第9話 Ex=ReD 帰宅ダブルス フラッグメント編 2
翌日。
放課後になって、万里が鉄雄の教室に行くと彼の姿はどこにもなかった。
けれど、勇吾がひらひらと手を振って万里を出迎える。
「おーす、万里ちゃん。鉄雄ならもう帰ったぜ」
「何よりも帰宅最優先の方ですのね相変わらず」
「ゆっくり歩いて鉄雄の家に行けば、テレビ見終わってゆっくりしてんだろ」
鉄雄の日課は、決まった時間に始まる帰宅情報番組を見ること。逆に、それが終われば彼の放課後は何も予定がないのだ。
先日の、上級生が教室に尋ねてきた一件、そして入学式で校長のマイクをジャックした万里と行動を共にしていることもあり、鉄雄は教室内で友人と呼べる関係を新たに作り出すことに失敗していたのだ。
「あいつ、友達いねえから」
「あなたはご友人ではなくて?」
「ボクちゃん、友達じゃなくて親友」
「ふふ、そうでしたわね」
可憐に笑う万里を見て、勇吾は思わず見とれる。美しさには自信があると豪語するのも頷ける美の発現だった。
方向音痴だということは鉄雄から聞き及んで知っていたので、自分が彼女を鉄雄の家まで連れて行くと申し出る。
「しかし聞いたぜ。万里ちゃんが帰宅勝負するんだって?」
「成り行き上、そうなりましたの」
「ま、鉄雄が選んだんなら、大丈夫だろ。何とかしてくれるさ」
「信頼が厚いのですわね」
「それなりにに付き合いが長いもんで。さ、それじゃ参りましょうかね、お姫様」
「もう。過度に持ち上げるのはおやめになって」
そう異議を申し立てたが、拒絶を示すような雰囲気ではなく、ただからかいに応えた朗らかな声だった。
勇吾の人当たりの良さ、コミュニケーション能力の高さは、性格の固い鉄雄にはない点だった。
鉄雄と勇吾は、お互いにないものを相手が持っていることをよく知っている。
だからこそ、相手に自分の考えを押し付けたりするのではなく、適切な距離感を保って関係を続けることができているのだ。
根亀ちゃんは、と勇吾が問うが、彼女には雑用をお願いした、と万里は返した。
「根亀ちゃんって、何者? 足屋のお屋敷のメイドさんって、みんなあんな感じ?」
「いいえ、彼女がイレギュラー中のイレギュラーなだけですの。私に対する敬意が足りないですが、誰よりも仕事ができる我が家の自慢のメイドですわ」
「いやいや、愛されてるでしょ。むしろちょっと甘やかしてんじゃねーかと思うね」
「まさか。始終、小バカにしてきますのよ。まったく」
「でも嫌じゃねえでしょ」
「わたくしが幼少の頃より傍におりますので。軽口の一つや二つならば、寛大な心で許して差し上げているのです」
「なぁるほどねえ」
勇吾はひとりごちる。
実は、鉄雄が帰宅する前に少し頼まれたことがあった。
万里と根亀の心理的な距離を探って欲しいと言われていたのだ。
主従関係であることを公言しながらも、お互いに気の置けない間柄であることは今のやりとりからも容易に想像できた。
家族のように、共に過ごしてきたのだろう。近くで過ごすうちに絆が生まれることは当然である。
だが、それが万里の心理的な成長を阻んでいるのではないか、と鉄雄は感じていた。なんでもできる従者がいるがゆえに、それに依存してしまっているのではないかと。表立ってそうとは言わないだろうが、心の奥底でどこか、根亀がいるから大丈夫だと思ってはいまいかと、そう心配していたのだった。
そして杞憂ではなく、万里は自分で認識できない形で根亀に対して信頼以上のものを寄せていると、そう勇吾も判断した。
「なかなか大変だなこりゃ」
「ええ、取り扱いに困るメイドですのよ。いくら言っても痩せようとしませんし」
「いいじゃん。カワイイぜ、ぽっちゃりさん」
「まったく、自堕落の極みですの」
鉄雄の家に向かう道中も、話題の八割は根亀に対する彼女の愚痴、のように見せた彼女なりの親愛の情だった。
「そういや、根亀ちゃんってどうしてあの体型維持しようとしてんの?」
「え、だらけているだけではありませんの?」
「いやいや、彼女、ほっといたらすぐ痩せると思うぜ? 動きもタダ者じゃねーし」
「どうでしょう……想像がつきませんわね……」
勇吾に案内されながら、鉄雄の家に向かう。
少し油断すれば、万里は別の方向に曲がろうとするので、それを止めるのが大変だった。
〇 〇 〇
鉄雄の家のインターホンを鳴らす段になって、「俺、用事あっから今日は帰るわ。じゃ、頑張ってなー」とそそくさと勇吾は帰っていった。
