇   〇




 いくら万里が迷子の達人だとはいえ、そこまで遠くまでいけるとも思えない。

 根亀が焦っていないところを見ても、それはおそらく合っているだろう。


 直感を信じて、学校の方へ向かう。

 何度か、万里も通った道のはずだ。少しでも見覚えのある道を通っていてもおかしくない。


 踏切を越え、商店街を通って、辺りを見渡しながら歩いていく。


 学校の校門前につく頃には日はすっかり暮れていて、街灯の明かりがレンガでできた壁を照らしていた。閉まった門から校舎の方を眺めれば、桜が暗く並んでいる。

 普段は見ることのない光景に、新鮮な驚きを感じ、普段、自分がよく見ている場所と同じ場所にいるとは思えなかった。


「万里さんは、普段からこんな感覚なのかもしれないな」


 もちろん、他人の感覚を理解することなどできはしないので、まるきり憶測ではあるのだが、万里の見ている景色は鉄雄の見ているそれとは違うのだろう、ということが、実感として感じられた。


 さて、どこを探したものか。

 手掛かりは、依然何もない。


 鉄雄のスマートホンから通知音が鳴る。

 それは、面倒ごとから逃げた友人からのメッセージだった。


『うまくいったか? ダメだったんだろ』


 断定的なそのメッセージにムッとしながら、やりとりを続ける。実際、怒らせてしまったのだ。平手打ちまでもらっている。


『怒らせた。飛び出していったから、今探してる』

『迷い猫か何かかよ』

『お前がいてくれたらもう少しうまく話ができたんだが』

『どーかねえ。ま、本題だ。商店街から一本離れた筋にある公園に、迷いお嬢様がいたぜ』

『一緒にいないのか?』

『泣いてたからなあ。泣かせたヤツが責任もって行ってやれよ』

『分かった。ありがとう』


 短く息を吐いて、鉄雄は地面を蹴った。

 いつまた移動されるとも知れない。


 半ば夜に沈んだ通学路のアスファルトは、深い紫色をしていた。所々、街灯に照らされてまだら模様になっているそこを、スピードを上げて駆けていく。

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