第3話 紋章の影響は、人や物だけではないようです。




 この探偵事務所がある雑居ビルの駐車場には、さまざまな棒状の道具が入った、やや大きめの傘立てが置かれていた。


 私はその傘立ての中から、掃除で使われていそうな木製のモップを手に取った。


 モップの先には、自転車の形をした青色の小さな紋章があった。


「そういえばこの前、車の免許を取得できたって言っていましたよね?」

 私の隣で同じようにホウキを取り出したタケミツさんに、ふと思い出したことをなんとなく聞いてみる。

「ああ。今は私にピッタリな車を探しているところだ。無事に買うことができればくるみも乗せてやるから、楽しみに待っててくれ!」

 上機嫌でホウキを股に挟んでいるが、彼の資金的には、車に乗ることはいつになるのかは想像できない。


 私も自分のモップを股に挟み、モップの先端に付いてある青い紋章に左手で触れる。


 左手のスマホの紋章が鍵となり、モップに付いている青い紋章が緑色に変わった。


 すぐに背中が何者かに支えられたような感触がして、地面に立つ私の足が浮かび上がった。


「よしっ! それでは行こう! 森のレストランへ!!」

 横でホウキを浮かばせたタケミツさんが大声で叫ぶと、タケミツさんを乗せているホウキが走りだした。

「……」

 もちろん、走らせるために大声を出す必要はない。普段の自分が歩こうと思えば歩けることと同じく、浮かんだモップに乗って前進しようと心の中で唱えるだけでよい。


 私のモップがタケミツさんのホウキを追いかけて、走り始めた。




 昔は自転車と呼ばれる乗り物が、この街ではよく見かけたらしい。特別な免許がなくても乗れる、人力で動かす二輪車だ。

 そんな自転車は、今では古さに魅力を引かれた愛好家だけのものになっている。

 この棒状のものに自転車の紋章を埋め込むと少し浮かび上がり、空までは飛べないものの、まるでファンタジーの魔法使いのごとく進み出す。

 乗る人間の負担の少なさとメンテナンスの手軽さ、そして値段の安さは、自転車とは比べものにならない。最初は問題視されていた安全性も、紋章の改良によって見えないエアバッグのようなもので乗る人間を包み込むことによって解消している。






 市街地を抜け、カーブだらけの森の道路の先に、1軒の木製の建物が見えた。




 その名もずばり“レストラン”。店の種類の名前ではなく、店名だ。実に安直なネーミングセンス。




 駐車場でモップから下り、そのモップを付近に置かれてい傘立てに入れる。

「くるみはこのレストランに来たことがあるか?」

 先にホウキを入れ終わったタケミツさんが看板を見ながらたずねてきた。

「いいえ。タケミツさんは来たことがあるんですか?」

「ああ! ここのハンバーグはうまいぞお! ほっぺが落ちるという比喩は安直ではあるが、私がそのハンバーグを食べた瞬間、本当にほっぺがとろけ落ちる……」


 その時、店の出入り口からふたつの人影……のようなものが見えた。


「あ! これはタケミツさんにくるみさん!! こんにちはであります!」


 その人影のひとつ、犬がこちらに敬礼した。

 これは比喩ではない。二足で地面に立ち、警官の服に警察帽を被った黒い犬が、前足で敬礼しているのだ。


「ん? 警官の君がどうしてここに?」

 犬の警官にたずねるタケミツさんの顔は、ここに出くわすとは思っていなかったと描いてある。

「はっ、本官はここで巡査長殿とともに昼食をとっていたであります!」


 敬礼のポーズのままの犬の警官の隣で、もう1人の人影の男性警官が鼻で笑っていた。巡査長と呼ばれたこっちはちゃんと人間。


「まったく、こいつは行く先々で住民にあいさつしてやがる。田舎だったとしても覚えきれるほど、住民はいねえのになあ」

「それにしても、君がここで昼食を取るなんて珍しいな」

 タケミツさんの言葉に、巡査長は疲れた目を犬の警官に向ける。

「こいつがこの街のいろんなところに行ってみたいっていうから、わざわざ昼飯をここで食いにきただけだ。まったく……どうしてこんな山の中に昼飯を食いにこねえといけないんかねえ」

 けだるそうな巡査長の声に、犬の警官はくるりと向きを変えた。

「巡査長殿! 本官は街の平和を守るために、少しでも街の施設を把握して……」

「ああもうわかったから、早く交番に戻るぞ」


 煙たがる巡査長と純粋な犬の警官は、私たちの横を通っていった。




 犬の警官の声は、口からではなく喉から直接声が出ていた。喉に付いていた口の形をした紋章が、青色と緑色、2色に変わっていたのだ。

 あのように動物が二足歩行で歩く光景は、今となってはあまり珍しくはない。知力を高める紋章を埋め込めば、どんなものでも人間と同等の知能を持たせることができるのだから。

 知能を持った動物たちは、人間により賢く向き合うことができるペットとして、また、人間の仕事を手伝うよきパートナーとして、社会から存在を認められている。

 一部、知能が人間と同等にあるのなら、人間と同じ人権を与えるべきなのでは? という意見は聴いたことがある。少なくとも、あの犬の警官はそんなことを疑問に思わないほど、純粋なのだが。




「……やはり奇妙なバディだな、あのふたりは」

 立ち去って行く車を見届けながらつぶやくタケミツさんに、言葉をかけようとして口を閉じた。

 あなたには言われたくないでしょうね。この言葉を言った瞬間、私まで奇妙扱いされてしまう。

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