これから万里に訪れる試練のことを思うといたたまれなくなって逃げるように撤退しただけなのだが、万里はそのことを知る由もない。
家のドアが開き、鉄雄が顔を出した。
「入ってくれ。……勇吾は?」
「さあ? 用事があるとかおっしゃっておられましたわ」
「なるほど、逃げたな。となると、予想は的中か」
「どうかしましたの?」
「いや、何でもない。今日から、万里さんの特訓をしようと思う。詳しくは中で」
きゅっと一度唇を引き結び、神妙な顔で万里は頷いた。
どのような過酷な特訓であっても、こなしてみせる。
そう心の中で決意して通されたリビング。そこには、すでに根亀が座っていて、グラスに注がれた麦茶を飲んでいた。
「根亀? あなた、先に来ていましたのね」
「仰せの雑用が早めに終わりましたので。部の設立が正式に認められましたぞ。顧問は例外的に生徒である万里お嬢様。残りのメンバーは、鉄雄殿と勇吾殿、そして不本意ながらいつの間にかメンバー入りを果たしていた拙者でござる」
「勇吾も巻き込んだんだな」
「ええ、無断で」
「構わんだろう。あいつもどうせ暇だ」
「先ほど伝えておけばよろしかったですわね」
正式な部として認められたのであれば、既存の帰宅部と区別するため、部の名称を考えなければいけない。
しかし、鉄雄はそれよりも先にやるべきことがあると言った。
新規の部として発足はしたが、その存在を知っている者は、現在ごく近しい関係者だけである。差別化を図った部の名称は確かに大切だが、実績も知名度も何もない万里の部活に人を勧誘できるとはとても思えなかったからだ。
「来週の帰宅ダブルス戦で、はじめて新たな帰宅部があることが皆に知られるんだ。部の名前よりも、まずはそこで部の方向性をアピールすべきだと俺は思う」
「一理ありますわね。今の流行である、器具機材の性能に頼った競技帰宅よりも、身一つでの帰宅に興味を持っていただきたいですわ」
「で、あれば、だ。俺たちの帰宅をアピールするのが最適、かつ最善、最重要だ」
「……異論ありませんの」
異論はないが、反論はしたい。自分では力不足だと、今でも思っている。それをぐっと堪えて、万里は鉄雄の言葉の続きを待った。
「だから、根亀さんをうちに監禁する」
「監禁されるでござる」
「……は?」
鉄雄の顔は相も変わらず真面目一辺倒で、とても冗談を言っているようには見えない。
根亀はというと、飲み干した麦茶のグラスに残っている氷をからからと揺らしてメガネをくい、と上げる。困惑する万里とは対照的に、何のことはないという表情を崩さない。
「冗談でしょう?」
「まあ、少しばかり誇張表現をしたが」
「端的に言いなおせば、拙者、ダブルスの試合までの一週間、お嬢様に一切の助力をいたしませぬ」
万里は、何かあると即座に根亀を呼ぶ。
そして適切に指示を出して問題を解決するのだ。これが良くない。どれほど無茶な要求であっても、根亀は最大限の能力を発揮して万里の期待に応えてきた。
だからこそ、万里自身は心のどこかで根亀に甘えているのだ。
「自分でも知らないうちに根亀さんに依存しているんだろう。万里さんは一見、行動力や決断力が高く、皆を引っ張っていくイメージがあるが――」
少し台詞を溜めて、万里の方を見る。
僅かな驚きの表情こそしているが、鉄雄が言い終るまでは口を挟まない姿勢をみせた。目を合わせて軽く頷き、続きを促す。
それを受けて鉄雄は言葉を続けた。
「決断を保証してくれる彼女がいるから、リスクを背負うことなく思い切った行動がとれるんだ」
そして少し言いよどんだが、意を決して万里の肩に手を置いた。
これから、酷い言葉を投げなければいけない。それでも、万里とダブルスをやるには、彼女が自分の信念を貫いて部活を率いていくには、必要な言葉だった。
「今の万里さんは、彼女を道具として扱っている。道具に頼った競技帰宅を嫌う君が、一番道具に頼った生活をしているんだ」
「……ッ!!」
刹那、万里の平手が鋭く鉄雄の頬を打った。
乾いた音がリビングに響く。怒りに肩を震わせ、目に涙を溜めて万里は鉄雄を睨みつけた。
根亀のことを。
幼い頃から最も近くで過ごしてきた彼女のことを、よくも道具だなんて。
何か一言でも喋ってしまえば、せき止めているものが溢れてしまいそうだった。
踵を返して、万里は家から飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます