第6話 Ex=ReD 帰宅シングルス、タイムアタック編 5
鉄雄の目の前には、道路を横断する大勢の幼稚園児。
きっちり礼儀正しく列をなし、とてとてと歩いている。黄色い帽子と水色のスモックがかわいらしい。
時間にして一分少々を鉄雄はロスした。
競技帰宅のルールとして明文化されてはいないが、暗黙の了解とされているのは、交通ルールやマナーを極力守ること、である。
鉄雄の帰宅力からすれば、園児たちを飛び越えて進むこともできた。目的を第一に考えるならば、園児らを押しのけて進んでもよかっただろう。
鉄雄がそれを良しとしないのは、ひとえに自らの理想とする帰宅を実現したいという思いによるものだった。
「……急ぐか」
園児たちの列を見送り、鉄雄は再び駆け出した。
その背後で、園児を誘導していた保育士がにやりと笑い「任務完了です、手塚様」とつけている腕時計に向かって呟いた。
〇 〇 〇
ようやく動き出した鉄雄のマーカーを見て、万里は安堵する。
制限時間の残りは、まだ余裕がある。しかし、まだ油断はできない。確証こそないものの、手塚が何かしたのだという思いに変わりはないのだ。
だが、それを証明する方法もなければ、万里がこの場で何かできるわけでもない。
彼女はただ、デバイスに送られてくる情報を見つめ続ける事しかできない。
「動き出したようだが、この調子でゆっくりやってちゃあ間に合わねえだろうなあ」
「邪魔が入らなければ、きっと大丈夫ですの」
「しかしまあ、運も実力のうちって言うからなあ。後になって、想定外の出来事があったから、なんて言い訳はナシだぜ。お嬢様」
「鉄雄くんはそんな卑怯な人間ではありませんわ。あなたとは違いますの」
卑劣な策を弄するとすれば、手塚である。
デバイスに送られている情報を改竄されたりしないように、彼の情報を見張っている必要があった。
それが、万里ができるサポートだった。
帰宅している鉄雄以外の二人、根亀と勇吾も、きっと自分にできることをしてくれているのだろうと信じて、万里はデバイスをそっと握った。
○ ○ ○
園児の列の後にも、やけに人だかりができていたり、長いトレーラートラックが市街地の道を塞いでいたりした。
道を聞かれては答え、今にも倒れそうな人物に出会っては介抱する。
「なるほど、妙な自信があると思ったが、単純に卑怯な手立てを用意してあるだけか」
鉄雄は臆することなく進んでいく。人だかりをしなやかな流水の動きで避けながら、その速度は落とさない。トレーラーに塞がれた道からは遠回りをしたが、その分スピードを上げてロスは極力減らしていた。
大通りを過ぎた所で、後ろから勇吾が走ってきて合流する。
彼は鉄雄のスピードにしっかりと合わせながら息一つ切らさない。
「悪い、鉄雄。全部は対処しきれなかった。いやしかし予想以上に性格が悪ぃな、センパイ様はよー」
「助かる。この調子でいけば何も問題ない。あとは、踏切を越えて路地を進めばいいだけだ」
「さっすがに公共交通機関に細工はできねーだろ。電車の時間、調べるか?」
「いや、頭に入っている。あと2分で上り線が通過、その後40秒間、踏切は開いている。問題ない」
だが、鉄雄の呼吸が荒くなっていることに勇吾は気が付いた。
45kgの重りをつけていると思わせないほどの動きでここまで来たが、やはり普段に比べて肉体への負担は大きかった。
「鉄雄、お前なんでそんなに息切れして……」
「少し、荷物を着ているだけだ。心配ない」
「それも向こうの作戦の一つか。やーだねー、卑怯モンってのは」
「任せろ。ねじ伏せる」
「さっすがー」
鉄雄の口の端が上がる。
不利な状況であったとしても、己がやることは変わらない。それに、競技帰宅を久しぶりにやっているその事実に、思わず頬が緩んでしまう。
「……楽しいな。帰宅は」
「よかったよ、鉄雄。お前がまたそんな顔してくれて」
