第7話 Ex=ReD 帰宅シングルス、タイムアタック編 6
学校では、万里が小さくガッツポーズをしていた。
踏切前で止まっていた鉄雄のマーカーが再び動き出したからだ。残りは数分。そしてあとはもう住宅街を残すのみである。
「いったい何をしやがった!! あの踏切を越えられるわけが……!」
思わず叫んだ手塚の言葉を、万里は聞き逃さなかった。
「どうかいたしまして? まるで、踏切で立ち往生することが分かっていたかのような口ぶりですけれど」
「そ、そんなことねぇよ」
分かりやすく苛立ち、爪を噛む手塚。
そして、両者のデバイスが同時に鳴った。鉄雄が、帰宅した合図である。
「制限時間内に、見事帰宅できたようですわね」
「ぐぅ……! ど、どうやらそのようだな……!」
「お借りしているウェイトトレーニング用の制服は、明日お返しいたしますわね。それでは、ごきげんよう」
凛とした笑みを浮かべ、鉄雄の家に向かおうと万里はその場を後にする。
万里の姿が見えなくなったのち、手塚は怒りに震えながら静かに言った。
「まだだ……まだ負けてねえぞ……!」
余談ではあるが、当然の如く万里は迷い、ナッツバー1本で根亀を呼び出すことで何とか鉄雄の家に到着したのだった。
〇 〇 〇
翌日、タイムアタックに使用した制服を持って、帰宅部の元を訪れた万里と鉄雄は、最新の機器が並ぶトレーニングルームに半ば圧倒されながらも、態度には出さず手塚を相対していた。
「タイムアタックは俺の勝ちということでいいな。俺は、そっちの帰宅部には入らんぞ」
「それなんだがなあ、九条端君よぉ。ちょっとばかし物言いが入ってんだ」
「何だと?」
「変なこと仰らないでくださいまして? デバイスの記録は、わたくしと一緒に見ていたでしょう」
「それはそうなんだがよ。あまりにも速すぎやしねえかと思ってよお」
悲痛な顔を作って、手塚が目を伏せる。芝居がかったその態度は万里の神経を逆なでした。
「鉄雄くんの実力が、あなたの想像のはるか上をいっていた。ただそれだけのことではありませんの!」
「そうかねぇ。ま、これを聞いてくれや」
そう言って手塚が取り出したのは、ボイスレコーダーだった。
再生ボタンが押され、続けざまに数人の声が聞こえてくる。
――園児の引率をしていたら、やけに体格のいい人が突っ込んできて……園児が何人か転んでしまいました。
――道を聞こうと思って声をかけたのに、すっかり無視されてしまって……
――往来のど真ん中を歩いてるもんだから、車がつっかえて大渋滞だったんだ
それらは、町ゆく人々の声。
鉄雄が帰宅タイムアタックをする中で、いかにマナーをないがしろにし、自分本位な帰宅を敢行したかという内容だった。
「うちの帰宅部はよぉ、全国区の実力を持ってんだ。当然、毎日帰宅してるわけだから、地域からの目もある。ただ早く帰ればいいってわけじゃあねえだろう?」
「事実無根だ。俺は、交通ルールを守って帰宅した」
「なんだよ、他の人たちが嘘をついてるってぇ、そう言うのか。随分とふてぶてしいな」
どこまでも、絡め手が上手い、と内心鉄雄は感心した。
勝利のため、目的のためならばどこまでも卑怯になれるというのは、いっそ清々しくもある。
そして確かに、一人で帰宅した以上、レコーダーの証言が嘘だと証明する方法はない。
「てめえみてぇなヤツは、俺が性根から叩き直してやるってのが筋じゃあねえのかね」
「逆に根が腐るだろう、そんなことをしたら」
「それが! 先輩に対する態度かって言ってんだよ!」
ばんっ、と手塚が荒々しく器材を殴りつける。
この、恫喝めいた詰め方を前にしかし、万里は一切怯むことはなく。冷静な顔をしているが、むしろ口の端が上がっているかのようにさえ鉄雄には見えた。
「言いたいことは、それだけですの?」
「なんだとぉ?」
「あなたのことは、幼少の頃よりよく存じておりますの。名家の子であるという同じ境遇にありながら、その心根は全く違う」
