第3話 Ex=ReD 帰宅シングルス、タイムアタック編 2

 立ち上がったまま、少し高い視点から見下ろすように万里は鉄雄に対して言葉を投げる。


「競技帰宅は、スポーツでありながらその表現を競う総合芸術でもある。鉄雄くん。基礎3項目はご存知かしら」

「学校から家までの距離に対する……歩数、平均速度、重量。これくらいなら、体育の授業で習うだろう。誰でも知ってる」

「ええ。義務教育の範疇ですの」


 そして、自らが手首に装着していたウェアラブルデバイスを外してテーブルに置く。

 競技帰宅経験者であれば、誰もが身近に感じるものである。鉄雄の眉がぴくりと動いた。


「ここまでの記録を計ってきたのか?」

「ええ。昨日と違って踏切で止まるわ、信号で引っかかるわ、散々でしたわ」

「あと、商店街の角で逆に曲がろうとしたでござる」

「うるさいですわね。余計な事は言わずともよいのです」


 万里はとんとん、とウェアラブルデバイスを指で叩く。その表情には、確信めいたものが浮かんでいた。デバイスを指さしながら、鉄雄に問う。


「普通の人であれば、これを腕時計だと考えるものですわ。競技帰宅に触れた事のある者でなければ、即座に記録に言及などいたしません」

「む、それは……」

「何よりも。何よりもです、鉄雄くん。あなたは、競技帰宅のリトルリーグで全国優勝の経験がおありでしょう」

「……昔の話だ」


 昨夜、調べを進めて分かったことだ。リトルの覇者ともなれば、あの美しい帰宅フォームも納得できた。それだけに、中学で競技帰宅から離れたことに疑問を感じてしまう。

 万里は、自らの想いを率直に伝えることにした。


「いまの競技帰宅の在りようは、間違っている、とわたくしは思います」


 鉄雄は何も言わない。麦茶を一口飲み、そっと机にグラスを置く。なおも万里は続けた。


「今の競技帰宅界は、道具に頼り過ぎておりますの。電動アシスト自転車、ジェットセグウェイ、ルートナビゴーグルなどなど……嘆かわしいですわ」

「君は、道具を使う事に反対なのか?」

「むやみに反対している訳ではありませんのよ。帰宅の本質を、ないがしろにしていることが許せませんの」

「帰宅の、本質?」


 万里はテーブルから離れ、移動して窓を背にする。ちょうど射してくる夕日が、後光のように彼女を照らしている。


「己の力で家に帰る。これが帰宅の本質ですの。ただ帰宅するだけならば、タクシーでも呼べばよろしいでしょう? わたくしならば自家用ジェットでも呼びますけれど」


 そしてテーブル横まで戻ってきて、鉄雄の隣に手をつく。その目には、熱がこもっていた。


「己の力のみで、美しく帰宅する。そんな、本来の競技帰宅を、取り戻したいのです。だからわたくしは新しく競技帰宅部を作りました」

「新しく?」

「そうです。そこに、どうしてもあなたの力が欲しいのです」

「なるほど、な……」


 鉄雄は下を向いた。

 そして目を閉じて、考え込む。


「俺は、確かにかつて競技帰宅をしていた――」


 ゆっくり、呟くように言葉を紡ぐ。


「競技帰宅を続けなかった理由は、特にないさ。環境が変わって、勉強が忙しくなった。そうしたら徐々に熱意が消えていった。ほんとうに、それだけさ」


 少しの沈黙。

 ふむん、と息を吐いて、根亀が言う。


「差し出がましくも拙者から一言だけ。鉄雄殿が急いで帰宅していた理由、言い当ててもよろしいですかな」

「根亀、あなた、分かりまして?」

「お嬢様の芝居がかった熱弁を尻目に部屋を見回しておりましたからな」

「一言も二言も余計ですわ」


 鉄雄の返事を待つ。ややあってから、疑いの眼差しと共に「別に構わないが」と返ってきた。


「17:15分からの帰宅情報番組、『輝けEX=ReD!』を見るためでござろう?」

「どうして、それを……! マイナーな15分番組なのに……」


 鉄雄が目を丸くする。

 帰宅情報番組を見ているということは、まだ情熱の火が完全に消えてはいないということだ。


