第33話 恋のきっかけは突然に♡

 傘の手放せない、水無月中旬の夕方。

 灰色の空の下、今日もうぱまろを連れて散歩に行く。

 うぱまろは雨が好きな様で、傘も差さないどころか水溜まりへジャンプしている。


「あめはぁ、うぱぁの血がっ、さわぐよぉ☆ 天気が悪ければぁ、悪いほどぉ、力がっ、みなぎるっ!」

「水に濡れたら、びちょびちょになっちゃうでしょ」

 水溜まりからうぱまろを抱き上げるが、もふもふのぬいぐるみのようなうぱまろの肌は、不思議と水を吸収してはいなかった。

 こんな雨の日は、タマキさんと相合い傘したい♡


 タマキさんと並んで歩く途中、突然雨が降る。

「大変、タマキさん! 雨だよ」

 私はハート模様の折り畳み傘を取り出して広げ、タマキさんと念願の相合い傘をする。

 タマキさんの方がだいぶ背が高いから、タマキさんの頭に傘がつっかえてしまう。

「ありがとう、あぴ子。でもね、女性に傘を持たせるなんて紳士失格だよ」

 タマキさんは私から傘を優しく取り上げ、私に傘を差す。

「それじゃ、タマキさんが濡れちゃうからダメ♡」


 私は頬を膨らまして彼の傘を持つ腕を私の方に引き寄せる。

「そうかな、君のために犠牲になるのなら、惜しくないけどな」

 白いシャツが濡れ、体にぴったりとくっついているタマキさん。

 陶器のような滑らかな、肌の色がほんのりとシャツに透けて見える。

 屋外にいても隠せない色気……通報レベルです♡

 神様、どうか、どうか、私が生まれ変われるのなら。

 雨の日の、タマキさんの白シャツになりたいですっ♡


「あぴ子ちゃん、だれが、つーほう、されるって?」

 うぱまろの言葉に、はっと現実に戻され、気が付いたらいつもの大きな公園に到着していた。

 雨のしとしとと降る公園には、普段の様に賑やかに遊ぶ子供たちの姿はなかった。

「あっ! なんだこれぇ! 酒蒸しにしたら、おいしいかなぁ」

 うぱまろの目線の先には、カタツムリがいた。

 ぐるぐるの貝の部分から、顔がひょっこりと飛び出している。

「それはカタツムリ。最近はあまり見かけないね。あと、細菌だらけだから食べたらお腹壊しちゃうと思う」

 いつかの日、この公園でスズメバチを食べたうぱまろに言っても無駄かもしれないが。

「ゆっくりだねぇ。うぱぁよりおそい。あ、なんだこれぇ!」

 うぱまろはカタツムリを興味深そうに見ていると思ったら、今度はカエルを発見し、のそのそと頑張って追いかけていく。

 雨の日は、普段見ることのできない珍しい生き物にたくさん出会えて楽しそうなうぱまろ。


 うぱまろを追いかけていくと、紫陽花の咲く場所に、ビニール傘を差してレジャーシートに座るスーツ姿の不審な男性を発見する。

 どうやらセイ君らしい。

 台場での遊園地でうぱまろとの相性占いを行った際、「兄弟はいますか」という質問で人形のような表情になっていた彼。

 はしゃいで兄弟のことを聞いてしまった自分は、何となく申し訳ないことをしてしまったような気分になってしまい、以前のように気軽に声をかけられなくなってしまっていた。


 声をかけようか迷っていると、彼は私に気が付き、手を振る。

「あぴ子さん、ご無沙汰してます。よかったら座ってください」

 雨の雫でびしゃびしゃになっているレジャーシートを叩き、鞄から取り出した厚手のタオルで拭き始めるセイ君。

「……あ、ありがとうございます」

 傘を差したまま、セイ君の隣に座る。

 うぱまろは、レジャーシートの上でごろごろと寝転がっている。


「今日も、うぱまろさんのお散歩ですか?」

「はい。うぱまろ、雨が好きみたいです」

「僕も雨の日、好きです。雨の日は、世界が美しく見えます。土がよく香ります。雨の日の登山なんて、最高ですね」

 雨の日に登山とか、死亡フラグが立っているのでは……。

 それにしても、どこかインドアなイメージのあるセイ君。

 登山とは、意外な趣味だ。

「確かに、いつもの景色が違って見えますね。今日は、プライベートでお出かけですか?スーツ、着ているので」

「今日は、研修会で赤坂です」

「着替えなくて、大丈夫なのですか? スーツ、濡れちゃいますよ」

「はい。あえて着替えずにいます。スーツが濡れ、体に張り付く感覚がひんやりしてて好きなんです」


 やはりセイ君は独特の世界観を抱いている。

 でも、彼の世界観、嫌いではない。

 むしろ少し理解できる気がするのは、なぜだろう。

 それとも、彼を理解しようと、無意識に努力しているのだろうか。

 それは、彼のことをもっと知りたいと、意識し始めているからだろうか。


 セイ君はぽつりと言葉を零す。

「あぴ子さんって、魅力的ですよね」

「へ?」

 不意に聞こえた言葉に、私は動揺する。

「雰囲気というか、人柄というか。うぱまろさんのこと、とても大事にしている優しい方だし。それに」

「それに?」

「絶対に、他の人の考えを否定しないし。……僕のことも」

 セイ君は話しながら、だんだんと声が細くなる。

 私も何だか恥ずかしくなり、話を逸らす。

「紫陽花が、綺麗に咲いていますね。セイ君は、これを見ていたのですか」

「はい。紫陽花は、面白い花です」


 目の前に咲く水色の紫陽花。

 少し右には、ピンクの紫陽花。

 その奥には、白い紫陽花。

「色が、違いますね。種類が違うのでしょうか」

 セイ君は首を振る。

「紫陽花の色は、土の酸度によって決まります。酸性の土には青色の紫陽花になるし、中性からアルカリ性の土からは、ピンクの紫陽花が咲きます」

「そうなんですね。知りませんでした」

 セイ君は口を紡ぐので、私も色とりどりの紫陽花を見つめる。


 うぱまろは遊び疲れてすやすやと眠っている。

「……人間も、紫陽花の様だと思いませんか」

 セイ君は再び、ぽつりと呟く。

「少なかれ多かれ、人間の価値観や性格は、環境に影響されると僕は思います。でも、紫陽花と違うのは、与えられた環境で、どう咲くのかは、その人次第……です。……僕、何を言っているんだろう」

 雨は絶えず降る。

 スーツの裾から、雨の雫が滴る。

 濡れた手で、髪をかき上げたセイ君。

 戸惑いながら私を見つめるその表情に、不意にどきっとしてしまう自分が居た。

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