「ずいぶんと前置きが長ぇじゃねえか。もったいぶるのは昔っからの悪い癖だ」
「それは失敬。では、こちらからの反証を提示いたいしますわ。根亀!」
「……はぁ? 反証だと?」
「ほいさ。根亀、推参いたしました」
トレーニングルームの窓が開き、しゅたっ、と丸いフィルムが万里の傍らに膝をつく。
その手には、ビデオカメラ。
「姑息な策の一つや二つ弄してくると思っておりましたので、根亀には記録係を申し付けておりましてよ」
「なん……だと!?」
「根亀さん、いったいいつから、というかどこから?」
「お嬢様の無理無茶無謀にお応えするのがメイドの務めにて。陰から日向からビルの上から、余すところなく鉄雄殿の雄姿はバッチリ抑えておりますぞ、それさっそく再生」
そこに映し出されたのは、品行方正、質実剛健、実直が服を着て歩いているかのような、見本のような帰宅。
園児の列にはきっちり立ち止まり、道に迷ったおばあさんに案内をし、道を塞ぐトレーラーの後ろで、この道は塞がっているから迂回したほうがいいと出会ったバイクや車の運転手に声をかけていた。
「ずいぶんと、証言と食い違っておりますのね」
「こ、これは……その……ッ!」
狼狽する手塚。策士は往々にして策に溺れるものだ。
街ゆく人々に手を回せる人脈と、それが実行できるだけの力があることは確かだが、今回はそれが裏目に出た形になった。
ぎりぎりと歯ぎしりする手塚の前で、鉄雄の帰宅は続く。
そして列車に遮断されていた踏切の場面になった。
「そ、そうだてめえ、結局これをどうやって越えた!?」
「呆れましたわ。こんなことまでしていたなんて……いくらかかりましたの?」
「うるせぇ! 貸し切りと周囲への迷惑料にたかが2億ぽっち使っただけだ!!!」
勇吾と力を合わせ、息の合ったコンビネーションで列車の上を飛び越える映像に、万里は感嘆の声を漏らした。
根亀もまた、うんうんと頷いている。
ぎらりと手塚の目が光る。
「確かにすげえが、え、いやちょっと待て。45kgのウェイトを着込んでこの動きだと……? 合わせてるこいつも相当すごい……い、いや、そうじゃねえ! 確かに絶技だが、こいつは明らかにルール違反だろうが!!」
「あっ」
「……む」
「これは、確かにそうでござるな」
競技帰宅、シングルスタイムアタックにおいて、他人の助けを借りることや、車などでの移動は違反である。
この点に関しては、申し開きの余地は一切ない。
鉄雄は、ずいと一歩、手塚に近づいた。
「な、なんだよ……」
「先輩、一つだけ、謝ります」
「あぁ? ルール違反のことか?」
「いや、何としてでも勝利しようとする姿勢は、素直に尊敬に値します。方法や性格は一切その限りではありませんが」
「馬鹿にしてんのかてめえ」
鉄雄は首を横に振る。本心から、勝ちへの意識の強さには感服したのだ。それは間違いない。
「俺はあなたに払う敬意はないと言ったが、その一点に置いてだけ発言を訂正します。だから、敬語も使う。俺も目の前の帰宅に目がくらんでルール違反をした。痛み分けとしませんか」
「……予想以上に真面目なヤツだな後輩君よ」
長い息を吐き、手塚は天井を見る。
「しゃあねえな。それで手打ちにしてやる。見事な帰宅だったぜ」
「俺の勝ちはどうでもいいですが、一つだけ」
「あんだよ」
「根亀さんに謝罪を。名前を馬鹿にした件の」
「鉄雄殿ぉ……惚れてもいいでござるか……!」
がしがしと頭を掻き、渋々といった様子ではあったが、手塚は公衆の面前で根亀の名を馬鹿にしたことを謝罪した。
それから万里に対して言う。
「こっちからも、今後、そこの真面目堅物後輩君に勧誘はかけねえ。だがよお嬢様。これからどうすんだ。帰宅部が二つってのは、どうにも収まりが悪ぃぞ」
