第8話 Ex=ReD 帰宅ダブルス フラッグメント編 1
万里の自宅。夜はすっかり更け、誰もが寝静まっている時間。
屋敷の中に100はあろうかという部屋の一つである自室にこもり、ベッドの上で膝を抱える。
「わたくしが、帰宅ダブルスなど……」
できるわけがない。
そう思った。確かに、今の競技帰宅界に不満を持っているのは事実である。
帰宅に制限時間を設け、競技としての隆盛を後押ししてきたのは、外ならぬ足屋家であり、そこに万里は誇りをもっていた。
だからこそ、道具の良し悪しが競技帰宅の、Ex=ReDの優劣を決める大きな要因になっていることが許せなかった。
そんな思いを抱いていた時に見つけた、シンプルかつ力強い帰宅力を持つ九条端鉄雄に、己の希望を懸ける決意をしたのだ。
「確かに、確かに他力本願であることは認めますの」
うずくまって、自らの膝に額をつける。
くぐもった声で「でも……」と小さく呟く。
スポーツにおいて、名コーチが名選手である必要はない。
その逆も然り、名選手が名コーチ足り得る保証もない。
自分にできることは、自分の信念に近い競技帰宅をする者が何不自由なくそれに専念できる場をつくることだと、万里は思っていた。
部活の申請用紙にも、顧問を教師に頼まず、無理を通して万里自身が行うことを納得させたのだ。
「わたくしは、方向音痴ですのに」
三度通った道であっても、どの角で曲がればいいか分からない。
行きと帰りで景色が違えば、もはや別の土地を歩いているかのように錯覚する。そんな自分が競技帰宅をしたところで、迷いに迷って笑いものになるに決まっている。
いや、笑われることなど、苦ではない。
間違いなくダブルスのペアである鉄雄の足を引っ張ってしまうことが確実なのだ。それが問題だった。
一体、どうして鉄雄は自分をダブルスのペアに指定したのだろうか。いくら考えても分からなかった。
抱えていた膝から手を放し、己の体をベッドにどさりと解放する。そしてスマートフォンを取り、根亀に連絡を取った。
ものの数分で、彼女は万里の部屋へとやってくる。パジャマ姿で、枕まで抱えていた。話が長くなることをじゅうぶんに分かってたのだ。
「根亀、参上いたしましたぞ。勉学で分からないところでもありましたかな?」
「わたくし、90点以下など取ったことありませんの。万年平均点のあなたとは違いましてよ」
「そんなお嬢さまでも分からぬことがある、ということですな。ちなみに拙者は狙って平均を取っておりますのであしからず。そちらに座っても?」
「ええ」
ぽてぽてと万里に近づき、ベッドに腰かける。彼女の重みでベッドがふわりと沈み込んだ。
「ダブルスならば、勇吾殿と組めばよろしいのではと、拙者も思いました」
「そう! そうなのです! あなたが撮影してくれた映像を繰り返し見ましたが、二人の息の合った動きはとても見事でしたわ」
「鉄雄殿を剛の帰宅とするならば、勇吾殿は柔の帰宅。足運びや体重移動は拙者に近いものがありましたな」
「それなのにどうして……」
ごろり、と仰向けの状態からうつぶせへと半回転し。枕に顔をうずめる。
「無理です、無理ですわ!」
「お嬢様の欠点の中でも、方向音痴は最大のものでありますからなあ」
「専門書や医師の診断、さらにはパーソナルトレーナーなども付けましたの! それでも、一向に改善される気配はありませんのよ!」
「拙者も、理屈理論で説明できるわけではございませぬが――」
そう言って、半身を捻って万里の方を向く。うつぶせになって顔が見えないが、そのまま万里の背中に向けて言葉をかけた。
「理屈など抜きにして、信じてみる、というのはいかがにござろう?」
「信じる?」
「左様。鉄雄殿が大丈夫だと言っておるのです。だからきっと大丈夫だと」
「そうは言いましても……」
根亀は姿勢を崩し、その身をどふんと万里の上に乗せる。
「お、重い! 重いですわ! あなた、また体重が増えたのではなくて!?」
