第40話 終わり

「どう? 今度は、綺麗に咲かせられたわ」


 メリルは得意げに横に座るアルヴィンの顔を見上げた。

 アルヴィンは「うう」と唸ってから、じっとアネッサの握る花束を見つめて、頷いた。


「――そうだな。綺麗に咲いてるな」


「ありがとうございます、お姉さま」


 アネッサはその花束を両手で持って引き寄せると、香りを嗅ぐように顔を埋めた。

 その様子を見つめて、表情を和らげたヒューゴは、アルヴィンとメリルに語り掛けた。


「僕は、父より先に、あなた方に会いたかったのです」


「――というと?」


「父は、兵士をたくさん従えてあなた方を捜しに行こうとしています。もし――、アルヴィン、貴方が壁を修復する気がないとわかれば、きっと――、無理にあなたを動かそうとするかもしれません」


 ヒューゴは言葉を強める。


「もちろん、魔術師である貴方に敵うとは思いませんが――、お互いに、良くない結果になるでしょう。ですから、僕は先に貴方の考えを聞きたいと思ったのです。それから――アネッサがメリル、貴女に会いたいと思っているのなら、一度、会って話す機会があれば、きっとその気持ちも治まるだろう、と」


 どうしてアネッサの話が、と首を傾げたメリルにアルヴィンが補足するように言った。


「精霊は強い望みを持っている者を、その方向へ導くことがある。特に迷いの森は、精霊の力が強いから――、彼女をメリルのところへ導くからか」


「その通りです。父はきっと、アネッサをそのために連れていくだろうと思ったので――、僕が先に、と。しかし――できれば――こちらの、勝手な希望で申し訳ありませんが……この森を出て頂ければと思います」


「出て行く?」


 メリルとアルヴィンは突然の言葉に、声を合わせて顔を見合わせた。

 ヒューゴは深く頭を下げた。


「父は貴方の手がかりを見つけようと躍起になっていますから、迷いの森にたくさんの兵士を送り込んで、貴方たちの生活を荒らすかもしれません」


 ――――それは、嫌ね。

 アルヴィンは、どう答えるかしら?


 メリルはアルヴィンを見つめた。

 彼はしばらく黙り込んだ後、ヒューゴの肩に手を置いて、顔を上げさせた。

 

「――ちょうど、家の間取りを変えたいと思っていたところだ」


「そうなの?」


 ――そんなこと、初めて聞いたわ。

 初耳だったので、メリルは驚いた顔でアルヴィンを見た。

 彼は笑って問いかけた。 


「家の周りを騒がしくされるのは嫌だし――師匠も外に出てみろと言っていた。――少し、住み良い場所を探してもいいかもしれない。――君は嫌か?」


 メリルは首を振って、笑い返した。


「――あなたがいれば、どこでもいいわ」


 家を見回す。ここはとっても居心地が良いけれど、大事なのはアルヴィンがそこにいるかいないかだ。


「ありがとうございます――、僕からの話は、これで終わりです」


 ヒューゴは安堵したように表情を和らげると、そう呟いて、また頭を下げた。

 アルヴィンは席を立つと、彼のもとへ行って、手を差し出した。


「ヒューゴ、師匠の手紙を届けてくれたこと、それから、俺たちに忠告に来てくれたこと、感謝するよ。ありがとう」


「いえ、こちらこそ――、無理なお願いを、申し訳ありません」


 ヒューゴは出された手を握り返した。

 その様子をじっと見ていたアネッサは、ふと、ソファーテーブルの上に置かれたメリルのスケッチブックを見つけて指差した。

 描きっぱなしで置かれたページには、寝そべってモップのようになっている白い犬の姿が描かれている。


「お姉さま、そのスケッチブックを見せて頂いても?」


「ええ……。いいわよ」


 メリルはそれを妹に渡した。彼女はぱらぱらとページをめくる。

 一枚一枚に、紙全面を使った伸び伸びした線の絵が描かれている。

 どこにも窓枠に区切られた風景はない。

 アネッサは、目を閉じると、呟いた。


「――ありがとうございます。お姉さまは今、幸せなんですね」


「――ええ、とっても」


 メリルは立ち上がるとアネッサに近づいた。彼女が手に握ったままの、先ほど魔法で咲かせた花束の、白い花を手折ると彼女の金色の髪に挿し込んだ。それから、今朝アルヴィンが自分の髪に飾ってくれた白い花に触れて、笑った。