「そこの壁に、番組特製ステッカーが飾ってありますゆえ。拙者も集めていたことがありまするが、これがなかなかに大変でしてな」


 とことこと壁まで歩いて、きっちりと等間隔に貼られた多くのステッカーを見る。


「一定得点以上の帰宅を数ヶ月続けて、ようやく送られてくるのがこれでござる。ほれ、認定の日付が最も新しいものは、2月のもの。つい最近でありまするな」

「鉄雄くん、あなた……」


 一歩、万里は鉄雄に近づく。


「やっぱり、競技帰宅への思いはまだありますのね! でしたら……」

「さっき、きみも言ったろう。良い道具を使っている奴が結局強いんだよ。だからもう――」

「そんなことはありませんの!!」


 鉄雄の言葉を遮り、口調激しく万里は言う。


「道具がいくら発達しても、帰宅の可能性は無限です! 道具に支配され、ただ帰宅させられているだけでは、家に帰っただけで、真に帰宅したとは言えませんわ!」

「きみの帰宅部に入れば、本当の、真の帰宅ができる、と?」


 くすぶっていた鉄雄の帰宅魂に、少しだけ火が灯る。

 中学に上がり、アシスト自転車やブーストセグウェイなどの技術の習得に重きが置かれる中で、鉄雄は落胆していた。


 ――俺は、道具の使い方がうまくなりたいんじゃない。帰宅がしたいんだ。


 そうして競技帰宅から身を引き、高校も単に自宅から近いという理由だけで今の高校を選んだ。

 競技帰宅の強豪校だと知ってはいたが、もとより入るつもりもなかったので気にもしなかった。


 彼女は、足屋万里は。

 帰宅することの本当の意味を考えている。彼女の手を取れば、また帰宅ができるかも知れない。一度は捨てた競技帰宅を、もう一度。


 万里の瞳は、まっすぐ鉄雄を射抜いている。


「わたくしと共に、帰宅しましょう」

「俺は、主流の道具など一つも使えないぞ」

「帰宅に必要なものは、己の足のみですわ」


 そう言って、万里は右手を差し出した。

 少し伸ばした手を一度引っ込め、一度目をきつく閉じてから、決意の籠った目で鉄雄はその手をとった。


「徒歩での帰宅しかできないが……よろしく頼む。万里さん」

「こちらこそ、よろしくお願いいたしますの。ほら、根亀も手を重ねなさいな」

「拙者にも、入部の意思確認はとって欲しかったでござるなあ」


 にへら、と笑って握手している二人の手の上に自らの手を重ねる。


 方向音痴の万里。

 ぽっちゃりの根亀。

 徒歩帰宅の実力者、鉄雄。


 競技帰宅界に大きな旋風を巻き起こす彼らの物語は、今まさにここから始まるのだ。

 傾いだ夕日に照らされた室内で、三人はしっかりと手を取り合った。




   〇   〇   〇




 見送りに、とドアまで出てきてくれた鉄雄に、別れの挨拶をする。


「それでは鉄雄くん、明日の放課後もお邪魔いたしますわ」

「とりあえず、今後の予定はどうするんだ?」

「今ある既存の帰宅部へ勝負を申し込みますの。部の存続をかけて」

「乗ってくれるか? 向こうにメリットがない気がするが」

「そこは、わたくしにお任せくださいな。必ずや、相手を盤上に乗せて見せますの」


 口の端を上げ、不敵に笑う。


「さて、それではお嬢様、帰りましょうぞ。鉄雄殿、また明日、学校で。校内で会った際には、どうぞお気軽に根亀ちゃんとお呼びくださいますれば」

「根亀さん、にしておく。気恥ずかしいからな」

「謙虚なジェントルでござる。お嬢様の別荘コレクションを一つ差し上げたいくらいにて」

「管理が大変だからやめておくよ。それじゃあ」

「ええ、また明日」

「さらばにござる」


 二人が歩き去った後も、しばらく鉄雄はドアの前に立っていた。

 もう一度、自分が競技帰宅の世界に戻るとは思ってもみなかったが、不思議と不安はなかった。


 それよりも、帰宅に対する高揚感が彼を包んでいたからだ。


「……よし」


 右拳を強く握りこみ、すっかり陽が沈んで薄紫になった空に突き上げる。

 掲げた腕の先には、一番星が光っていた。

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