第37話 大切だから、知らないでほしい

 これは、セイジ視点での物語。


 眠れない夜も明け、朝が訪れる。

 快晴な空が、かえって白々しい。

 診察室から、あぴ子さんが出て行く物音が聞こえる。

 どうしてか分からないけれども、その背中を僕は呼び止められなかった。

 

 昨夜、うぱまろさんがいなくなってしまったという告白をし、悲しそうに泣いていた時。

 うずくまっている彼女の背中に触れようとし、その手を引っ込めてしまった。

 あぴ子さんが人間ではなくて動物だったら、自然に背中に手を当てることくらい、出来たのに。

 

 眠れず、気怠い身体を引きずり、診察室のあぴ子さんの横になっていた場所に腰掛ける。

 香水だろうか、柑橘系のような爽やかな香りがほのかに残っている。

 うぱまろさんとの初めての出会いを思い出す僕は、あまり思い出すには楽しくない未成年時代も同時に振り返ってしまう。


 僕が産まれたのは、極道の組長の家だった……らしい。

 父は厳しく、何をするにも怒鳴られた。

 母の顔は全くもって覚えていないが、いつも葬式のような真っ黒い着物を着ていたのが印象的だった。

 双子の兄もいた。

 兄は僕とは真逆の、勝ち気で行動的な性格なので、よく父に気にかけてもらっていた気がする。

 喧嘩をして、兄に勝てた試しがない。

 父は僕達に武術を教え込もうと必死だったが、僕はからっきし才能がない。

 一方、兄はどんどん上達していき、よく僕に対して勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

 唯一、僕が兄より誇っていたのは好奇心だった。

 本を読んだり、新しいことを学んだりするのが楽しくて仕方がなかった。

 そんな僕を、父が鬱陶しい目で睨み付けるのが怖かった。

 

 5歳になったとき。

「セイジ、元気でな」

 玄関でお父さんがただそれだけ、言い放つ。

 お父さんが扉を開けると、外には誰か知らない人がいた。

「セイジ君。今日から私達が新しいお父さんとお母さんだよ。よろしくね」

 黒いスーツに、白衣を着たお父さんと同じくらいの男性。 

 男性の少し後ろに立つ、紺のワンピースを着た優しそうな女性と目が合うと、女性は静かに微笑んだ。

 どうやら、医者の夫婦らしい。

 びっくりしたけれども、怖い父よりは良さそうな気がした。

 特に嫌がることもなく、僕は車に乗り込んで新しい家族の家に向かった。

 