「かよわき乙女に体重の話とは、お嬢様も無粋でござる。ちなみにこの一週間で1kg増にて」
「もう、少しはお痩せなさいな!」
「しかし、鉄雄殿は重さなどものともせず帰宅なされましたぞ?」
ぐりぐりぐりと指で万里の背中を押す。
「あの方は弱音の欠片も見せなんだ。拙者が録画をしていると知らぬ、一人の状態でも、ただの一度も」
「……鉄雄くんは強いですわね、やっぱり」
「そんな強き者が、大丈夫だと背を押してくれているのです。それなのに、そうやっていじけているだけでござるか?」
くるり、と万里が体を捻って起き上がる。
そしてそのままマウントを取るように根亀に乗り、彼女の頬の肉をぷにぷにとつまんだ。
言い方は乱暴で、メイドとは思えぬ態度、しかも主への態度もなっていないとたびたび思わされるが、根亀の飄々とした態度には、これまでも何度も助けられてきた。
彼女なりに励ましてくれているのだろうということが分かったが、それを口にはしない。言ったら励まし代と称してナッツバーをねだるに決まっているのだ。
「そうですわね。何も策はありませんが、そのような時こそ気持ちだけでも振るわせねばなりませんわね」
「左様にて。全力で信を置いてみますれば、何か掴めるやも知れませぬゆえ」
ふう、と短く息を吐いて万里は伸びをする。先ほどまでの鬱屈とした気分はどこかへ消え去っていた。
「それに、手塚家との婚約話も破棄したいところですわ」
「しかしながら、手塚グループは大手も大手ですぞ?」
「確かに、競技として完成したEx=ReDを、様々な道具で支えてきたことは認めますの。ウェアラブルデバイスも、手塚グループの製品がほとんどであることは根亀もよく知っているでしょう」
「ブーストシューズも、パワーサイクルも、ほぼ寡占状態ですな」
「それだけに、わたくしは意地でも古き良き帰宅で彼に勝ちたいのです。道具で帰宅の成績が決まるわけではありませんの」
「なるほど。しかし……」
根亀がふるふると首を横に振る。
「方向音痴に段位検定があるとすれば、お嬢様は明らかに初段はおろか師範代、いやさ免許皆伝の腕前ですからなあ」
「馬鹿にしておりますの? 今回のダブルスを機に、しっかりと克服して見せますの! しかと見ていらっしゃい」
気持ちは、前を向いた。
今は気持ちだけが前を向いているのみではあるが、方向音痴を克服して、自身も競技帰宅をしてみたい。それは、彼女の積年の願いでもあった。
明日から、自分も競技帰宅者として一歩を踏み出せるだろうか。
いや、踏み出すのだ。
心で負けては、帰宅はできない。そう、自分を奮い立たせた。
「わたくしが苦手を克服した暁には、鉄雄くんに何かお礼をしなければいけませんわね」
「弁当は固辞されてしまいましたからなあ。本当にどこか余っている山でも進呈いたしますかな?」
「山や島など、もらっても案外困るものですわ。定期的に管理するものを雇うだけのランニングコストが必要ですの」
「確かに。それに、鉄雄殿は休日でも帰宅一筋でしょうからなあ。あまり遠出などなさらぬでしょうな」
ふむ、と万里は考える。
帰宅力にほれ込んだはいいが、それ以外の鉄雄のことを、自分はまったくと言っていいほど知らない。根亀に言いつけて調べさせたことは、あくまでこれまでの彼の身辺関係などである。性格そのほかの内面に関しては、まったく無知だと言って差し支えない。
「休日の鉄雄くんを知るために、一度デートにでも誘ってみることにいたしますわ」
「それは名案、いやさしかし、拙者も鉄雄殿とデートしてみたいでござるな。彼は実直で控えめに言っても良い男にて」
「ええ。確かに。根亀、あなた、彼に惚れまして?」
「くふふ、さぁて、どうでござるかなあ」
「ちょっと、素直にお教えなさいな」
軽くなった雰囲気の中で、世間話に花を咲かせながら、二人の夜は更けていった。
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