第6話 魔術師

 ――『二度と戻ってこられなくなる』


 アルヴィンの言葉に、私は身体を強張らせた。

 そんな気は私も――何となくしていた。


 ――だけど、だって――それで、何か問題がある?


“何で止めるの?”

“向こうはこっちより楽しいよ”

“嫌なやつなんて誰もいない”

“ずっと私たちと一緒に遊ぼう”

“みんな、メリルを待ってる”

“メリルが必要なんだ”

“行こうよ”


 妖精たちは鳥がさえずるような声で私の耳元で代わる代わる囁きかけて、アルヴィンが握った手と反対の手を花畑の方へと引っ張った。私は妖精たちが引っ張る方を向いて、一歩足を踏み出した。


「行くんじゃないって言ってるだろ!」


 鋭い声と共に身体が後ろに引っ張られた。アルヴィンが私の手を強く握って、眉間に皺を寄せて厳しい顔でこちらをじっと見つめている。


 真っ青な綺麗な瞳だった。真剣に、何かを伝えようと訴えかけてくる瞳。


 ――誰かにこんな風に見つめられるのは初めてだった。


誰かが私を見るとき、その目はいつだって気味が悪いものを見るような目、そうじゃなきゃ可哀そうなものを見るような目だった。


「だって」


 私は俯いた。声が震えて、瞳が潤んだ。お父様とお母様の返り血でどす黒く染まったドレスの胸元が視界に入る。


「――私は他に行く場所、ないもの――」


 鼻をすすろうとした瞬間、ぐいっと腕を引っ張られて、体が横に傾いた。ぽすっと額が黒い古びたローブにぶつかる。背中に腕が回されて、長いローブの袖が私の身体を包んで妖精たちが「わぁ」っと散って視界から消えた。


 黒い布地に顔が埋もれて、そこからじんわりと温かさが伝わってくる。


「わかるよ。俺も昔、そっちに行きそうになった。だけど、行くべきじゃない」


 頭の上から小さい子どもに諭すような、ゆっくりとした静かなアルヴィンの声が降ってきて、私は自分が抱きしめられていることに気づいた。

ふっと頭が冷静になり、顔が熱くなって、彼の胸元を手で押した。

アルヴィンはぱっと手を離すと、頭を掻いた。


「――悪いね。とりあえず、落ち着きなよ」


「――私こそ、ごめんなさい。取り乱して――」


 私は大きく息を吐いて目元の涙を拭って顔を上げた。振り返ると、さっきまでそこにあったはず花畑が消えていて、目の前には鬱蒼とした木々が茂っていた。。


「――え?」


 驚いて前を向いて、アルヴィンの立っている方――私が来た、屋敷がある方を見ると、そちらにも木が茂っている。

 

 ――屋敷を出て、丘の上に立っていたはずなのに、今、私は、森の中に立っていた。


“せっかくメリルが来てくれる気になってたのに”

“何で邪魔するの?”

“アルヴィン、嫌なやつ!”

“髪の毛全部引っこ抜いてやれ!”


 妖精たちがふわふわとアルヴィンの頭の上に集まって、彼の少し長めの黒髪を色んな方向に引っ張った。


「やめろ」


 アルヴィンは鬱陶しそうに呟くと、人差し指と中指だけ立てた右手を胸の前でくるっと一回転させた。


 ――途端、つむじ風が彼の足元から舞い上がって、妖精たちを巻き上げた。“わぁぁぁ”という声を残して、白い光の粒は星空に吸い込まれるように遥か上空へ吸い込まれて行った。


「ったく」


 妖精に引っ張られて乱れた髪の毛を手で直しながらアルヴィンはため息をつく。


「――今のは――、何?」


 私は起きたことが理解できずに呆けたまま呟いた。


「騒々しいからちょっと遠くに行ってもらった。まぁ、すぐ戻ってくるよ。あいつらどこでも出てくるから」


 そういうこと……じゃなくて、今アルヴィンが風を起こしたように見えたんだけど……。


 私が理解していないのを察したらしく、アルヴィンは補足した。


「さっきのは、魔法。俺は、魔術師だ。ここはあいつらの――妖精の世界とこの世の間にある場所」


 ワン! と鳴き声がして足元を見ると、白いふわふわした巻き毛の犬がアルヴィンと私の足元をぐるぐる回っていた。しゃがんでその犬の頭を撫でると、アルヴィンは私を見上げて笑った。


「こいつはジャック」


 それからまたじっと私を見つめて言った。


「――行く場所がないなら、とりあえず俺の家に来い」


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