「わたくしの予定では、手塚くんの帰宅部と勝負して部をもらい受けるつもりでおりましたが……あまり合理的ではなさそうですわね」
「だろうな。勝つから強豪だ。それは俺の信条だからな。割と際どい綱渡りもしてる。とても、甘っちょろいお嬢様に手綱を御しきれるとは思えん」
「その点に関しては拙者も同意にて」
根亀は懐からいくつかの紙片を取り出して広げた。
それは、手塚率いる競技帰宅部のこれまでの公式、非公式を問わぬ対戦の記録だった。
「仰るように、かなり強引な策を使ったこともあるようですな。相手が不自然だと思わぬ程度に妨害工作を行った痕跡がございまする」
「勝ちは勝ちだ。いくら善戦しようが、どんな美談が裏にあろうが、負ければ負けなんだよ。この辺りの泥をひっかぶる覚悟が、お嬢様にはあるか?」
「それは――」
「いいや、必要ないな」
万里の肩に、ぽん、と鉄雄が手を置く。
褒められたものでは確かにないが、それを義憤で裁く権利もまたない。ただ、お互いの信条や主義がどこまでも合わないだけ。それだけの話だ。
「万里さんは、万里さんの信じる方法で帰宅部を作ればいい。別に、同じ高校に帰宅部が二つあったっていいだろう」
「差別化ができれば、問題はないかと存じまする。手塚殿の帰宅部を目標に入学してきた御仁も少なからずおられるでしょうしな」
ふむ、と顎に手をやって万里は考える。
確かに、今ある帰宅部を改革する労力よりは、方向性の違う新たな帰宅部を作る方が理想に近い活動ができるかも知れない。
「そういうことなら、こっちは構わんぞ。設備やら何やらは一切貸してやらねぇが、そっちの方がかえっていいだろう。ま、お嬢様に人が集められたら、の話だけどよ」
「もう、一言多いんですの」
「それに関してなんだが、手塚先輩、もう一度勝負しましょう」
鉄雄に、その場にいる面々の視線が集まる。
「二つの帰宅部がどちらも対等だと示すために、大々的に交流戦を。そうすれば、知名度も上がるし互いの帰宅部の方向性も広めることができる」
「鉄雄くん、そういう賢い提案はわたくしがするべきですわ、立場上」
「悪くねえ提案だな。お嬢様よぉ。お前、取りまとめでも役目取られたらいいとこナシじゃねえか」
「う、うるさいですわね!」
「ご心配なく。次、いい所を見せてもらう」
しれっと言ってのけた鉄雄に、万里は不思議な顔をして視線を送る。
「ダブルスで勝負しましょう。うちからは俺と万里さん。そっちは、手塚先輩と誰かもう一人」
「えっ!?」
「はあ? お前、正気で言ってんのか」
無理がある。
万里は、足屋万里は。方向音痴なのだ。自宅にすら一人では帰れず。メイドの助けを借りてようやっと目的地までたどり着けるほどの、極度の方向音痴。
それが、いきなり帰宅勝負など、とても背負える荷ではない。
「鉄雄殿! ダブルスは二人の帰宅ポイントの合計での勝負……! これは実質2対1の勝負にて……!」
「大丈夫だ。それに――」
まっすぐ、鉄雄の目が彼女を見る。
「俺は、まだ万里さんの語る信念を、行動で見せてもらっていない。それが見たいんだ」
「鉄雄くん……」
複雑な顔で、万里がつぶやく。
手塚はぱちんと膝を打って言葉を引き継いだ。
「ま、上に立つ者は力を示すのが筋ってもんだな。おい、後輩。その筋の通った言い分に免じて、一週間だけ時間をやる。いい勝負ができるように整えてこい」
「競技種目は?」
「ダブルス、要素加算や減点もあるフラッグ帰宅だ。校内でエキシビジョンマッチとして観戦させようってんなら、そっちの方が見栄えもするだろ」
鉄雄はこくりと頷く。
こうして、二つの帰宅部による帰宅勝負が実施されることになった。期限までに、やらなければならないことは多くあるが、新たな帰宅部として確実に一歩を踏み出している。
そんな中、万里だけが浮かない顔をしていた。
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