中学時代は、学校の帰宅部との方向性の違いから競技帰宅を離れた。それでも、彼の中で競技帰宅への想いは消えることはなかった。
それゆえにくすぶり続けた想いに、今、ようやく火をつけることができたのだ。
もう、止まらない。
一歩一歩を力強く踏みしめて、鉄雄は走る。
だがその思いに待ったをかけるように、角の向こうから踏切の音が聞こえてきた。時刻表の把握は完璧だったはずだ。何か不測の事態でも起こってしまったのだろうかと口を引き結んで足を速める。
そこで鉄雄と勇吾の二人が見たのは、信じられない光景だった。
「お、おい鉄雄! 電車が踏切内で止まってるぞ……!」
「事故でもあったのか?」
警告音が如く鳴りやまぬ音を浴びながら近づいてみると、その異様さがはっきりと分かった。
乗客が誰も乗っていないのだ。
「これは、どういうことだ?」
「仕方ねえ、遠回りだ!」
「いや……残り時間があと5分ほどだ。別の踏切まで行っている時間はない」
遮断機に手をかけ、身を乗り出すようにして勇吾が列車の先を見る。しかし、軽く見積もっても10両以上はあり先頭車両は遥か遠くだ。
「しかも何両編成だよこの電車!! 普通、こんなのありえねえだろ!」
「状況的に、これも向こうの手の一つか……」
それを確認する手段はないが、確認している時間もない。
残された時間は、刻々と減っていく。
鉄雄は、深呼吸を繰り返して息を整えた。
肺に、体に。細胞の一つ一つに酸素を送り込み、今できることを考える。
もしもこれが相手の策なのだとしたら、開くのを待っていても時間切れになって終わりだろう。遠回りするだけの時間は残っていない。列車の下を潜り抜けようにも、鉄雄の体格ではそれも難しい。
ここに至るまでの、小さな時間のロスの積み重ねがここにきて一気に首を絞める。
「くそっ……打つ手なしかよ……ッ!」
舌打ちして、遮断機に拳を叩きつける勇吾。
毒々しい黄色と黒のストライプがその勢いに揺れる。
「方法は、ある」
「この状況で何ができるってんだよ。かなり絶体絶命だぜ」
「……上を越える。力を貸してくれ」
踏切内に立ち入るのは褒められたことではないが、状況が状況だ、と鉄雄は心を決めた。
助走する距離を稼ぐために、踏切から離れる。
「なるほど、分かった。この親友を踏み台にして跳ぼうってんだな」
「ああ、頼む」
「お前、今それ着て重さどうなってんの?」
鉄雄はちらりとデバイスに目をやる。
「115kgだ」
「重っ! ちょ、絶対ミスんじゃねーぞ!」
勇吾の懇願には返答せず、鉄雄はぐっと深く姿勢を落とした。
列車を背にし、鉄雄の目を真っすぐ見て、勇吾もタイミングを測る。
二人の息が合っていなければ、決して成功はしない。タイミングがずれれば、勢いよくぶつかり双方大けがを負うだろう。
こくり、と鉄雄が頷き、ざっ、ざっ、とアスファルトを蹴る。そしてだんだんリズムが早くなり、勇吾に飛び膝蹴りを入れるように跳ぶ。
勇吾は両手を皿のように組み、跳び上がった鉄雄の足の裏を支えた。
「よい……ッしょおおお!!」
勇吾が叫ぶ。
思い切り腕を振り上げるタイミングに合わせて、鉄雄がさらに高く跳ぶ。
それでもまだ、列車の上を越すには足りない。
「……ふんッッ!」
だが鉄雄は手を伸ばし、腕の力で体を引き上げながら足を畳み、横跳びの要領で列車の上に転がる。そしてそのまま勢いを殺さずに一回転し、向こう側へ転がり落ちるように跳ぶ。
五点着地で速度を殺さずに衝撃だけをいなし、「恩に着る!」と叫んでそのまま走り去った。
列車の向こう側で小さくなっていく足音を聞きながら、勇吾はぷう、と息を吐いた。
「勝てよ。鉄雄」
止まず鳴る踏切の音をBGMに、勇吾は少ししびれる両手を見つめてその場に座り込んだ。
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