「お揃いね」


「お姉さま……」


 困惑したようにそう呼んだ妹の頬に手を触れて、メリルは微笑んだ。


「――これから先、もう会うことはないかもしれないけれど……、それでも私は、あなたの幸せを祈ってるわ、アネッサ」


「……はい。……はい」


 アネッサは何度も頷く。


「お姉さまも、……ずっと、お元気で」


 ***


 メリルとアルヴィンは、ヒューゴとアネッサをアジュール王国の王都の外れに繋がる森の入り口まで送った。


「――お姉さまも、アルヴィン様も、ありがとうございました」


 林を出て、丘の下に広がる賑やかな街を眺めてから、アネッサは振り返って頭を下げた。

 森の奥から戻ってきた今、心にかかっていたようなもやは大分薄くなっていた。


 姉が、今幸せならそれで良いと思えた。


 髪に飾られた白い花に触れ、微笑むと婚約者とともに、自分が暮らす場所に帰って行く。


 来た時のように裏道を抜け、王宮に戻る。


「――さて、また裏庭を抜けて、君の部屋のところまで戻るか」


 外套を脱いだヒューゴはそう呟いて、裏庭に続く方へ歩き出した。

 その腕を持って、アネッサは彼を引き留める。


「待ってください。――正面からで、大丈夫です」


「しかし――」


 宮殿の正面を進んで行くと、宮廷内に出入りする貴族の目に触れることになる。

 姿を見られる度交わされる噂話から身を守るように部屋に閉じこもっていたアネッサを気遣って、裏庭からの戻ることを提案したのだが、とヒューゴは眉根を寄せた。

 アネッサは繰り返して言った。


「もう、大丈夫です」


 ――あの、グリーデン侯爵のアネッサ様だわ。

 ――珍しいわね、最近ずっとお部屋に籠られていたというのに。

 ――ヒューゴ様は、あんなことがあったのに、まだあの方と婚約を続けられるの?

 ――私の娘の方が、相応しいでしょうに。


 広間を通って歩いていくアネッサの耳に、宮殿内で催されたお茶会帰りらしい貴族の婦人たちのそんな囁き声が耳に入る。アネッサは一度、地面の絨毯を見つめたが、髪に挿さった白い花を挿し直すと、顔を上げ、彼女たちに向かって微笑んだ。

「ごきげんよう」


 『花の妖精』の異名のとおりの美しい笑顔に、囁き話は立ち消え、広間の人々は皆呆けたような顔をアネッサに向けた。


 ***


「間取りを変えたいなんて、聞いていなかったわ」


 また二人と一匹だけになった家の中で、メリルはソファでアルヴィンに寄り掛かりながら、聞いた。


「どんなおうちに住みたいの?」


「――寝室を広くしたい。ベッドもだ」


 アルヴィンは即答する。


「床に落ちて目が覚めるのは、痛い」


 今朝のことを思い出して、メリルは笑った。


「確かに、もっと大きなベッドが良いわね」


「後は……」


 アルヴィンは考えるように少し黙ると、言葉を続けた。


「子ども部屋も、欲しいだろ」


「え?」


 メリルは思わず聞き返した。

 子ども、子ども、――――そうね、えぇっと……。

 耳までだんだん赤くなっていくのを感じた。


「――――可愛いな」


 アルヴィンは呟くと、メリルを抱きしめた。

 耳元で、低い落ち着いた声が囁いた。


「俺は、君と家族を作りたい。それでずっと――、幸せに暮らしていきたい」


 ――この誘いは、断る必要がないわ。

 メリルは腕の中からアルヴィンを見上げた。


「もちろんよ」


 アルヴィンは笑うと、ポケットの中から花の種が入った袋を取り出して、中身を部屋に放り投げた。指をくるりと回し、巻き起こった風でそれを部屋中に散らす。


「――――まだ、君にはこれはできないだろ」


 得意げにまた指をくるっと回すと、部屋中に色とりどりの花々が一斉に咲き誇った。

 メリルは「わぁ」っと声を上げる。それから、アルヴィンに抱きついて、笑った。


「――すぐにできるようになるわよ」


「本当にすぐできそうで、嫌だな」


 アルヴィンはくっくっ背中を揺らして笑うと、真剣な表情でメリルを見つめた。


「――俺は、君が好きだよ。本当に」


「私も、あなたが好きよ」


 二人は花畑の中で唇を重ねた。


 ***


 ――後日、アジュール王国の国王は消えかけた魔法の壁を修復できる魔術師を求めて大量の兵士を迷いの森に送り込んだ。多数の行方不明者を出しながら、長い時間がかかって、ようやく、魔術師が住んでいたらしい家の跡が残る場所に辿り着いた。そこは森の中の開けた場所で、一面の花畑があり、煉瓦造りの家の跡だけが残っていた。


 その跡地を見て、国王はかつてアジュール王国を守る魔法の壁を作った魔女の弟子は、もういないのだろうと結論付けた。


 王太子は、悲劇的な事件のあったグリーデン侯爵家の唯一残った次女のアネッサ=グリーデンを妻としたが、グリーデン家の事件を起こしたとされる長女のメリル=グリーデンは依然行方知れずのままであった。


 ――そして、遠く離れた別の国には、その国の森の外れに、とても幸せそうに暮らす魔術師の家族が住んでいるという噂があった。

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『妹の結婚の邪魔になる』と家族に殺されかけた妖精の愛し子の令嬢は、森の奥で引きこもり魔術師と出会いました。 蜜柑 @mikan_mmm

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