第39話 手紙2

 手紙を読み終わったアルヴィンは、静かにそれを折り直し、封筒に戻した。

 ヒューゴがじっとその様子を見ながら口を開いた。


「アルヴィン様――僕の曽祖父は――、あなたにこの手紙を届けようとしたようですが、あなたはその時すでに姿を消していて、どこを探しても見つからなかったそうです。曽祖父の死後は、その手紙は遺品と共に保管されていました」


「アルヴィンで良い。堅苦しいのはよしてくれ」


 アルヴィンは肩を持ち上げると、ため息を吐いた。


「――師匠が死んで、俺はここに戻ってきて、そして師匠と同じようにこの家を魔法で閉ざした。――だから、きっと見つけられなかったんだろう。――それで、ヒューゴ、お前の話とは?」


「――端的にお話ししますと、イブリン様と貴方が作った魔法の壁――、それが、ここしばらくの間に一部が消えかけてきているのです。貴方には、その原因がわかりますか? ――それが修復できますか?」


 少し身を乗り出したヒューゴの真剣な目をじっと見つめると、アルヴィンはゆっくりと口を開く。


「――原因は年月が経ったからだろう。魔法にも限界はある。永遠に効果が持続するなんてことは、あり得ない。そして――『修復できるか』ということについては――できないことはないと思うが、俺はやる気はない」


 はっきりとそう言うと、首を振った。


「――もし、元通りに修復するとするならば、相応の時間と――何より魔力がかかるだろう。それだけ魔力を使った場合、身体にどんな負荷がかかるかわからないから、俺はやりたくない。――俺はメリルとこのままずっと暮らしたい。だから――そういう不確定なことは、できない」


 メリルは彼が手を強く握るのを感じて、その手を握り返した。

 ヒューゴは表情を和らげると、頷いた。


「そうですか――、僕は、その答えが聞きたかっただけです」


 アルヴィンは確認するように聞き返す。


「あの壁は――今も必要か?」


「魔物の数も、今ではそんなに問題にならないほど減りました。どちらかといえば――、権威としての意味のほうが大きいのです」


 ヒューゴは少し俯いて、言葉を続けた。


「僕は――、壁がなくなったとしても、それで何かが大きく変わるとは思っていません。しかし――、国王陛下――父上は、その修復方法を血眼になって探して――そして、その過程で――グリーデン侯爵家の事件と、メリル――貴女の失踪に行き着いたのです」


 名前を出されたメリルはヒューゴの方に向き直った。

 

「グリーデン家の周辺の者に話を聞き込みましたところ、貴女は幼いころから、他の者には見えない存在と会話しているような、そんな様子があったという話が出てきました。――それは妖精の愛し子という、手紙の中でイブリン様が書かれていた魔法の才のある者の特徴と合います。だから、父上は、――貴女はもしかしたらイブリン様の弟子に助けられたのではないかと考えました」


  ヒューゴは静かに話を続ける。


「曽祖父から、迷いの森への行き方は伝えられていました。そして、森の中で、求める場所に辿り着く方法も。会いたいという強い気持ちがあると、自然と森が導いてくれるという話を聞いていました。曽祖父がイブリン様を捜しに行ったときは、王が戦死して即位したばかり、藁をもすがる思いで森に入ったところ辿りついたとのことですが――、どれくらい強い気持ちがあることが必要なのかはわからないですが、――アネッサを連れて行けばもしかしたら、と思いました。――彼女は、メリル――、貴女にもう一度会いたいと強く、思っているようでしたから」


 メリルは婚約者の横で、疲れたような表情でじっと机を見つめている妹に視線を移すと、瞳を大きく広げた。ヒューゴの言葉が意外だったからだ。


「アネッサ――? あなたが私に会いたい? なんで? だって私は――」


 ――お父様とお母様をあんな風にしてしまったのに。

 この子が私に会いたいなんて、思うなんてことがあるかしら?


 意を決したように、顔を上げたアネッサはメリルを見つめ返した。


「――――私は、あの時何があったのかをきちんとお姉さまに聞きたかったのです」


 ――あの時、屋敷を出るとき、私は「私がやった」とこの子に言った。

 それは、この子に事実を伝えたところで、どうにもならないと思ったからだ。

 お父さまやお母さまが私を殺そうとしてたなんて、そんなことをこの子が知る必要はないし、それで私を恨むなら恨んでくれた方がいいと思ったから。

 

 ――だけど。

メリルはテーブルの下でつないだままのアルヴィンの手を握る力を強めた。


 この子は、私に会いたいと、ここまで来てくれた。

 メリルはゆっくりと事実を告げた。


「……お父様とお母様は私を殺そうとしたわ。――私のような者がグリーデン家にいるともし公になったら、あなたと王太子様のせっかく決まった婚約に影響が出るから、と食事に毒を盛ってね。でも――、妖精たちがそれに気づいて助けてくれて、私を守ろうとお父様とお母様に飛びついて、ああなってしまったわ」


 アネッサは一瞬息を詰まらせると、頭を垂れて、呟いた。


「――そう、そうだったのですか」


 メリルはずっと気にかかっていたことを聞いた。


「――そのあと、家はどうなったの? あなたはどうしているの?」


「家督は、叔父様が継ぎました。私は――、今はヒューゴ様のご厚意で王宮にお部屋を頂いて暮らしています」


 だんだんとアネッサの声が震え出した。やがて頭を抱え込むと、机に額をつけて、呻くように「ごめんなさい」と呟いた。震えた言葉が続く。


「……お姉さま、――ごめんなさい。同じ屋敷に暮らしていたというのに――、ずっとお父さまとお母さまのことを私が独占して、お姉さまのことを気にかけないで、――ごめんなさい。私が、私に、もっとできることもあったはずなのに――」


「――顔を上げてよ」


 メリルは、アルヴィンの手から自分の手を離すと、机に突っ伏した妹の細い手を握った。


「――私ね、思ってたの。妖精たちは、愛しい子が小さいころにその子たちを彼らの世界へ誘うのに、どうして、私はこの年まで、それがなかったんだろうかって」


 そう、妖精たちが、「居場所がないなら、自分たちのところにおいでよ」と声をかけたのは、あれがはじめてだった。

 それまでは、あんな家でも、私はどこかで自分の居場所を感じていた。

 ――それは、


「それはね、きっと、あなたが、ずっと私に季節のお花や、お菓子や、色々なものを届けてくれていたからだと思うわ。私は、あなたがそうしてくれていたから、あの家にも居場所があるって思えていたんだと思うの」


 アネッサは泣きはらした顔を上げると、赤くなった目で姉を見つめた。


 メリルは「あ」と声をあげると、黒いローブのままの横に座っているアルヴィンのポケットに手を伸ばした。朝、自分に咲かせるかと聞いてきた時の花の種が入った袋を引っ張ると、そこから種をいくつか手に握る。


 そして、瞳を閉じると、手に力を込めた。


 ――この子から今までもらったぶんの花束への気持ちを返したい。


 そう強く願って、綺麗な花が咲くように祈るように念じる。

それに合わせてメリルの握った拳の間から、緑色の茎が伸びて行った。

 見たことがないその不思議な様子をアネッサは瞬きを忘れて見つめた。

 茎から葉が伸び、その先に白やピンク、黄色の蕾ができる。そして、それはぱぁっと一気に開花した。


「――だから、ありがとう。私を気にしてくれて、会いに来てくれて。私は、これくらいしかあなたに返せないけれど」


 メリルは手の中に咲かせた花束をアネッサの手に握らせた。

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