 新しい家族はエレベーター付きの洋館に住んでいる。

 1階奥には、鍵のかかった待合室と診療室。

 今思えば、病院の看板が外に出ていないなんて奇妙だと気が付くが、当時の僕は、やっぱり医者の家はお金持ちの家なんだ、とくらいしか思わなかった。

 診察するのは1階、2階は物置、3階が僕達が生活する部屋だと言われた。

「絶対、奥の入り口から入ってはいけないよ。正面から入ってすぐのエレベーターに乗って、3階に行くんだよ。約束だからね」

 強く厳しく、何度も言っていたお父さんの顔は、前のお父さんそっくりだった。

 でも、新しいお父さんお母さんは、僕にたくさん本を買ってくれた。

 新しいことを覚えたことを報告すると、大袈裟なくらい喜んでくれたのは僕も嬉しかった。

「セイジ君はお医者さんになるんだもんね。お父さんの後継ぎだ、頑張って勉強しないとね」

 お父さんは、にこにこしながらいつも僕にそう言う。

特に医者になることに拘りがあった訳ではなかったが、お父さんが喜ぶのなら、医者になろうと思った。


 僕が10歳になった時だった。

 ちょっとした、好奇心から僕は約束を破り、誰もいない一階のリビングに侵入する。

 リビングの、クローゼットの中に身を忍ばせ、息を潜める。

 しばらくすると、診察室から断末魔が聞こえる。

「痛ぇぇぇぇぇ!」

「落とし前だ!」

 あまりの叫び声に、ただならぬ恐怖を感じた。

 その後も理解しがたいことが続く。

「この男、二度と浮気できなきようにしてやって頂戴!」

 金切り声の女性のヒステリックな叫び。

 僕は怖いもの見たさに、どんな人が治療を受けているのか見たくなり、クローゼットを少しだけ開ける。

 待合室に待っているのは、今まで見たことのないような柄の悪い、怖そうな人達。

 ここは、普通の病院じゃない。

 本能的に、そう感じた。

 早くここから逃げて、3階の部屋に帰りたいと思うけれども、身体は怖くて動かない。

 腕時計を観ると、あと10分で12時。

 病院の午前の部が終わる。

 患者さんが帰るときまで我慢しよう。

 ふるふると震えていると、クローゼットががらりと開いた。


「ねぇねぇ」

 何かの荷物を包んだ風呂敷を背中に積んだ、バスケットボール程の大きさの、ピンクのウーパールーパーのぬいぐるみが話しかけてきた。

「あっ……えっ……」

 今日は驚きの連続で、声が掠れる。

「ここはぁ、訳ありの、かんじゃさんが集まる、びょーいんって聞いたよぉ」

 ぬいぐるみのウーパールーパーは何事も無いように話す。

 僕は今日、長い夢を見ているのだろうか。

「うぱぁのおとうと、元気ないんだぁ。こわーい、びょーきじゃないといいなぁ」

 このぬいぐるみは、「うぱあ」、と言うらしい。

「……背中の荷物、何?」

「こりぇは、お金っ!すいそうに、たくさん浮いてたから、集めて、乾かしたんだぁ。このびょーいんって、お金、たくさんかかるって」

 風呂敷を広げると、確かにカピカピになった一万円札が束になっていた。

 僕は何も言えず、札束を見つめる。

「あっ、うぱあ、よばれたよぉ」

 うぱあは、診察室に入っていく。


 しばらくするとうぱぁは、とぼとぼと待合室に戻った。

「お薬はぁ、すごい高いんだってぇ。トウモロコシの缶詰め、たくさん使って作るんだってぇ。このお金じゃあ、足りないって」

 しょんぼり話すうぱまろ。

「トウモロコシが……?高い……?」

 言いかけたところで、診察室からお父さんと赤い派手なスーツを着て、蝶ネクタイをつけた男性が現れるため、僕は再び、慌ててクローゼットに隠れる。

「うぱさん、お金を簡単に数倍にできる仕事を紹介します」

 派手なスーツを着た男性はうぱあに話す。

「えっ、ほんとぉ!? うぱぁでも、できるぅ?」

「簡単だよ。ルーレットを回して、どこに入るか当てるだけ。運さえあれば、いくらでも稼げるシステムだ。それに、足りなくなったらお金を貸してあげるところも紹介できるよ!」

「そんな、やさしぃ人がいるんだねぇ! うぱぁ、やってみるよぉ」

 うぱあは、迎えに着た黒い車に連れられてどこかへ行ってしまった。

「あの世間知らずな奴、得体が知れなくて不気味ですが、金だけは持ってましたね」 

 派手なスーツの男性は馬鹿にしたようにニタニタと笑う。

「世の中、騙される奴が悪い。搾取される側と、する側に分かれていることに気が付かないなんて愚かですね。人間でもそれ以外でも、金が絡めば全て扱いは同じです」

 お父さんは、今までみたことのないような汚い表情をしていた。

 その時から、僕は新しいお父さんが大嫌いになり、医者になろうとも思わなくなった。

  

 15歳になったとき。

 ある日、進路指導の調査が来た。

「将来の夢」を、僕は空欄で出すと保護者同席面談で突っ込まれた。

「セイジ君、てっきりお医者さんかと思っていたんですけど」

 担任が言うと、母は悲しそうに笑う。

「だと良かったんですけどねぇ」

「……医者には、なりません。家の仕事は、絶対に継ぎません」

 僕は低い声で呟く。


 家に帰り、保護者面談の様子を母から聞いた父は僕に対して、物凄い勢いで罵倒した。

 顔を赤くして怒り狂う父に対して、母はおどおどと小さな声で対抗する。

「あなた、言い過ぎよ。セイジ君も、もういろいろな考えがあるんですから」

 父は大声で怒鳴り、椅子を蹴っ飛ばす。

「うるさい、お前は誰の金で生活してると思ってるんだよ!セイジ、お前を組長のところから引き取ったのは、組のお抱え病院であるこの家の跡継ぎをさせるためだけなんだよ!お前の本当の父親だって、お荷物がいなくなって良かったと言ってるのを覚えておけ」

 後日、母は失踪した。

 あのとき、自分の考えを尊重してくれたお母さんに、僕は感謝の気持ちを伝えられなかった。

 その後の、父の暴れ方は以上だった。


 僕は自ら児童相談所に通報した。

 すぐに保護され、施設に入った。

 施設に入ってから、すぐに里親が決まった。

 動物病院をやっている、50代夫婦。

 現在、僕が住んでいる家のお父さん、お母さんだ。

「セイジ君、緊張してるよね。私達夫婦も緊張しています。これから、よろしく」

「……」

 また病院か、と警戒し、しばらく新たなお父さんお母さんと会話ができなかった。

 全く会話をしなくても、2人は嫌な雰囲気は全く出さなかった。

「来てくれただけで嬉しいよ。セイジ君がいると家がぱっと明るくなったね」

 2人は笑顔で僕に話しかける。


 動物病院には、たくさんの動物を預かっていた。

 ゲージの中でうずくまる動物達は、か弱くて、何も罪はなくて、ひたすらに無垢で。

 何故か分からないけれど思わず抱きしめたくなった。

 こんな風に、自分以外を気にかけることは、今までの僕には考えられなかった。

 ウーパールーパーの水槽も見つけたとき、僕はうぱあを思い出した。

 ホールコーン缶を見たときも、うぱあを思い出して苦しくなった。  

 でもその気持ちは、忘れたいけれども、決して忘れてはいけない感情だ。

 それ以降、僕はこの気持ちを忘れないために毎日ホールコーン缶を食べ続けている。

 あのとき、きちんとした動物病院に行けたのなら、きっと違った未来が待っていたはずなのに。

 今のお父さんもお母さんも、「後を継げ」なんて一回も言ったことはない。

 でも僕は、動物を元気にする獣医という仕事に魅力を感じるようになった。

 うぱあに対する罪滅ぼしというのも、ちょっぴりあったが、何より純粋に動物が好きだった。

 結果的にこの家は、家庭かつ職場になった。

 

 メッセージの着信音が鳴る。

 ぼうっと診察室の扉を見つめると、随分と時間が経っていた。

 スマホを確認する。

 あぴ子さんからだ。

「昨日は突然おしかけてしまって、ご迷惑おかけしました。うぱまろを探しに、山に行ってきます。山登り、初めてです。山の名前は……」


 僕は急いで着替え、登山時のリュックを引っ張り出す。

 あぴ子さんが行く山は、素人にはかなり危険なところだし、スマホの電波も繋がりにくい。

 きっとあぴ子さんのことだから、うぱまろさんと再会するまで無茶するに違いない。

 早く、彼女を探さないと。

 

 動物以外で、お父さんお母さん以外で、赤の他人という意味で。

 愛おしいと感じたのは、彼女が初めてだった。

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